国家保安省保安総局

 ブラウメンブルクは銀河連邦の首都ニューフィラデルフィアに勝るとも劣らないメトロポリスであり、雲を見下ろす超高層ビルが幾重にも重なり、地表も建造物と道路により埋め尽くされた大都市だった。

 シュティーアを銀河帝国の政治の中枢とするならブラウメンブルクは経済の中枢であり、ブラウメン国家弁務官府庁舎もブラウメンブルクに設置されている。これは歴史的に見て最初にノイエエルデに入職した人々が作り上げた都市がブラウメンブルクであり、シュティーアは帝政移行後に後から造営された計画都市である事にも由来する。

 キロ単位でその標高を測るべきビルはその大部分がオフィスビルであり、その一つ、ワース区の一角を占める頂点を切り取った円錐形の特徴的な建物がハインツ社の本社であった。

 ハインツ社は帝国を代表する造船企業であり、民間に貨物船や旅客船を建造する他に帝国海軍を大口顧客に軍用艦や艦載機の設計・製造を請け負う軍需産業である。国内に軍用艦向けの造船所は帝国全土に二五箇所、先年は大小四万隻以上の宇宙艦艇を帝国軍に納入した。

 それは当然ながらハインツ社が軍事機密に多分に接触し、国防政策に影響を与えることを意味する。

 ブラウメンブルクの現地時間で午後にもなれば昼食時で地表の従業員用出入り口から社員たちが続々と社屋を出てくる。人の流れの中を泳ぐように行く中年の社員の後ろに二人のグレーの詰襟の制服姿の男が立った。

 「カール・オスマイヤーだな」

 黒服の威圧的な声にぎょっとして社員が振り向くより早く、サングラスをかけた二人の男が肩と腕を抑えた。

 「離せ!」

 「貴様に国家機密漏洩の疑いがある。同行願おう」

 三人の周囲からは蜘蛛の子を散らすように人が離れた。誰も声を上げず、遠巻きに見守るのみである。

 「オスマイヤー課長も捕まったか」

 「今月で三人目だぞ」

 「保安省の疑り深さもいい加減にしてくれないか。業務が止まって仕方ない」

 囁き声と視線に囲まれて、制服姿の男は被疑者を連行していく。

 彼らは国家保安省保安総局の執行官エージェント。警察官を遥かに上回る権限でもって国内の不穏分子やスパイを摘発する秘密警察だった。


 国家保安省の本庁舎は帝都シュティーア官庁街の一角を占め、ベントラー通りに面した十階建ての石造りの重厚な建物内にある。しかしこれは慣例に従ったのみで、この本庁舎には書記局と連邦のスパイに対応する防諜局がオフィスを構えるだけであり、機能面での事実上の中心はブラウメンブルクの高層ビル内に位置した。

 高さ七百メートルの全面鏡張りの中層ビルの国家保安省第二本庁舎には国内外で諜報活動を行う偵察総局と国内の反政府とみなされる分子の摘発を担う保安総局が所在し、令状無しの強制執行を日常的に繰り返して反体制派を監視し弾圧していた。

 保安総局が実施した摘発は全て書記課によりリスト化され、翌朝までに六二階の執務室にオフィスを構える保安総局長へ報告される。時の保安総局長をフロイド・フォン・ヴァイス男爵と言った。

 局長秘書官が持つ紙のリストを受け取ったヴァイスは一見して”保安省の呼吸する短剣”などと呼ばれるようには見えない物静かな真摯に見える。目元には微笑の成分を湛え、追い縋る老いすら味方につけたような整った顔は愛嬌すら感じさせる。気品高さと健康的な色気のエッセンスが加えられた風貌で、五〇代に達した今でも社交会に出れば貴婦人たちの争奪戦の的になることに違いなかった。

 しかし彼の肩書と経歴を知るものは皆一様に恐れ慄くだろう。この物静かで柔和な顔つきの中年紳士が書類にサインするだけで誰でも容易に断頭台に登ることになるなど、その顔を見ただけではとても想像つかないものがあった。

 「今日は多いな」

 リストを一読しジョークめかしてヴァイスは言ったが、それが昨日の拘禁者のリストと思えば一般人は背筋が凍る思いすらしただろう。しかしその端麗な口元から発する口調は外見の印象を裏切ることなく品性と理性の完璧な調和を感じさせた。まるで思慮深い哲学者のような響きすら感じさせたのは、この男の天賦の才と言うべきだろうか。

 「連邦への侵攻が迫っている。この調子で不穏分子の摘発を続けろ」

 一礼して秘書官が去ると、ヴァイスはその水気のない手で卓上のボタンを押した。

 「局長殿」

 数秒待って若い男の声が部屋にこだまする。

 「私だ。準備は良いのか」

 「ご指示があれば」

 「直ちに実行しろ。警視総監には私から伝えておく」

 通信が切れるとヴァイスは席を立った。質素な調度に飾られた機能的な執務室を窓に向かうと、陽光を受けて煌めく巨大都市の風景を見下ろす。

 昼夜を問わずブラウメンブルクの高層ビル群は活気に満ち、無数のスカイボートが飛び交い地表やスカイデッキを埋め尽くさんばかりの人通りで銀河帝国の帝都の繁栄を視覚的に象徴している。

 自分を支配する統治者を自分で選ぶ権利も、権力による弾圧に対して身を守る権利も無い帝国市民たちを見下ろす事にヴァイスが快感を抱いていたわけではない。彼にとっては自分自身すらゲームのチップの一つに過ぎず、チップをどのように配置し、組み合わせ、最大の能率を発揮させるかにヴァイスは心を砕いていた。

 国家保安省は例え貴族であっても国家安全保護法の名の下に令状抜きの強制執行を行う権限を持つ。それは逮捕勾留と言った”穏当”なものから、果ては暗殺までもが正当化される。内国の摘発を受け持つヴァイスにとってすれば、皇帝以外のほぼすべての帝国人民をサイン一つで亡き者にするだけの力があった。

 無論彼はその力を軽々しく使いはしない。仮にそうすれば敵対者からの報復で彼が処刑場の羊となっているだろう。伝家の宝刀は抜かずその力が囁かれ恐れられ続ける事に価値がある。手に入れた玩具をすぐ壊すように強大な執行権を濫用して敵を増やすなど下の下と言うべきだった。

 代わりにヴァイスはその力を使って様々な有力者と取引をした。ある伯爵の醜聞を嗅ぎ回る記者を暗殺した。陸軍卿にせがまれ陸軍省の予算縮小を図った時の大蔵省主計局長をでっち上げの贈収賄事件で罷免させた。

 恩を売り、味方を増やす。自分の力を見せつけ、抑止力とする。それによってヴァイスは帝国政府内において確かな地位と名声を築き上げてきた。

 ヴァイスの視界の中でビルが爆発した。計画通りに反体制派が隠れ蓑に使う企業のオフィスから爆炎が吹き上がり、濛々とした黒煙が立ち上る。ビルの近くを飛ぶスカイボートが慌てて進路を変更し、飛び散る破片が数百メートルの距離を落下していった。

 見せつける事に意味があった。反体制派がどのような結末を辿るか、爆炎による実演は潜在的な敵に対して百万の雄弁に勝る効果を持つ。

 ヴァイスは再びマホガニー色の机に向かい、机上のパネルを数度押した。程なくして部屋の証明が落ち、窓のシャッターが閉じて、黒色の制服に身を纏った男の立体映像が室内に映し出される。

 「キーマンゼック総監」

 ヴァイスは丁寧さを装った態度で小さく一礼した。

 ヴィルヘルム・フォン・キーマンゼック帝都警視総監は帝都星ブラウメンの警察組織を統括する職務にあり、このポストは警察総局長や内務次官を経て内務卿に至る出世の階梯の最重要の地位と見做されている。

 「ヴァイス局長。たった今ヘッセタワーで爆発事件があった。また卿らか」

 詰問する警察官僚の強硬な口調に一切動じる素振りもなくヴァイスは卓上のティーカップを口に運んだ。

 「今月に入ってもう三度目だ。警察の治安維持能力に疑問が呈されている」

 「混乱は一時的なものです、総監」

 「そう一度目に聞かされた。一体いつまでが”一時”なのだ」

 平然としたヴァイスの態度に怒気が刺激されたらしく、キーマンゼックの声量が上がった。

 「現在は非常時です、総監。以前にもご説明した通り」

 「国家保安省にとって平時など存在しないようだな」

 「総監がそう肯定なさるならこれが日常風景となるでしょう」

 相手の怒声に対するヴァイスの振る舞いは赤い布を振る闘牛士のようである。

 「向こう一月とせず、事態は沈静化します。集約された恐怖が反体制派に与える影響が重大なのです」

 「度を過ぎれば、警察が介入する事になるぞ」

 低い声の脅迫は、保安総局の”執行”に対して警察がその権限を行使する可能性を示唆するものだった。

 「それがご自身のキャリアに与える悪影響を考慮されるべきですな」

 飄々とヴァイスは総監の口撃をかわした。微笑を湛えた表情を少しも動かすこと無く、定期的に茶を啜りながら帝都警察の元締めを相手に立ち回っている。

 通信が切れ、室内の明度が元に戻ってもヴァイスは身じろぎ一つしなかった。

 彼にとって刑事警察など恐れるべき何物もない。国家保安省に与えられた権限は警察の力を遥かに凌いでいた。キーマンゼック如き属僚など、ヴァイスの気分一つでいかようにも料理できる。

 それが国家保安省保安総局長フロイド・フォン・ヴァイスの持つ力だった。

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