第9話 お月見の乱



 エリーが交歓留学してきて、一ヶ月が経とうとしていた。

 まだ昼間は暑い日もあるが、日没後は秋の風が心地よい。

 今夜は満月。

 中秋の名月からひと月遅れだが、今夜の満月は特別らしい。

 ブラッディームーン。

 なんとも物騒なネーミングだが、なんか太陽や月や他の惑星の位置関係とかで、月が赤く見えるという。


 母屋の縁側に腰を下ろして、月を見上げる。

 赤くて、デカくて、ちょっと怖い。


「この世界って、不思議だよね。あんなに近くに星が浮いてるなんて」


 俺ら地球人からすると、異世界のほうが不思議なんだけど。

 動画サイトで見た異世界には、船みたいにでっかい竜が空飛んでるし。


「あと、このお団子。真っ白なのに、すごく美味しいし」


 月見団子を頬張るエリーは、もう月の不思議なんてどうでもいいようだ。


「エリー様、こんなお団子もありますよ」

「わぉ、ピンクのお団子!」


 ピンクちゃんこと桃色林さんは別の皿をエリーに差し出す。


「あれ、味は白いのと変わんない」

「色付けてあるだけだからな」


 カキ氷のシロップと同じ原理だ。目で楽しんだり選ぶ楽しさのために色付けされているだけだから、味は変わらないのだ。


「目でも食べ物を楽しむなんて、私たちの世界にはない文化だわ」


 目を丸くして、白い団子とピンクの団子を食べ比べるエリーの笑顔は、なんだか小さな子どものように見える。


「日比野様、エリー様のお胸は、軽く見積もってもFはありますよ」

「ピンクちゃんは風情とか情緒を勉強しようか」


 あと、無駄に心を読むのはやめようね……ん?


「エリー、これって」

「うん。侵入者」


 エリーの魔力回路を通じて、侵入者の存在を感じた。


「ほう、敵陣に堂々と乗り込んでくるとは、度胸はあるようだな」


 どこに隠し持っていたのか、キョウ姉ぇは黒い木刀を出して笑う。


「しかも、満月の夜ですからね。相当な自信があるのでしょう」


 ピンクちゃんこと桃色林さんは、これまた隠し持っていたナイフを構える。


「──くる!」


 叫んだ瞬間、目の前に黒ずくめが現れた。

 そして、そいつがこちらに向けた手のひらから、炎の球が飛んできた。

 が、エリーが常時展開しているパッシブスキル「魔法障壁」に当たった炎の球は、そこで消滅した。


「ふふふ、魔法への防御は中々ですが、物理攻撃への防御はどうでしょうか」


 男だろうか、黒ずくめの小柄な人物が嘲笑うように喋る。

 その奴の背後から、声。


「あらあらどうしましょう。門のカギが壊されちゃいましたね」

「ふむ、ならば弁償してもらわねば」


 その声で気がついたが、横からキョウ姉ぇとピンクちゃんが消えていた。

 キョウ姉ぇはなんとなく納得できるけど、ピンクちゃんって何者なんだ。

 親父はボディーガードと言っていたけど。


「ほう、たいした自信だな。出来るものならやってみ──え?」


 真ん中の小柄な奴が喋り終える前に、キョウ姉ぇが振るった木刀から、斬撃が飛ぶ。

 さすがだな。

 キョウ姉ぇの家は、代々剣術道場だ。

 それに元交歓留学生でもある。

 今の飛ぶ斬撃は、異世界の王立学院で学んだ技術スキルらしい。


「ぐぁあああ! なんのっ!」


 飛ぶ斬撃を躱せないと見た小柄な男は、顔の前で両腕をクロスさせて衝撃を受け止める。

 そのまま上体を後ろに反らして、斬撃の方向を逸らすことに成功。

 たいしたもんだ。

 初見の飛ぶ斬撃をやり過ごすとは。

 しかし。


「ゲフォ!?」


 その代償は大きかったようだ。


 ヒョウ、と飛び上がった桃色林ももいろばやしさんが、反り返った男の腹部に垂直落下式ドロップキックを突き落とす。

 一撃でペシャリと地面に沈んだ男を見て、俺は妙な違和感を覚えた。


 普通、この手の襲撃は単独では行動しない。必ず複数で行動すると桃色林──ピンクちゃんは言っていた。

 ならば、この男たちもそうなのではないか。

 その可能性は、充分にあり得る。


「パッシブ・ソナー」


 エリーが呟く。

 これでアパートの周囲数十メートルくらいは索敵範囲となった。

 エリーと魔法回路で繋がった俺にも、その情報は流れ込んでくる。


「──っ!」


 視界の隅、走る影。

 その影に向かって走った俺は、すぐさま自分に身体強化をかける。

 そして、


「ぐっふぁ!?」


 水平に伸ばした左腕を影にめり込ませる。

 うまく喉元に腕がめり込んだところを、喉を引っ掛けたままの腕を地面に振り下ろす。


「がはっ!」


 喉元と背中に強い衝撃を受けた乱入者は、それで沈黙した。

 木刀を携えたキョウ姉ぇが駆け寄ってくる。


「お疲れ、キョウ姉ぇ。すごい技だったな」

「ひぃちゃんのウェスタン・ラリアットこそ!」

「いや、それを言うなら」


 キョウ姉ぇと俺が同時に視線を向けた先。

 斬撃とドロップキックで倒れた男を丁寧に捕縛する、桃色林ももいろばやしさんだ。


「あれだけ綺麗な垂直落下のドロップキック、初めて見たよ」

「そうだねー、しかも威力を高める為に、踵で落ちたもんねー」

「ほんと見事だったな」


 思ったことしか言っていない。

 たまたまそれが褒め言葉になっただけ。

 それだけなんだけれど。


「や、やめてくだしゃ……あーもう!」


 ピンクちゃんは顔を隠そうとして前髪を下に引っ張ったり、手で顔を覆ったり。


「かわいいな」

「うん、かわいいですな」

「やめてぇえええ、あたしは男を惑わせ翻弄する特務一課の妖しいヒヤシンスと呼ばれるはずなのに──」

「なるほどピンクちゃんは特務一課所属、と」

「妖しいヒヤシンスことピンクちゃん、と」


 キョウ姉ぇと俺が揶揄うように言うと、桃色林ももいろばやしさん改め「特務一課のヒヤシンス」さんは真っ赤な顔面を両手で覆って、現実逃避に入っていた。


「──竹林たけばやし、何をしている」


 突然聞こえたその声は、親父のものだった。



 ☆ ☆ ☆



 母屋のリビングに、親父、お袋、エリー、キョウ姉ぇ、特務一課のヒヤシンス、そして俺。

 捕縛した不審者を入れると、八人も集まっていた。

 しばらくして不審者二人は警察に連行されて行き、それから話は始まった。


「母さん、比呂ヒロ。黙っていて悪かった。俺の仕事は、異世界に関わっている。そこで縮こまっている竹林たけばやし桃も、同じ省庁の別部署の職員だ」


 特務一課のヒヤシンスさんを窺うと、かつて

桃色林ももいろばやしちくでーす。ピンクちゃんって呼んでね☆』

 などと言っていた数時間前が、今では懐かしくもあり、痛々しくもある。


竹林たけばやしって、なんか地味よね」


 ファーストインパクトが桃色林ももいろばやしやピンクちゃんだったからなぁ。

 多少セピア色を感じても仕方ないよな。


「で、セピアばやしさん」

桃色林ももいろばやしよっ」

竹林たけばやしでしょ?」

「うっ……」

「まあまあ落ち着いて、ピンクちゃん」

「今となっては、それがいちばん恥ずかしい……」


 なんとか林さんは、リビングの隅で泣き崩れた。

 それを見つつ、親父は話を続けようとする。


「でだ、ピンク林」

「鬼! 局長の鬼!」


 うっかり親父の役職までバレたところで、話し合いは再開。


 異世界交歓留学生制度が始まる前年度、外務省に異世界課が設置された。

 そして、それまであった防衛省の異世界特務課などと合弁し、新たに「異世界庁」が設立された。

 職員は主に自衛隊、外務省、警察庁。

 その中の、異世界渡航歴がある人材で構成された。

 親父はそこの外交局長となり、かつて異世界交歓留学生だった竹林たけばやしさんは、自衛隊から異世界庁の外交局に入ったらしい。


 とまあ、小難しい説明はぶん投げて。


 異世界との付き合いのために新しい部署が出来ましたよ、って事らしい。


「で、あの男たちは、今後は」


 キョウ姉ぇが倉沢先生の顔で親父に問う。


「彼らは、所轄の警察署で取り調べを受けて書類送検されたあと、異世界庁の情報課での取り調べとなる予定だ」


 まずは罪の告発。

 それから目的や黒幕探し。

 それと同時に、先日の公園でのサッカーボール爆発事件への関与も調べられるそうだ。


「そうだ、比呂。次の日曜、公園に行こう。エルモアさんも連れて」


 俺は良い、が、怖い思いをしてしまったエリーはどうだろう。


「んー、またホットドッグ食べたいからなー、いいよ」

「ありがとうエルモアさん。ホットドッグ屋は必ずいるから、安心して欲しい」


 親父も冗談のような事を話すのか。

 肉親の新たな一面が垣間見られた夜、だった。



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