8月15日 ティティとモンジ
少し日が開いてしまいましたので、今日までの日々を振り返ってみます。
広瀬くんとは、コーチと部員として、良好な関係を続けています。「人の気持ちは変わるものよ」とシェリー奥様がいつか言ったように、私自身がもっともっと魅力的になって、広瀬くんに好きになってもらおうと思いバドミントンの練習に励んでいるのです。
私はマリンのように、孤高の天才バレリーナではありません。バドミントンだって下手くそです。しかし、マリンのようにひたむきに努力することはできます。思えば私は恋に恋するあまり、ひたむきさに欠けていたように思います。
だから自分の恋心はちょっと横に置きまして、私はバドミントンの練習に励むことにしたのです。一生懸命に広瀬くんの言う事を聞き、動きを真似ました。そうして練習しますと、広瀬くんが投げる羽根をすべて打ち返すことができるようになり、広瀬くんと小気味よく打ち合いできるまでなりました。
こうなってくるとスポーツは面白いもので、私は家に帰ってからもラケットを振り、ヘンドリックが来た日には練習に付き合わせ、特訓しておりました。
夏休みに入り、練習はますます盛んになりました。一年生のための大会である、新人戦が近づいていたのです。
とは言っても、なにも部活ばかりしていたわけではありません。夏休みには宿題が多くありましたし、クラスメイトと水路のザリガニをつついたり、砂場で穴を掘ったりと遊ぶ時間も多くありました。そして、今日筆を取ったのは、私に妹と弟ができたことを書くためです!
昨日、「ルリ子ちゃん、面白いものを見つけたわ」と納戸の整理をしていたシェリー奥様に呼ばれ行きますと、奥様はホコリ被った古い紙の箱を持っていました。
その箱には「Singing Mouse」とポップな字体で書かれており、マイクを持って陽気に歌うピンクのネズミが描かれておりました。きっと、外国のおもちゃなのでしょう。
「先生のラボに言って、ネズミを二匹もらってきてちょうだい」
言われたとおりに籠に入れたネズミをもらってきますと、シェリー奥様は箱の中からマチ針のようなものを取り出し、ネズミの耳のくぼみから差し込みました。
「シェリー奥様、悪趣味だわ」
私はシェリー奥様が無意味につまらないことをするはずがないと思いながらも、非難せずにはいられませんでした。
「大丈夫よ。ほら、見ていてごらんなさい」
シェリー奥様はウインクをして、箱からタイプライターのようなものを取り出しました。そしてそれをパチパチ打ちますと、ネズミたちが、
「ルリコ・チャン」「ルリコ・チャン」
としゃべったのです!
私が目を丸くしておりますと、シェリー奥様がくすくす笑いながら説明してくださいました。つまり、耳に刺したまち針はアンテナになっていて、タイプライターで打ち込んだ言葉を受信するのだそうです。
そして、それが電気となって針を通り、ネズミの脳のある部位を刺激し、ネズミが話し出すというカラクリだそうです。タイプライターには音の高低を司るノブが付いていて、それをうまく操ることで、ネズミに歌を歌わせることができるとのことでした。
「私が学生の頃にね、すごく流行っていたの。私はちょっとした名手だったわ。二匹を同時に操る妙は、誰にも真似できなかったもの」
シェリー奥様は昔を懐かしむようにそう言いますと、タイプライターをバチバチ打ちながら、ノブをひねり、ボタンをポチポチ押し始めました。すると、二匹のネズミが同時に口を開け
「ユーカンダーンス・ユーカンジャーイ」
と声を揃えて歌を歌い始めたのです。それはシェリー奥様がごきげんな日にいつも聞いている曲でした。
ネズミたちの声は幾分機械的ではありましたが、私を再度驚かせるには十分でした。私はあまりに驚いたため目を白黒させ、しかしネズミたちが天に向かって伸びやかに、高らかに、「ダーンシン・クィーン」と歌っている姿を見ると、私までとっても楽しくなりました。
私はネズミたちに合わせて踊り、シェリー奥様も楽しくって仕方がないといった様子でタイプライターを打ちながらコーラスを始め、最後にはみんなで何度も何度も「ダーンシン・クィーン」と声を揃えて歌いました。
そうして私はすっかりネズミの虜になって、村中先生にお願いして、その二匹を飼うことにしたのです。
「あの二匹はルリ子くんのお腹から取れた虫卵を埋め込んである。つまり、同じ虫卵を分かち合った兄弟のようなものだな」
などと村中先生が仰るものですから、私の愛情はひとしおで、体の大きなメスのネズミには「ティティ」体の小さなオスのネズミには「モンジ」と名付け、美しい針金細工の鳥籠に入れて飼うことにしたのでした。
この鳥籠はシェリー奥様のコレクションでしたが、私がティティとモンジのための籠を探していると、「いいものがあるわ」とシェリー奥様が持ってきてくださったものです。
その鳥籠には止まり木のブランコがついておりました。シェリー奥様は私の可愛い妹と弟のために、別の針金を細工して籠を仕切って二階を作ってくださり、お人形用の家具で内装を整えてくださいました。籠の一階にはソファやエサ箱、おトイレなどを置き、二階にはベッドを置きました。
シェリー奥様はとても気の利くお方で、籠を上下に仕切るときに、ネズミたちが背伸びをすれば止まり木のブランコに登れるようにもしてくださいました。
ティティはとても慎重で心優しい女の子で、モンジは好奇心旺盛で愛嬌たっぷりの男の子でした。ティティがおっかなびっくりブランコに触れて揺らしているかと思えば、モンジはすぐにジャンプして飛び乗り、失敗して落ち、ティティが「言わんこっちゃない」とでも言うように駆け寄り落ちてぶつけたところに頬ずりしてあげておりました。
私が籠に手を入れますと、ティティはびっくりして奥へと逃げますが、モンジはすぐに近づいてきて、指の一本いっぽんを嗅ぎ、「親指が気に入ったぞ」とでも言うように夢中で親指に鼻を擦り付けるのでした。
二匹の名前はもちろん、「いたずらネズミのティティとモンジ」から取ったものです。
私は昔からそのアニメが大好きでした。私はあまりテレビに熱中する質ではなかったのですが、村中先生のお家に住み始めてすぐの頃、たまたまリモコンに手が触れ、付いたテレビに映し出されたのがそのアニメだったのです。
人間に追われたネズミのティティとモンジが、逃げ込んだ先が、内気な少女レベッカの口の中で、二匹はレベッカのお腹の中で面白おかしく暮らす、という話の筋なのですが、レベッカのお腹の中はポッカリ空洞で、あちこちから紐が下がっていて、それを引っ張るとレベッカは自分の意思とは関係なく動いてしまうのです。
ティティとモンジがレベッカのお腹の中でレベッカを操りイタズラして、ときに失敗し、ときに男の子をコテンパンにやっつけ、クラスの人気者になっていく様はとても痛快で、私はすぐに夢中になりました。
だから二匹のネズミの名前はティティとモンジ以外にありえませんでした。私もちょっと内気なところがあり、言いたいことが言えないときもあります。行動すべきときに動けないこともあります。そんなとき、アニメのようにティティとモンジが私の体を代わりに操り、代わり喋ってほしいと思うこともあります。
しかしレベッカのように女性大統領になってネズミ愛護法ができると町が混乱してしまいますから、やはり人間に生まれたからには自分自身で考えて行動しなければならないのでしょう。
ともかく、私は二匹の家族が増えたことに興奮し、シェリー奥様から貰い受けたSinging Mouseで「ル・リ・コ・チャ・ン」と二匹に言わせてうっとりとしたものでした。
しかしアニメでティティが話していたように滑らかに話させるのはずいぶん難しいことでした。そして大馬鹿な私は昨夜、失敗を犯すのです。
昨夜、私はずいぶん遅くまで起きて夢中でタイプライターを叩いてティティとモンジと遊んでおりました。「なんだか、君が眩しく見えるよ」とモンジに言わせ、「あら、あなたも素敵よ」などとティティに言わせては悦に入っておりました。
そして私は、気が付かないうちに机で眠ってしまっていたのです。不幸なことに、私の落ちた頭はタイプライターのキーを押し続けておりました。
Singing Mouseの取扱説明書には日本語のシールが貼ってあり、
「キーを押しっぱなしにしないでください。電気が流れ続けて危険です」
と書かれてありました。このおもちゃは、キーを押すと、ネズミの頭に刺さったマチ針のアンテナに電波が飛び、それが電気となって針を通り、ネズミの脳を刺激するのです。
ティティとモンジの脳には電気が流れ続けました。
夜中、なにかの予感にはっと目を覚ましたとき、ティティとモンジは口から泡を吹いて、ぴくりとも動かなくなっていました。私はさっと血の気が引くのがわかりました。
半狂乱になって廊下で寝ていた村中先生を起こし、ティティとモンジを見せました。村中先生はしばらく二匹を診察した後「大丈夫だ。一時的に脳の負荷が上がって、酸素が足りなくなっただけだ」とおっしゃいまして、程なく二匹は復活したのです。
ほっとすると、ようやく私は私の愚かさを自覚しました。もう少しでせっかくできた妹弟を死なせてしまうところだったのです。私はその事実にぞっとしました。
「ルリ子は悪い子です。ルリ子は悪い子です」
私は深夜だと言うのに、赤ちゃんに戻ったかのように大声で泣いてしまいました。しかし村中先生や、騒ぎに起き出してきたシェリー奥様は私を慰めるばかりで叱ってはくれませんでした。それが私にはよけいに恐ろしくて、
「打ってください。ルリ子を、打ってください」
とお尻を出して泣き、自分で自分のお尻を何度も何度も叩きました。悪いことをした人は、誰かに折檻されなければいけません。でないと、心が悪いものに蝕まれてしまいます。
強く打たれることで、その痛みが心の悪いところを壊してくれるのです。しかしそのときの私はそれをうまく説明できず、ただただ自分のお尻を叩き続けました。村中先生はそんな私に戸惑いオロオロし、シェリー奥様は涙を流しながら私の手を取り抱きしめてくださいました。
「私が一緒に泣いてあげるからね、あなたは悪い子なんかじゃないわ」
シェリー奥様の体はとても温かく、冷え切った私の肌を温めました。そしてそのぬくもりは、私の心の芯まで届き、私の悪いところを溶かしていくようでした。
私はふにゃふにゃとした気分になって、その温もりに身を委ねますと、「私は悪い子なんかじゃないわ」と思えてきたのです。それはとても不思議な体験でした。もしかすると、心を蝕む悪いものは、熱に弱いのかもしれません。
籠の中のティティとモンジはというと、今朝にはすっかり元気になって、二匹で遊んでおりました。
私は二匹にきっと嫌われただろうと思いました。仲直りしたいと思いました。
私がそっと籠の中に手を入れますと、二匹はぎょっとしたように固まりました。誰かに嫌われるというのはとても悲しいことです。それが家族となるとなおさらで、怯えた様子の二匹に、私の胸には悲しい気持ちが広がりました。
「指を全部かじり取ってもいいわ。だから、許してちょうだい」
と私は二匹に言いました。モンジは恐れのためか怒りのためか、体をワナワナと震わせておりました。
しかし、そのモンジの横をすり抜け、ティティが私に近づいてきてくれたのです。ああ、普段は慎重で臆病な彼女の優しさを思い出すと、涙が出そうになります。彼女は私の手の指全てに鼻を押し付けてくれたのです。
一本いっぽんの指に鼻先が優しく触れるたび、ティティの優しさを感じました。そしてその様子を見たモンジもまた、ちょっと照れたような、ふてくされたような態度で近づいてきて、すぐに夢中で私の親指を嗅ぎ始めたのです。
「ごめんね、ごめんね。もう酷いことはしないと誓うわ」
私がそう言いますと二匹は、
「ルリ・コ・チャン、ルリ・コ・チャン」
と鳴きました。
私は二匹の優しさに触れ、いつか自分がひどい裏切りを受けても、きっと許そうと心に誓いました。
ともかく、こうして私にかわいいかわいい妹と弟ができたのです。
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