第3話 怪物と家族

「─ちゃ──にいちゃ─にいちゃん! いい加減起きろー! おーい!」


 寝床で毛布に包まり眠る青年にとっては聞き慣れた甲高い声が夢現の最中にある脳内でキンキンと響く。


 寝惚けまま眼を開くと視界に愛する妹そのいち大畔おおぐろなつきが大きな声で彼の傍で喚く。

 艶やかな黒髪のショートヘア、きめ細やかな白い肌に髪と同じ色をした母譲りの垂れ目がチャームポイントの端正で愛らしい小動物を思わせる顔立ちが眠る青年の目の前で眉根を寄せていた。


「んあ”ー……どうしたなつき……うるさいぞぉ……」

「どうしたじゃないよもう! お昼ご飯の時間だよ!」


 青年がショボショボと眠気でまともに開かない目で枕元に置いてある時計を見る。

 確かに時針が昼時を指していた。

 いつ眠ったのやら……記憶に無いが昨日は夕方に帰宅した後、直ぐ眠ったことを考えると軽く半日以上は寝ていたことになる。


「昨日は何時に帰ってきたの? お母さん、"ナキ"が帰ってこないーってずーっと心配してたよ!」

「夕方には家に居たよ。帰ってきてすぐに寝てたから気付かなかったんだろうけど……もう二十六なんだから、子供扱いは勘弁してくれ……」

「にいちゃん、また窓から家に入ってきたの? ちゃんと玄関から入りなさいってお母さんに言われてるでしょ! というか、二十六なんだから玄関から入ってきなさい!」

「はいはい……」


 布団から立ち上がった青年――大畔ナキはぐっと伸びをしながら喚くなつきへ雑に返事をして、妹を連れて階段を下りて居間に向かう。

 兄妹なだけあって容姿の特徴は似た物。

 同じ黒髪黒目の垂れ目――というよりナキの場合は酷く気怠げな目付きと言うべきか。

 身長は百七十C《セテル》程度で一見細身に見えるが、引き締まった腹筋をぼりぼりと掻き部屋を出て仲良く階段を降りる。


「あら、おはようナキ。ご飯よそったから二人共座って待っててね」


 居間に着くと、なつきをそのまま大人にしたような――それこそなつきと二人並んでいる時は年の離れた姉妹に間違えられることもある二人の母、美咲が台所から穏やかな微笑みを携えて盆に乗せた食事を机の上に置く。


「おはよう、母さん。昨日は心配させたみたいでごめん。依頼が立て込んでてさ」

「お仕事が大変なのはわかってるけど……心配したんだから連絡ぐらいは頂戴ね? 最近は頻繁に夜遅くに帰ってくるけど、夜は本当に危ないなんだから!」


 ふんふんと鼻息荒くナキを叱りながら昼食を並べる美咲へナキが謝罪しつつ、夜食を代わりに作る事と買い物の付添いを条件に手を打って貰った後のこと。

 食卓に着き昼食を食べている時にふと、もう一人の同居人妹その二の姿が見えないことにナキが気付く。


「あれ? そういえばエンマは?」

「エンマちゃんはやることがあるから後で食べるって言ってたわよ?」


 兄妹が並んで箸を進める中、上機嫌に鼻歌を歌いながら趣味の折り紙をする美咲は兄妹が降りてくる前に話していた同居人――エンマ・オルソンから聞いていた内容をニコニコと嬉しそうにナキに伝える。

 やること、という言葉を聞いて察したナキは、あ~……と呟き、母に感謝の言葉を口にした後、再び昼食を口にした。



 二人が昼食を食べ終わり、美咲が作った折り紙を居間に飾り付けて満足した母を交えて家族が仲良くソファに身を沈めてくつろいでいると、ふとナキの目の端にトントンと軽い音を立てて階段を下りて来る人影が映る。


「おはようエンマ」

「エンマちゃん! おはよー!」


 階段を降りた来た人物を二人が挨拶と共に座りながら迎える。


「おはよう。おにいさん……昨日はお疲れ様」


 階段を下りてきた人物こそ同居人であるエンマ・オルソン。

 光を反射して煌めく美しい銀髪を肩口で切り揃え、切れ長の赤い目に褐色の肌をしているが袖等から覗く腕や頬、脚には赤い刺青のような紋様の入った美しい少女が微かに笑顔を浮かべ、挨拶を返す。


 大陸西方産まれのエンマは大畔家に三年前から居候として世話になっており、当初はナキの身体に隠れて美咲やなつきに話しかけられる度に固まっていたが、三年も経てば態度は解れすっかり慣れたものだった。

 実際、美咲は出会った当時から怯えるエンマを愛情を持って可愛がり、「私が産んだ愛娘!」と言い張る程大切に思い、さらに同年代で朗らかでよく話すなつきが相手ではエンマも打ち解けるのは早かった。

 今や二人は姉妹の様に仲が良く、美咲を含めた三人で楽しそうに話す姿は家族のとして大変微笑ましいものだった。


「エンマ、仕事を任せて悪いな」

「ううん、おにいさんの仕事のお手伝いをさせて貰っているのは私だから。むしろあれくらい私に任せて欲しいわ」


 自分の仕事の後処理をしてくれていたエンマに労いの言葉をかけたナキは掌から"炎"を出して冷えた昼食を温めるエンマの後ろ姿を眺める。


 エンマとなつきの年齢は共に十六歳。

 本来、同年代の子供なら何処かの教育機関に通っている時間だが、なつきは諸事情があって入学していない。

 エンマは学府ハイヴと呼ばれる学校に通ってはいるもののこれまた諸事情があって出席日数も学校側から特別に免除を受けている。

 その為、エンマは学府にほぼ顔を出さず、一年の殆どをナキの仕事の手伝いに精を出している。

 ナキとしてはべーラトールの学府に入って安心したのも束の間、一年もしない内に「通う必要が無くなったから仕事のお手伝いをさせて欲しい」と言い出した時は、家族全員が目を点にして驚いたものだった。

 しかし、その余りにも強い熱意に根負けして(途中から美咲となつきがエンマを抱きしめて援護し始めた)ナキの立てたルールを守ることを条件にエンマが手伝うことを許している状態にあるのだ。


「そういえばにいちゃん。今日は傭兵の仕事いいの?」

「兄ちゃんは今日から三連休だよ。この三日は何もせんぞー……」

「それいつもじゃん……ダメ男だなぁ」

「ダメ男を枕にしてるお前が偉そうに言うな」


 床に寝転び、十字に重なり合いながらだらける兄妹の前にエンマが淹れてきた人数分の緑茶を置いてある小机に置く。


 大畔家は休日、とにかく自堕落な生活を送る。

 昼食を食べた美咲は日の当たるソファーで二度寝、兄妹も先程からだらしない格好で絨毯の敷かれた床に寝そべって小一時間はだらだらと駄弁り続けている。


 大畔家の長男であり唯一の男であるナキは特にだらしない。

 寝癖まみれで服が捲れ、引き締まったお腹を出しながらなんとも形容しがたい体勢で寝転び煎餅を齧りながら新聞を眺め、そんなナキの服装をエンマがいそいそと正し、冷やさない様にとお腹にブランケットを掛ける。

 ナキが無言で手を伸ばせば、近くに控えるエンマが求めている物が何かを瞬時に察し、お茶や新聞、お菓子に酒と肴まで……望んだものを訓練された犬のように喜び忠実に持ってくる。

 最初にそれを見た時は母娘共に驚いていたが、今やナキをエンマが甲斐甲斐しく世話をする姿は大畔家にとっては日常茶飯事となっていた。


 寝転がり、兄と同じく袋に入った煎餅を齧りながら、いつもの日常(奉仕)を眺めていたなつきだが、ふとナキが見る新聞から特大の一面を飾るあるニュースが目に入った。


『最重要国際指名手配犯「カストロ・デル・デストロ」死亡


 本日未明、一夜にして五十人以上の命が奪われた「魔女の薬研ウィッチクラフト壊滅事件」の主犯で知られる最重要国際指名手配犯のカストロ・デル・デストロが死体で発見された。

 死体が発見されたのは同事件で知られる元「魔女の薬研ウィッチクラフト壊滅事件」の廃墟内。死体は激しく損傷しており、また、数日前の深夜三時頃に市街で戦闘を行う何者かの姿らしきものが目撃され、「月光蝶」に通報があったことが判明した。』

 『死体は発見されてから既に数日が経っていると見られ、「月光蝶」は通報を受けていた同日に戦闘を行っていた何者かに殺害された可能性が高いと見解を述べ、目撃情報を募りつつ事件の詳細を調べていくと発表した。』


 兄の腹の上から新聞を読みつつ、体勢を変えたなつきはそのニュースを見てお~と暢気に声を声を上げる。


「エンマちゃん、この廃墟ってそこそこ家から近い所にあるよね?」

「確かここから竜車で一時間くらいの所だったと思うわ」


 近っか!怖いねー!なんて話す二人をチラリと一瞥したナキは新聞を無言で捲る。

 そんなナキを見つめてなつきが不安気に口を開く。


「この街、最近犯人がわからない殺人事件が何回も起きてるよね……にいちゃん、最近物騒なんだから、本当に気を付けてね・・・・・・。にいちゃんもお父さんみたいになったら嫌だからね」


 ナキの服の裾を掴み不安を表情に滲ませたなつきは兄の腹へ顔を擦り寄せる。

 いつもの活発な姿と違ったしおらしい姿にナキとエンマは顔を見合わせるが、ナキは安心させる様に笑いなつきの頭を雑に撫でつける。


「兄ちゃんとこみたいな小さい傭兵事務所なんて、浮気か素行調査か、迷宮の荷運び役程度の依頼しか来ないんだから大丈夫だよ」


 快活に笑う兄の姿を見て少し安心したのか表情の晴れたなつきは兄の背中を太鼓の様にペチペチと両手で叩きながら新聞に視線を戻す。

 傍らで二人を無表情で見つめていたエンマは一つ、小さな溜息を静かにこぼすのだった。



 時間は過ぎ、家族が眠りにつき暗く静まり返った家の中でナキの私室の窓から明かりが漏れる。

 室内には椅子に座ったナキと部屋主のベッドに腰掛けるエンマがいた。


「……依頼主はあれからどうだった?」

「最近、溜息ばかりでぼーっとしている事が多いみたい」


 二人が話しているのは数日前に受けた依頼、そのの依頼主である学区に所属する少年についてだった。

 "能力"や"加護"という簡単に人の命を奪える手段を持つ人間が多くいるこの街で、未成年の子供が傭兵に仕事を依頼する方法は主に一つだ。


 傭兵の事務所に直接赴き依頼をすること、ただし法では未成年が依頼する場合は親、もしくは後見人の同伴が原則とされる。

 そして、依頼できる内容も人探しや失せ物探しといった簡単なもので、そもそも殺しの依頼をすることは当然法で厳しく禁じられている……というかそもそも、無能が就く職業である傭兵にそんな大それた依頼をする者等、普通は居ないのだが。

 しかし、今回受けた依頼内容は家族を殺した相手への復讐と殺害、それも自分達が味わったように惨たらしくというものだった。

 殺人依頼を受けるだけでなく、拷問紛いに痛めつけて欲しいという依頼を秘密裏に受けた事実がもし、世の明るみになればナキはその責任を強く求められるだろう。


 自身の敬愛する青年がそんなリスクが非常に高いことを"もう何度も行っている"ことへの心配と不満、それ以外の要因から来る怒りがエンマにはあるのだろう。

 銀の少女は怒った表情の中にどこか喜色を感じさせながらもナキを睨みつける。

 一方、ジトリとこちらを睨めつける妹分の顔が目の端に映るが、無視してナキは依頼人である高校生の顔を思い出しながら口を開く。


「まぁ、他人の手で復讐を果たした所で実感は湧きづらいだろうしな。なんとかしてやりたいが他人じゃあどうにも……。心の傷を癒やすのは周りと時間でしかどうにもならないだろうしなー……」


 ぼんやりと呟かれた言葉は少年を案じたものだった。

 十六才の男の子とは思えない程身体が小さくあどけない、俗に言う女顔のせいで髪を伸ばせば性別を間違えられそうな少年だったが、目下や表情に刻まれた昏い影がどうにも少年に近寄りがたい印象を周囲に与えているようだった。

 ある日、突然ナキの前に現れた少年の顔を見た時、事情をある程度察したナキは思う所があったのか依頼を引き受けたのだった。


 悲しいことだが、依頼主の少年が味わった経験はこの世界ではそう珍しいことでは無い。


 「能力」と呼ばれる、素質によって、先天的、後天的に備わる超常の力。

 それと、この星の生命を生み出した超存在"エルダー・ワン"が極稀に与える「加護」がこの世界には存在し、強力な能力を持つ者はそれだけで全てが優遇され、幼い子供でも歴戦の戦士を倒すことも、人間より遥かに高い性能(スペック)を持つ恐ろしいモンスターを殺すことすら可能にする。

 この能力や加護を使って迷宮の探索等を生業とする者達は「勇士」と呼ばれ、世界的にも大人気の、花形とも呼べる職業になっている。

 能力にも強弱は当然あるが、全ての生物が先天的に何かしら宿しており、能力を使って悪事を働く輩も少なくは無い。

 ましてやここは迷宮を都市内に抱え持つ"迷宮城塞都市"。

 迷宮から人知れず出て来たモンスターや犯罪者が人に手を掛けた話もこの都市でならばよくある話だった。


 いつ自分や周りが死ぬかわからない時代。

 とはいえ、珍しくないから何もしせずそっとしておく……という手段をナキをあまり取る気は無いが、部外者の自分達が他所から何を言っても当人にとっては目障り、不快でしかないことも十分承知している。

 だからこそ、同じ学府に通っているエンマに様子見を頼んでいたのだ。


(これは、エンマにもう一頼みするしかないが……その前に、ご機嫌取りだな)


 無視されている状況に業を煮やしたのか、もはや額同士がくっつきそうなほど顔を寄せてナキを真正面から半目で睨み続けるエンマに声を掛ける。


「で、まだ怒ってんのか?」


 漸く自分に反応したナキに満足したのか、エンマは密着する為にナキの座る椅子に乗せていた片膝を降ろしてそのまま正面に立つ。

 睨むのを辞め、普段通り表情に戻ったが、それでも彼女を良く知るナキは今も怒りが燻ってむくれていることを見抜いていた。


 エンマがむくれている理由、それは――


「カストロの殺害依頼を受けるなんて何を考えてるの? 報酬金も無料(タダ)で大量殺戮犯の超危険人物の相手なんて……ありえないわ」


 国際指名手配犯カストロ。

 指名手配を受けてからの五年間、ただの一度も捕まらず、敗れず、そして生かさず。

 彼を始末する為にあらゆる国の機関が精鋭を送り、その殆どが生きて帰ることの無かった裏社会からも恐れられた凶悪な罪人――反勇士モールだ。

 カストロが日の下に姿を一度現した時は、一時間もすれば新聞で緊急ニュースが流れる。

 そんな男が一年ぶりにニュースに出たと思えば予想だにしない訃報に街内では数日経っても未だに人々が口々に話題に出し、大いに賑わっている。


 殺した当人は、世間の反応に全く興味が無いのか気にも止めず、次の日には茶をしばきながら帰りに寂しい財布の中身を振るって購入した甘味を家族と新聞を見ながら暢気に食べていたが……。


 カストロを既に気にも止めていないナキだが、今回は依頼料が無料であることについても何も感じていなかった。

 理由は単純、金銭の為に依頼を受けた訳では無いからだ。

 とはいえ、当然依頼主の少年は交渉の際にカストロの殺害依頼にしては安いものだがそれでも白金貨二枚――大人が数年は遊んで暮らせる金額を支払うことを確約していた。


 しかし、ナキはそのまま受け取りに行く気も無ければ払いに来た少年を門前払いし、バックレようというのだ。

 ナキは唯の勇士"志望"の少年が持つにしては不相応が過ぎる巨額、その金の出所が命を落とすことが隣り合わせなこの世界で、自分達に何かがあった時に、息子が生きていけるよう、学府ハイヴに問題無く通えるように、遺した両親の遺産であろうと、一人予想し、受け取りを拒絶しているのだ。

 本来ならば国から栄誉を賜り称えられ、依頼金を優に超える報酬が貰えても不思議では無い相手を倒した報酬が無料(タダ)。


 当日、ナキが依頼を終わらせたことを知ったエンマは報酬金の受け取りに行こうとしたがそれを止められ、既に終わったと受け取る気が無かったナキを前にしたエンマの顔を思い出し、目の前で怒る少女をつい笑ってしまう。


「むぅっ……!何を笑ってるんですかおにいさん。別に怒ってはいません、ええ、怒ってはいませんとも。真っ当な報酬金であればおにいさんがもっと楽をできるのに、とか! 危険な事を一人で! 私に黙って!!! なんて思ってもないし怒ってもいません!」


 エンマが怒ると敬語になる事を知っているナキは、「めっちゃ怒ってるじゃん……」等と思ったことを口にする訳にも行かず――。

 笑われたせいがジリジリと近寄ってきたエンマへ今度は困った様に笑いかけながらエンマの頭を撫でつける。

 不満気にしつつも、その顔を下から眺めたエンマは溜息と咳払いを一つ零してナキに問いかける。


「おにいさん……本当に良かったの?」

「何が?」

「あの依頼を受けた事よ。諸々のリスクが高すぎると思うわ……あのカストロが死んだ、犯人はわからない。では到底済む話では無いでしょう。

これまでも個人の依頼で秘密裏に反勇士と戦ってきた。でも今回の相手は知名度も戦闘力も比べ物にならない……間違いなく、捜査の手が伸びてくる。そして、おにいさんが犯人だと知られればその力を利用しようと集まってくる不埒な輩が必ず現れるはずよ」


 ナキの探偵事務所「オズ」は知名度が限りなく零に近い無名の傭兵事務所だ。

 時折やってくる簡単な調査依頼をこなしながら、気楽に暇な一日を過ごす――そんな生活をエンマとナキは甚く気に入っていた。

 そんなナキを知っていたから、見てきたからこその言葉だが、特に最後に放った言葉には並ならぬ感情を含んでいた。

 ”ジリジリと上昇していく室温”にナキは嬉しそうに笑みを深め、エンマの頬を右手で下から挟みこむ。


「んむぅ……!何を――」

「落ち着け。力が漏れてるぞ。いいんだよ。一々そんなこと気にしてたら、人生つまらんだろ……それに、証拠は無い。俺の姿は残らないし、痕跡は全て潰した……探そうとしたってどうにもならんさ。この通り、指紋も無い以上、「月光蝶」が俺に辿り着くことは無い!」


 そう言って、ナキは右腕の肘から先が内側から弾ける様に現れた異形の腕をエンマに見せる。

 その指先、いや指全体がまるで関節を持った鋭利な黒い爪のような形状になっている。これでは確かに指紋が残ろうはずも無かった。


「それなら、もう少し倒し方を考えてね……カストロといい、これまでの能力者達といい……毎回身体を千切る必要は無いと思うのだけど……」


 エンマが懸念するもう一つの懸念点、それはナキの殺し方だった。

 ナキは毎回、無理矢理身体を引き千切って殺害しており、これでは同一犯だと物語っているようなものだった。


「掴むのが一番楽で強いんだよ。そのまま引っ張ればいいだけな分、殴るより早い」

「相変わらず荒いです! それに、まだ疑問もあります!! そもそも! あんな依頼がどうして場末の探偵事務所なんかに――」

「声がでかいぞエンマ。なつき達に聞かれるのは困るから静かにな。」


 巌しい剣幕で自分の為に怒ってくれるエンマに対し、しーっと唇に人差し指を当てたナキはそのまま言葉を続ける。


「カストロの死が世間に伝われば救われる人達もいるだろう? 快楽殺人者が俺の身内を標的にする可能性も無い訳じゃなかったんだ。いいんだよ」


 そうして一度言葉を区切り、一つ息を呑み込んで、


「誰かがやるべきことを俺が今回はやっただけだ」


 そう言葉を零した。

 エンマは少しの間沈黙した後、シュンと俯く。


「すまんすまん。ただ、別に同一犯だと知られようが俺がやったとバレなければいいわけだろ?

俺達は無名の傭兵……。関わりさえ持たなければどうということもない。クラン連中は何よりも実績と信頼性を尊ぶからな。もっと有名で人数もいるクランや探偵事務所しか関わることは無いさ」


 話しながら俯いたエンマの頭を撫でていると、ぷるぷると全身を小刻みに震わせた後、勢い良くエンマが顔を上げる。

 その顔は先程迄とは違い、晴れ晴れとしていた。


「おにいさんの気持ちはわかりました! 報酬金も脚が付かない為だと思うことにします! これからは一層、私が頑張ってサポートします! おにいさんに尽くす事が私の使命ですから!!」

「尽くすってなにさ」

「もう寝る時間だから失礼します! おやすみなさい、おにいさん!」


 普段の物静かな様子とは一転して、やる気が熱となって室温を少し上げて部屋を出て行ったエンマの後ろ姿を見送ったナキは机に立てかけられた写真立てのうちの一つを手に取り、椅子に身体を深くもたれかけたのであった。

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