(転) 四年次 春

 私たちの関係が変わってしまったのは、四年次の春。……だと思う。

 曖昧な言い方をするのは、決別するような出来事があったわけではないからだ。変わったのは私だけで、悪いのも私で、柑奈かんなはなにひとつ悪くない。


 私たちが通う大学には奨学生制度があった。人物・成績ともに優秀な学生を奨学生として表彰し、卒業までの学費と同等の奨学金を授与するのだ。三年次までの成績と普段の生活態度などを参考に、各学科ひとりずつ選出される。

 表彰式が行われるのは四年次の春だ。

 史学科で選ばれたのは、私だった。そのとき率直に思ったのは。 

 ――相応しくない!

 人物・成績ともに優秀な学生とはいうものの、人物評価は形骸化している。遅刻欠席をしないとか、期限通り課題を提出するとか、その程度のものだ。実際には成績ばかりが重視され、成績表のS評価の個数で決められる。

 成績表という紙切れ一枚でいったい何が測れるというのだろう。履修する科目数も内容も違うのに。私は柑奈とともに授業を受け、日々を過ごすなかで、今までの積み重ねの差を感じていた。それは大学入学以前に培われた基礎的な学力であったり、幼いころから教員を目指していたゆえの心構えや子どもへの上手な接し方であったり。緩くみえてスマートにこなす柑奈の要領の良さを尊敬し、羨ましく思っていた。

 柑奈は、私が持ちあわせていないものを山ほど持っている。この賞は私ではなく、彼女が貰うべきだ。私よりも柑奈のほうがずっと優秀だ。柑奈が選ばれて当然だ。柑奈こそ相応しい!

 自身が選出されたことに納得がいかなかった私は学科長へ抗議した。成績表だけでなく、もっと人物としての優秀さを重視すべきであると。だが、受け入れられることはなく、表彰式の日を迎える。


 表彰式は受賞者のみが集まり、学長室で行われる。

 ちょうどお昼どきだったので、私は食堂に寄り友人たちと会った。黒いスーツを着こんだ私に、みんな口々に華やかな祝いの言葉をくれる。

「おめでとう! やっぱり蒼ちゃんが一番だと思ってたよ~」

 柑奈も、祝ってくれた。嫌な顔ひとつせず。それどころか、まるで自分事のように喜んでいる。きらきらと輝く純粋な笑顔だ。

 いっそのこと恨み言のひとつでも言ってくれたらよかったのに。素直に祝ってくれるのだから、私の中で渦巻く濁った感情は行き場を失った。

 思えば、柑奈が誰かのことを悪く言ったことがあっただろうか。悪口、嫌味、皮肉、嘲笑、愚痴。妬んだりひがんだりしたことがあっただろうか。いつも穏やかで、怒ったところも見たことがない。マイペースだけれど自己中心的ではなくて、いつだって思いやりに満ちている素敵な人。

 薄々感じていたことが、はっきりと輪郭を帯びる。

 私は、大差をつけて、完膚なきまでにている。

 学科で優等生と評され、共に切磋琢磨して、いつしか勘違いしてしまったのだ。自分と柑奈は、同じくらい優秀で出来た人物であると。私は恥ずかしくも、勝手に、双璧だとか双子星だとか、そういうものを気取っていたのかもしれない。しかしその実、心の中では劣等感と嫉妬をこじらせた劣悪な人間だったのだ。

 尊敬が裏返り、隠していたはずの劣等感があらわになった。柑奈という強い光に照らされて、色濃い嫉妬が浮き彫りになる。

 まっくらな宇宙に放り出されたような心地がした。柑奈は絶対的な太陽で。私は恒星ですらない凡庸な惑星で。輝く金色の星に照らされるだけの、ちっぽけな惑星だ。

「表彰式終わるまで待ってようか?」

 私の胸中など知るよしもなく、普段と同じ穏やかな笑みで気遣ってくれる柑奈。その手元にはいつものお弁当箱がある。

「別にいいよ。遅くなっちゃうかもだし。柑奈は三限も講義入ってるでしょ?」

 醜い感情を自覚した私に、彼女の笑顔は眩しすぎた。祝われることも、昼食に誘われることさえも、今はみじめに感じる。

 私は別れのあいさつもそこそこに、友人たちに背を向けて食堂を後にした。


 表彰式はつつがなく進み、最後に記念写真の撮影が行われた。賞状と奨学金を手に笑顔で写真に写る他学科の同級生たち。その中で、私だけ表情が硬い。

 浮ついた気持ちになんてなれるはずがない。けれど、祝いの場で笑顔をつくろえない自分に、さらに嫌悪が募る。

 もしもこの場にいるのが私ではなく柑奈だったら。きっと彼女はこの場に相応しい、とびきり素敵な笑みを浮かべていただろう。


 その後は初夏に教育実習、夏の盛りに教員採用試験。秋の合格発表を経て、晩冬の締切に向けて卒論の追い込み。

 目まぐるしい日々を送る大学生最後の年。私は忙しさを理由に、柑奈を含めた友人たちを避けるようになっていった。同じ学科で学んでいるのだから、完全に会わないというのも無理な話だ。それでも、用事があるから、ひとりで集中したいからと、なにかと理由をこじつけては離れる。

 柑奈は私の様子に思うところがあったのか、何か言いたげな視線を向けてきた。が、私はそれも見ないふり。

 卒業後は、私と柑奈もそれぞれの地元で教師となり、疎遠になってしまった。

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