[Ⅱ:前線へ]

連邦大統領

  西暦二五七二年七月三一日。

 銀河連邦共和国首都星ティアマトの巨大都市ニューフィラデルフィアの中枢に位置する”キャピトルタワー”が連邦大統領の行政府である。高さ六百メートルと周囲で林立するビルの群れの中では決して高くはないが、白塗りの荘厳な造形は他の高層建造物とは一線を画している。

 キャピトルタワーは大統領の邸宅も兼ねており、建物の上層部が居住用のスペースとなっている。これは緊急時において直ちに大統領が執務に取り掛かれると同時に、テロに対して完璧に近い防御機構を持つ行政府に大統領が住まうことによる警備上の利点もあった。

 寝室の扉が叩かれたのはニューフィラデルフィア時間の深夜三時二十分。

 「大統領!起きてください」

 大統領首席補佐官マーセル・ボネットの声に大統領リチャード・ウォーレンは跳ね起きた。

 隣の大統領夫人ミアも眠気眼を擦って起き上がる。

 「一体何事だ」

 大統領はベッドからスリッパを履きながら問うた。睡眠を邪魔された怒りの感情が確かに声に籠もっている。

 「帝国軍が非武装宙域に侵入しました。かなりの大軍です」

 沈痛さを乗せたその台詞は大統領にとって驚天動地の衝撃とはなり得ない。そのような未来が到来することは当然想定の内であったし、その備えも確かにされていた。

 「シチュエーション・ルームに行く。詳細な報告を上げさせろ」

 それだけ補佐官に命じて五二歳の大統領はクローゼットへと早足に向かった。仮にも一国の大統領が寝間着で国家の非常事態を指揮するわけにはいかない。最低限シャツくらいは着る必要があった。

 ズボンにベルトを通していると、後ろからナイトガウンを着込んだミアが声をかけた。

 「戦争になるの」

 「かもしれないな」

 ウォーレンにとって驚くには値しない。それでも言動の一つ一つが角張る自分を自覚せざるを得なかった。

 「やっぱり二期目を務めるべきじゃなかった」

 「そうかもな、そこの赤いのを取ってくれ」

 淡々とウォーレンは返した。

 夫の言う通り濃い赤のネクタイを取ってきた妻の手の動きは鉱物のようだった。首の後ろに回したその手を、ウォーレンはそっと掴む。

 「これまで三回やって三回とも滅びはしなかった。今回も大丈夫」

 気休めにもならない事を自覚していても、言葉で伝える事に意味がある。ミアの表情筋を持ち上げたような微笑はそれを知っていたからだろうが、彼女もそれ以上夫に何か言おうとはしなかった。

 妻に結んでもらったネクタイを摘みながら廊下を速歩きにシチュエーション・ルームに向かう。エレベーターの前で数人の警護官が大統領を待っていた。

 「大統領、以後貴方は我々の戦時警護下に置かれます」

 ウォーレンは頷いてエレベーターに乗り込んだ。四人の黒いスーツに屈強な肉体を包んだ警護官が彼を囲むように佇立する。

 シチュエーション・ルームは重要な国家的事態のリアルタイムでの指揮の際に用いられるが、数千光年離れた最前線との通信に最速でも数時間を要する現代にあってはその重要度は低下している。それでも巨大なスクリーンモニターに複数の立体映像ホログラム投影機を備えた巨大な会議室はこのような軍事問題の会議には必須の存在だった。

 大統領が部屋に入ると彼に先んじて入っていたスタッフ達が一斉に起立し、大統領に向き直った。すぐにウォーレンが手を挙げて合図すると彼らは仕事に戻り、三秒前までの喧騒が部屋を覆い尽くす。

 「ウォーリーは?」

 「│国防省ピラミッドに」

 首席補佐官が即座に応じる。

 「すぐに呼び出せ」

 命じて円卓状になったテーブルの一つに腰を下ろす。

 数秒して大統領のすぐ隣にやや青みがかった人間の立体映像が投影された。短く刈り上げた髪に角ばった眼鏡、この深夜に一八九センチの長身を包むスーツを着て敏腕なビジネスマンを思わせる。それが国防大臣ウォルター・ハーディングである。

 「ウォーリー、また寝れなかったのか?」

 ジョークめかした大統領に、ハーディングはにこりともしなかった。

 「帝国軍侵攻の危機です」

 面白くない男だが、切れ者であることには違いない。国防省という巨大組織を纏め上げるには並の人間では務まらない事はウォーレンはよく知っている。それにしても今少し愛想があってくれても良いとは思うが。それでもハーディングの指摘は全く間違っていない。

 「監視衛星複数が帝国軍の艦隊の接近を伝えています。航路計算によれば五つの要塞全てに接近しつつあるようです」

 「数は分かるのか?」

 「亜空間ソナーと光学観測のデータを集計中です——チュイコフ将軍」

 国防長官の隣に今一人の立体映像が映し出される。この夜中にスーツを着込んだままのハーディングと違って寝間着同然の服装の上に白いセーターを着込んだ姿からして官舎から慌てて出てきたのだろう。この非常時にあっては外見上の体裁に構っている余裕などない。

 連邦軍人の最高位たる統合参謀本部議長アレクサンドル・チュイコフ地上軍大将であった。

 「大統領、前方総軍司令部からの報告です」

 議長自身把握していないようで、手元のデータパッドに目を通してウォーレンは五秒間待たされることになった。

 「帝国軍の総数は艦艇三十万隻ないし三五万隻。事前の想定より少ないのは上陸船団を帯同していないためと思われます」

 「敵は陸軍との連携が取れていないと言う事か」

 「その可能性は考えられますが、敵の艦隊だけでも我が軍にとっては重大な脅威です」

 「直ちに動員できる部隊は?」

 チュイコフが手元の資料に目を落とすのを見て、即座にハーディングが口を開いた。

 「第三及び第五艦隊が充足された艦隊です。ただ第三艦隊は各要塞に分散配置されています」

 「では当面我々が自由に動かせるのは第五艦隊だけか。今どこにいるんだ」

 「第五艦隊はシリウス星系にて演習中です」

 ハーディングが言い終わるより早くウォーレンは立体映像を指差していた。

 「すぐに中断し、増援させろ。他の艦隊は?」

 「第二及び第七艦隊は予備役動員に時間がかかります。宇宙軍予備艦隊の復帰作業も必要です。緊急動員を行ってなお一カ月弱は要するかと」

 「ここ数年の予算削減が仇になった」

 話を静かに聞いていた国防担当大統領補佐官ジョージ・ムーアが舌打ちした。

 「今ここで議会に文句をつけても仕方ない」

 補佐官をたしなめ、ハーディングは机の上で両手の指を組んだ。

 「今は我々にできる事をするしかない。全連邦軍に動員指令。迎撃態勢を整えさせろ」

 ハーディングとチュイコフが共に頷き、ホログラムが消えた。次いで大統領は居並ぶ補佐官たちに目を向ける。

 「緊急の会見を開く。草稿を詰めろ」

 補佐官たちが出ていくのと入れ替わるように│連邦情報庁FIA長官テイラー・ケインが入室してきた。

 「大統領。帝国内の情報網についての方針はどうなさいますか」

 ウォーレンは口をすぼめて息を吐きながら椅子の背もたれに身を預けた。

 「君ならどうする」

 「過度な反応をせず、│国家保安省ゲシュタポに露見するリスクを極限まで減らします」

 「ならそうしてくれ」

 ケインが退出し、次は国家安全保障局副長官がやって来る。その次には首相ヘンリク・キラコスキ、司法大臣イリーナ・メドベージェワ……

 入れ替わり立ち代わり大統領の判断を求めるためにやってくる側近たちを相手する多忙さの中で、ウォーレンの胸郭の内側を少しづつ浸すように現況の重大さが染み渡ってきた。

 これは戦争であり、ウォーレンは大統領として連邦二百億の民と民主主義政体とを守護する義務が与えられている。連合と帝国、連邦と三国が分立する銀河にあって戦乱は絶える事がない。この戦争がその最後の戦争となるのか、これから先も続いていくのか、それはウォーレンには分からなかったし、ウォーレン以外の誰もまた知りうる筈もない事であった。

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