第5話 魔法
「ひぃちゃんってさ、魔法、使えそうだよね」
この夜の事件は、エリーの唐突な言葉から始まった──
エリーが来てから、俺はアパートの食堂で晩飯を食べるようになっていた。理由は、
「ひとりで食べるより美味しいでしょ?」
という、自分の正義はみんなの正義的な母親の押し付けからだった。
しかし渋々始めてみると、案外これが楽しい。
別にずっと話しながら食事するわけではなく、美味い料理の感想を共有したり、学校であった些細なことを話したり。
それに、
「ふぁー、美味しかった。今日もひぃちゃんのおかげで楽しい夕食になったよー」
などと笑顔で言われるのは、悪い気はしない。
そして晩飯を終えた俺は、自室に戻ろうと席を立つ。
が、そこでエリーに引き留められた。
「ひぃちゃんさ、魔法使えそうだよね」
「は?」
「だって」
エリーは立ち上がると、俺に近づく。
「な、なに……」
そして無防備なまま俺は、キュッと手を握られた。
エリーの小さな手は、温かい。
「ほら、やっぱり」
何がやっぱりなのか、さっぱりだ。
しかし、何となくは察した。
エリーの手が触れた途端、温かい「なにか」が俺の腕を流れた気がした。
「それが、魔力だよ」
エリーいわく。
こっちの世界は自然や精霊の力が弱くて、大きな魔法は使えないらしい。
でも、生活で使うような魔法や身体に作用する、例えば簡単な治癒魔法などなら可能だそうだ。
そういえば、教室で魔法を使おうとした事もあったな。
「あれはねー、威嚇用なの。パーって光るだけ」
なるほど、目眩しってやつか。
「だから、ひぃちゃんもあの魔法、覚えられるよ」
「へ、へー」
魅力的だ。とっても魅力的な提案だ。
魅力的過ぎて鼻血が出そうまである。
しかし、まずいだろ。
たまに動画サイトとかで魔法使ってる大学生とかいるけど、だいたいは数日でアカウントごと削除されて終わる。
つまり政府は魔法の存在を広めたくないのだ。
「じゃあ、やってみよー」
「ちょっとお待ちなさい、エリーさんや」
「なぁに、ひぃちゃん」
俺はエリーを思いとどまらせるために、エリーの華奢な両肩に手を置いて、真剣な目を向ける。
「え? え? これって……もしかして」
なぜかエリーの目が泳ぎ出すが、そんなの全力で追っかけて捕まえる。
「──! ひぃ、ちゃん」
エリーと視線を合わせた俺は、諭すように言う。
「いいか、エリー。違う世界で武力を行使するのは、互いに禁止されているんだよ。その禁止事項の中には、魔法も含まれるんだ」
大前提のひとつを言う今更な俺に、エリーはひどく落胆したような溜息を吐いた。
「はぁぁぁぁ……わかったよ。簡単な治癒魔法だけにしておくよ」
わかってなかった。
「だからな、エリー」
「わかってるって。こっちの世界でいう、絆創膏がわりだよ」
なるほど。
いつでもどこでもお気軽な絆創膏か。
なら、教えてほしいな。
「頼みます、エリー先生」
「よろしい」
えっへん、と胸を張る部屋着のエリーは、学校とは違う魅力が溢れていた。
☆ ☆ ☆
エリーの教え方が良かったのか、わりとあっさり治癒魔法を習得できた。
「おお、すごいなこれ」
治癒魔法の魔力を体内で回してみると、なんだか活力が湧いてくる。
ふとエリー先生の方を見ると、なんか魂が抜けかけていた。
「ひぃちゃん、それ……強化魔法……」
「えっ」
エリー先生いわく。
治癒魔法と強化魔法の魔力は、同じ系統らしい。
違うのは、使用方法。
相手に注入して細胞を活性化させて治癒力にするのが、治癒魔法。
体内で循環させて筋肉を細胞レベルで活性化させるのが、強化魔法。
「強化魔法って、普通は数ヶ月かけて身に付ける、んだけど……ひぃちゃん何者!?」
「いや知らんし」
俺は普通の日本人だって。
仕事が多忙でめったに帰ってこない父親と、専業主婦の母親。
その間に生まれた、やや平均より劣る日本人が、俺だ。
「魔法の才能からいえば、ひぃちゃんは王立学院でもトップレベルだわ……」
王立学院。
向こうの世界でエリーが通う学校、らしい。
教科は、語学、数学、自然学、魔法学。それに、剣術。
日本より科目は少ないが、魔法と剣術は大変そうだ。
とはいえ、そういう世界に夢を馳せてしまうのが、我ら厨二病なのだけれど。
「ひぃちゃん、明日ひまかな!?」
唐突にエリーの顔がどアップになる。
琥珀のような大きな目。
長いまつ毛。
シュッとしているけれど、柔らかそうな頬。
同じくらい、いやそれ以上に柔らかそうな、唇。
「きれいだなぁ……」
うっかり感想を漏らしてしまった。
俺ってば、なんて失礼なことを。
慌てて謝ろうとするが、エリーの様子がおかしい。
顔どころか長い耳の先まで桜色に染まり、瞳は宙を泳ぎ、その可愛らしい口からは「あうあう」と鳥の雛のような声が出ていた。
「いや、ごめん。迂闊だった」
「──はっ」
目の焦点を取り戻したエリーは、俺と目を合わせると一層頬を赤くする。
やばい、めっちゃ怒らせた。
その証拠にエリーさん、ぷくっと頬を膨らませて俺を睨んでいらっしゃるのだ。
焼きか、ジャンピングか。
土下座のトッピングを選んでいると、エリーは軽く息を吐く。
「まったく……こっちの世界の男の子って、みんなこうなのかしら」
やばい、俺のせいでほかの皆さんに濡れ衣を。
「そ、そんなことはない。きっと俺が特殊なんだ」
たしかに俺はおかしいのかも知れない。
よく人を怒らせるのだ。
そしてその大概が女子。
つまり俺は、女子に嫌われ……泣いていいかな。
「そう。そうである事を願うわ。んでね」
エリーの提案は、明日どこか広いところに行こう、というものだった。
「もうちょっと女の子の気持ちを勉強する方がいいね、ひぃちゃんは」
まだ怒ってる。
明日は、血の雨かな。
てか日本語上手くなったな。数日で。
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