第11話 運動会




 運動会がやってきた。

 ウチの高校は縦割りでA組、B組、C組と分かれて競われる。

 我がB組は運動系の部員が多いらしく、俺たち帰宅部の出番は無い。

 強いて言えば、最後の組別対抗リレーのクラス代表の、補欠順位6番目に名を連ねている。

 ただそれだけだ。

 一方でエリーは。


「エリーちゃん、オレ頑張るから応援してね!」

「エリーさま、今日の走りを貴女に捧げます」

「エリーちゃん、玉入れ出ようよー」


 などと、引く手数多の人気者だ。

 あまり良い気はしないが、エリーには楽しい思い出をたくさん作って欲しい、と願う自分もいる。


「まだ半端者、だな」


 ひとりごちると、軽く頭を叩かれた。


「なーにが半端者だ。日比野はずっと一人しか見ていないじゃないか」


 声の主は、同級生の……誰だっけ。


「田中だよ田中、覚えてないのかよ」


 ああ、そうだった。

 チャラいバスケ部員で唯一の陰キャ、田中くんだ。


「エリーちゃん可愛いからな、モテるのは仕方ないな」

「べ、別に……」

「隠すなって。あんな美少女、気にならないのがおかしいだろ」

「じゃあ田中も?」

「もちろん!」


 そうか、そうだよな。

 綺麗で可愛くて、明るい美少女。

 年頃の男子なら、好きになっても不思議じゃない。


「でもな日比野。オレが気になるのは、エリーちゃんと日比野の関係だ」


 どういうことだ。


「エリーちゃんが留学してきて、日比野は活発になってきたよな」

「そんなつもりは……」

「別に恥ずかしいことじゃない。それも成長、だろ?」

「そんなもん、か」

「そんなもんだよ。人生なんて、そんなもんの積み重ねだ」


 初めて話した田中くんの言葉が、やけにしみる。


「そういう田中だって、エリーのことを」

「無理無理、だってさ」


 田中くんはニカっと笑ってこう言った。


「そんなに自然にエリーちゃんを呼び捨てに出来る奴に、オレは勝つ自信は無いよ」


 思わぬ指摘に、顔が熱くなった。


「まあ、頑張ろう。今日は兄ちゃんも応援に来てるんだ」

「兄ちゃん?」

「ああ、というか日比野はもう会ってるけどな」


 それだけ残すと、田中は去っていく。

 俺は、田中の捨て台詞を秒で忘れることにした。




 午前中のプログラム終了まで、俺は「秘密なままの秘密兵器」としての役目を懸命に果たした。

 そして迎えた昼休み。

 エリーはクラスのみんなや、同じ組の上級生に囲まれている。

 俺は母親を探すが、来ていないようだ。

 仕方ない。隅っこで弁当を広げよう。


「エリーちゃーん!」


 その時、甲高く通る声音がグラウンドに響いた。

 目を向けると、大きく手を振る母親がいた。

 しかも公園のホットドッグ屋さんのおじさんも一緒だ。

 なんだ?

 不倫か?

 熟年不倫か?


 などと勘繰っていると、さらに野太い声が響く。


「よう、ひぃちゃん、こっちだこっち!」


 ホットドッグ屋のおじさんが、大胸筋を揺らして手を振ってくる。

 マジでやめて、恥ずかしい。


 俺は人目をはばかるようにコソコソと母親とホットドッグ屋さんの元へ走った。

 一刻でも早く、おじさんの「ひぃちゃん呼び」を止めるために。


「ひぃちゃん言うな!」

「おお、ひぃちゃん!」


 豪快に笑うおじさんの後ろには、またしても。


「あれ、ピンクちゃんも来てたのか」

「ピンクちゃん言うなぁ!」


 ショートボブの髪が心なしか軽くなった竹林たけばやしさん。

 てか陰鬱さが消えたら、ただの美人じゃないかよこの人。

 何故かピンクのジャージで、胸元にはホイッスルがぶら下がっている。

 この人、曹長なのに高校の運動会に参加する気なのだろうか。


 やや経って、エリーと田中が駆けてきた。

 てか田中め……やはり。

 田中をギロリと睨むと、ヘラヘラと笑いやがる。

 しかしそに笑顔の先は、ホットドッグ屋のおっさん……?


「よう、たっくん」

「たっくん言うな、脳筋兄貴!」


 あ、田中って、なるほど。

 ホットドッグ屋さんの弟だったのか。

 そういえば田中の下の名前を知らないな。

 ま、いいか。いざとなったら「たっくん」で。

 しかし兄弟なのに体格が全然違うんだな。


「違う違う、従兄弟の兄ちゃんだよ」


 へーそうなんだ、って。

 その辺の続柄はどうでもいいわ!


「ひぃちゃん!」


 後ろから走ってきたエリーが、ぴょこんとジャンプして俺の横に着地する。

 うむ、かわいい。


「午前中は大活躍だったな」

「めちゃくちゃエントリーされてて困ったよー。パン食い競走しか出るつもりなかったのに」


 そのパン食い競走が大活躍だったのだけれど、言わない方がいいな。


「でもびっくりしちゃった。パン食い競走って、パンを多く食べた人が勝ちだと思ったのに」

「それただの大食いだな」


 そう、途中までぶっちぎりのトップだったエリーは、ぶら下がるパンを片っ端から食べ続けて、結果ビリになったのだ。


「まあ面白かったよ」

「ほんと? 楽しんでくれた?」

「ああ、大爆笑」

「むー、いじわるだなぁ」


 いつも同じように会話をしていると、周囲の視線が冷たい。

 すがるように母親とホットドッグおじさんに目を向けると、待ってましたとばかりに持参した包みを開けた。


「ホットドッグ10個に、フライドポテト10個、そして、ミネストローネだ!」

「おー! おじさん好きー!」


 はしゃいで喜ぶのは、エリーのみだ。

 でもエリーが嬉しいのなら問題は無い。

 エリーにホットドッグとポテトを配り終えたおじさんが、俺に囁く。


「ひぃちゃん見たか。これが大人の魅力だ」

「なに高校生相手に張り合ってんだよ兄ちゃん……恥ずかしいよ」


 ひょろひょろ同級生田中の嘆きは、どこにも届かない。

 てか届かなくていい。


「まあまあ田中くん、オムライスとナポリタンもあるのよ」

「おば様……」


 なぜか泣き出す田中くん。

 というか、エリーが来てからケチャップを使う料理が多くなったな。


「ひぃちゃん、こっち座ろー」


 ホットドッグを片手に、レジャーシートの自分の横をポンポンと叩く美少女、エリー。

 なんか、平和だなー。

 サッカーボールが爆発したなんて、嘘みたいな平和だ。





「大変だ、組別対抗リレーの選手が、軒並み出場不可能になった!」


 残すところ、あと二種目。

 そのタイミングでとんでもない報せが舞い込んだ。

 ウチのクラスのリレー代表が捻挫やら食べ過ぎやら出場できなくなって、で、なんと補欠序列六位の俺にも走れと言ってきたのだ。

 やんわり、のらりくらりと拒否し続けていると、向こう人だかりの中心から美少女が立ち上がった。


「ひぃちゃん、頑張って!」


 美少女エリーは、事もあろうに公衆の面前で俺を「ひぃちゃん呼び」しただけでなく、応援するという暴挙に出たのだ。

 もちろんクラスの連中の目は、奇異な行動のエリーに釘付け。

 田中、こっち見んな。


「ひぃちゃんなら、一位間違いナシだよっ」


 それって、身体強化を使えってことですか?

 いやいやいや、それは反則だろ。

 あれ使ったら、百メートルを6秒くらいで走れちゃうんだよ?


「大丈夫、ひぃちゃんなら……」

「ちょっとエリー、黙ってろ」

「でも……」

「考えてる、いま考えてるから」

「わかった。待ってる」


 なせか静けさに包まれた二年B組の溜まりで、俺は考える。

 そして、立ち上がった。


「エリー、ちょっと来てくれ」

「よい方法が見つかったんだね?」

「一応な、それを試したい」

「やったね! なんでも手伝っちゃう!」


 ポカンとするクラスメイトたちを置いて、俺はエリーを連れて体育館の裏に向かった。


「まず、普通にタイムを測りたい」

「わかった、準備はできてるよー」


 位置について、

 よーい、どん!


 魔法ナシで、久しぶりの全力疾走。

 やっぱり足の回転が遅い。

 息切れがはやい。

 失速がはやい。


「タイムは──11秒01」


 え、以前より3秒も速くなってる。

 どういうことだ。


「きっとね、強化魔法で活性化した細胞が、そのまま強くなっているんだよ」

「そんなことがあるのか」

「あるんだなー、これが」


 エリーは説明を始める。


 強化魔法には二種類あって、ひとつは単純にステータスの数値だけを引き上げる魔法。

 もう一つは、細胞の活性化を促して、筋肉細胞自体を鍛える魔法。

 俺が使うのは、後者だと。

 つまり。


「知らない間にトレーニングしちゃってたってこと、だね!」


 なるほどな。

 これなら小細工なんて要らない。

 正々堂々と走っても、恥ずかしくない。


「ありがとうな、エリー」


 軽くエリーの髪を撫でると、極上の笑顔が返ってきた。




『組別対抗リレーの選手は、集合してください』


 呼び出しのアナウンスの五分後。

 ついにリレーがスタートした。

 各組、8人。

 俺の走る順番は、6番めだ。

 その時が、迫る。

 赤いバトンが見えてきた。

 あれだ、あれを持って、走る。

 走る距離は、およそ50メートル。


 さあ走れ、俺。


 走り出して数秒。前を行くランナーにグングン近づくと、クラスのほうから歓声が上がる。

 一際よく聞こえるのは、エリーの応援だ。


「がんばれー、ひぃちゃーん!」


 勝利の女神の応援も届いた。

 なら、頑張るしかないよな。

 ひとり抜き、ふたり目を躱す。

 三人目の背中に迫ったところで、俺の番は終わった。


 整わない息のまま、走り終えた選手たちの溜まりへ行って、しゃがみ込む。

 空気が、酸素が足りない。

 立ち上がる力も尽きた俺は、グラウンドに寝転がった。

 表彰式も動けなかったから、何位かも分からない。


 少し動けるようになって、ふらふらと自分のクラスエリアへ戻る。

 目の前のクラスメイトが、モーセの十戒のごとく左右に割れる。

 空いたスペースを見つけた俺は、倒れるようにへたり込んだ。


 まだ酸素が足りない。

 回復しない。

 情けない。運動不足だな。

 その時、背中に温もりが広かった。


「ひぃちゃん……頑張ったね」

「リレーの順位は……」

「一位だよっ」


 優しい声音と、さりげなくかけてくれる治癒魔法。

 淡い光に包まれた俺は、すぐに体力が回復した。


「ありがとう、エリーのおかげだ」

「ううん、ひぃちゃん、かっこよかった。惚れ直しちゃった」


 クラスメイトの喧騒の中、俺とエリーは互いの為にあった。

 そんな気がした、のに。




 別れの時期は、やってくるのだ。

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