最高のパフォーマンス

紫野一歩

最高のパフォーマンス

 吐く息が白を通り越して銀色になってしまっている、寒い夜。

 そんな南関東にあるまじき気候の中でも、海辺の公園は盛況だった。

 年の瀬の波止場には、船に施された装飾を一目見ようと人が集まっていて、おしくらまんじゅう大会でも開かれているみたいだ。

 その人だかりから小銭を頂こうと屋台がさりげなく軒を連ね、年末にふさわしいお祭りムードを更に盛り上げる。少し待てばきっと何処からか陽気な音楽でも掛かって来るのではないだろうか。

 そうなったら少し邪魔だなぁ、などと思いながら俺も準備を始める。

 何せ、大道芸には音楽が欠かせない。俺が用意した曲が別の曲で掻き消されでもしたら台無しだ。

 船の止めてある海辺の広場から少し離れた道の途中。屋台や人の熱が少し引き始めた場所に、俺は小道具を広げた。

 いつもの広場はご覧の有様、今日はここでしかパフォーマンスの許可が下りなかったのだ。しかし俺は却って燃えていた。

 誰もいない所に人を集めてこそ、大道芸なのだ。


        ○


 人を惹きつけるもの、それ即ち愛嬌なり。

 この格言は一昨年くらいに俺が勝手に作った物だが、なかなかいいことを言うなと我ながら思う。

 髭面でデブのお前に愛嬌があるのか、と笑う友人もいる。そして俺はその度に「何を言うか、これこそ愛嬌の塊、愛嬌の権化だろう」と声高らかに反論するのだ。

 こんなにまるまっちい体の親父が、ボーリングのピンをにこやかに空中に投げまくるのが面白いのではないか。マスコット的可愛さに満ち溢れているだろう。

 医者に「いい加減にしないと死ぬから」と本気で怒られるほど血圧が高いのと、小さすぎるお子様にたまに絶叫するほど泣かれることは、一旦置いておく。

「来年は少し痩せるか」

 ほろ苦い思い出を振り払うように口に出してみて、そういえば去年も同じような事を言っていたな、と思い出した。はて、あの時の俺は何処に行ってしまったのか。

「おっちゃんこれ何~?」

 金属の筒を腕に抱えた男の子が、弾んだ声で俺に聞いてくる。

 広げていた小道具の一つだ。

「それはね、おっちゃんの乗り物だよ。それに板を乗っけてバランスを取るんだよ」

「えぇ? そんなことしたらコロコロ転がっちゃうじゃん」

「おっちゃんは凄いからね、転がらないんだよ。もう少しで見せてあげるから、それは置いといてくれないかい」

 男の子は素直に筒を地面に置き、キラキラした目を俺に向けた。

「俺もやりたい!」

「ダメダメ。おっちゃんはいっぱい練習してるから大丈夫だけど、本当はすっごく危ないんだ」

「俺も練習するもん!」

「ちょっとの練習じゃ難しいな。そうだな……」

 俺は少し走って、見えない壁にぶつかるフリをする。

「え!? え!? なになに、おっちゃんどうしたの? 何にぶつかったの?」

 男の子は俺がぶつかった空中を恐る恐る触っているが、そこには当然何も無い。目を白黒している男の子の隣に手を添えて、俺はまた見えない壁を作り出す。ペタペタと空中に手を添える俺を、男の子は目を丸くして見つめていた。

「……魔法?」

「おっちゃんくらいになると、透明な壁を出したり消したり出来るんだ。これくらい練習しないと、ここらへんにある道具に触っちゃいけないんだよ」

 俺はビニールテープで区切った四角を指でなぞりながら男の子に教える。地面に描かれた正方形を男の子は俺の指と共に辿り、やがてコクコクと頷いた。

「わかった。しょうがないから今日は見てる。今度俺にも教えて!」

「大きくなったらな。今日はお母さんと一緒に見にきな」


       〇


 準備を終えてバッテリーから変換して引っ張ってきた電源をオンにする。頭に引っ掛けた小型マイクに二、三度音を拾わせて、問題が無いことを確認した。

 その音につられてこちらを振り向いたカップルに笑顔を振りまく。カップルや家族連れは足を止めてくれることも多く、歓声を上げてくれることも多い。彼ら彼女らがはしゃぐ姿が、俺の一番の好物なのだ。一人よりも二人、二人よりも三人の方が、素敵なリアクションをしてくれる。その笑顔が俺を更に調子に乗らせる。どんどん調子に乗りたいのだ。どんどん楽しい空間を作りたいのだ。

 俺はその為にいるおっちゃんなのだから。

 曲を流す頃には沢山の人が俺の周りに集まっていた。

「どうも、初めましての方が多い……いや初めてですかね。僕の事知ってるよ~って方は手を大きく上げて――」

 誰の手も上がらないまま、笑いと共に始めるジャグリング。曲に合わせて体を回転させる度に拍手の波が俺に押し寄せる。

 俺がシステムエンジニアを辞めて大道芸人になった理由はこれである。この拍手と歓声の為だ。

 仕事に疲れた俺の帰り路に、ある日沸いていた歓声。笑顔の人々、その中でキラキラと光る芸人の男。

 ここまで人を集められるようになるのに三年掛かった。ストリートパフォーマーが笑顔で人前に立つ裏で、血を吐くほどの努力をしている事を身を以って知った。

 しかし俺は今や同業となった憧れの彼らにも負けているつもりは全くない。俺はこの三年間誰よりも努力をしてきたと自負しているし、今目の前にいる皆の笑顔を見ればそれが間違っていないと思うのだ。俺は誰よりも、上手くなったはずだ。

 ジャグリングが終わり、独楽回しが終わり、最後に俺はトランクを取り出して運び出す。しかしそのトランクは何故か空中で固まってしまい、押しても引いても動かない。

 笑いに沸く周りの空気にほだされて俺の動きはさらに激しくなる。それにつられて冬の空気はさらに温められ、俺はさらに激しく動く。

 衝立の裏のエスカレータを降りて、どこからともなく吹く風に吹き飛ばされ、俺は見えない何かに体をポンポン弾き飛ばされる。

 見えない何かから逃げ出して、ようやっと逃げ切れたと思ったら、見えない壁に閉じ込められる。パントマイムは俺の一番得意なパフォーマンスだ。先の男の子が魔法と見間違えた通り、俺の演技は他のパフォーマーよりも頭一つ、いや、三つほど抜けている。芸人仲間にも、師匠と言える男にも「あまり上手くなりすぎるなよ」と苦笑いされる程の腕なのだ。

 俺の迫真の演技に、その場は揺れるような笑いに包まれた。

 曲はクライマックス、熱気は最高潮。最後に俺が両手を高らかに上げたところで、拍手が霰の様に降って来る。

 惜しむ声に包まれながら今日の公演は終了となった。

 ビニールテープで囲んだステージの端に置かれているシルクハットの中に、お金がどんどんと放り込まれていく。それをお辞儀をしながら見守り、俺は自然と笑顔になる。お客さんの笑顔も好きだが、お金だって当然好きなのだ。

 その場で挨拶をし続けたが、やがて熱と共に客も引いて行った。

 先ほどまでの熱が嘘のように、また冬の冷気がこの場を満たしていく。大道芸人になって唯一寂しいと感じる瞬間がこのパフォーマンス直後の静けさである。夏祭りで最後の花火が打ちあがった後に似た、言いようのない喪失感がこの身を襲う。

 しかしそれが次のパフォーマンスへの意欲と繋がるのだから良しとしよう。

「よし」と呟き、次へと向けての準備を開始する。

 まずはハットの中の金を回収して――。


 ゴン。


 俺の額に衝撃が奔った。

 一瞬真っ白になった視界に足元がふらついたが、すんでのところで持ち直す。一体何が起こったのか分からず、辺りを見回すがそこには何も無い。

 気を取り直してもう一度ハットに近づくと、次は鼻先に衝撃が奔った。鼻血が出るところだ。

「何だ何だ……?」

 恐る恐る手を伸ばしてみると、そこには自分の指先よりも冷たい透明な壁があった。急に何故こんな所に。

 わけもわからずその壁を右に避ける。そしてすぐ、壁にぶつかる。

 右にも壁があり、左にも壁があった。

 後ろも、手を伸ばした上にも壁と天井がある。

 いつの間にか、見えない何かに、閉じ込められていた。

 この寒い中でツツ、と変な汗が流れて来た。一体何が起こっているのか。

 叩いてみても押してみても、壁はびくともしない。天井もダメだ。何をしても俺はそこから出られなかった。

 その内また、人が集まって来る。

 俺が出られない様を見て、歓声を上げ始める。拍手が雨の様に降って来る。

「違う、違うんだ!」

 本当に俺は閉じ込められてるんだ!

 しかし俺が訴えれば訴える程、周りは笑いに包まれる。歓声は一際大きくなり、俺の叫びはかき消される。

「……ねぇ、あのおじさん大丈夫なの?」

 中学生くらいの女の子が、俺の様子に違和感を覚えた様だった。

 よく気付いてくれた、外からこの壁を何とかしてくれ!

「大丈夫だよ! あのおっちゃんは自分で壁を出したり消したり出来るんだ!」

 鼻高々に説明するのは、先ほど俺の設営を見ていた男の子。得意げに腕を組んで、中学生に説明している。何をしているんだあの子は!

「少年!」

 俺は思わずその子に声を掛ける。違うという事を何とか説明しなければ。

「おっちゃん! もう帰るって母ちゃんに言われちゃったから、今度教えてね!」

 男の子は俺の言葉を聞かず、ハットに金を入れて手を振って去って行った。

 曲の無いパフォーマンスには終わりはなく、客は流動的に入れ替わって行く。満足した客から少量のお金を入れてその場を去って行き、俺が助けを求めている事に気付く者は無い。

 時間が経つに連れてハットの金は溜まっていき、それに反比例するように俺の体温は下がって行く。

「お願いだから助けてくれ」

 意識が朦朧としてくる中で、壁に寄りかかって道行く人に声を掛ける。

 俺が声を掛けたカップルの男の方は「すっげぇリアルっすね!」と興奮気味に笑い、お金を入れて行く。

 誰に声を掛けても、ほとんど同じ反応だった。

「なあ、頼むからここから出してくれ――」

 大道芸人として俺は練習を重ねて来た。誰にも負けないくらい、より精確に、よりリアルに。

 結果として返って来るのは、笑い声と拍手のみ。

「リアルだなぁ」

 感心する声。

 誰もが俺を見ているのに、俺が密室に閉じ込められいてる事に気付かない。ハットの金だけが虚しく増えて行く。

 パントマイムは上手くなり過ぎてはいけない。

 俺はここから抜け出せたら他の人にも注意してやろうと思う。

 しかし、抜け出せるのだろうか。

 何しろ、俺よりもパントマイムが上手い人間を、俺は知らないのだ。

 彼らはきっとすでに――。

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最高のパフォーマンス 紫野一歩 @4no1ho

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