不死 6

「佐久間、お前……正気か?」


 馨の失礼な問いかけを気にした様子もなく、佐久間は紅茶を一口飲み、カップをソーサーに置いた。


「何がだ? 俺はいつも、いつでも正気だが?」


「じゃあ……悪魔のお前が人間に恋でもしたか?」


 しばし、馨の目を見据えたのち、視線を外した陰気な男は、ソーサーをテーブルに置き、足を組み抑揚のない声で答える。


「そうなんだ、この俺が人間に恋をしたんだ。愛している。だが、これが本当の愛なのか、悪魔の俺には分からない。だからお前たちに教えてもらいたくてな。愛とは何か? そして愛を伝えるにはどうしたらよいか……とな」


「ま、まじかよ……お前が人間に恋だと……は! 店の前にいたあの女か?」


 雨の中、傘もささずにキャリーバッグに身を隠しながら、こちらを窺う金髪の女を思い浮かべる。自分が知っている半分ドイツ人の女性と、同じ金髪だが印象が真逆の女を。


「それはない、どうしてそうなる?」


 即答だった。それはないらしい。


「簡単に騙されるね君は。そこの悪魔、今は恋などしていないよ。そして君はまずワシに謝ったほうがいい」


 馨の吹きかけたアールグレイをハンカチで拭き終えたアヤが間に入った。

 ハンカチを洗っておけと言わんばかりに馨に投げる。


「今でこそ、魂を代償とした契約を持ち掛ける悪魔はいなくなっているがね、昔はそんな話がゴロゴロしていたものだ。人の感情を知り尽くしているコイツらが今更、愛とはなんだとはならないさ。弱みに付け入るための常套手段なのだからね」


 佐久間とは対照的に、両足を揃えた綺麗な姿勢で淡々と語る。

 佐久間は両手を広げ、大袈裟なポーズで首を振る。


「そんなことはないぞ。誰しも得手不得手はあるものだ。俺はその辺が疎くてね。愛にも色々あるらしいじゃないか。愛着、情愛、博愛、慈愛、親愛、友愛、自己愛、献身……多すぎてパニックを起こしてしまいそうだよ」


 やはりその声には大した抑揚がない。

 悪魔に妖怪と半妖、愛について語る者たちの中にまともな人間が1人もいない。愛は人間だけが持つ特権というわけではないが、と思わないでもない馨が口を開いた。


「まあ、あれだな、愛を知りたければ、まずは何かを愛せばいいんじゃねえか?」


「ほう、興味深いな。では星宮、お前は何を愛している?」


「い、いや別に俺はいいだろ」


 実際に、馨は異性にたいする愛、というものを真剣に持ったことはない。友愛や親愛、敬愛というものはあるが、それを口に出して意思表示することに意味を見出していない。第一、恥ずかしい。


「ワシは馨を愛しているよ。これ以上ないほどに、お前の全てを愛している」


 すました顔で、紅茶を飲みながら愛の告白をねじ込んできたアヤに、馨はため息を吐き、佐久間は感心する。


「ふむ、お前ほどの大妖怪がなあ。星宮の何がお前にそこまで言わせるのか。興味深いな」


 アヤは堂々と胸を張って答える。


「魂さ。ワシはこいつの魂を愛しているのさ」


 照れる様子は微塵もなく、自信満々のドヤ顔であった。


「魂ねえ……」


「いや、こんなちびっ子に言われてもな……」


 すまし顔で紅茶を口に運び、子供にしては色気があり過ぎる流し目を馨に向け、にこりと笑うと、


「ちびっ子では駄目なのか……ふふふ、ここは異界だ。いつでも本体にもどれるんだ。大人のワシであれば、お前は愛してくれるかい?」


「ば、馬鹿、お前やめろ、いいんだよ、そういうのは」


 アヤはふうとため息を吐く。


「ヘタレだね。ワシはお前がどんな姿であっても愛そう。それがどんなに醜い、妖怪の成れの果てであってもね」


「重いわ……」


 呆れ笑いを浮かべた馨の横で、佐久間はパチパチと拍手する。


「美しい愛だ。我々と同じく魂を愛すか。さすがは大妖怪だ」


 陰気な男は、抑揚のない声でアヤの愛を褒め称えたのち、2人を見てこう言った。


「ところで、おふたりさん、魂というのは、何に宿るのかねえ?」


 今日は何なんだよお前と馨は言いそうになったその時、図書館の扉が音を立てて開け放たれた。


「そこまでよ! 悪魔! これ以上、人を陥れる行為は許しませんわ!」


 それは、店の前に居た、不審な外国人の女だった。

 流暢な日本語だったが、ずぶ濡れだった。

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