鐘の音 7

 南側の廃工場。


 久しぶりの神の声に、黒蛸は見捨てられていなかった安堵感と、守られている安心感にぶよぶよとした胴体を震わせる。

 波打つ皮膚は、苦しみ、怒り、悲しみ、絶望、様々な負の感情をのせた顔が、浮かびあがっては沈む。

 一方の葵はといえば、触手によって吊り上げられ、ぐったりとしていたが、その顔は喜色満面の笑みを浮かべていた。


『いやいや、長く放っていて悪かったね』


 柔らかな男性の声が、どこからか響く。

 黒蛸にとって、この声はすべてだった。生前も死後も、この声の導きに従っていれば間違いはなかった、次の言葉を聞くまでは。


『今まで我らの研究に付き合ってくれてありがとう、君の役目は終わりだ』


 もういい? 何をおっしゃられたのだろうと黒蛸は混乱する。

 そして、この後さらに黒蛸は混乱することになる。

 黒蛸にとっての神が、突然腹話術のように一人で会話を始めたからであった。


『しかし、終わりを告げる意味はあるのかね? / ええ? 大事な子供ではないのですか?


廃棄物だよ / ボクには良く分からない感性なのです


あれに比べればこの女は逸材だ / 余計なノイズが入ったのです


試みとしては初の成功じゃないか / 面倒な仕様なのです


確かに効率は良くないな / ボクが手伝うのは今回までなのですよ


さあ、仕上げだ / おい、話を聞けなのです』


 いつの間にか、工場内のいたるところに亡霊が現れだしていた。

 黒蛸は亡霊たちを見て、生前の自分が儀式として捧げてきた者たちだと直ぐに理解した。

 恨みがましい目で自分を囲む亡霊たち。

 吊り上げた女は黒一色に染まった目で満面の笑顔のままだ。

 触手を使い、打ち払おうにも先ほどから体が一切動かない。

 神よ、これはどういうことかと問うても返事はなく、亡霊たちは増してゆく。

 そして轟音とともに天井に穴が開き、そこから塊と化した亡霊たちが飛来した。


 青白い亡霊たちは、口々に恨みのこもった呪詛を吐きながら黒蛸と葵を囲む。

 やがて、一体、また一体と、すがるように葵の足にしがみつくと、そのまま吸い込まれるように同化してゆく。

 黒蛸は動けない状態で、目の前に自身を凌駕する怨霊ができあがってゆくのを見るばかりであった。

 そうして、すべての亡霊を吸収した葵の真っ黒な目が黒蛸に向く。


神よ、どうして、どうして、どうして、私は貴方のおっしゃる通りにしてきたではないですか。神よ、神よ、神よ、なぜ答えてくれないのですか。神よ、神よ、神、神、神、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、神よ!!


 葵に絡みつき、胴を締め上げていた触手が解け、地面に足がつく。

 ゆっくりと歩きだした葵は両手を広げ、黒蛸の胴体にその腕をズブズブと差し込んでいった。

 葵の口から柔らかな男性の声が発せられる。


『ごくろうだったな / かわいそなのです』


 黒蛸は、絶望の中で最後の神の声を聞いた。

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