鐘の音 13
埼玉県T市T駅。駅前の商業エリアを抜けると、多くのタワーマンションが駅を遠巻きに囲むように立ち並んでいる。
まるで、住宅地との間に境界を作るかのように。
今から十年ほど前、競うようにタワーマンションが建築されていた頃に、近隣住民たちの集会所として、図書館と公民館を併設した豪華なマンションも建設された。
有事の際の避難場所にもなるマンション前の広場は公園も兼ねていて、多くの市民が利用している。
その広場に、二つの人影が対峙していた。
一人は、濃い赤色のシルクハットを被り、同じく赤い
顔は白地に幾何学的な模様の入った仮面で隠され、窺い知ることは出来ない。
対するもう一人。
薄い青色の髪と目の少年。
微笑みを絶やさず佇むさまは、神秘的だが、何か底知れない恐さを併せ持っていた。
「これは、これは、その
仮面の男に花守と呼ばれた少年は、その外見通りの爽やかさで微笑みながら答える。
「何も失礼ではないよ、マジュ…マ……うん、呼びにくい名だ。僕は君を赤い道化と呼ぶよ」
「赤……道化……ですか」
「そう、赤い洋服を着た道化師さ。呼びやすいしピッタリだろ? その見た目も、やっていることも……滑稽でさ」
「……私に、どういったご用件でしょうか?」
魔術師と名乗る男から殺気を含んだ緊張感が漂う。
一方の花守は意に介した様子もなく、話を続ける。
「用件、用件ね。うん、そうだね……今すぐ立ち去るなら、見逃してあげるよ」
にこやかに語る花守を前にして、魔術師は全身から冷たい汗が噴き出して来るのを感じた。
何故、戦いになったとして、自分が有利と思えたか。
(龍に敵うわけがないではないか。何故、狂わずに
魔術師は屈辱を呑み、この場を去ることを選んだ。
「何か、失礼があったようですね。謝罪は後日、改めまして……」
「うーん、次に見かけたら殺すかもしれないから、気をつけてね」
ギリリと歯噛みしながら魔術師が杖をかざすと黒い煙が彼を包みだす。
煙に包まれた魔術師に、花守は思い出したかのように話しかける。
「あ、そうそう、君さ、自分の息子を差し出してまで、すべきことだったの? これが?」
「崇高な目的であれば……」
魔術師の恍惚とした語りは氷のような言葉に遮られる。
「お前に聞いているわけじゃない」
「……」
黙したまま、黒煙に包まれ魔術師は消えた。
カラコロと下駄の音を響かせ、あくびを一つした花守は、「帰ろ」と呟き広場を去った。
◇
暗く濁った水の中。
冷たく誰もいない水の底でジッとしている。
水の外では、子供たちが楽しそうに遊んでいた。
水の底から、ただそれを見ている。
じっと息をひそめて、ずっと見ていた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
何時間? 何日? 何年? あるいは何秒か、もしくは何千年か。
ただ一人、
水底でジッとしている自分は、水の外をずっと見ていた。
どれくらいの時間が経っただろうか、水面に波紋が広がり、誰かが水底に降りてくる。
それは、女の人だった。
その女の人は、水底で座り込む自分の前に立ち、笑みを浮かべる。
「だれ?」
「誰? って……ちょっとショックだなぁ」
自分は彼女を傷つけてしまったようだ、ひどく悲しそうな顔をしている。
「ごめんなさい」
「ううん、しょうがないよね。大丈夫だよ」
そう言うと、彼女は薄く笑うが、まだ少し悲しそうでもあった。
「君も……色々あるんだね……そっか、私もさ、まさか自分が死んでたなんてね。気付かなかったよ」
「しんでた?」
「そう、死んでいたの……でも、助けてくれた。正しく死なせてくれた」
彼女の言っていることが、よく分からなくて、しばらくの間、沈黙が流れた。
たまに水底から水面に向かって気泡が浮上する音がやけに目立つ。
自分以外の誰かがここにいるのは初めてだと思っていると、遠くからゴーン、ゴーンと、どこかで聞いたことのある音がする。
「行かないと……」
遠くを見て淋しそうに彼女は呟く。
「いってしまうの?」
自分も淋しいと感じた。
「うん、もう行かないとね。かっこよかったよ、ありがとう」
やはり、彼女の言うことは、よく分からず困っていると、また遠くからゴーンという音が響く。
彼女は切なそうな、今にも泣き出してしまいそうな顔をした。
「本当は、君を連れていきたいよ。ここから連れ出したい……でも、だめだよね。そんなことしちゃ……もう、行くね……ありがとうツナくん」
彼女に強く抱きしめられる。
とても淋しくて悲しくて泣きそうになった。
彼女は手を離すと、水底の気泡のように水面に上がってゆく。
遠くからゴーンという音が響いていた。
◇
悠が目を開けると、綺麗に前髪が切り揃えられた少女がこちらを覗き込んでいて、目が合った。
「うわっ!」
とても近い位置から覗き込む相手の顔は、幼いが美しくて悠は動揺してしまう。
慌てふためく悠を手でそっと制し、アヤは優しく声をかける。
「まだ、起きてはいけないよ。君は結構な怪我をしているからね」
そう言われて、素直に頭をおろす悠だが、後頭部に柔らかい感触がした。
周囲を見回して、自分が車の中の後部座席で、アヤに膝枕をしてもらい横になっていたのだと把握する。
「申し訳ないよアヤちゃん、足が痛いでしょ? 起きるね」
身を起こそうとするが、グイっと抑えられると抵抗できない。
「だめだよ。ちゃんと言うことを聞かないとね」
10歳ほどの少女に膝枕されている構図は、なかなかに恥ずかしい。
それにしても、いつの間にか気を失っていたのかと考えていたら、運転席に座る睦とミラー越しに目が合った。
「悠くん……言いたいことが色々あるけれど、それは後日。これから先生のところに行くから、先ずは治療を受けなさい。着くまでは、そこで寝てなさい」
「はい……すみません」
「お前さ、あの蛸の瘴気とか邪気とか浴びてるからさ、アヤに引っ付いて寝てろ。ゆっくりだが浄化するからよ」
馨が助手席から身を乗り出して話しかけてくる様子から、大きな怪我もなさそうだと悠は安心する。
「そうなんだ。分かったよ」
「俺も出来るから、俺が抱きしめてやろうか?」
馨のこの発言に横の睦が「ブホッ」と吹き出す。
「何、想像してんだよ変態が」
「BLは至高よ、ビバ、ボーイズラブよ」
「絵的にはワシも見てみたいね」
悠の頭を撫でていたアヤの手に力がこもる。
「いや、いいから、そういうの。ところで悠、赤兎馬号(ママチャリ)だが、落ち着いたら回収に行こうな!!」
「そ、そうだね……ごめん」
その後の車内は静かで、走行音のみが耳に入っていた。
馨はいつの間にか寝てしまったようだった。
空が白み始めてきた頃、アヤは悠にだけ聞こえるような声で、
「ちゃんとお別れはできたのかい?」
小さく、優しい声だった。
「え? 何のこと?」
「いいや、何でもないさ……着くまで少し寝るといい」
そう言って優しく撫でる。
悠は何故か零れ落ちそうになる涙をグッと堪えていた。
遠くから鐘の音が聞こえるような気がした。
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