開戦

 協定銀河時間八月一日二時三七分。

 連邦首都ニューフィラデルフィア駐在の帝国大使が連邦にあって州間外交の調整と外交とを担う国務省を訪れ、宣戦布告文書を手交する。これにより国際法上でも両国家が戦争状態に入る事が文書上においても正式に確かめられる。

 ほぼ同時刻、連邦の排他的経済宙域の外側にあり、帝国と連邦との勢力圏のほぼ中間に位置する五つの要塞すべてに帝国軍艦隊が襲い掛かった。これは奇襲攻撃とはならなかったが、直前まで帝国軍の大規模動員に気づくことができなかった連邦軍の動員が間に合わず、不利な戦術的地位において連邦軍は防衛戦を強いられることとなる。

 帝都星ブラウメンにあっては参謀総長ヴァイクス率いる海軍参謀本部が事実上の最高司令部として帝国全海軍の作戦を統制し、その元にあって海軍兵站部改め海軍兵站総監部は前線部隊への補給を統括する。平時にあって艦隊の練度維持を担う艦隊総軍司令部の役割は低下し、今後必ず待っている艦船の修理や部隊の再編成と言った任務に備えた。

 開戦のまさに当日、意外な事に兵站総監部は開店休業状態に近かった。

 必要な計画は策定され、それに伴う指示は既に下達され、帝国軍各地の軍港、輜重司令部、輸送艦隊、中継補給基地は指令通りに行動しているためであり、次に兵站総監部が動かなければならない時は、その計画が破綻したときである。

 そしてその時は遠からず訪れる事になるとエルヴィン・フォン・シューラーは確信していた。

 彼の中でこの作戦計画が失敗する事は疑いようのない自明の理であり、周囲の参謀将校らが作戦の成功を確信している無邪気さをエルヴィンは心底軽蔑していた。彼らと同じ空気を吸いたくなくて、エルヴィンは一人バルコニーに立っている。

 連邦軍の要塞の強大さを彼らは理解しているのだろうか。伝統的に参謀本部は機動戦力偏重主義で、固定されて動く事のない要塞を侮っている。だがその火力と防御力、継戦能力は戦列艦とは比べ物にならない。

 それに、これまでの数度の戦争で優秀な人材は軒並み壊滅してしまっていた。今軍上層部を牛耳るのは一切前線に出なかった高級貴族や、順送り人事によって経験も能力も無いままに出世した若手将校ばかり。平民出身の士官ではどれだけ努力しても佐官が精一杯で、高級将校の地位は貴族層によって独占されている。

 このような体制のままではとても連邦に勝利するなど覚束ない。ただでさえ帝国は連邦に対して国力に劣り、その劣った国力の大部分を軍事費に注ぐことで辛うじて連邦との軍事的均衡を維持する有様なのだから。

 そもそも帝国の国家としての在り方に問題がある。そこまでもし公言すれば直ちに国家保安省の耳に入って粛清の対象になる事は疑いないから決して口にはしないけれども。

 エルヴィンは自分の頭脳が弾き出した計算の結果を疑わなかった。参謀本部の立案した作戦が失敗に終わるに違いない事も疑っていない。そして自分がもし軍略を巡らせて全帝国軍を統率する立場にあれば、連邦軍宇宙艦隊の悉くを宇宙から駆逐するに違いない事を確信もしていた。

 その権限が自分にあれば。いや全軍とは言わない、せめて軍の一翼の作戦でも担うことができれば。

 だが現実にはエルヴィンの身体は帝都の参謀本部の厚い石煉瓦の壁の中に囚われ、彼の心に生えた翼は長い休眠を余儀なくされている。その智謀が発揮される舞台がないままに、数千光年を超えた彼方で数万隻の大艦隊が躍動しているのだ。

 それがどれだけこの青年にとって耐え難き事たるか、余人には想像もつかない。だがそれを理解しようと試みる人間自体、エルヴィンの周りには一人もいなかった。


 八月十日。

 銀河帝国軍による対連邦侵攻作戦“赤”では侵攻開始五日以内に連邦領土の外郭を守護する五つの要塞を陥落させ、動員される連邦軍主力艦隊を迎撃する手筈を整えるはずだった。

 だが現実には五日を過ぎても一つの要塞を陥落させることも叶わなかったばかりか、各艦隊の損失が拡大する一方であり、特に第一軍などは損傷による戦線離脱を含めて早々に艦隊戦力の三割強を損失し、その後送や回復のための輸送も要塞攻略を見越した補修資材によりリソースが圧迫されて遅々として進まない有様である。

 連日前線から想像を遥かに上回る損害の報告ばかりが上がり、一方で全く進展の無い状況に帝都星ブラウメンの海軍参謀本部では日毎にわだかまる空気感の重量が増す一方であった。

 「何と言う様だ!」

 作戦部長カール・フォン・レーヴェンベルク中将は卓に力の限りで前線各部隊の報告を告げるデータパッドを叩きつけた。

 円卓を囲む作戦部の上級将校たちは耳をつんざくような音響に背筋を凍らせたが、元はと言えばこの作戦自体がレーヴェンベルクの自信満々のプランであった事を知る彼らにとってレーヴェンベルクの態度に同情はしかねるものである。

 「このまま要塞攻略が叶わなければ、やがては兵力を整えた連邦の主力が迎撃に出動してくる。陛下に面目が立たんぞ!」

 早口でまくし立てる作戦部長を相手に同意も反論の声も沸き起こることはなく、白塗りの会議室はその空気までが漂白されたように色無く沈黙していた。

 「各部隊に攻勢を強化するよう、改めて指令しろ」

 「お待ちください」

 初めてレーヴェンベルク以外の人間がこの会議にあって口を開いた。

 「なんだ、ホリト少将」

 作戦部の中枢たる作戦課を率いるフリッツ・アドルフ・フォン・ホリト少将。右目を覆う眼帯を着けてなお隠し切れない傷跡は、第三次銀河戦争の中にあって受けた戦傷である。人口皮膚移植や義眼と言った医療技術を用いればそうした外見上の負傷をある程度治癒することができただろうが、敢えて残しておく変わり者でもあった。

 「完全戦力状態の各軍でなお攻略できなかった敵要塞を、損耗した現有兵力で攻略することはできません。作戦の修正が必要です」

 痩身のマフィアのような見た目の少将の放つ威厳は、作戦部長という参謀本部でも屈指のエリートたるレーヴェンベルクにも勝るものがあった。

 「ではどうしろと言うのか」

 机に手を置いて身を乗り出してレーヴェンベルクは問うた。その圧を逸らすように傲然とホリトは胸を張る。

 「全要塞の同時占領という目標を棚上げしても、一つの敵要塞に兵力を集中すべきです」

 ホリトの提案はレーヴェンベルクの作戦計画を反故にするに等しい。

 「今更敵要塞の攻略を取り止めるだと?内外にどう映ると思っている」

レーヴェンベルクは歯を剝き出した。

 「しかし現状のままではいたずらに兵力を損耗するばかりです」

 ホリトの声調も姿勢も彫像の如く不動であり、一層レーヴェンベルクとの温度差が拡大する一方だった。

 「一つでも敵要塞を残せば、そこが敵の反撃と補給の拠点となり、我が軍の補給線を扼する事となる。そのような提案を受け入れる事はできん」

 ホリトは唇を結んだ。自分の面子に拘泥するこの作戦部長と相対する無為を悟ったのである。


 作戦課の執務室へと戻ったホリトは自分の席に腰を下ろすと近場にいる一人の若い将校の名前を呼んだ。

 「エーベルハルト中佐」

 即座に立ち上がったやや長髪の中佐がホリトの机の前に立ち、頭を下げて敬礼するまでに十秒を要した。

 「エーベルハルト中佐、参りました」

 「前線各軍に参謀数名を派遣したい。要塞攻略は現状の作戦のままでは不可能だ」

 その言葉を最初から予想していたようにエーベルハルトは肯首した。

 「しかし、派遣する参謀は余程有能な者でなければ要塞攻略は不可能です」

 「無論だ。貴官の眼鏡に適う人材はいるか」

 まさにその問いを待っていたかのようにエーベルハルトは愛想の良い微笑を湛えた。

 「第一軍には小官が参りましょう。中央部の要となる第二軍ですが、兵站総監部に推薦したい者がいます」

 「兵站総監部だと?」

 怪訝な顔になったホリトに、間髪を入れずにエーベルハルトは続けた。

 「エルヴィン・フォン・シューラー中佐です。閣下もご存じでしょう」

 「あぁ、秀才とは聞くがいけ好かん奴だとも」

 「この度の補給計画はシューラー中佐が立案したものです」

 「だが現に補給線の混乱を引き起こしているではないか」

 エーベルハルトは即座に小さく首を横に振った。

 「本来の計画素案を私は見ましたが、今補給線を圧迫している要塞補給の資材の輸送はシューラー中佐の計画案には盛り込まれていませんでした」

 ここでエーベルハルトが言葉を止めるものだから、ホリトが自分の脳裏の大地を駆け巡って話の回答を見つけ出すまでに数秒を要した。

 「シューラー中佐は最初から要塞攻略が不可能だと見抜いていた、と言うことか」

 「左様です、閣下。私は一度中佐と相まみえる機会に恵まれましたが、やはりこの作戦計画には反対のようでした」

 数度ゆっくりと頷いて、ホリトは顔を上げて唯一視力を残す鳶色の左目で三一歳の中佐を見据えた。

 「ならそのシューラーと話をしてみよう。貴官が言うような才覚ある人材かはまだ分からん」

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