選帝侯

 銀河帝国の行政府に属し、”省”の名を戴く機関は内務、陸軍、海軍、軍需、大蔵、司法、労働、経済、農業、文化、保健、情報、科学、逓信、教育、拓務、資源、国家保安、宮内と十九ある。いずれも皇帝ヨーゼフ二世の直接指導に服する官庁であり、皇帝の命令により帝国を統治するための組織だった。

 その十九の省の代表たる国務卿が一同に会するのが毎週二回行われる閣僚会議である。

 場所は皇宮シェーンバウム宮殿の四階に位置する”瑠璃石の間”であった。その名が示す通りラピスラズリにより彩られた部屋で、シェーンバウム宮の各部屋に共通する金と赤を貴重とした装飾の中で随所が照明の反射で青く輝いている。

 部屋の最奥で一段高い階の上に皇帝のための玉座が置かれ、閣僚たちは皇帝に見下される形で長机を囲むように座る。筆頭省庁に定められた内務卿が皇帝の右手前に座り、その目前に序列二番目となる大蔵卿が腰を下ろす。内務卿の右隣は海軍卿が占め、更に陸軍卿、司法卿、情報卿と続く。皇帝から見て右手前には皇帝大書記官長と書記官らのための席があり、閣議の進行の補助に当たった。

 皇帝から見て左手前には四つ席が並び、宮内卿ネーリング公爵、侍従武官長アンハルト元帥公爵、最高枢密院議長リヒトホーフェン公爵、近衛兵長官ゼンメルワイス元帥公爵が座る。彼らは皇帝大書記官長オルデンブルク公爵と共に皇帝を決する選挙権を持つ”五選帝侯”であり、極めて大きな権力を持つ貴族界の最高権威であった。

 彼らが銀河帝国の政治的中枢を占め、国家運営に当たる。帝国には会計監査も民主的統制機能もなく、皇帝の意思が全ての法と万民の願望に優先する典型的絶対君主制国家である。このような国家体制では一度愚帝が生まれれば国家の財を食い尽くし、帝室が破綻しかねない事は明白であったが、強固な官僚制とそれに裏付けられた国務卿の権限の強大さは皇帝の絶対権力をある程度制約していた。

 国務卿は終身制が慣例化し、退任後は原則として次官がそのまま昇格することが定着している。閣議にあっては大多数の国務卿が反対する中で皇帝の意思が強制されることは戒められ、これがある程度の権力抑制機能を果たしていた。

 この日の閣議の中心的な議題は参加者には用意に想像がついた。

 「既に参謀本部においては銀河連邦の首都星を扼する作戦計画”赤”を立案済である」

 皇帝ヨーゼフ二世の嗄れた声でも威厳を持って室内に反響するように瑠璃石の間は形作られている。今年即位三四年に達するヨーゼフ二世は今年八二歳、銀河連邦との三度の戦争は全てこの第十代皇帝によって指導されてきた。

 もしヨーゼフが強力な軍国主義者としての確固たる意思を持ち、他の全てを単一の国家目標に従属させる強力な君主であれば、第一次銀河戦争の時点で銀河連邦はその半分以上の領土を喪失していたかもしれなかった。それ程に時の帝国海軍の軍備は強力であり、帝国との接触から慌てて軍備拡張に勤しんだ連邦との技術格差も歴然としていたのである。

 だが度重なる浪費と足元の貴族の反発を無視した強引な政策を推し進めた父たる第八代皇帝フリードリヒ二世を廃して自ら即位し、内治の安定に努めた第九代アウグスト帝の薫陶を受けたヨーゼフ二世は賢明であった。あるいは愚かであったかもしれない。軍事力を増大させ連邦を徹底的に叩いて国内と国外双方で反発を生むよりも、彼は強力な連邦の存在を前に軍事力の増大を抑えて内治にも力を注ぎ、連邦との戦争も限定戦争に収めて外国の脅威を脅威のままに存在させ続けたのである。

 その結果として国内の貴族は明確な敵国を前に国内経済を疲弊させずに三度の戦争を戦ったヨーゼフを支持していた。外敵の脅威を存在させ続ける事で国内の一体感を保ち、帝国の複雑な権力関係に挑戦するよりも操縦し続けたヨーゼフの統治手腕は決して非凡なものではない。

 だがその副作用として長期化した連邦との対立関係は国力に勝る連邦の軍事力の伸長を招き、帝国軍が営々として築いた軍事技術格差もほぼ埋められてしまった。真正面から連邦軍と総力戦を戦って帝国軍に勝機はない。

 それは出席者が一様に理解するところであるが、現状を打開する手立てはない。人類社会に絶対君主制の帝国と民主共和制の連邦と言う正反対のイデオロギーを奉ずる二つの国家のみが存在する状況下にあって両国が手を携えて発展する未来など存在しない。であれば現状のヨーゼフ二世の採る戦略は結論の先送りに過ぎず、次世代に負担を積み増すだけのことだった。だが現状を超える良案がある訳でもない以上、閣僚たちは皆ヨーゼフ二世の戦争指導に消極的賛成の態度を示す他無い。

 しかしそれは文民たる閣僚の面々の事情である。武官たちには別の考えがあった。

 「前回の戦争で被った被害より回復し、既に海軍はカイザー級重戦列艦十万隻以上を始めとした艦隊を整備し、予備軍を含め一週間で動員可能な体制を準備しております。連邦に勘付かせないためにも、迅速な動員と奇襲攻撃が不可欠です」

 海軍卿コルネリアス・フォン・トロータ上級大将の言に、反論する声もある。

 「陸軍の動員はその速度では不可能だ。海軍の計画では陸軍は間に合わん」

 陸軍卿ヨーゼフ・フォン・ハウサー上級大将であった。

 「侵攻の第一目標は国境部を防衛する五つの要塞である。海軍陸戦部隊のみで十分要塞攻略は可能だ」

 即座にトロータは言い返した。

 帝国にある武官組織は地上戦闘を担当する陸軍と宇宙戦闘を担う海軍の二つであり、どちらも省を持ち予算や戦略方針を巡って激しい対立を続けている。この二つを統合した軍事総省や統合参謀本部を設置するという案は何度も出されたが、その度に陸海軍どちらが主導権を握るかで揉めに揉めて廃案になっていた。

 陸軍がどれだけ惑星上で我を張ろうが、海軍の協力無しに惑星への補給も兵力輸送もままならず、制宙権無くして宇宙戦争を戦うことなどできない以上海軍が主導権において圧倒的優位にあることは間違いない。しかし陸軍は海軍の下風に立つことを好しとせず、自分たちの縄張りを守り続けてきた。

 「海軍はそう言うが、陸軍の動員が間に合わなければ惑星の占領などおぼつかん」

 「陸軍の押取り刀を待っていては奇襲効果が薄れる。敵軍の主力艦隊が動員される前に迅速に連邦の要塞線を突破せねばならん」

 居並ぶ文官たちは一様に辟易した表情で腕を組んだり、中空に視線を向けている。陸海軍の閣議での対立は今に始まった話ではなく、事が軍事的な議論となると議論百出するのが常であった。

 軍部の影響力は強く、いかに皇帝の権威と言えど安易に軍の機嫌を損ねて反発を招くわけにはいかない。だが今回は既に大戦略が決定しており、陸軍がいかに反対しようと変わるものではなかった。

 それを誰も指摘せず、皇帝も玉座に腰を沈めたまま一言も発さない。議論と言うより言い合いに近い会話が海軍卿と陸軍卿との間で繰り広げられたまま五分が経過した後、初めて口を開いたのは皇帝大書記官長のオルデンブルク公爵であった。閣議の進行役であり、五選帝侯の一角を占める公爵ともなれば、国務卿をも上回る権威を持つ。

 「既に作戦計画は陛下の裁可を賜っている。ハウサー伯がこれ以上反対すると言うのなら恐れ多くも皇帝陛下に楯突くこととなるが、如何に」

 その言葉に陸軍卿は表情一つ変えること無く席を立つと皇帝に向け深々と一礼した。

 「臣の指摘は誤りでございました。臣の不明をお赦し賜りますよう」

 海軍卿でなく皇帝の権威に服したという形であれば陸軍卿の面子も立つ。

 閣議は陸海軍の対立を色濃く残したままに散会となり、慣例となっている閣僚園遊会へと移る。瑠璃石の間からは温室に出られるようになっており、噴水と薔薇の花が印象的な庭園が形作られていた。

 石畳の庭園の中央部には机が幾つか並び、喫茶と軽食の用意が整えられていた。

 「陛下の体調は思わしくないようだな」

 内務卿マルクス伯爵が囁きかけた相手は皇帝侍従長ヴェーゼル男爵である。口をつけかけたカップを皿に戻し、男爵はベンチで侍従に囲まれる皇帝を顧みた。

 「血圧が二百を超えるようになりました。侍医の話では今年一杯持つかも怪しいと」

 マルクス伯は鼻白んだ。

 「最近は認知症の症状も見えております。政務にも滞りが」

 「今日の閣議でもただ座られていたのみ。二、三年前まではこのような事はなかったが」

 ヴェーゼル男爵は顎髭を撫でながら肯首した。

 「しかし選帝侯は皆エリザベート殿下への禅譲は望まれないようです」

 禿げ上がった頭と反比例するように腹部まで伸びた白髭が特徴的な内務卿の口元は見えないが、不機嫌である事には違いなかった。

 「ヨーゼフ陛下の方が御しやすいと考えておるのか。連邦との開戦が間近に迫ったこの状況下で」

 「リヒャルト殿下がご存命であれば、この状況とはならなかったかもしれませんな」

 喉奥で唸りながらマルクス伯は茶を啜った。

 「しかしヨーゼフ陛下が崩御されれば、皇位の継承者はエリザベート殿下を置いて他におりません。選帝侯の抵抗も悪足掻きというものでしょう」

 内務卿はその返答に満足しないように沈黙し、目を細めて皇帝の姿を見据えていた。

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