第5話 仁義無き交渉――姪っ子に甘いおじさんとおじさんに強い姪っ子

「そう、言われてもねぇ雪ちゃん……」


 紗雪の義父、日野将志と志を同じくとし、月光蝶を創設した一人――月光蝶副マスター大船三雄。

 彼は今、窮地に追いやられていた。

 冷や汗を垂らし、年々薄くなっていく頭頂部を古傷だらけの右手で困ったように撫でる。


 前線から身を引いて数年。

 当時はそのガタイの良さに加え、鍛えに鍛え上げた肉体と戦闘技術で常に最前線で戦い続けた益荒男――「煙鬼えんき」と呼ばれ裏社会で恐れられた男も平時では見る影もなく、高価な黒革の椅子の上で年々肥えていく腹を揺らしながら固まった笑顔を向ける……顔だけ見れば只々恰幅の良い優しそうなおじさんだが、太く引き締まった腕や肌に残る大小様々の無数の傷痕がこの男が歩んできた人生を物語っていた。 


 三雄の前には副マスター室の大きなデスクを挟んで紗雪とマイが、主に紗雪が身を乗り出して相手の服を片手でぎゅっと掴み三雄を詰めていた。場所と時間帯が違えば気弱な親父狩りにすら見えそうな光景だが、詰められている男が月光蝶において最も偉い人物の一人なのはこの二人は当然知っている。


 普段の三雄は柔和で人の良さを表す笑顔を常に向け、年寄り子供を大事にし、月光蝶に入りたての新人達が組織に馴染める様にと率先して食事に誘う等、人同士の輪を大事にする優しい男だ。

 現に、三雄を知るメンバーの多くは彼を心から敬い、その地位にも関わらず気さくに話しかけられ、冗談を言い合える程に慕われている。

 しかし、作戦中や緊急時はその柔和な笑顔は鳴りを潜め、的確な指示と厳格な態度で接し、場合によってはクランメンバーの誰よりも前に立って己の武威を示すその姿に憧憬と尊敬を集める男なのだが、幼い頃からよく知る目の前の小さな女性姪っ子にはどうにも甘くし過ぎてしまうきらいがあった。

 

 盟友、日野将志の義娘である彼女のことは幼い頃から言い出したら止まらず、父親譲りの頑固さを持っている事は承知の上で。

 加えて、三雄の優しい気質もあって子供の頃からずっと可愛がっていた姪っ子のような彼女には頭が上がらないのだ。


 「……おじさん、この事件は大きな転機。最大の懸念だったカストロが掃討作戦中に謎の死を遂げた今、相手も混乱しているはず。今、相手が取り乱しているこのタイミングこそ私が出るチャンス! 他の隊員達じゃ調査が止まってるみたいだけど、私なら他の人じゃ見つけられない痕跡を辿れる! この件の犯人は必ずアンスロー側にも追われることになる。つまり、犯人を追えば隠れている敵幹部を表に出てこざる得ない」


 キラキラ、いやギラギラと目を輝かせながら普段の口数の少なさはどこへ行ったのか、絶え間なく喋りさらに詰め寄る紗雪。


 「い、一応仕事中は副マスターと――」

 「おじさん、今は交渉中。話の脱線は良くない」


 さっさと許可を出せ。話を変えようとしてもはぐらかされんぞ――暗にそう語る目力強々紗雪にたじたじになる中年親父。

 さらに間を詰めて圧を掛けようとする紗雪だったがその時、三雄と紗雪の間に一人の女性が割り込む。


 「そこまでです紗雪さん。 いくら貴方でも三雄さんにこれ以上近づ――困らせるのは許しません! 三雄さんを困らせていいのは私だけ! です!!」

 「むっ……!」


 割り込み、台詞の一部を強調し紗雪を押し離した女性は副マスター専属女性秘書の甘音あまねひとみ


 黒髪を後ろで一つに纏め、すっきりとした清潔感を感じさせるスーツ姿。

 目は切れ長で色気をこれでもかと内包した蠱惑的な赤い瞳が特徴だが、右目下にある泣き黒子がさらに色気を醸し出している。胸も尻も大きいがくびれはくっきりでスタイル抜群、ピッチリとしたスーツを着ているせいでエロが可視化されそうなほどの色っぽさを感じる大人の女性。

 副マスター専属秘書の瞳だが、彼女は人族では無い。

 側頭部辺りから曲がった羊のような角が生えた上に、スーツの下に隠しているが蝙蝠のような羽に、先がハートの形をした尻尾が生えているまさに淫魔(サキュバス)としか形容できない姿で色香を巻く月光蝶きっての美しい魔族である。。


 「……別におじさんを困らせる気は無い。ただ正式に任務として任せてくれればそれでいい話!」

 「三雄さんの立場を理解するべきです! 貴方の重要性を、マスターの義娘でもあり幼少の頃から知る紗雪さんが狙われているとなれば過保護になるのも仕方が無いのです! 三雄さんは愛情深く、慈悲深い殿方なんですから!」


 紗雪の圧に負けじと、三雄の盾となり守護る城壁となった瞳は真っ向から紗雪に対峙する。


 「……あ、あの……だから、副マスターと……」


 段々か細くなっていく三雄を他所にデッドヒートしていく紗雪と瞳の口論。

 しょぼくれる三雄の肩を、同じく完全に空気と化しているマイがぽんぽんと叩き、マイ君……っ!と感涙した三雄がお互いの傷を慰めあう。

 

 「ぐぅ……判った……」


 これまで、身体を押し付け合う勢いで激しい口論を続けていた紗雪と瞳だったが突然、紗雪は一歩身を引く。

 紗雪の表情はまるで、戦争の激戦区に居たかのような焦燥と深いダメージに襲われていた。

 

 片や、桃色スケベオーラが見えそうな大人ボディ。

 片や、童顔幼児イカ腹コンプレックス体型。

 

 変異する前は発育の良い綺麗な大人の女性へと成長していったはずの紗雪の身体は今や見る影も無い……容姿だけなら変異前より良い物だが、相手に与える印象と自身が俯いた時に見える肉の無い身体付きしっかりと彼女のコンプレックスになった。


 自分が成るはずだった理想の身体を散々目の前で叩き付けられた紗雪の精神へのダメージは相当のものだった。

 瞳と紗雪の年齢は同い年の二十一歳。

 しかし、その差は歴然。

 その現実が、紗雪をより強く現在進行形で打ちのめしている。


 現に、産まれたての小鹿の様に身体がプルプルと震え、何発もクリティカルヒットを喰らった剣闘士のように今にも倒れてしまいそうだった。


 目にうっすらと涙すら浮かべ、マイといい瞳といい自分を見下す肉共が……ッ! と内心毒を吐くボロボロの紗雪を優越感と勝利の余韻に浸りながら見下ろす瞳。

 二人の背景に巨大な蛇とオタマジャクシが睨み合っている幻視が三雄とマイの目に映る。


 敗色濃厚、というより既に打ちのめされノックアウトされたはずの紗雪だったがふと、ふっふっふ……と怪しげに笑いながら瞳を見上げる。


 「――?」


 まだ死んでいない、むしろ活力すらも沸いている紗雪を見て警戒を強くする瞳。


 「……瞳さんは、相手が悪かった」


 そう、紗雪には秘策があったのだ。

 他の隊員では、どうしようもないだろう――それは恐らく今の時期、そして紗雪にだけ使える活路。


 「……何をする気ですか?」


 警戒する瞳と怪訝な顔をする二人を目にやりながら、必勝の笑いを三雄に向ける紗雪。


 簡単な話だった。

 自分の敵は初めから一人。


 それは三雄のような小物では無い。

 彼女さえ手に入れれば勝利は必定――故に、こうして自身の行動を縛る事態に陥った時の為の手段を常に用意してあるのだから。


 「……瞳さん。貴方からもおじさんを説得して欲しい。私と瞳さんが言えば、雑魚おじさんはどうとでもなる」


 自分の倍以上年上の、幼少の頃からお世話になっている偉い上官を見下す発言をする紗雪。

 もちろん本心から言ってる訳も無く、ただの戯れだ。

 本当は義父の将志と同じく心の中で強く尊敬しているがそれは幼少の頃から特に遊んで貰っていた親しい身。

 その態度は、むしろ仲の良さから来るものだった。


 だからこそ、三雄は怒るどころか子供の頃から変わらない姪っ娘の様子に和んですらいたのだが、瞳からすればそんなことは関係なかった。

 むしろ、三雄を愛して止まない瞳だからこそ怒りとそれ以上の嫉妬に身を震わせた。


 「ほぉ……私の前で三雄さんを見下すなんていい度胸です……表に出なさい! 私直々にその貧相な身体に判らせてやります!!」


 動向ガン開きブチギレ顔を曝し紗雪の胸倉を掴み上げる瞳。

 魔族特有の縦長の瞳孔が広がった表情はまさに美人は起こると怖い、という言葉通りのものだろう。


 ヒィッと怯える三雄とマイ。


 しかし、貧相発言心無い言葉に再び涙目になりながらも紗雪は不適に笑い、懐に手を入れある物を取り出した。


「?? ――――ッ!!?? こッ! これは!?」


 勢い良く取り出された紗雪秘策のブツ

 紗雪が懐から取り出した"二枚の紙切れ"を目にした瞳はこれでもかと驚愕に顔を染める。


 紗雪が取り出した二枚の金の紙切れ……それは超有名なデートスポットであるとある特大娯楽施設の限定招待券だった。

 都市内に建設された娯楽施設はこの世界には存在しない技術・・・・・・・・・・・・・をふんだんにあしらわれた施設は、その日限定の大きなパレードに特別なイルミネーションが夜闇を照らし、超高級スイートルームで二泊三日を過ごせる代物。

 年に一度、十枚しかチケットは世に出ず、当日は幸運の女神に祝福された五組のカップルのみが広大な娯楽施設を貸切にできるまさに恋人カップル専用のとんでもチケット。


 「なぁ――ッ!!? なぜそれを紗雪さんが!?」


 本来のチケット入手方法は、抽選切手を集め応募するという極めて公平で一般的な抽選方法だが、確率が確立だ。

 瞳が何百枚も抽選切手を集めてなお、手に入らなかったアイテム。

 ブラックマーケットにすら足を運んでも手に入れる事の叶わなかった喉から手が出る至高の品だった。


 「……私に恩義を感じてくれている要人は多い。あの施設の建築に大きく関わる私へのオーナーの恩義は特に。だから、たまにこうしてチケットなんかを無償で優遇してくれる。これは特別に刷られた番外チケットの二枚……ふふふ、今年も抽選の倍率は凄かったらしいね瞳さん――」

 「――――――っ!!」

 「……このチケットは半年後の聖徒祝誕日の特別チケット。恋人が過ごす日にあの施設で二人きり……何も起こらないはずが無い」


 紗雪はふふんと勝ち誇り、背伸びをしながら瞳の顔の前でチケットをヒラヒラと舞わせる。

 先程の強い瞳はどこに行ったのか。

 あっ…あっ…と細い声と共に幽鬼のような様相でヒラヒラと目の前で揺れるチケットと共に顔が揺れ動いている。


 紗雪――否、月光蝶のクランメンバー全員が知っている事実。

 それは――。


 副マスター専属秘書、甘音 瞳は自分の倍以上の年齢の大船三雄をどうしようもなく、愛しているということだった。

 この事実を知っていたからこそ、紗雪は勝てるという自信が常にあったのだ。


 甘音瞳と大船三雄の出会いは、瞳がまだ十四の頃に話が遡る。

 悪質な強姦魔で反勇士でもあった獣人族の犯罪者に性的暴行を受けそうになっていた所を、当時現役だった三雄が助けたことがきっかけで彼女の初恋(狩り)は始まった。

 身体能力で劣る人族でありながら、迷宮産の身体強化鎧――パワードアーマーを着た三雄は犯罪者を圧倒した後、瞳を抱えて安心させる様に笑顔を向け不安に怯えるその涙をハンカチで拭い取った。

 一目見た時から三雄に引き付けられていた瞳は、三雄の雄姿とその笑顔、何よりも怖い体験をした被害者を少しでも安心させようする気遣いと優しさを間近で触れたことで完全に惚れ込んでしまったのだ。

 

 事件後、本人に強請ねだって貰った名刺を元に三雄のことを調べ隣に立てるように、相応しい女になるべく自分を磨き続けた。

 そして有名な学区卒業と同時に三雄の元へ直接赴き、自分の有能性を示した瞳は月光蝶の事務員になり、僅か二年足らずで副マスター専属秘書の地位まで上り詰めたスーパーキャリアウーマン――それが甘音瞳だった。


 瞳にとって大船三雄は全てだ。


 事務員時代に瞳から告白を受けた三雄だったが、年の差と自身の容姿、何より彼女を心配して告白を断ったのだが――そんなもの知らぬ存ぜぬと三雄の築いた壁をブチ破り、着実に外堀を埋められ始めて早数年。

 現在でも必死(文字通り)に拒絶する三雄を舌舐めずりでじわじわと追い詰めていた瞳だったが、後一歩が足りない……決定打不足で続く膠着を粉砕するために探し求めていたある日、見つけた決死の一撃決め手が今、目の前にある。


 瞳がゴクリ……ッ! と唾を飲み込み、チケットに手をふらふらと伸ばす。


 しかし、チケットに指が掛かりそうになったその時、紗雪がチケットをふいと背中に隠してしまう。


 「――――ッ!!!!」


 崩れて、大粒の涙を浮かべて腰へ縋る抱きつく瞳を紗雪は安心させる様に笑う。

 その姿は先程のボロ雑巾とは打って変わり、母性すら感じさせ全てを包み込むような包容力のある美しい微笑みだった。


 「安心して瞳さん。おじさんはいい男……それは私も認めるし、おじさんに相応しいお嫁さんは瞳さんしか居ない」

 「……お嫁さん……私しか……」


 唖然と、それでいて噛み締めるように言葉を反芻した瞳の前にさらに懐から取り出した写真を見せ付ける。


 「――ああっ……そんな、ずるいです。紗雪さん」


 決定打の後、さらに致命の一撃。


 自身の容姿にあまり自身の無い三雄は写真を撮られることを嫌う男だった。

 瞳に取っては全てが魅力的な三雄だが、彼に取って己は欠点ばかりの醜男だというネガティブな印象がへばりついてしまっているのだ。

 これまで何度も瞳は写真を撮ろうとしたが、三雄はそれだけは頑なに拒否し続けていた。


 そんな彼でも、幼く可愛がっていた姪っ子には好きにさせていたのだろう。

 写真の中の三雄は今より若々しく、あどけない表情で眠りこける三雄、風呂上りに腰にタオルを巻いてフルーツ牛乳を呷る三雄、こちらは割と新しい物であろう、晴天の中縁側に座って隣の島国ぼこく由来の緑茶を両手で掴みこちらを見て笑う三雄がそこに居た。

 これまで職場内の三雄を盗撮することで、自身の欲を満たしていた瞳にとってそれはまさに至宝の品々だった。


 「瞳さん……このチケットと写真は差し上げてもいい。ただし! 交換条件は分かる、よね?」


 ニチャア……と、勝利を確信した女性がしてはいけないレベルの下卑た笑いを向ける紗雪。


 ゆらり……と立ち上がった瞳の後姿を見て、三雄は強烈な悪寒に襲われビクリッと身体を大きく揺らす。

 こんな悪寒を感じたのは敵対精鋭反勇士の集団に一人で囲まれたとき以来か……。


 マイは紗雪がチケットを取り出した時点で「君子、迷宮には挑まず……」と呟き、助けを求める哀れな子羊ちゅうねんを無視して部屋の隅に離れ、茶を啜りながら副マスター室に置いてあった菓子を頬張る。


 ゆらりと三雄に振り向いた瞳……その顔は俯いて見えないが、その手には大層大事にチケットと複数枚の写真が握られていた。


 (あぁ……雪ちゃんのせいでまた詰められる……)


 そもそも紗雪を止めるのなら部屋自体に入れてはいけなかったんだ……と確信と後悔を胸に刻まれた三雄はジリジリと圧を出しながら詰め寄る二人に最後の抵抗を試みるのだった。




―――――――――――――――――――――――――――


 なお、十分後には無血開城した模様。

 三雄のイメージは体格の良い丸顔のおじさんです。

 イケメンではありません。人の良さそうな、見たらあ、この人絶対優しい人だって分かる顔してます。

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