[Ⅰ:侵攻作戦「赤」]

菩提樹通りの参謀本部

 銀河標準時西暦二五七二年五月十六日。

 銀河帝国帝都星ブラウメンはカイゼルブルク星系第二惑星という地理的区分が為されている。

 惑星ブラウメンは表面積の内陸地面積に比べた海洋の占める割合が極めて大きく、惑星全体の九割に及ぶ。残り一割の陸地は三つの大陸と島々に分散し、最大面積の大陸も人類発祥の惑星地球のアフリカ大陸一つに及ばないと言う狭小さであった。

 しかし亜空間航法技術の不備により亜空間内で二年に渡り彷徨い、西暦二一五五年にこの惑星に辿り着いた地球からの宇宙移民船の一団は僅かに百万人、彼らが当初”ノイエ・エルデ”と名付けたこの惑星の地表で十分賄うことができる規模であった。

 ブラウメンは帝都星の名前であり、首府の所在地と定められた都市の名はシュティーアと言う。同市は最大の面積を持つノルマルク大陸の東部沿岸に位置し、王宮シェーンバウムを中心としてロココ調に統一された石造りの低層建築物が整然と立ち並ぶ計画都市であった。

 帝国の権威を視覚的に示すために敢えて古来の建築様式に拘り、石で作られた街並みは歴史の趣を感じさせる重厚感を現出している。一方でシュティーア市の南方二百キロに位置するブラウメンブルクはキロ単位でその全高を測るようなビルが林立するメトロポリスであり、金融や産業と言った帝国経済の中心地として発展を続けていた。

 帝都星ブラウメンの人口は三三億人。これは銀河帝国の総人口の二割近くがこの星に住まう民である事を示している。帝都シュティーア市は高級官僚や世襲貴族とその家族のみが定住を許されており、銀河帝国の国策により運営される都市であることを明確に示していた。

 銀河帝国海軍中佐エルヴィン・リヒャルト・フォン・シューラー辺境伯にそのような高貴な土地へ住まいを構えることなど許されない。辺境伯と言う地位自体、帝国内にあって決して高くはない。

 かつて銀河帝国において今はなき元老院が開設されるに当たり創設された貴族制度にあって、開発した辺境惑星の土地の一部を自身の私有地として所有することを認める辺境伯の地位は爵位と土地を望む数多くの者たちの争奪の的となり、帝国発展の礎となった。だが一時一万家にも及んだ辺境伯家は帝国の版図拡張の停滞に及んで残された土地を巡った泥沼の紛争により大幅に減少し、惑星総督の設置以降は辺境開発の魅力自体が消滅し、現在では七百家程度が形骸化したその爵位名を保持するに過ぎない。

 シューラー辺境伯家はそのルーツを惑星イェーガーシュタットに持つが、現在では先祖が開拓した土地を手放し帝都ブラウメンブルクの将校用官舎に住まいを構えるのみである。一方で武門の名家と言う評判があり、歴代のシューラー辺境伯は軍人としてその名を知らしめてきた。歴代当主の内銀河帝国海軍最高位の階級たる海軍元帥に昇進した者もあり、エルヴィンの先代エヴァルトにしたところで、生前海軍大将まで昇進している。

 カーテンの隙間から差し込む朝日にエルヴィンはその真紅の瞳を見開いた。光の方へと目を向けると彼の胸の辺りを照らす陽光が空気中を舞う埃の微粒子に反射して煌めいている。

 黄金色の髪の青年が起き上がると背中にヒリヒリした痛みを覚えた。肩にかかったガウンを落として置いてある鏡を振り返ると、肩甲骨の辺りに赤い線が走っている。昨晩気づかない内に爪を立てられたらしい。

 同衾の跡を色濃く残す寝床に一人の女が彼に背を向けて寝転がっている。栗色の髪と妖艶な肢体が魅力的な美女だったが、彼女もまたこの青年の心を満たす存在ではなかった。その事実を言い出す勇気がないままに続くこの関係は酸化したワインのような臭気をエルヴィンに覚えさせる。それは現実のこの部屋に漂う濃い匂い以上に青年の嗅覚を刺激するようだった。

 またあの夢を見るようになった。どれだけ振り払っても纏わりつくように彼の脳裏を支配し続ける悪夢を。この女もまた、彼の内心に巣食う病魔を取り去ってくれるような存在ではなかった。

 これだけ冷めた向き合い方をしているのだからさっさと出ていってくれれば良いのだが、エルヴィンの常人離れした美貌と、彼の持つ社会的地位はこの女にとって安易に手放せたものではないらしく、例え大喧嘩をして家を出ていったとしてもまたすぐに戻って来る。それを拒むことができないエルヴィンの弱さを彼自身自覚はしていても、気の迷いの全てを無視する強情さを持ちたいとは思わない一側面もあった。

 高温のシャワーに白くみずみずしい肌を浸す。壁にかけたシャツを手に取り、袖に手を通す。ズボンを履きベルトを締める。これまで幾千度と繰り返したか分からない動作を十分で済ませた時には、将校略式勤務服と称される開襟のダークグレーのジャケットを身に纏い、夕日を浴びるよく熟れた小麦畑を思わせる豊かな金髪の上に黒皮の制帽を被せていた。

 「もう出るの」

 身支度を整え、サイドテーブルに置かれた丸眼鏡を手に取ったエルヴィンの背後から声がかけられ、まさに部屋を出ようとしていた青年は歩みを止めた。

 「仕事だからな」

 「そう」

 女の返答はそれだけだった。振り返ることもせず、眼鏡をかけてエルヴィンはドアノブに手をかけた。


 二六歳の海軍中佐が帝都シュティーアのリンデン・シュトラーゼ菩提樹通りに面する銀河帝国海軍参謀本部の石煉瓦の庁舎に足を踏み入れた時、そのロビーでは彼より早く出勤した将校らが足早に歩き回っていた。

 職員のみが立ち入れるエリアへとエルヴィンが向かうと、彼の存在に気づいた数人の職員たちがひそひそと囁きあった。

 「あれが例の”異端児”か」

 「今じゃ参謀本部の超エリート様だと」

 程なくセキュリティゲートの前に立った金髪の青年が壁のデータパッドのキーを押して中空に浮かび上がった立体映像ホログラムの認証画面の前にエルヴィンが人差し指を持っていくと、指紋が認証されて画面が切り替わった。

 そのまま扉は開き、足を踏み入れる。

 奥へと向かう青年の姿を見た一人の女事務員が傍らの同僚に話しかけた。

 「あの人って誰」

 「シューラー中佐って知らないの」

 作業中の画面から視線を動かすこと無く同僚は問うた。否定を示す数瞬の沈黙の後で再び口を開く。

 「幼年士官学校を首席卒業してから異常な速度で出世した天才児だって。でも色々とヤバいらしいよ」

 「ヤバいって、何が」

 一瞬作業の手を止めて同僚は顔を上げた。

 「さぁ、周りに聞いてみれば」

 一方のエルヴィンはエレベーターで八階に上り、全面絨毯張りの廊下を目的地に向かっていた。

 八年前に海軍幼年兵学校を卒業し、兵学校に進学しない場合は准尉に任官するため平時であれば首席であってもこの歳では中尉か大尉が精々である。しかし二五五四年の第二次銀河戦争での宇宙艦隊の壊滅や二五六二年の第三次銀河戦争での消耗戦によりベテラン将校が軒並み壊滅し、その後再建された宇宙艦隊で人材が払底したことから貴族階級を中心に若手人材の登用が活発化した。それはエルヴィンにとっては好機であったと同時に、銀河帝国海軍全体で見れば組織の弱体化は避けられないと言う軍政当局にとって苦渋の決断であある。

 中佐と言う階級は銀河帝国海軍にあっては大隊長クラスの職責を持ち、数百隻の艦艇を指揮下に置く立場である。その艦艇に乗艦する数万人程度の命を預かる職位にあり、当然軽視されるべき役割ではない。それだけの地位に二六歳の青年将校が就いているのだから、帝国海軍の人材の払底ぶりがうかがえるというものであった。

 しかしエルヴィンが中佐の地位にあるのはそのような外的要因のみではない。

 海軍幼年兵学校首席卒業、その後艦隊勤務に配属されると抜群の頭脳を以て活躍を見せた。

 辺境航路を襲撃して民間船から略奪する宇宙海賊の討伐の任に出たコルベット艦の副長として初陣を迎えると、流れ弾による艦長戦死の状況下にあって艦の指揮を執り、優れた指揮能力で敵艦隊を撃破せしめた。この功績で少尉に昇進し、第三次銀河大戦末期の連邦軍との戦線に転戦し更に戦果を重ねて半年で大尉へと昇進する。

 連邦との休戦と不可侵条約が結ばれて情勢が落ち着いた後の二一歳の時、自ら希望して海軍参謀大学を受験し、入学した。海軍の参謀将校を育成する帝国海軍至高の教育機関であり、卒業生には将来の参謀将校としての栄達が約束されるエリートの登竜門である。ここでも同期最年少でありながら首席の座を手に入れ、卒業式の際皇帝ヨーゼフ二世の眼前で御前講演を行う栄誉に浴した。

 この時一切メモを参照することなく一時間の講演を実施し、その内容は”目下の国際情勢並びに国内情勢を鑑みた帝国国防政策と戦略指針についての論考”と自ら題し、確度の高さと実現可能性のために参謀本部や海軍省にパンフレットとして取り上げられて頒布される事態にまで発展した。これは本来軍人の領分外とされる政治の分野にまで足を踏み込んだ論題であり、この若い学生の大胆さ、あるいは無鉄砲さを象徴するエピソードである。

 才能を見込まれて人材不足の帝国海軍にあって少佐に昇進し兵站を司る海軍参謀本部兵站課に配属されて戦時の海軍部隊への補給計画の立案に当たり、ここでも極めて短期間に立案された提案がほぼ修正の必要なく採用された事でこの金髪の青年将校は”一世紀に一度の頭脳”と称される事となる。一方で独善的でたとえ上官であっても直言し、同僚や部下を顧みることもないエルヴィンは嫉妬や反感を浴びるに十分な性格である事も事実であった。

 参謀本部庁舎八階の兵站課に割り当てられた部屋では数十人の将校らが執務に入っている。エルヴィンは自分の席に腰を下ろすと、机上のデータパッドを手に取った。

 「シューラー中佐」

 データパッドを開くよりも前に声をかけられ、再びエルヴィンは立ち上がった。

 兵站課長ハインリヒ・フォン・キンツェル少将が彼を手招きしている。少将のデスクまで向かうと決して好意のみとは言い難い視線で課長は若き中佐を見据えた。

 「今日の午後からの会議に貴官も出席したまえ」

 この日の午後からは七階の会議室で海軍部隊への補給を司る海軍参謀本部兵站部の部内会議がある事は知らされていた。

 「小官が、でありますか」

 ともすれば不平不満すら感じさせるような淡々とした物言いにキンツェル少将は愉快にはなれなかったが、これは遥か前からの事であり今更感情を乱すには値しない。

 「不満かね」

 そう言われても何ら感情を表出させることなくエルヴィンは首を横に振った。その度に丸眼鏡の奥の真紅の瞳が輝く。

 「いえ。しかし昨日依頼された文書の件が遅れることになりますが」

 「なら明日に回しても構わん」

 「承知しました、閣下」

 一礼して金髪の髪の青年は踵を返した。

 可愛げの無い若造、と言う評価はキンツェルに限らずエルヴィンより年上の将校らにとって共通認識となっていたが、何しろ仕事はできるのだから手放そうという気にはならない。あるいはそれこそがこの若すぎる中佐に対する反感の最大の要因かもしれなかった。

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