第10話
「…………はい?」
「だから、好いているのです。何度も言わせないでください、恥ずかしい」
秀はそのまま口紅の並ぶ棚に目を移して、「これはどうですか?」と明るい色味の口紅を差し出してきた。
いやいやいや、いやいやいや。
葉月は思考が停止したままである。
「……ちょ、……え? 誰が、なんですって?」
葉月は再度問いかける。理解不能。意味不明。
呆れた秀が、その凛々しい顔を思いきり葉月に寄せた。葉月の耳元すれすれに彼の唇がある。
「好きなのです、貴女が」
甘いささやきが葉月の全身を駆け巡った。
何も言えずにいる葉月に、秀が追い討ちをかけるようもう一度ささやく。
「学生の頃からずっと、俺は貴女を想っていました」
「学生の頃から?」
葉月の頭に学生時代の日々がフラッシュバックする。当然、「あの日」の事も。
バシンッ!
反射的に葉月は秀の頬を叩いていた。夜遅く、
「ふ、ふざけないでよ! よくもそんな事が言えるわね! 私の家族を滅茶苦茶にしておいて、想っていた? 好いている? 馬鹿にしないで!」
葉月は秀の視線から逃げて、そのままドラッグストアを飛び出した。
(好きだって言うなら、なんであんなこと……)
けれど葉月は行く当てもなければお金の持ち合わせもなく、ドラッグストアの数十メートル詐欺で立ち尽くしてしまう。
夜だというのに、建物の明かりは煌々と葉月を照らした。眩しくて、暗い。都会の空は葉月の心と同じくらいぐちゃぐちゃだ。
「源さん!」
しばらくして葉月は後ろから声をかけられた。ビニール袋のこすれる音が葉月の隣で止まる。
「気に障りましたか」
秀の声に覇気がない。葉月が横目で見た秀は、少しうなだれていた。
(やめてよ、あんな事をしておいて)
ギリギリと唇を噛む。悔やむなら買収などしないで欲しかった。好きだと言うのなら、葉月の家族を守ってほしかった。
「上屋敷くん、私を想っていたと言うのなら、なぜあんな買収をしたの」
葉月はモヤモヤを吐き出すように問いかける。
「あなたのした買収は、ミナモトコーポレーションを潰すためのものだったって聞いたわ」
それは意図的に葉月たちを攻撃したのと同義だ。
本当に葉月に対する情があったのなら、そのような事はしないのではないか。葉月にはそう思えた。
けれど秀は実行した。
高校生という若い身分で。
取締役に就任したばかりの時期に。
大人をもてあそぶ傲慢で最悪な子どものいたずらみたいに、葉月を傷付けたのは秀なのだ。
葉月は秀に視線を送り続ける。秀の視線は一向に葉月をとらえない。
「すみません。それが最善だと思ったのです」
秀は苦しそうに絞り出した。
吐き出た彼の言葉が葉月の身体の力を奪う。
(……ああ、そうか。上屋敷くんは自分の利益しか考えてないんだ)
それに気付いて、葉月は色々と馬鹿らしくなってしまった。
(彼の言う『好き』だって、しょせん会社に負ける程度の感情なんでしょ)
葉月が苦しむとわかっていても、秀は会社にとっての最善を追求する。それが仕事だから。大企業の重役だから。
……馬鹿らしい。
(もういいや)
葉月はぐちゃぐちゃな心に蓋をする。
(お金さえ貰えれば、それで良い)
諦めるのは慣れっこだ。今までだって全て割り切って生きてきた。これからだってそう。ただそれだけ。
葉月はすべてを無理矢理割り切り、夜道を歩きだす。
葉月の後ろでは、秀はまだうつむきがちに立ち止まっていた。
「源さんを救うには、それしかなかったんです」
秀がそう呟いたことに、葉月は気付かなかった。
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