第4話 月光蝶

 迷宮城塞都市「べーラトール」。

 大陸の最東端にある超々巨大な城塞都市。

 どの国の自治体にも所属しておらず広大な平原の中に一つ、ぽつんと作られた都市国家であるべーラトールは世界で最も"迷宮事業"が盛んな都市だ。

 都市内部に千年以上探索を続けてなお、底が見えない大迷宮「虚の枝ギンヌンガガプ」を抱えており、「虚の枝」から得られる物資の質、量が世界各地に存在するどの迷宮の物を遥かに凌駕していることから成り上がりの夢を見る者達がこぞって集まる誘蛾灯のような国。

 総人口の六割が迷宮事業の要となる迷宮探索職「勇士」に就いているこの都市には善悪問わずに強者が多く、海を、山を、空を超えてあらゆる種族と武器と金と犯罪が集まり、日夜生存競争が行われたことから「蟲毒の都市」――と揶揄されていたのは少し前までのこと。


 勇士同士が同業者を集め結成される勇士達の組合――クラン。

 べーラトールに数多とあるクランの中で、とある新進気鋭クランがこの都市の女王「霊王」と協力を結び、都市に根付いた犯罪組織を潰して回ったことで無法であった「蟲毒の都市」は終わりを告げた。


 その新進気鋭のクランの名は「月光蝶ルゥナ・シー」。

 数あるクランの中で最も影響力が強く、「虚の枝」の深度百層より下層へ行ける勇士『最高到達深度保持者ホルダー』を有する都市内トップの戦力と称される「六大クラン」に、設立から僅か数年で数えられるようになった今一番の注目株だ。

 広大な敷地を持ち、その中心に建つ木造のクランハウスと周りを防壁で囲われた迷宮探索と反勇士を捕える事で街の秩序構築に大きく貢献する市民に愛されたトップクランと名高い組合。


 そんな月光蝶の主となる建物――クランハウス内の廊下を薄い水色の髪をサイドテールにした一見、子供程に小さく、相応の幼い顔立ちの少女が怒気を隠す素振りも見せずに早足で歩く。


 一歩一歩足を進めるごとに纏めた髪が尾のように揺れ動き、薄紫色と水色の左右の非対称の瞳に、あどけなさを感じさせつつも凛とした目付きだが、無感情だと思わせる瞳がどこまでも冷めた印象を感じさせる。

 しかし、彼女をよく知る人物達ならば一目でその瞳で燃え上がる感情を察することができるだろう。



 十代そこらにしか見えない少女がクランハウスの中を一人歩いているが、ここは月光蝶所属のクランメンバー以外は立ち入ることはできない場所である。

 つまり、この場所にいる時点で当然普通の少女ではない。


 衣服から覗く人肌には、機械のようなものが所々に伺え、その機械部分から淡い燐光が明滅する。

 その姿見からは最も非力な種族と言われる「人族」の子供にしか見えない彼女はこう見えてもモンスターを打ち倒し、迷宮を探索する者――勇士だ。


 さらに言えば、彼女はそんじょそこらの並みの勇士では無い。

 "並み"というのも、勇士にはその実力を内外に示す指標として階級が存在する。

 予め規定されている迷宮資源を持ち帰り、階層に存在する強力なモンスター「門番フロアキーパー」を倒すことで勇士は階級が昇格していく。

 階級は下から「最下級勇士」、「下級勇士」、「中級勇士」、「上級勇士」、「最上級勇士」の五段階に振り分けられる。

 中でも彼女は、下層へ行けば行くほどモンスターが強くなる迷宮で、都市内でも殆ど辿り着いた者の居ない百階層、さらにそれ以降へ到達し「門番」を討伐してその実力を都市に認められた勇士の中でも"最強"と評価された者だけがなれる勇士のトップ、"最上級勇士"だ。


 月光蝶クランでも三人しかいない最上級勇士の一人。

 そんな彼女と廊下ですれ違う兎の耳と尻尾を生やした"獣人族"の集団が慌てて道を譲り、その小さな後ろ姿を見送る。


 彼女を"人族"と呼んだように、この世界には多種多様な種族が存在する。


 身体能力は他種族よりも劣り他種族が持つ生まれながらの固有能力を持たないが、他種族より能力が目覚め易く平均保有数が最も多い「人族」

 身体能力に優れ、種族固有能力――「血統能力ブラッドアーツ」を生まれながらに持つ身体に獣の特徴を宿した「獣人族」

 長く尖った耳と寿命を持ち、体内に特殊なエネルギー生命体――妖精を宿す「精人アルヴ族」

 古来より彼らが「主上」と呼ぶ存在に仕える宝物の護り手、背から光の翼を生やした「使族しぞく

 体外に核を持ち、核を破壊されなければ死なず、誓いを決して破らない「魔族まぞく

 母なる海より産まれ、その愛くるしい外見から他種族からとにかく愛される「海種族かいしゅぞく

 「宇内の始原獣エルダー」の漏れ出た力が肉の身体を得たと言われ、異世界から来た人族に種族名を名付けられた「神族しんぞく

 そして、圧倒的最強種族として挙げられる規格外の種族――天の覇者「龍族」と地の覇者「巨人族」。


 べーラトールで生きるおもだった種族の持つ特徴のどれにも該当しない彼女の機械が混じったような体は、手に入れた力の影響で元の体から著しく変化してしまった故の、歴とした人族であり、見た目では想像が付かない程の戦闘力をその身に有しているのだ。


 彼女は今、幼い容姿にそぐわない紺色をベースに特殊な繊維で作られた無骨な軍服に似たクランメンバー専用の戦闘服を着用している。

 悲しいかな、人形のような可憐さを持っている為に着こなすというより着られている感が否めない――実は”成人済み”の立派な女性――てつ紗雪さゆきは迷宮探索部隊からも、治安維持部隊からも外され、自宅に戻されることも許されず、数日前よりクランハウスからの外出禁止令を命じられていた。


 命じられた理由は彼女がミスを犯した等ということでは無く、あくまで一時的な緊急処置だ。


 何せここべーラトールは「山がいくつも吹き飛んだ後、その上に造られた」と伝えられているだけあってとにかく広い。

 見渡す限り街並みが広がり、それ程までに広い都市内の秩序を構築する為には、月光蝶に所属する勇士は必要に応じて街中にいくつも設営された駐屯地の何処かに配置し、定期的に人員を異動させ続ける必要がある。

 そして、異動の回数は勇士としての戦闘力の高さに比例して増える。


 戦闘力の高さとは、詰まる所、強力な"能力"の有無。


 能力は本人の資質に沿ったものが目覚めることから個人差が激しく、兎に角当たり外れが激しい。

 同じ火を操る能力でも、マッチ程度のものから辺りを火の海に変える力まで様々だ。

 それだけに数多の勇士、数多の能力の中でも、"強力"な能力を持った勇士はそれだけでも一騎当千。

 一人で同じ存在である勇士を複数相手にする事も容易とし、蹂躙することも容易い。


 この街にはそんな力を、悪意を持って振るう犯罪者が特に多い。

 だからこそ、強力な勇士を街内にある各拠点に配置、異動を繰り返して治安の維持を保っているのだ。


 紗雪はクラン内でもトップクラスの戦闘力を持ちながら、有した力が原因でべーラトール……それどころか世界各国から超重要な要人として丁重に扱われている。

 だが、それだけ有用な存在が”敵”の手にあることを裏社会のならず者達は当然、許容しない。

 紗雪の生きた身柄一つで小国の国家予算レベルの懸賞金が掛けられ、常にその身を狙われている事情が彼女にはあった。


 さらに現在。

 月光蝶は戦力を集め、「虚の枝」内部で活動しているとある犯罪組織を対象とした大規模掃討作戦の最中だったが、クランメンバーに行方不明者が多数現れた事から

 作戦への参加を希望する彼女を育ての親にして月光蝶トップにして創設者の一人――クランマスターの日野ひの将志まさしが希望を跳ね除け、クランハウスからの外出の一切が禁止令が出された。



 紗雪は正義感の強い義父の背中を見て育ってきた。

 幼い頃から義父や周りに居た大人達の影響を強く受け、同じく強い正義感を持った紗雪は自身の力を人の役に立てる為に月光蝶に所属している。

 そんな紗雪の強い希望で普段は一般勇士と同様の扱いにしてもらい、彼女専属の護衛付きだが任務に駆り出され迷宮探索にも参加しているが、彼女に明確な危機が迫っているとなれば話は別だ。


 紗雪がもし裏社会の手に渡れば人類に及ぼす影響は計り知れないことを知る本部長義父を含めた月光蝶のトップ達の決定を覆すことは叶わず、護衛の一人と共に今に至る。


 今、紗雪の隣を歩いている女性、マイヤーナ・ディンギルはプライベートから任務中まで、常に紗雪の側に付いている護衛の一人だ。

 茶色の髪を肩口で切り揃えたスポーティな髪型、戦闘服の下には脚を除く全身が薄く身体に沿った装甲に覆われており、脚は全身を覆うものに比べて厚めの装甲がついているが、それでもなおしなやかさと流麗な曲線が美しさを感じさせる月光蝶で最速を誇る人族の勇士である。


 紗雪の親友件護衛でもあるマイヤーナこと、マイは普段は爛々と輝き強い活力を感じさせる茶色の瞳を今は困り顔で歪ませている。


 「…………………………」

 「紗雪はまだ怒ってるの? もう一週間経つんだしそろそろ……」

 「一週間も缶詰にされて、挙げ句に書類仕事すらさせてなければ不機嫌にもなる……」

 「……まあ、ねぇ……」 


 怒りが一向に冷めない紗雪だが、マイとしてもここ一週間の自分達の扱いに怒りがつのるのも理解できなくもない。

 が、それはそれとしてはクランの判断は正しいと認識していた。


 無論、紗雪自身も理解はしているのだろう。

 しかし、どうしても不平不満が治まらないようで、つい先程も副マスターに抗議という名の難癖を付けに行ったばかり。

 散々喚いた紗雪はマイを連れて副マスター室を後にし、気分転換の為に地下の食堂に向かっている最中だった。


(何か仕事を任せようものなら「役だったんだから仕事させろ」とか言い出すと思われてるんでしょうね……実際言い出すだろうけど」


 話しながら食堂に着いた二人は注目を集めるも、周囲の視線を受け流し昼食を食べながら話を続ける。

 クラン内でも名の知れた美女二人には常に周囲の視線が集まるが彼女達は慣れたもので気にも留めない。

 

 月光蝶に所属している者達でマイはともかく、紗雪の事を知らないメンバーは入隊直後でなおかつ田舎から来た新人以外ではいないだろう。

 それは、月光蝶の新人研修で紗雪がどういう存在かを教えられるからだが、有名税とでも言うのだろうか。

 周囲の視線に晒され続けて来た紗雪、そして紗雪の傍に何年もいるマイは見られることも噂されることに気にも止めなくなっていた。

 

 「はぁ……多少人員を残してるんだし、任務に出ても大丈夫だと思うんだけど……」

 「任務も見回りも駄目、クランハウスから出るな、地下から出るな窓辺には近づくなの一辺倒。マスター達の気持ちもわかるからアタシもそれには大賛成だけど……ん-! ストレスは溜まるわねー!」

 「マイはどっちの味方? 私が何のために勇士になったのか、お父さん達も知ってるはずなんだけど」

 

 紗雪は五年前の十七歳の頃から月光蝶に所属している。

 幼少の頃、紗雪がべーラトールの近海にある島国に住んでいた頃、財産を狙う悪質な反勇士の手で家族はその犠牲になり、その場に居た紗雪へ犯罪者の手が届きかけたその時、後の養父となる、当時は勇士であった日野将志に命を助けられた過去を持つ。


 身寄りを無くした紗雪は将志に預けられ育てられた。

 初めは目の前で家族を失った喪失感で呆然自失になっていた紗雪だったが将志と共に過ごし、愛情を込めて接する将志を次第に本当の父親の様に想い、懸命に反勇士やモンスターと戦ってきた義父の背中見て育った紗雪が勇士になるのは当人からすれば当然の選択だった。


 誤算だったのは、当時十七歳ながら発育が良く、容姿共に大人びた美しさを持ち始めていた紗雪だったが力を得てから一転、今の幼い姿に身体が変異してしまったことだ。

 待望の勇士デビューとその日の内に授けられた力が原因で身体が変異した紗雪は、密かに自信を持っていた豊満ボディを失い、風呂場で自身の身体に嘆きながらも力を有用に使う為、義父の恩に報いる為、何より自分と同じ目に会う人を減らす為に月光蝶に加入した。


 そして、自分の身体に絶望する反面、勇士になり自分が有した力を知った紗雪は歓喜した。


 『これなら、義父の様に誰かの力に……希望になれる。いや、それどころかこれは人類の希望になる――。』


 と彼女が期待通り、紗雪の手に入れた力は義父月光蝶の、世界の希望になった。

 彼女が力を手に入れて僅か数年、たったの数年で世界で最も劣悪な治安の犯罪都市を秩序ある治安の良い都市へと作り替えたのだ。

 この都市で"秩序"を築き上げた月光蝶は、紗雪の生み出した制作物アイテムの恩恵の御蔭と言っても過言では無く、秩序が出来た後にべーラトールの誇る六代クランへと成長を遂げ、あらゆる国家が彼女の力の恩恵を受けた。


 そう、人類からすればまさに最高の幸運だった。

 反勇士絡みの犯罪の激減、迷宮からのモンスター襲撃の阻止及び人類生存権の拡大、一般人の防犯アイテムの普及と都市全体に監視のアイテムを配置等々――。

 正しく紗雪の変異が人類の転換期となった。


 だが、現状において紗雪の全てが脚光を浴び、称賛されるばかりでは無い。

 ある事件が原因で、脚光を浴びる人類の守護者から一転、最重要保護対象として扱われるようになってしまったのだ。

 方々から寄せられる称賛、期待、失望、疑念、好意、嫌悪、敵意、殺意――あらゆる感情が彼女へ向けられるようになった。

 そして今、待望の力を得たのにその力が原因で、最も忌み嫌う犯罪者との抗争に参戦も許されず、戦場から逃がされ軟禁状態にされている紗雪は不満を隠せないのだ。


 「……しょうがないわよ。紗雪は国防を担う勇士だもん。紗雪が反勇士共の手に渡れば、どれだけの血が流れるか……蟲毒の時代に巻き戻るのは、確実だから」


 紗雪の得た力は能力では無く、エルダー・ワンと呼ばれるこの星の全ての生物を産んだ超存在から授けられる深奥の力――"加護"。

 名は『深淵より記たる泉 ブラックボックス』。

 世界最高の頭脳を持った学者が集まっても、その一片すら理解が及ばない知識や明らかにこの世界には存在しない物質を本人も知らないどこかから得る力。

 そこから得た知識と未知の物資を元に紗雪が作った超技術の兵器やアイテムを月光蝶やこの都市、ベーラトールと親交のある他国に提供する事で、今の平和な治安が産まれている。


 そんな力がもし、悪意ある者達の元に渡ってしまえばこの世はタダでは済まない。だからこそ月光蝶は紗雪の安全を第一に優先し、紗雪本人も渋々ながら大人しく従っているのだ。


 唯、理解はしていても、何もさせて貰えない状況に不満をどうしても抱えてしまうのだろう。

 子供のようにむくれ続ける紗雪を見たマイは再び副マスターの元へまた文句を言い出しに行く前に、早朝情報部から受けた報告で自身が驚愕のあまりに齧っていたパンを落としてしまった話題を振る。


「そ、そういえば! 今朝の報告聞いた!?」

「……カストロのこと?」

「そう! あのカストロが殺されたなんて信じられない! 調査中の人に聞いたんだけど、死体と周囲の状況から見て、随分一方的だったみたいよ……。とんでもない化け物が近くに潜んでるんじゃないかって皆ビビリながら調査を進めてるらしいわ!」 


 マイと同じく今朝に受けた報告は紗雪からしてもカストロの件は到底信じ難いものだった。

 過去に一度、マイを含めた自身の護衛達と共にカストロの戦闘を収めた記録を見た際、その戦闘力は紗雪がこれまで見た勇士の中でも間違いなく頭一つ飛び抜けていたからだ。

 他を圧倒する身体能力で周囲を囲む勇士を弄び、実態を持った幻影が無数に現れ敵を切り裂き、竜巻を起こして人を巻き上げ、たった一人で選ばれた十人の精鋭の中の精鋭たる勇士達を相手に傷一つ負わずに皆殺しにした真正の怪物。

 最上級勇士ですらカストロの爪牙の前に犠牲になった恐怖の反勇士。


 カストロと真っ向から一対一タイマンで闘える勇士など、紗雪の周囲ではマイを含めた三人いる護衛の内一人のみ――それでも勝つ見込みは無いだろうと思っていたからこそ、報告を聞いた時は余計に驚いたものだ。


 「私も調査結果は見せてもらったけど……全身打撲に骨折、裂傷、体内に深く食い込んだ石片、潰された腕、そして――直接的な死因になった無理矢理引き千切られたであろう身体……月光蝶うち一番の怪力の春人でも、カストロの身体を千切るなんてできないでしょ……」


 怪力無双とも噂される、マイと同じ紗雪の護衛であり、紗雪が知るカストロと闘えそうな人材である最上級勇士屑馬鹿でもそんなことはできないだろう。


 「……そういえば、春人と湊くんはどうしているの?」


 今は紗雪から離れているマイと同じ護衛である二人の事が頭に浮かんだ紗雪が沸いた疑問を口にする。

 マイは紗雪と同性かつ仲が良いこと、掃討作戦に人員が少しでも集めたいが護衛を全員別行動させる訳にも行かない為に紗雪とクランハウスに残っているが他二人が今は何をしているのか紗雪は詳しく聞かされていなかった。


 「副マスターから聞いたけど、春人と湊君も掃討作戦で扱き使われているみたい」

 「ふ~ん……」


 掃討作戦と聞いて再びムッと顔に不満を顕にし、疑問自体も対して心配していないのか、気の無い返事を返した紗雪を面倒臭げに見たマイは話を戻す。


 「さっきの話だけど、街中を散々追い回した挙句、カストロが殺戮を犯した「魔女の薬研」の元拠点で殺害……街中の痕跡からわざと逃がし続けてたっぽくて復讐なんじゃないかって話らしいけど……それ以外の証拠が無さ過ぎてこれ以上は調査が難航するかもって話よ」

 「街中を移動していたなら監視カメラサードアイに映っていなかったの? 戦闘痕や足跡なんかは残ってるはず。足跡一つで色々分かるけど……」

 「現場状況からして戦闘は一方的。犯人の足跡が残っていたであろう所は念入りに周辺の石床ごと抉り取られていたみたい。 肝心の映像に関しては……うーん……」


 饒舌な様子から一点。

 困惑したように眉根を寄せ言葉を濁すマイに紗雪が首を傾ける。


 「なんか、よく分からないんだけど……見えなかったんだよねぇ……」

 「……見えない? サードアイでそんなこと起きるかな……?」


 市内に設置されているサードアイは、周囲の状況を映像として捉えることが出来る眼球の形をした水晶だ。

 月光蝶結成当時、犯罪の温床だったこの都市で「モールてめーらぶっころす」と善意悪意満々に紗雪が作った特別性のアイテム。紗雪曰く異世界の技術である"監視カメラ"をオマージュしたとのこと。

 到底、紗雪以外では再現不可能な技術の結晶――この星には無いらしい技術体系の超高性能カメラ。

 紗雪も太鼓判を押すサードアイは人混みの顔をクリアで瞬時に映し、顔の照合から所有物や骨格の透過、地面に残った対象の足跡を映し出し追跡し続ける他、防犯の為のあらゆる機能をつけたカメラに”映っていない”ではなく”見えない”とは――。

 

 頭に?を浮かべ困惑する紗雪だが、それは早朝に実際にカメラの映像を確認したマイも同じだった。

 マイも朝の事件を聞いてすぐ、検死を行った勇士や調査を行っている勇士に連絡を取り事件の詳細を聞き出した。

 しかし、カストロ殺害の容疑者の話になった時、調査中の勇士からは見えない、よくわからないという曖昧な返答ばかり。


 呆れたマイはその足で月光蝶のシステム管理室へ向かいその眼で映像を確認した。

 しかし、”ソレ”はマイでも確かに見えないものだった。


 「映像の中にポッカリと丸い穴が開いてるみたいに、真っ黒い何か高速で移動している映像が映ってるだけなの。ほんとに、正体どころか形すらわからなくて調査が全然進まないって……カメラを作った紗雪は何か気付くこととか無いかな?」

 「実際に映像を見てみないとなんとも……ちょっと待って」

 

 顎に手を添えて考えていた紗雪だが、添えていた右手の平を宙に向ける。

 すると、ヴゥンと重低音を立てて空中に半透明のスクリーンが映し出される。


 紗雪が創り、独自に管理するシステムは身じろぎ一つ起こさずに操作されて月光蝶の地下にある紗雪が作ったデータサーバーにアクセス。

 構築されている厳重なセキュリティは製作者権限マスターキーですり抜け保管するデータをそのまま抜き出し、目前に件のサードアイの映像を流し始める。

 次元漂流者異世界人の言う所のハッキング――と言うモノだろう。

 

 この行為を前にマイの眉間に皺が刻まれる。

 厳重なセキュリティとはいえ、構築した張本人が相手では障害にはならない他、月光蝶から正式にあらゆる情報へのアクセスを認証されているからこそ正規の手順を踏んだ組織のトップ達がアクセスを踏めば通常、"何も問題が無い"ものだ。

 問題は他勇士がいる食堂で堂々とハッキングでアクセスしていることだが……。


 周囲の勇士達はこれは不味いと露骨に目線をズラして紗雪達から逃げるように食堂を後にしていく。


 紗雪は認められているが、正式な手順を踏まずに月光蝶が管理する情報を知ってしまえば自分達は厳罰を免れないであろうことを悟り聞き耳を立てていた勇士達は、蜘蛛の子を散らしたように離れ、大勢の人が集まる食堂が二人だけが残る寂しい場末の食堂に早変わりしてしまった。

 

 「………………」


 周囲の状況を察して眉間を指で摘んだマイは後の説教を胸に刻み――紗雪の前に映った映像を覗き込む。

 

 そこには確かに恐怖に表情を歪めたカストロとそれを追い回す黒い大きな穴のようなものが映っていた。

 映像のソレはカストロを執拗に追いかけ回し、追従する。

 時折吹き飛ばされ血反吐を吐き釣り上げられて放り投げられるカストロはしっかり映っているのに――まるで穴から伸びる黒いモヤ――腕かもしれない部位も輪郭すら視認できなかった。

 どのカメラ、どの角度からも変わらずに見えないソレを確認した紗雪は整った眉を少し歪めた後、紗雪の周囲に同じ様な半透明の映像が空中にいくつも現れ一面びっしりと文字が映った映像がいくつも現れては消えを繰り返す。


 一言も発さずに解析を続ける紗雪を黙って見守っていたマイがちらりと時計を見る。

 既に紗雪がサードアイの映像を確認してから十分が経過していた。

 黙々と作業を行っていた紗雪が顔を天井に向け、小さく口から息を溢す。


 「……どう?」


マイが短く紗雪に問いかける。


 「……これは恐らくだけど、そもそもカメラに映っていない。だけど、確かに何かがいるんだと思う」


映っていない、しかし存在はしている――それを意味することはつまり、


 「姿が見えないもしくはそれに類似した能力ってこと?」

 

 紗雪の言葉を聞いたマイが脳内の言葉をそのまま口に出す。

 しかし、紗雪を自信は無さげだがそれでもしっかりと首を横に振る。


 「たぶん……違う。姿が見えないならカストロにも見えていないはず。だけど、カストロは確かにこれに反応して攻撃を避けようとしている箇所が何度か映っている」


 紗雪は自身の持った全能を映像の解析に向けていた。

 何度も何度も分析とシュミレートを行った紗雪はこれが能力によるものでは無いと直感混じりの、されどある程度の確証を持って回答を口にした。


 「紗雪のそれ……機械?って言うんだっけ、とかにのみ作用する能力の可能性もあるんじゃない? カストロも映像と同じように見えている可能性は?」


 根拠としては弱い紗雪の答えにマイが反論する。

 但し、この反論はマイからすれば疑惑を含んだものではなかった。

 なぜなら、マイの知る彼女が明確に答えたのだ……何か他に掴んだのだろうという期待を込めた返答だった。


 キラキラと輝く瞳でこちらを見るマイに親指を口角を上げて露骨なドヤ顔を披露する自身の顔へ向けた紗雪は手に入れた確証の映る映像をマイの目の前に出す。

 映像はカストロが顔面を掴まれているのだろうか――頭部の大半が黒いモヤで視認できないが空中にぶら下げられている場面で止められていた。

 

 「……?? 相変わらず見えてないけど?」

 

 訝しげに映像を見るマイをどこから取り出したのか指差し棒で映像の一点を指す。

 そこには画面一杯に拡大されているが、それでも黒いモヤで殆どが視認できないカストロの頭部だった。


 「んー……うん? これって……」


 マイの見る映像が何度も何度も独りでに拡大を続けそして――黒いモヤで見えないカストロの頭部だが、ほんの僅かながら黒い穴を正面に捉えたカストロの目、その目に僅かながら”赤い光”が反射され映像に残されていたのをマイも見つける。


 「……何度も確認したけど、街中で瞳にしっかりと映る程の強い赤い光は見つからなかった。それに、左目に映った赤い光は一つじゃない。拡大解析をした結果、複数の赤い光をカストロが見ていることがわかった」

 「さっすが紗雪!! こんな小さな光よく見つけたね!」

 「……ふふん! 私の作ったサードアイじゃないと見つけられないレベル。それもこの光が映っているのはほんの一瞬。私でなきゃ見逃しちゃうね!」


 ピッと人差し指を立てた紗雪のドヤ顔は止まる所知らない。

 紗雪は割と自己顕示欲強めのノリノリマウンティング娘だった。

 鼻息を上げて薄い胸を張る紗雪を、主に胸部を見下ろして鼻で笑ったマイが今は他の勇士に委ねられたが本来、自分達が担当していた任務を口にする。


 「ちっさ……ごほん、カストロ・デル・デストロ……国際指名手配犯にして国際テロ組織『イェルシャライ』の大幹部の一人。

大規模掃討作戦の目標である『イェルシャライ』の下部組織、「虚の枝」内に拠点を作った犯罪組織シンジケート「アンスロー」の援助で数ヶ月前にべーラトールに来訪したと思われる――故に、情報収集能力に長け、対抗出来る戦闘能力を持った私達がカストロの所在の調査を任されたんだけどねー」

 「……ねぇ、今どこ見てその嘲笑えがおを浮かべた? ん?? 言えよおい。その無駄肉ちぎってやる」

 「やれやれ、チチナシイカ腹はすぐ怒る。胸の大きさはプライドに比例するのかしらぁ??」


 晴れやかなドヤ顔が一転、深い闇に堕ちた紗雪がマイの胸に身体能力をフルに駆使して手を伸ばすが、マイがぺしりと鋭く叩いて阻止する。


 『調子に乗るとすぐマウントを取りに来る紗雪はコケ下ろすに限る』とはマイが紗雪と付き合っていく上での付き合い方。

 伸ばされる腕、鋭く振り叩く平手が数度交差する。

 方や闇堕ち、方や見下ろし胸を張って戦力差を主張し、片方がさらに深く闇堕ち。

 バチバチと火花を散らして睨み合う二人に食堂のどこからともなくファイ!という掛け声が発せられ、月光蝶恒例のキャットファイト《取っ組み合い》が始まった。

 

 成人した女性の醜い罵り合い(主に胸の)は終わり、二人は仲直りに買ったデザートを口にしながら話を戻す。


 そもそもカストロ達の調査は、紗雪ではなく別の人員に調査を任せていたのだが足取りが全く掴めず、それどころか行方不明者まで出る事態に陥った。

 このままでは掃討作戦に支障が出かねないと将志が判断しクランは紗雪に頼る事になったのだ。

 しかし、調査を行い情報を集めている所に急増する行方不明者。

 そして缶詰め命令――からの、調査対象が無残な死体で発見されたというニュース。

 死体は月光蝶クランハウス地下の死体安置室に運ばれ、マイが検死にも立ち会い確認したが間違いなくマイが過去に映像で見たカストロ本人と相違無かった。


 「あの死体の殺され方……紗雪も思い当たる事があるんじゃない?」

 「……証拠は無いけど、過去に数件報告があった犯人不明のあれ。被害者全員が反勇士であり、その全てが途轍もない力で千切られた死体が見つかる両断事件。最近国内で姿が確認された事もあって、カストロが犯人だと言われてたけど……違ったみたい」


 紗雪が普段通り無表情のまま冷淡に話す。


 「こっちからすると助かったけどね……あんなの相手にする事になってたかと思うと堪ったもんじゃないもの!」


 マイの意見に胸中で同意しながらも、紗雪はマイが先程言っていた事を脳内で反芻する。

 本来なら、紗雪やマイという情報収集に長け、戦闘力と機動力を持った二人の手を借りたいはずだろうが状況が状況なだけに動かせなくなった二人。

 さらに、クラン側が掴んでいた情報ではカストロは迷宮内で潜伏しているはずだったのだ。

 そこに来てカストロ調査任務を無に帰す地表での殺害事件――犯人はわからず死体だけが見つかるという”ありふれながらも不可解”な事件に今は月光蝶も動くことは無かったのだが、もしかしたらきな臭い連中が未だに自分達への包囲網を組んでいるのかもしれない。

 情報が足りなさ過ぎて何も分からない事態を前にマイは護衛として警戒を強め、彼女の安全を誓う。

 一方で月光蝶は今、精鋭の大半を迷宮に送ってしまっており圧倒的に人手不足だ。皆ほんとは困ってるはず、うん。

 と紗雪は今がチャンスと企み、危ない事をする気満々。


 ――そんな気がするから自分が動いてもいいだろう、うん。大丈夫大丈夫、と都合よく判断した紗雪がニチャリ顔でマイへ顔を向ける。


「ろくでもないこと思いついたでしょ、紗雪?」

「……調査が進まないってさっき言ってたよね」

「まあ言ったけど……やっぱり?」


 長い付き合いから、紗雪が何をしようとしているのかを察したマイが声を上げる。


「……うん……副マスターに交渉しよう。今手に入れた証拠と私の情報収集能力は無視できないはず。今も迷宮で”幹部達”の姿が確認できている以上は私達が多少は動いても大丈夫なはず」

「いや、でももしもの事があったら……」

「もしもの話をしていたら、私は何もできない」


 紗雪は強い意志を持ってマイの目を真っ向から見つめる。

 その様子を見て、マイは大きなため息をこぼして眉間を指で押さえる。


(紗雪、ほんっっと頑固なのよねぇ……クランマスターとそういう所はそっくりなんだから……まあ、でも)


 マイからすれば、こうした問答はこれまでに幾度もしてきたことも合って少々飽き飽きしていたところだった。

 それに紗雪の言う事は共感できる――迷宮という閉鎖空間での仕事を生業とする勇士は基本、自分の身は自分で守らなければならない。

 勇士が月光蝶という抑止の組織に自分から入っているのに、その力が必要になった時に何もしない、出来ないでは正しく存在理由が無いと言えよう。

 培われた力とは、使い時に使われなければそもそも勇士という存在意義を無に帰すようなものなのだから。

 さらに、ここで否定しようものなら今度こそ一人で動き出すだろうことが親友である彼女には容易に予想できた。


 紗雪という存在の重要性も理解できるとはいえ、ずっと見てきた彼女の気持ちを尊重したい。だからこそ――


 「危険な事も深入りもしない、あくまで簡単な調査のみ! それと、私以外の護衛を付ける事が私から出す条件!! それでいいなら、副マスターの所に行こう?」 

 「……っ! うん!」


 嬉しそうに微笑んだ紗雪は立ち上がり、マイの分の食器をトレイに載せて返却口に運んで行く。

 一瞬の微笑みだったが、食堂に男性を見惚れさせた紗雪はそれに気付く事も無く鼻歌でも歌い出しそうな程上機嫌になり、その後ろ姿を見たマイは手の掛かる可愛い妹を見る姉のような心境になるのだった。


 

 紗雪の方が年上なのに。


―――――――――――――――――――――――――――


個人的趣向ですが、割と作品の男女比に敏感……というか著しい男女比の偏った作品が苦手です。

主人公の周り皆女の子!みたいな作品が好きな方には残念なお知らせになりますが

本作は主要キャラ周りの男女比6:4,もしくは4:6程度に収めるつもりです!


じゃあハーレムは嫌いなのって?

……それとこれとは話は別ですやん……?


2024/08/16

勇士の階級の説明が抜けていたので本文に追加しました。

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