第10話 再び公園
日曜日。
朝からエリーは騒がしい。
「ホットドッグ〜、ホットドッグ〜、ケチャップまみれの〜、ホットドッグ〜」
謎のメロディで謎の歌詞を口ずさみながら、母屋のリビングをスキップで周回している。
「まだ九時前だぞ、約束は十一時だ」
それを聞いたエリーはピタリと立ち止まり、宙に魔法陣を描き始める。
「ちょっと待て、なんの魔法だ?」
「時間を進める魔法」
「やめろニチアサを楽しみにしてるお友達の心を乱すな」
詠唱をやめたものの、頬っぺたを膨らませたエリーは、代わりを要求してきた。
「じゃあ、遊んで?」
「よし、何して遊ぼうか」
「んー、イチャイチャ」
は?
イチャイチャ?
そんな遊び、初耳ですけど?
「ひぃちゃんとイチャイチャしたい!」
「ちょい待ってくれ」
「ダメ、ひぃちゃんじゃなきゃヤダ!」
今度は俺がエリーから逃げることになった。
☆ ☆ ☆
結局は時間を潰し切れなくて、予定の30分前に公園へと着いた。
公園に入って、不思議に思う。
日曜なのに遊ぶ人々が少ない。
いや、ほぼいない。
そのかわり、スーツを着た男性やら白いロープを纏った女性やらが、忙しなく走り回っている。
「おお、来たか」
親父が手を挙げて合図してきた。
「なに、これ」
「安全対策だな。ここを異世界交歓留学生や関係者の避難場所とする予定だ」
「それってどういう……あ」
疑問を抱いた俺とエリーに、魔力が干渉した。
「大規模な結界ね」
「ご明察だ、エルモアさん」
「エリーで構いません」
「ありがとう、エリーさん」
にこやかにお辞儀をする親父に、エリーは笑顔の花を咲かせる。
「それよりお父様、少しお話がしたいのですが」
親父のスーツの裾を引いて俺から離れたエリーは、何やらナイショ話を始めた。
時折親父がチラッと俺を見るので、たぶん俺への悪口か苦情、なのだろうか。
そのナイショ話が済んだ二人は俺のもとに来て、なぜか笑みを浮かべる。
そして親父は、こうのたまった。
「もっと精進しろよ、
叩かれた背中が痛い。
けれど、それからエリーが上機嫌だったから、まあいいか。
公園の隅に、見覚えのあるキッチンカーが入ってきた。
目敏く見つけたエリーは、一目散に駆け出す。
「待て、まだ着いたばっかりだろ」
「朝のご挨拶よ、大事なことだもん!」
器用に後ろ走りをしながら、エリーは俺に応える。
その光景が無邪気で可愛くて、でも危なっかしくて、俺はエリーから目が離せなくなった。
エリーのあとを追ってキッチンカーの前に着くと、すでに良い匂いがしていた。
エリーのために用意していたらしい。
「すみません、着いた早々に」
「いいっていいって。これがおっちゃんの仕事だからねー」
ニカっと笑うおじさんは、あの日と何も変わらない……えっ?
調理するおじさんの背後に、ごく最近失態を晒した人物がいた。
「あ、ピンクちゃん!」
彼女の名は、
「ピンクちゃんって呼ぶなぁ」
おんやぁ?
あれだけ呼んで欲しがってたのに。
ならば、呼ぶしかあるまい。
「おはよう、ピンクちゃん」
「だからぁ」
すでに涙目のピンクちゃんは、フランクフルト屋さんに転職したのだろうか。
「いやー、先日はウチの部下がご迷惑をお掛けして」
ピンクの黒髪をぽすぽすと軽く叩いて、おじさんが頭を下げてくる。
「しょおたいちょぉおおお〜」
「ほら、お前も謝れ、整列!」
ザッと音が鳴り、おじさんとピンクちゃんが背筋を伸ばして立つ。
「この度は、申し訳ありませんでした!」
「でした!」
「わたくし、異世界庁付き警護隊小隊長、田中二尉であります!」
「同じく警護隊、
呆然とする俺とエリーに、おじさんは表情を崩す。
「まあ、そういうことだ。よろしくな」
「よろしく、お願いします!」
なぜかピンクちゃんだけは隊員モードのまんまだ。
「田中小隊長! 整列の解除を希望します!」
「貴様はあと30分間、整列のまま待機!」
「了解しました!」
これが縦社会、か。
すごいな縦社会。でも加わりたくはないぞ縦社会。
「はいよ、第一陣!」
キッチンカーから腕が伸びて、エリーの前にホットドッグが置かれた。
「ね、ひぃちゃん、食べてもいい?」
「ああ、存分に食え」
「ありがとー、いっただっきまーす」
ケチャップをぶじゅる。
たっぷりかけて、一つめを頬張るエリーは幸せそうだ。
「やるなぁ、兄ちゃん。こないだよりも幸せそうな顔してるじゃないか」
「兄ちゃんじゃなくて、ひぃちゃん!」
口いっぱいに頬張りながら、エリーは的外れな注意をする。
「悪かった。ひぃちゃんだな。ひぃちゃん、もうチューはしたのか?」
エリーが盛大にむせた。
あーあ、そんなにケチャップかけるから。
その後は、公園内外の警備状況と、避難してきた際の通報手段の説明を受けた。
そのうち
作業の終わった、小春日和の公園。
芝生に寝転んで、物思いに耽る。
エリーが来て、たった一ヶ月。
異世界交歓留学生の滞在期間は二ヶ月だから、ちょうど半分だ。
まだ半分なのか、もう半分なのか。
ともかくその間に、いろいろあった。
それを振り返っていると、エリーが隣に座る。
「こっちに来てまだ30日しか経ってないなんて、信じられないよ」
ホットドッグを手に、エリーは笑う。
「そうだな、いろいろあったから」
「そうじゃなくて」
エリーは苦笑しつつ、こちらを向く。
「ね、覚えてる?」
「あん?」
「初めて会った時の、こと」
忘れない。
忘れられる訳がない。
あんなに珍妙な出会いなんて、簡単に記憶から消せるものじゃない。
「ね、再現してみようよ」
言い終えたエリーは、頬を赤らめてホットドッグの端を咥える。
反対側の端にかぶりつけ、というのだろう。
なるほど、いいだろう。
リベンジマッチだ。
「ぱくっ、バクバクバクバク」
「お、来たわね……って、食べるの速いってば!」
次々と咀嚼していき、飲み込み続ける。
あっという間にエリーの顔が近くなり、俺の顔も熱くなる。
さあエリー、あと2センチもないぞ。
はやく降伏しろ、さもないと。
さもないと、どうなる。
突然、目の前のエリーが目を閉じた。
そして、ゆっくりとパンを食べ始める。
おい、ちょっと待て。
そういうのじゃないだろ。
いや、そういうゲームなのか。
いや違う。
こういうのは双方の合意のもとに……いや、エリーは合意しているのか?
分からない。
判らない。
解らない。
思考は空回りを続け、何も結果を生まないまま、また空転を続ける。
心臓の音が、だくんだくんと耳にうるさい。
どうしよう。どうする。
どうしたらいい。
目の前、エリーの顔が真っ赤に染まっている。
これは、きっとあれだ。
覚悟が決まった顔だ。
あとは、俺だけ。
エリーが口を動かすと、俺の口のパンも動く。
もう、数ミリかも知れない。
けれど、いつまでもこのままではいられない。
もういいや。
このまま、エリーと。
エリー……
「ババーン、響子ちゃんでしたぁー!」
びくんと肩が跳ね上がる。
心臓が口から顔を出した気分だ。
「にっひっひ。色気づくにはまだ早いぞ、お子ちゃまたち?」
仁王立ちの
その姿は、学校での冷徹な倉坂先生とは別人だ。
というか、もう学校での
笑い声と共に遠ざかる
真っ赤な顔で俯くエリーの、淡く綺麗な髪を撫でる。
びくんとエリーは反応するが、嫌がりはしない。
そのまま髪を撫で続け、エリーに詫びる。
「悪いな、ヘタレで」
「……ホントだよ」
エリーも俯いたまま、応えてくれる。
「けどな」
エリーの体が、少し強張った気がした。
「中途半端な、軽い気持ちで、したくない。もっとちゃんと、大切に」
しどろもどろな言い訳を、エリーは黙って聞いてくれる。
「だから、その、まだ……」
エリーの髪を撫でる俺の手に、エリーの細く白い手が重ねられた。
「わかった、待ってる。待ってるよ」
キュっと握られた手の熱はすぐに染み込んで、俺の熱に混ざった。
「待ってるから、ね」
この日俺は、改めてエリーという女の子を意識し、なんらかの許可と、その執行猶予をもらった。
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