鐘の音 4
葵がいない構内のベンチに座る。
彼女が見ていた景色をじっと見つめながら。
唇を小刻みに震わせ、それでも気丈に振舞う葵。
悠を飼い犬の名前で呼ぶ笑顔の葵。
彼女を思う。
彼女の悠を巻き込まないように配慮する優しさが辛かった。
ただ、視えるだけ、自分の力のなさがもどかしかった。
対処できないのに首を突っ込むなという友人の言葉が耳に痛い。
ただし、自分の目はよく視える眼だ。
今はこの眼で、自分のできることをやるだけだ。
葵の体にまとわりついていた負の残滓。そこから読み取れた情報をすべて友人に伝えた。友人はあまりピンときていなかったようだが、友人の付き人には有益な情報だったようで安心した。
自分が視えたものと、友人の付き人の考察を合わせて見えてきたのは、不条理に命を刈り取る装置のようなものだった。
負の集合体にうっすらと誰かの悪意が乗っているだけの存在。
「作られた悪霊のようなものではないか?」という彼女(付き人)の言葉が印象的だった。
「殴れば終わる。以上」
という、友人の言葉で電話会議は終わった。付き人の「やれやれ」という心の声が聞こえてくるようだった。
もっと早く動くべきだった。
いつもこのベンチに寂しそうに座っていた彼女を思い出し、そう思う。
作られた悪霊の可能性。
だが、そんなものを作って何がしたいのだと悠には理解できなかった。
普段あまり見せることのない険しい表情をした悠に、一人の女性が声をかける。
「こんな時間に、そんなところで怖い顔していたら、警備さんに不審者扱いされるわよ」
知性を感じさせる安定した声音と、心地よい香木の香り、悠は待ち人の到来に顔を上げた。
そこには映画女優と見紛う美貌、金髪ポニーテールで眼鏡にスーツという、さも秘書然とした
眼鏡の位置を直し軽く頭を振ると、金色の髪が美しく輝く。その髪は染めたものではなく、ドイツ人の母から引き継いだものだ。
「葵さん……確かに教務課に在籍していたわ。住所はスマホに送ったけど……本当に葵さんだったの?」
コクリと悠は頷く。
そう、と言ったまま黙りこくる睦の何とも言えない表情を見ながら、悠はひと月ほど前に知り合った、
「花守様は……」
唐突に出された名に睦は眉をひそめる。
「花守様が……どうしたの?」
「いえ……花守様は、ああいった悪霊の対処とかは、しないの……かなって」
都合がいいのは分かっている。
人間の勝手な言い分だということは……だけど、葵のように怯えている人がいて、その原因を容易く排除できる力を持っているのにと考えてしまう。
「するわけないじゃない」
あまりの即答に、睦は自分自身でも驚いてしまう。
睦は悠の隣、葵が座っていた場所に腰かけ、言葉を探す。
「あの方は人間に好意的よ……だからといって、人間の守護者というわけではない……文明を滅ぼすほどの存在なら放っておかないだろうけど」
神という存在は、人類の些末なことには干渉しない。
神は都合の良いアイテムでも、困ったときに助けてくれるヒーローでもない……そんなことは分かっていたつもりだが、気安い雰囲気を
友人と違い、何か取り返しのつかない代償を要求されるかもしれないが。
「そう、ですよね」
「ただ頑張っている人が好きみたいだから、気まぐれで手を差し伸べてくれるかもね」
「だと、いいですね。幸い今回は
そう言って友人の名を出して安心してもらおうとするが、どうやら失敗だったようだ。
悠は苦笑し、
「大丈夫ですよ、僕は少しばかり目が良いだけだって、無茶はしません」
「だと、いいけど」
◇
葵の住んでいたアパートは、埼玉と東京の境目のやや不便な場所だった。
何とか終電前に最寄り駅に到着し、ここで助力を願った友人、
とはいえ、既に終電となったが、一向に馨の姿が見えない。「わかった」という返信をもらったが、今となっては、彼が何を「わかった」のか不安になってくる。
睦に無茶はしないと約束したが状況次第では約束を反故にすることになりそうだ。
さて、これは一人で向かうことになりそうだが、もしもの事もあるので一言、これから向かう連絡だけはしておこうとスマホを取り出したとき、駅の対面の市道からサーチライトのような明かりが、右に左にとぶれながら近づいてくる。
明かりが近づくにつれ、キコキコと軋む音が聞こえ、悠は思わず「ウソでしょ」と呟いた。
今、悠の目の前にはママチャリに
この子が「友人の付き人」という存在で、「
艶やかな黒髪のおかっぱで、白磁の肌、着物に袴、古めかしいが洒落たブーツを履き、漆黒のケープを纏う美少女、何を由来としているか、どのような妖なのか「女の子はミステリアスなのがよいのだよ」と教えてもらえていない。
「なんでまた自転車なんかで来たのさ」
「仕方ねえだろ、ハァ…ハァ…電車賃が…ハァ…勿体ねえだろ」
悠が絶句しているなか、荷台に座る少女が長い睫毛を震わせてクスクスと笑う。
「それにしても愉快だったね……今、思い出しても笑えてしまうよ」
外見に見合わない先生のような喋り方の少女は、クックッと楽しげだ。
それを見て馨も息を切らしながら、ああ、あれは最高だったなと笑う。
傍から見ると、少し年の離れた美男美女の兄妹に見える二人が笑う様を見て、悠は何があったのかを問う。
「なあに道中でね、ワシらを警官が呼び止めたのさ。聞くと、このような夜中に子供を後ろに乗せて走るのは怪しいと言ってくるではないか。なのでね、ワシがこのようにスウッと姿を透明にして消えてみせたんだよ」
どのような原理なのか、実際にアヤの姿は一瞬スウッと透明になった。
「そこで俺が警官にこう言ったのさ。え? 女の子なんて知りませんけど……ってな」
アメリカンジョークのような台詞を言って爆笑する馨。
「あの警官の目を丸くして驚く様が滑稽でね」
ははは、と笑うしかなく、この二人に声をかけた警察官も災難だったなと思った。
駅は既にシャッターが閉められている。
駅前には背の高いマンションが立ち並ぶが、目的地はまだ少し先だ。
葵さんが毎日歩いていた場所。
店じまい中の居酒屋や、お客のいないコンビニ、通りもひと気は、殆どなく、街全体が眠りについているようだった。
「さて君を困らす化物に会いに行くとするか、馨、頼んだよ」
荷台にふんぞり返るアヤを忌々しそうに見る馨は、小さく舌打ちし、自転車を押し始める。
どこに行けばいいかも知らない友人たちが先に歩き始め、慌てて後を追う悠だが、ふと何かの気配を感じ振り返る。
だが、気配の主はどこにも見当たらなかった。気のせいかもしれないし、気にしすぎなのかもしれないが、それでもと見まわしていると、
「あ、そうだ悠」
馨が、忘れていたとばかりに呼びかける。
「学食、一ヶ月分な……今回の成功報酬」
「ちょ、ちょっと、せめて一週間で」
だめだ、三週間、せめて二週間と言い合う声が遠くなって行く。
葵が住んでいた街で最も背の高いマンションは、駅前のタワーマンションだ。
そのタワーマンションの屋上に少年が佇んでいた。
駅から離れて行く三人を見下ろすその顔は、どこか、微笑んでいるようだった。
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