第8話
「住む? 私が? ここに?」
「そうです。住居は用意すると言いましたよね」
言った。確かに言っていた。
だが秀の家に住むだなんて、葉月は聞いていない。
目の前の秀はシャツのボタンを開け、完全にリラックスモードになっている。こうなるともう、彼は雇用主でもなんでもなく、ただの同い年の知人男性にしか見えなかった。そんな相手と同居。そんなの、ありえない。
「嫌だと言ったら?」
「源さんが路頭に迷うだけです」
即答されて葉月は口をつぐむ。その通りだ。
身一つで上京してきてしまった葉月には、現状、生きていくための財産がない。今さら長野に帰れるわけもなく、秀に首を切られたら生きる術を失ってしまう。
「仲良くやっていきましょう、源さん」
職場とは違い、年相応な雰囲気に戻った秀が、葉月をおちょくるように顔をほころばせる。
(いや、その笑顔は何!)
笑顔の秀がとても楽しそうに見えて、葉月は無性に腹が立った。
改めて気付いたけれど、葉月の人生は完全に秀に握られている。自分の仇に、自分の人生を。これはとんでもない事態だ。
そう思っても後の祭り。葉月はこれからずっと、余裕ぶった秀と四六時中一緒に居なければならない。
「お風呂――」
秀がぼそっと言う。
「先に入りますか? あ、でもすみません。女性もののアメニティが無いんですよね。一緒に買いに行きましょうか」
「…………うん」
もやもやした気持ちを抱えたまま、葉月は頷いた。拒絶したい気持ちはあるものの、拒絶したら生活がままならない。黙って従うしかなかった。
葉月と秀は二人で並んで歩き、24時間営業のドラッグストアへと向かった。
秀は意外と背が高く、歩く時にはさりげなく車道側を歩いてくれる。スマートで紳士的だ。
(そんなこと、知りたくなかった)
葉月にとって秀は憎悪の対象だった。それなのに、当然のように優しくされては困る。紳士的な彼に怒りを向ける葉月の正当性がなくなってしまう。
そんな事を考えながら、葉月は秀に従って歩いていった。
「では源さん、好きな物をカゴに入れてください。金は俺が出します」
ドラッグストアに着くと秀は当然のようにカゴを持ち、狭い店内を葉月と肩が触れるような距離で回り始めた。何度も何度もふたりの手が触れる。
(なんか、こう……同棲中のカップルみたい)
そう思った葉月は慌ててそれを否定した。冗談じゃない。こんな男とカップル設定なんかしてたまるか。
雑念に囚われる葉月の隣で秀が足を止める。商品棚を眺めながら葉月に尋ねた。
「源さんは普段どのシャンプーを使っていますか? 同じ物が良いですよね」
「別にどれでも構わないわ。いつも業務用の安いやつを使ってたから」
信じられないほど高いシャンプーが視界に入り、葉月はため息をついた。世界が違う。葉月が一番安い商品に手を伸ばした時、秀はそれを制止して2千円以上もするシャンプーを手に取った。
「綺麗な髪がもったいないです。良い物を使いましょう」
――綺麗。
不覚にも葉月は一瞬ドキッとしてしまった。この男がそんな事を言うとは思わなかったのだ。
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