飯田千尋編

そりゃそうだよ

「成程、そうするともっと味に深みが出るんですね」


杉崎さんはカウンターから僕の調理の様子を見て呟いた。


「そうだよ。面倒だけど必要な一手間だね」


杉崎さんはメモを取りながら頷いた。


「料理に手間暇はつきものだね!」


杉崎さんの隣では飯田さんが訳知顔で頷いている。



その日、杉崎さんが他の料理も食べてみたいと言ったので、「私も行く」と言った飯田さんと二人で倉橋食堂を訪れていた。


杉崎さんと料理談義をしつつ、唐揚げ定食を完成させて二人に提供した。


二人は手を合わせ、「いただきます」と言うと食事を開始した。


「ハンバーグも美味しかったですけど、唐揚げもとても美味しいですね」


唐揚げを一口食べた杉崎さんは唸りながらそう言った。


「でしょ? でも、まだまだ伸び代が沢山あると思っているから、これからもっと美味しくなるよ!」


飯田さんが料理のご意見番みたいな事を言い出すが、これまで出来事を踏まえるとあながち冗談ではないかもしれないと思うから不思議だ。


「まぁ、父さんの方がやっぱり美味しく唐揚げを作るから、それに追いつけるように努力をしていくよ」


うんうん、と頷いている飯田さんを見ると唐揚げ定食は半分程減っていた。


「飯田さん、次は何を食べる?」


「そうだなー。じゃあ、ハンバーグ定食をお願いします!」


僕が頷いて料理に取り掛かろうとすると、注文をする飯田さんの横顔をジッと見ていた杉崎さんが口を開いた。


「千尋、その……」


途中で言い淀んだ杉崎さんを飯田さんは不思議そうな表情で見つめる。


「ん? 葵、どうしたの?」


杉崎さんは飯田さんから視線を外すと言いにくそうに口を開いた。


「千尋、その、少し……太りました?」


その瞬間、飯田さんの動きが止まった。

しばらくすると飯田さんは顔の目の前で手を横に振って、「そんな事は無いと思うよー?」と言いながら動き出した。


「だって、食べる量も変わってないし」


あの量を食べ続けて、今まで体型が変わらなかった事がすごいな、と思いながら、僕は一つ気付いた事があった。


「倉橋食堂の料理は気を使ってはいるけど、家庭料理より味付けは濃いし、カロリーが高いと思うよ?」


その言葉に僕の方を向いて首を横に振り、「嫌だな〜、倉橋君までそんな事を言うの?」と言いながら、自分の鞄から手鏡を取り出すとそれを覗き込んだ。


しばらく鏡の中の自分を見ていた飯田さんは自分の頬に手を添えて触ると、「……あれ?」と言って再び固まった。


しばらく待っても、反応が無い事を心配したのか、杉崎さんが声を掛けた。


「あのー、千尋?」


その声に反応したのか、飯田さんは突然動き出した。


「どうしよう〜 このままじゃ、太る事を気にして美味しくご飯を食べる事が出来ないよ!」


「まあ、ここで食べる量や頻度を減らしたら、飯田さんだったらすぐ元の体型に戻ると思うけど」


僕のその言葉を杉崎さんが首を横に振って否定した。


「いや、それだけでは駄目です。いいですか、千尋、いい機会ですから、よく聞いて下さい。今は若いから良いですけど、このペースで食べ続ければ、例え倉橋君の料理を食べる事を控えたとしても、将来確実に病気になりますよ?」


「そ、そんな〜」


杉崎さんの言葉に飯田さんは頭を抱えた。


確かに杉崎さんの言う通りだ。

飯田さんの体型が今まで変わらなかった事が奇跡なのだ。

将来、その奇跡が続くとは限らない。


「千尋、今のあなたに必要な事は何か分かりますか?」


杉崎さんの言葉に飯田さんは顔を上げた。


「何? 葵、教えて?」


「千尋に必要な事、それは……運動です!」


杉崎さんはそう言って飯田さんを指差した。


「無理だよ、私、運動嫌いだもん〜」


杉崎さんの言葉に飯田さんの叫びが響き渡った。

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