第10話 危機と秘策
あれから時間は過ぎて夕方頃。
二人はクランハウスの医務室で治療を受けていた。
砕けた左腕を抱えたマイの前に一人の男が不機嫌そうに眉根を寄せて立っている。
皺一つ無い白衣を着たこの男の名前は呉羽 律。
世界に百人もいない非常に希少である回復能力を持った、龍族と他種族の間に生まれた種族――
ボサボサの髪、両耳に複数ピアスを付けた鋭い眼光をした細身のこの男は頬に薄っすら生えた鱗をポリポリと片手で掻きながらマイの腕を見る。
何とも迷惑そうな目でマイを見る律だが、当の本人は椅子に座り足を交互に振りながらアイスを齧ってお気楽モードだ。
「りっちゃーん、調べたいことあるから早く治してー」
「テメェ、それが人に物を頼む態度か……? ふん、さっさと腕出せ」
表情を顰め口調も少しキツめだが、律はマイの態度に気分を害して冷たい態度を取っている訳ではない。
見た目や態度で近寄り難そうな印象を受けるが実際の所、顔を顰めているのは骨折が痛々しく、律本人が痛いのが苦手でつい痛みを想像してしまうからである。
態度が冷たいのは素の部分はあるが一番は異性が少し苦手でどう接したらいいか分からないからだった。
見た目も好きな詩人と同じアクセサリーを付けたいが為のものであり、医者を目指した理由も大好きだった祖父の病気を治すため。
そんな月光蝶きっての愛され勇士「りっちゃん」は机の上に差し出された砕けた左腕に優しく痛まないように手を乗せる。
律の能力【
骨折程度なら十分程度で完治させることが出来る強力な治癒効果を持った回復能力だ。
しかし、律は骨が正常の位置に戻り、骨同士がある程度繋がった時点で治癒するのを辞めてしまった。
「……ちょっとりっちゃん? 治りきってないわよ?」
骨同士が繋がったとはいえまだ接続部分は脆い。
到底戦闘には耐えられるものでは無く、【
律本人も医者として治してやりたい気持ちはあるが、クランマスター及び、副マスターの両方からそういう"命令"が出ている以上、どうもしてやれないのだ。
「お前を完全には治すなって命令が出てんだよ。 医者になんて命令出させてんだテメェ等……」
「あー……。そしたら紗雪も動けないものね。 まぁいいわ、痛みが無くなっただけありがたいし」
今回の命令に関して、紗雪はまた不満を垂れるだろうが、マイとしてはとてもありがたいものだ。
罠ごと踏みつぶそうとした矢先、前例の無い未知の現象による妨害、都市内で深層のモンスターとの戦闘、果ては謎の闖入者。
ゴタゴタが続いたせいで二人も調査が本命であることを今の今まですっかり忘れていたくらいであった。
明らかに普通では無いことばかり、組織のトップが警戒するのは当然のことだろう。
むしろ、律にそんな命令を出させた自分達の行動に申し訳なさを感じ入るばかりだった。
「……
内心の気まずさから逃げるようにマイが律に問いかける。
例の掃討作戦が行われているが、マイには今回の騒動が目下の標的連中と無関係とは思えなかったからだ。
「そこそこ順調らしいぜ。只、敵の主力が逃げ回るわ爆弾違法薬物なんかをバラ撒きまくるわ、階層中のモンスターを引き連れてくるわで主力とはマトモな戦闘にならんのだと」
冷凍庫からもう一本取り出した棒付きアイスを齧りながら律が答える。
律の他者を癒やす能力はかなり疲れるらしく、能力を使った後は基本甘い物を口にする。
その為、冷蔵庫や机の引き出し内には常に菓子が詰められており、律のいる医務室は甘味を好む女性隊員の憩いの場に使われることが日常的にある。
当然、本人は凄く困っているが。
「う~ん、そっちもヤバそうだけど、こっちもこのままじゃ良くない気がする……春人と湊くんこっち戻せないかな?」
自身と同じ沙雪の護衛である二人。
湊はともかく、春人は戦力としては十分。来てくれれば多少は安心出来るのだが……。
「いや、湊くんはともかく春人は無理か……」
マイが眉根を寄せ、ポツリと一言零す。
今日あったことがずっと脳内で反芻される。
月光蝶でも最大戦力の一人である春人はむしろ更にコキ使われることになるだろう。
(不慮の事故が余りにも多すぎる――明らかに嫌な意図を感じる。敵の手がこちらにまで及んでいるのは副マスターも必ず気付いているはず)
思考を巡らせるマイだったがふと、今まで忘れていたことを思い出し律に質問する。
「私達が戦ってる時、なんで隊員が誰も来なかったの? あの本部長が初動に遅れるなんて普通考えられないけど……」
「魔女の薬研」廃墟は月光蝶のクランハウスからは多少距離はあるが、近くに駐屯地はあったはずだ。
あれだけ騒がしく戦ったのだ。
駐屯地からの距離も考えればすぐに駆け付けられるはず。
だからこそ、あの場を紗雪という爆弾を抱えていても、なお二人で調査していたのだ。
(イチャついてて遅くなりました、なんてことは副マスターなら無い……なら何故?)
「そのことだが――」
「律くん、そこからは僕が説明するよ」
棒アイスを齧りつつも律が説明を始めようとしたその時、紗雪と瞳を引き連れた三雄が開けっ放しの扉を潜って医務室に入って来る。
少々草臥れた様子だがその表情は重く少し硬い三雄の横を追い抜き、紗雪がマイの元へ駆け寄る。
「紗雪! 身体は大丈夫なの?」
「うん、特に何とも無し。マイも腕以外は大丈夫そうだね」
マイとは違い、無傷の紗雪はマイの様子を見て安心して胸を撫で下ろす。
律がいるとはいえ、怪我をした親友が心配だったのだろう。
「こほん、いいかね?二人共」
「は、はい!! 申し訳ございません!副マスター!」
弛んだ空気を、三雄が引き締める。
今の三雄はここを出る前のものとは大きく異なる。
芯が一本通ったような真っ直ぐとした姿勢、口元も固く結ばれ鋭い目付き、纏う雰囲気は戦士のソレ。
普段の柔和な三雄とは打って変わる歴戦の戦士の雰囲気に飲まれたマイが声を裏返して礼をする。
マイに少し遅れて紗雪と律も直立し敬礼し、態勢を整える。
「うん、マイくんの質問も踏まえて状況を説明する。かけたまえ」
許可を得て近くの座椅子に座り込んだ三人の前で三雄が話し始める。
「さて、まずは今回の件だが、事の顛末は『
「……?」
話が始まったばかりだが、マイが僅かに首を傾げる。
月光蝶に十年近く所属しているマイだが、『伺見衆』という単語に聞き覚えが無かったからだ。
「……伺見衆はおじさんが手づから育て上げた極秘の副マスター直属勇士部隊。 マイは気付いて無かったけど、私達は外に出てからずっと監視されてた。だから二人で外に出ても止められなかったし、増援が遅かったのも覗見衆がいつでも手助け出来たからクランハウスの防衛を優先させてただけ」
「へー、俺もそんな部隊があるなんて知らなかったな」
「全然気付かなかった……。でも、紗雪がすんなり外に出られたのは監視が付いていたからだったのね!」
極秘部隊なだけに律も知らなかったのだろう。
紗雪の説明に二人が相槌を打つが――――。
「って、ずっと見てたんなら助けて欲しかったんですが! 慣れてても骨が折れるのは多少なりとも痛いんですよ!!」
マイが少し怒りを現わしながら三雄に食って掛かる。
怒るのも当然だろう。助けがあれば骨を折られることも無く、紗雪を危険な目に合わせずに済んだかもしれないからだ。
「イレギュラーばかりだったが、あの程度のモンスター四体ならベテランの君達で対処可能だろう? 伺見衆は極秘部隊、外部に知られるわけにはいかん。
それに、現場に突然現れたあの女性が民間人だと、二人も思っていないだろう? あれは、君達も薄々察しているだろうが言うならば"敵側の尖兵"だよ」
その一言で紗雪とマイが見合い互いに頷き合う。
紗雪とマイ、ついでに医師である律も、数多の修羅場を切り抜けてきた勇士。
紗雪の探知を一般人がすり抜けるなど、到底出来るはずが無い。
それでも、どこかの勇士の可能性も僅かに合ったから紗雪は庇っただけで、十中八九
「伺見衆には前から調べさせてたが、どうやら我々は一杯食わされたようだ。迷宮三十層の敵大戦力は囮。組織の戦力の全てを迷宮内に集中させることでこちらの地表戦力を減らし、少数精鋭で本部へ強襲。紗雪くんを奪還する腹積もりなんだろう」
「奪還? 囮と言っても敵幹部達は今も迷宮で姿を確認してるのなら無理なんじゃ……?」
「つい少し前の報告があったんだ。七十層で敵主力の幹部陣全員と遭遇した春人君達が奇襲を仕掛けた結果、攻撃を受けた側から目の前で”硝子のように割れて砕けた”らしい」
"硝子のように砕ける"
その言葉はマイにとっては真新しい、痛い経験を思い出させ、微かに表情を歪ませる。
「それって、あの『ガレアード』の時と同じ……?」
「そうだ。あれは恐らく幹部の誰かの能力だろう、確証は無いが状況から見て間違いはなさそうだ。これまで確認出来ていた敵主力全員が偽物だったのならば本物が今どこにいるのか、君達にも分かるね?」
鷹揚に頷く三雄だがその瞳は剣呑そのもの。
迫る危険を察して裏社会で恐れられる"煙鬼"が顔を覗かせ、
「……地表」
「そうだ。――紗雪くん、映像を」
「うん」
少し前、データサーバーに保管された最新の映像を紗雪が空中へ転写する。
映像には、画面の中だけでも数千人はいる敵組織員と月光蝶の隊員達の激しい戦闘が映し出されていた。
敵戦力凡そ二千、どれも反勇士ばかりで連中は引き付ける為なら爆発物が敵味方諸共吹き飛ばし、危険薬物に興奮させられたモンスターが入り乱れるなんでもござれの大乱戦。
制圧にはかなり時間を強いられるだろう、と三雄は説明を続けた。
「迷宮は今の戦力でいずれ制圧できるだろうが、
月光蝶は現在、地表戦力が著しく欠けている。
紗雪の護衛も揃っておらず、クランハウスにいるのは戦闘力皆無の事務員と僅かに残った留守番係の最低限の勇士。
紗雪どころかクランハウスを護りきれない可能性もあるだろう。
敵の精鋭達を相手にするには明らかに戦力に不安が残る。
特に敵の幹部の五人は頭抜けて強力な反勇士であることは考えなくとも分かる事実。
多少の不利益を被っても他クラン(ライバル達)に助力を求めたい所だが、幸か不幸か、親交のある他のクランは全て迷宮探索に人員を使い果たしている状況であった。
だが、三雄には秘策があった。
一つだけ使える、いや、使えるように”彼女”が手配してくれた唯一の手段。
逼迫した状況を理解し、沈黙する三人を前に三雄は懐から封筒を二つ取り出し、両方を紗雪に手渡す。
「……おじさん、これは……?」
手渡された封筒のうち、片方は見慣れた三雄の字が書かれたもの。
だが、もう一つの封筒に記された字は三雄や秘書の瞳のものでも無い見慣れないものだった。
「僕もあまりこの手段を取りたくなかったんだがね……"友人"の伝手を借りる。ゆきちゃん、そこに書かれた住所にいる傭兵さんに力を借りなさい」
「……友人? というか、傭兵
「うん、滞在組の前では言えないが、今うちにいる勇士の練度では今回の相手は悪過ぎる。何十人いても全滅させるのがオチだからね」
"友人"。
付き合いの長い紗雪をもってしても誰かは分からないが、少なからず三雄の少し苦しそうな表情からして余程信用している相手なのだろうことが予想できた。
そして同じく無関係な誰かを戦いに巻き込むことへの忌避感が彼を苦しめていることも同様に、紗雪には手に取るように伝わって来ていた。
闘いに明け暮れる勇士達よりも頼りになる
勇士としての活動歴の長い三人も、そんな話は聞いた事が無くそれぞれが思案する。
"傭兵なんて職に就く連中はどうしようもない奴等ばかり"。
能無し意地無しの腰抜けが夢を諦めきれずにいつか強い能力が目覚めることを願って自分より強い勇士に寄生することを選んだ勇士かぶれ。
それが"傭兵"に対する世間の評価であり、彼女等が見て来た者達だ。
無論、全員が全員……という訳では無い。中にはすぐにでも勇士としてクランに所属出来るであろう人材もいるにはいる……が、それは極極極々稀な話だ。
三人が揃って首を傾げ、マイがそのまま疑問を口にする。
「優しく言って、才能の無い他力本願な勇士志望者の選ぶ職業が傭兵ってイメージですが、その人は勇士数十人より価値がある、と?」
「そうだね……恐ろしく強い、とだけ答えておこう。彼はとにかくクランというものが大嫌いらしくてね……私達のような
一度話を区切り、三雄が紗雪に手渡した二つの封筒へ指を差す。
「その封筒は彼に対する私の願書と友人の口利き、さらに瞳くんが今行っている事前交渉、それでも断られそうだから二人にも直接会ってきてほしいんだ」
「副マスター、その傭兵のことはちゃんと教えてもらえないんですか?」
「すまないが僕も交友を絶たれていてね……。未だ君達二人が外に出ても大丈夫だろうが、このままでは雪ちゃんが確実に敵の手に落ちるかもしれない……。伺見衆全員を護衛に出すから明日にでも彼の元へ向かって欲しい」
「はぁ……」
不満があるのかなんとも気の無い返事をするマイだが、一方で紗雪は三雄が太鼓判を押す相手なだけにむしろ期待しているのか無言でこくりと頷いた。
「あ、彼がいるなら好きに外に出ていいし、自由行動も許可するよ二人共」
付け加えられた三雄の言葉に二人は椅子から立ち上がり姿勢を正す。
その瞳はキラキラと楽しみに輝いて見え、謹慎期間の中では初めて見せる晴れやかな表情を隠すことなく見せる。
現金な二人の様子に込み上げそうになった笑いを我慢した三雄がぴしりと背筋を伸ばし、正式な命令を下す。
「鐵紗雪、マイヤーナ・ディンギル。両名に任務を与える! 明日早朝より、記された場所へ向かい、傭兵事務所「オズ」の主、"大畔ナキ"殿への協力を取り付けろ! これは都市の秩序を揺るがす最重要任務である!」
「「――はい!!」」
胸を張って返事を返した紗雪とマイは足早に医務室から出て行く。
二人を見送った律と三雄もすぐさま行動を始めるのだった。
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