9月21日 ノンちゃん(3)


 新人戦の勝負は尋常でございました。


 試合のために向かった隣町の体育館は巨大で、その広くて平らな空間と、高い天井、そこに吊るされた強烈なライトたちに私は圧倒されておりました。同じ学校の部員たちとはぐれないようあっちへ行きこっちへ行き、顧問の先生が何か言っているなあなどと思っていると、あれよという間に試合が始まってしまいました。


 私はこれまでの人生で一番緊張しておりました。相手の顔さえはっきりとは見られない状態でした。そんな私を救ってくれたのは、ノンちゃんでした。


 ノンちゃんは私のお尻をラケットでピシャリと叩き、「頑張ろうね」と言いました。そのいつもの柔らかな笑みで、私は平常心を取り戻したのです。


 最初の一打目のことはよく覚えています。相手はサーブの名手のようで、私の弱いところを的確に攻めてきました。私がかろうじて打ち返しますと、羽根は絶妙なところに飛び、相手の陣形を崩すことに成功しました。相手が打ち損じ、高く上がった羽根を拾おうと下がったところで、


「ハイ!」


 と破裂するような声が飛びました。ノンちゃんです。私はびっくりして思わず振り返りました。ノンちゃんは羽根の落下点に一歩で着地しますと、大きく跳躍し、肩の上で切りそろえられた髪がふわり広がったかと思うと、全身いっぱいを使ってラケットを振りました。風切り音が私の頭上を通過したかと思うと、羽根が相手コートに落ちておりました。


 私はなんだかいつもと違うノンちゃんにドキドキして、立ちすくんでおりました。ノンちゃんは私を見ると、いつものふにゃふにゃとした笑いとともに、「やったね」と言いました。


 その顔は上気していて、それは運動したからというより、いつもと違う一面を見せたことへの照れのようでした。私はそんなノンちゃんを頼もしいと思うと同時に、とても可愛いと思いました。


 そして、ストンと腑に落ちたのです。ノンちゃんは私の親友で、私の憧れでした。普段は奥ゆかしく、実は人を笑わせることが上手で、そして秘めた運動の才能を持っている彼女に私は憧れていたのです。


 先日ノンちゃんに抱きしめられた日の胸の高鳴りは、私にはないものをたくさん持った憧れの人に認められたことへの純粋な喜びだったのです。


 私はノンちゃんと親友になれたことが無性に嬉しくなって、「ナイス・ショット」とぴょんぴょん跳ねますと、「頑張って勝とうね」とノンちゃんはますます照れてそう言いました。


 ノンちゃんの活躍は凄まじいものでした。ノンちゃんは少し大きめのユニフォームを風に膨らませ、相手が打った羽根に、一歩、二歩で追いつき打ち返し、その様は獲物を追うライオンのようでございました。


 ノンちゃんがライオンなら、私は能ある鷹といったところでしょうか。ノンちゃんが打ち合っている間、絶好の機会をうかがい、ここだというところで飛び出し「エイ!」と決めておりました。


 それは真っすぐ飛ぶこともあれば当たり損ねて明後日の方向に飛ぶこともあり、それが逆に相手を翻弄しておりました。私のラケットに当たり損ねた羽根がポーンと飛んで相手のコートに落ち、大勝利のうちに試合は終了しました。


「やった!」


「やった!」


 と私たちはぴょんぴょん喜びを分かち合いました。そしてノンちゃんは私に顔を寄せ、「広瀬君、見てる」と耳打ちして来たのです。


 胸がドクンと鳴ったのは、無論広瀬くんの名を聞いたからでした。




 第一試合はいろいろなところで同時に試合が執り行われており、私が試合したコートの応援者はまばらで、その人達も大抵はお喋りに興じて真剣に見ているものはありませんでした。広瀬君はその中で一人立ちあがり、私たちに向け大きな拍手を送ってくれていたのです。


 私は嬉しくって嬉しくって、「エヘ、エヘ」と顔を赤くし、それを見たノンちゃんもなぜか顔を赤くして、「良かったね、良かったね」と私のお尻をピシャリ、ピシャリと叩いたのでした。




「村中さん、僕は感動したよ」


 汗を拭いて結果を記録員に報告し、試合会場の外に出ると広瀬君が待ってくれていました。


「特に二ゲーム目の君のスマッシュはよかった」


 それは私がスマッシュで得点したときのことでした。


「広瀬君が教えてくれたから」


 そう私は答えました。その時飛んできた羽根は、広瀬君がいつも私の練習のために打ってくれるものと、ちょうど勢いが似ておりました。私はいつも広瀬くんに教えてもらっている通り「一、二、三、こうだ!」と胸で唱え、スマッシュしたのでした。


 だからこれを褒めてくれるというのは、それはそれはもう大変に誇らしく、嬉しいものでした。好きな人からの言葉というものは、どうしてこんなにも力があるのでしょう。「特に二点目がよかった」その言葉を思い出す度、心が丈夫になる気持ちがするのです。


「それにしても、小岩さんがこんなにもすごいとは思わなかった」


 広瀬君はノンちゃんのことも褒めてくれて、私は自分のことのように嬉しく思いました。ノンちゃんはしきりに照れていて、「いやあ、まあ」と言って逃げてしまいましたが。


 新人戦は二回戦のシード選手に負けてしまいましたが、残念な気持ちよりも嬉しい気持ちが一杯の一日になりました。


 それにしても私を褒める広瀬君の目は輝いていて、表情はとてもいきいきしていました。それは広瀬君がバドミントンを好きだからに違いないのですが、それだけでしょうか。私のことも少し好きになってくれてたらいいな。


 まだ体の芯がカッカ熱く眠れそうにありませんが、広瀬君の言葉を胸の内で反芻し、眠れない夜を楽しもうと思います。

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