第3話
「そうだけど…うん…やっぱり緊張してたのかも」
「それもそうだな」
クローゼットの中に隠れていたから顔はよく見えないし、そこまでクリアーな音じゃないけど、クリスマスイブらしくないような、何やら悲壮な声色で二人は話していた。
そして気づく。
妙に二人の距離が近いことを。
沙耶香のコートを脱がしたりしていて、特にそれを嫌がってなかった。僕の前では、絶対に嫌がるのに。
「お腹空いてるでしょう? ご飯にするね。すぐできるから」
すると沙耶香は、まるで僕に言うみたいにして、可愛らしく豪志に言った。
あのお皿や飾りつけは…豪志と過ごすため…?
そんな馬鹿な…。
混乱する頭が思考をシュレッダーで細切れにした。ドクンドクンとした動悸が喉のすぐ下で大きく上下し、クローゼットの中に警報みたいに大きく響いていた。
僕は咄嗟に胸を抑えた。
それは二人に聞かせたくなかった。
いやいや、二人がそんなことあり得ない。
最悪の想像をしてしまうところだった。
大切な二人を邪推するなんてあり得ない。豪志が来たのは、おそらくまた彼女と上手くいかなかったんだろう。
そんな時はよく来ていたし、優しい沙耶香のことだ、きっと外に溢れる幸せなクリスマスを思って元気づけようと考えたんだろう。
そんな風に納得しようとしてる僕をよそに、豪志はとんでもないことを言った。
「いや、すぐにお前を抱きたい」
『…ッ!?』
冗談にしてはやり過ぎだ。でも沙耶香ならすぐに手をあげるだろうし、学生時代、たまにそんなことを言ってビンタを喰らわせていたことを思い出して心を落ち着かせる。
それに、これくらい豪志なら言いそうだし、実際言っていた。それは付き合う前だったけど、あれは沙耶香の本心がどこにあるかを試すためだって言っていて、それはよくわからなかったけど、僕を焚き付けることだったはずだ。
でも、もしかして、寂しさは人を狂わすのかもしれない。
だって昔と違って、声色が随分と硬い…というより切実な願望に聞こえたんだ。
だけど、次の瞬間、ビンタではなく、耳を疑うようなセリフに僕は殴られた。
「…わたしも。豪志…」
そして沙耶香は、手を挙げるどころか、万歳をして、豪志に服を脱がすように催促した。
その声も、切なそうな声色をしていて、お互いにお互いしか見えてないような、物語のプロローグかエピローグか、そんな風に聞こえた。
◆
クリスマスは、キリスト教国家なら家族と祝う日で、家族となるはずの沙耶香と、家族同然の豪志が、家族みたいな距離にいた。
まるで、二人はオーストラリアのクリスマスみたいに真夏のビーチのような熱さを放っていた。
「ん、んむ、ちゅ、れろ、ンン」
しばらく思考を放棄していたのに、どうやら濃密なキスを交わし出したことに気づけたのは、その水音が、閉ざされたクローゼットの隙間から嫌に響いていて、僕を記憶と混乱の洪水に巻き込んでいったからだった。
幼い頃、川で溺れそうなところを助けてくれた豪志。いじめっ子の放水をやり返してくれた豪志。その濡れた僕をタオルで優しく吹いてくれた沙耶香。不安をかき消すように抱きしめてくれた沙耶香。
その二人の創る音が、僕を包んでくれた優しさが、幼い頃の僕からさらさらと流れて、今、熱くて冷たい粘性の水になって、このクローゼットに足元からドバドバと溜まっていく。
僕はやはりあの時溺れていたんじゃないだろうか。
「ン、豪志、んちゅ、あっ、あっちで、ンんん」
「んん、ぷは、ああ、わかった」
隙間からなんとか見えた二人は、まさしくクリスマスイブの恋人同士だった。
そして沙耶香は豪心のはだけた服を引っ張って、僕と沙耶香の二人の寝室に消えていった。
家主のはずなのに、いや、いつでも転勤できるようにと、沙耶香の名義だったか。
二人の居場所がすっかり居心地の悪い空間になっていた。
クローゼットからゆっくりと出ると、窓が開いてるのか、真冬の寒さを取り戻していた。
おぼつかない足で寝室のドアの前に立つと、中からは、とてもじゃないけど、邪魔出来ないような、連続した音やいやらしい言葉やセリフが聞こえてきた。
それはまるで燃え盛る炎のようで、真冬の花火みたいで、僕とは全然違った交わりだった。
沙耶香がそんな下品なことを言うなんて。
豪志がそんな下品なことをさせる…のは過去の交友関係から知っていた。
だからドアの四辺からはそれが炎のように吹き出していて、ドアノブなんて焼けそうなくらい熱そうで、ぼくには掴めなかった。
ただ、僕を馬鹿にするようなセリフは一つもなく、いや、少しくらいあっても良かったとは思うのだけど、お互いを思い合うセリフしか聞こえてこなかった。
それを不幸と呼ぶのか、幸と呼べばいいのか、わからないけど、ここは二人の二人だけの祝福のイブには間違いなかった。
多分その世界には僕なんて存在していないんだろう。
そうじゃないと大切な二人が僕を裏切るなんてあり得ないじゃないか。
「ははは…」
おそらくこれが最初で最後ではないことくらいは、その交わりでわかる。
沙耶香はとても可愛らしく、僕とはこんなにいやらしい声を大きく叫んでなかった。電気なんてつけさせてくれなくて、とても恥ずかしがっていたのに、このドアの向こうの雰囲気から、そんな風な様子は微塵も想像出来なかった。
そういえば学生時代、確か中学三年の頃からか、豪志が「肉食系だろ」って沙耶香を評したことがあった。
確かに沙耶香はお肉が大好きで、「痩せの大食い」みたいに言われていたからその事だと思っていたけど、どうやらそれは豪志からのヒントで、僕の不正解だったみたいだ。
ああ、風邪やインフルの時も、何故か二人は一緒に休むことが多かった。お見舞いに行っても、沙耶香だけは残ってた。
林間学校も、体育祭も、文化祭も、修学旅行も、今思えば思いつくようなヒントは常にあったような気がする。
それは付き合ってなかったから構わないし、こんなの邪推かもしれないけど、今までの付き合いが全部が全部、嘘だとは到底思えないけど、本当だとも思えなくなった。
だから僕は怒る気が失せてしまった。
いや、これは多分、長年考えないように無視してきた──されど、思っていたとおりお似合いの二人の誕生に、僕は納得して、何もアクションを起こせないんだ。
難しい問題の答えが解けた時の虚しさと言えば近いかもしれない。
解けない時は夢中になって楽しくて、すぐそばにあるヒントにも気づけなくて、解くと雪みたいに興味が薄れて溶けて無くなってしまうことなんて、僕だけじゃないはずだ。
だから僕はひっそりとマンションを後にした。
多少の音は出たかもしれないけど、あの燃え盛る二人には聞こえてないだろう。
僕が詰め込んだ愛は、その炎で蒸発したんだ。
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