不愉快

 五月二八日。

 エルヴィンは参謀本部兵站部長クロージク中将の執務室に出頭している。

 照明を落とした室内には立体映像が浮かび、無数の星系とそれを結ぶ航路が映し出されている。その航路を光点が移動し、帝国領から連邦領へと向かって行った。

 エルヴィンの立案した補給計画案を視覚的に表現した立体星図であった。帝都ブラウメンを始めとする補給基地から中継集積基地を経て最前線の艦隊に補給物資が到着し、損傷した艦船や傷病者を後送する。軍隊の作戦行動に必要な血液の循環の計画として、エルヴィンの立てた案は完璧に近いものだった。驚くべきは五日とは言えそれをエルヴィン一人で立案したという事実である。

 「問題なかろう」

 クロージクは能面のような無表情さで計画案を記したデータパッドを手に取った。

 「貴官はこの作戦計画にまだ反対なのか」

 その問いかけにエルヴィンが応じるまで三秒の間があった。適切な返答を吟味する時間であった。

 「参謀本部の計画に反対するつもりはございません」

 「そうか」

 クロージクの語調は無愛想と無関心の積数のようなもので、若すぎる中佐に対して好意を表現したものではない。

 「参謀総長にお渡ししよう。下がって良い」

 労いの言葉一つ無くクロージクは退出を促した。

 その態度にエルヴィンは目を細めた。背筋がぴんと伸び、口元が引き締まる。それ以上表面の態度に内心を表すことはなく、金髪の青年は一歩下がって一礼し、踵を返した。

 扉を閉め赤絨毯の廊下を歩き出すエルヴィンの足音は甲高い。細まったままの紅い瞳は、視野狭窄の生きる例のように彼の足元一メートル先で視線を固定させていた。

 エルヴィンが五日ほぼ休まず立案した計画を目の前でクロージクは持ち去っていった。もし奴が全てを自分の手柄にしたら?エルヴィンの功績は無視され、この作戦が成功に終わろうが敗退しようが彼の存在はクローズアップされないままに過ぎ去ることになる。

 それはとても耐えられたものではない。功績はエルヴィンが独占すべきもので、あのような男に奪われて良いものではなかった。

 だが一度エルヴィンの手を離れた以上、彼にできることはなにもない。それが軍隊という巨大な官僚機構の常であることをエルヴィンは理解していた。

 それを打破するには彼自身が権力を得る他無く、そして今彼の手元にそれはない。その事もエルヴィンは分かっている。

 このまま兵站課に戻りたくなどなかった。幸いこの階にはラウンジがある。そこで内心の爆発を抑えなければ自分の態度が元より彼に被好意的な同僚連中にどう思われるか知れたものではない。

 ラウンジのテーブルに乱暴にデータパッドを投げ捨てる。やや大きい音が響き渡り、短い安寧の時間を邪魔された数人の将校がエルヴィンに険しい視線を投げかけてきた。誰も彼もこの気性の荒い黄金色の髪の中佐を知っていたし、それに対して単純ならざる心情を抱いている事はその動作だけで明白だった。

 それに一切構うことなく青年はつかつかと備え付けの給湯器へと向かう。その彼に横合いから声がかけられた。

 「エルヴィン・フォン・シューラー中佐」

 妙に高く、他人行儀じみた声だった。獲物を前に舌なめずりする詐欺師のよう、と形容しても良かったかも知れない。

 ティーカップを手に取ったエルヴィンの動作が止まり、顔を上げて振り向いた。

 ツーブロックに刈り上げられた黒髪はエネルギッシュな印象を与え、やや浅黒い肌もその印象を補強する。軍服の上からも分かる筋肉質な肉体と反比例するように綺麗な顔立ちは若々しく、一瞬相手の年齢を推し量ることは到底できなかった。

 「そのお顔から察するに、クロージク中将に手柄を奪われたようですね」

 内心を言い当てられた事が不愉快で、一度放心したエルヴィンの眉間が再び締め付けられた。

 「貴官は」

 決して好意的とは言えない応答に、相手の男は目元に微笑を置いたまま口を開いた。

 「作戦課のエーベルハルト中佐です」

 中佐、と言えばエルヴィンと同じ階級である。エルヴィン程ではないが中佐には見えない若年に見え、作戦課にいる事からも優秀な将校である事は疑いない。そのような推察はどうでも良く、エルヴィンにとって不機嫌の絶頂の中でこの胡散臭い男を相手取るのは神経を逆撫でされるような体験だった。

 「作戦部の中佐殿が小官に一体何用ですか」

 「貴官がこの作戦計画に反対であると言う事は聞き及んでいます」

 辺りを憚ってか多少声調を落としたその言葉があまりに心外で、エルヴィンの目が僅かに開いた。

 「どうしてそれを」

 「私は目が利くのです」

 エルヴィンは内心を探り当てるような言い回しに対する不快感と、相手への興味に板挟みになった。

 「私もこの作戦計画は失敗すると考えています。その意味では貴官の同志と言うことです」

 勝手に貴様の同類扱いをするな。喉元までせり上がったが押さえつけ、口に出したのは別の言葉である。

 「慰みに来たわけではないでしょう」

 相手の口調への本能的な警戒心が、口調を波立たせず水面のような平静さを保たせていた。

 「無論。私は貴官の才幹に興味を持っているのです。兵站課の一課員に留めておくには勿体ない」

 本当にこいつは詐欺師じゃないのか。エルヴィンはまともに相手をしないことにした。

 「買い被っていただけるのは光栄ですが、一介の課員には何もできませんよ」

 手早い動作で湯を満たした器に茶葉を浸しながらエルヴィンは素っ気ない態度を演じた。

 「私の力があれば、貴官の立てた補給計画を貴官の功績として内外に周知させる事ができます」

 「それならば」

 できもしない事を偉そうに並べ立てて神経を逆撫でされることに耐えられず、エルヴィンは自分が思うより大きな声を上げた。声を落としてもう一度繰り返す。

 「それならば、貴官が自分で立てた作戦案をその力で周囲に知らしめれば良いだけでは」

 カップを手に持って小さく一礼し、エルヴィンは踵を返した。

 背に立つエーベルハルトなる男がどのような視線を背中に浴びせているかなど、もはやどうでも良いことだった。あのような男に内心を掻き乱されている自分に腹が立ってしょうがない。

 幸いそれ以上の邪魔を受けることなく部屋の隅の席に腰を下ろして初めて、青年は久々に他人に心を掻き乱された事への不快感を自覚した。


 参謀本部からブルーメンシュタットの自宅に帰るまで、タクシーを用いれば三十分とかからない。経費は全額出してくれるのだからいくら高額でも気にすることはなかった。

 エルヴィンが住まうような高層アパルトメントは建物の中層にもスカイカー乗り入れのためのハンガーが設けられている。そこからエレベータに乗り換えて自分の部屋に辿り着くまでに三分を要した。

 女は今日も部屋で待っていた。空気に染み付いた煙草とアルコールの匂いはエルヴィンに一つの事実を教えた。

 「昨日帰ってこなかった」

 制帽を脱いで掛けたエルヴィンに、ソファで背中を向けながら女は口を尖らせた。

 「ここ数日は忙しくなるって言っただろ」

 無感情にエルヴィンは言い返してジャケットを脱いだ。

 「大きな作戦でもあるの」

 エルヴィンの口元が吊り上がった。

 「お前、間諜スパイのような事を言い出すな」

 「私がそうだって言いたいの」

 女の口調がきっとなった。それを宥めるような気概はこの青年は持ち合わせていない。

 「お前と違って俺は仕事がある」

 わざわざ前半部を強調した嫌味な言い方が気に障ったらしい。女がソファを立って投げ飛ばしてきたクッションをエルヴィンは手に取った。

 この女に今更何も期待してはいないが、仕事帰りにヒステリーを起こされても困る。だがそのまま怒り狂わせて出ていってくれた方が楽だから、まともに相手取らないことに決めた。

 「あんたなんか思いやりの欠片もない」

 「それで吸いもしない煙草の匂いをさせてるのか」

 「あんたが何も言わず帰ってこないからでしょ」

 詰問するような物言いにエルヴィンの顔色は少しも変わらなかった。

 「他の男のほうが都合が良いならそっちに乗り換えれば良い」

 意図的な冷酷さを前を相手に怒り狂っても、鉄壁に卵を投げつけるに等しい無為であった。言うに窮したこの女が採る好意はいつもひとつしか無い。

 「ならそうしてやるわよ」

 日頃より二オクターブは高い声を室内に響かせ、女は足早に玄関へと歩き去って行く。既にエルヴィンの意識は彼女の後ろ姿になく、琥珀色の瓶を手に取ってグラスに酒を注いで呷った。ブランデーが舌から胃に至るまでの路を灼くような食感の中に、執着がもたらす苦味など一ミリも存在していなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る