第6話 チェックイン
今夜の目標は、香澄さんとキスすること。
最初のデートでそれは早いと思いがちだが、香澄さんの作品の攻めなら、クスリを飲ませてホテルに連れ込むか、なんならお店のトイレでヤッてしまう。香澄さんの攻めの行動力に比べたら幼稚園児並みのウブさだ。
とはいえ、体が小さくて細身な僕が香澄さんを押し倒したり、壁ドンするには無理がある。ここは多少なりとも酔ってもらい、隙を作らないと。
香澄さんは飲めない僕に気を遣って、二軒目はチェーン店の明るいお店を選んでくれた。僕はカクテル、香澄さんはハイボールにした。おつまみは枝豆とサラダ。僕はこれ以上何も食べられそうになかった。
「僕……今回の新作の、4Pがすごく好きです……」
僕のそのセリフを聞いて、香澄さんは自分で書いたくせにハイボールを飲み込み損ねてむせた。
「音声で聞くと、恥ずかしいもんだね……」
クライマックスのその場面は、主人公が総受けで、それぞれ魅力的な攻めに迫られる。そんな異常な状態でもやっぱり自分のパートナーが好き……という、純愛を踏み躙ってるのか際立たせてるのか、よくわからないくらいカオスなのだ。
「そういう時って、どんな目線で書くんですか?」
「受けに対して可愛いな……とか、攻めのことがやっぱり好きだな……とか、好きでくっついてたい気持ちがあったら、どうするかなって考えるよ」
くっついてだなんて……。もちろん僕は下半身がくっついているところを想像する。
「カップリングが変わるの嫌な読者もいますけど、香澄さんは全然平気ってことですか?」
「それはそうだね。愛があれば何でも」
ふっ、と香澄さんが笑う。自分が狙われていることなど微塵も思っていない。愛があれば……こんな二回会っただけの僕とでもヤッてくれるんだろうか。
「ほんわかなラブラブなのとか、書かないんですか?」
「うーん、そういう日常の雰囲気を、惹きつけるように書く技量がないんだよね。強い愛なら盛り上がったり怒ったり、わかりやすいじゃない。まあ結局、自分がそういう攻めのキャラが好きだってのも大きいんだけど」
「攻め寄りの目線なんですか?」
「そう言えばそうだね。攻めから見た恋愛で物語を考えているかも。自分も……道を踏み外してもいいくらい誰かを、好きになってみたいのかな」
香澄さんがどこか寂しそうに言ったので、僕は胸がキュッと締めつけられた。それはつまり、今の僕はそういう対象じゃないってことだ。会って二回目なんだから無理な話だと思う自分と、作品を通して香澄さんの奥底まで見ている自分なら香澄さんを幸せにできるんじゃないかという変な自信がぐるぐると僕の中で渦巻いていた。
僕のことを……好きになってほしい……。
もう僕は……こんなに好きなんだから……。
「僕も……今日、泊まろうかと思います。できれば、もっと香澄さんと話したいから……」
もじもじしながらそう言うと、香澄さんから思わぬ提案がされた。
「あ、そうする? もし良かったらなんだけど……実はホテル側の不手際で、ツインの部屋になっちゃったんだ。一緒に泊まれると思うけど、どうする?」
まさかの……キスを通り越して……!! 一瞬でよからぬ妄想が頭を駆け巡ったが、なんとか平静を装った。香澄さんはケロリとしてるので、僕のスケベ心には気づいていないのだろう。
「い、いいんですか……。嬉しいです……夜中までいっぱい話せるから……」
こちらの理性がどこまで持つか、自信はないけど。僕は香澄さんに断りを入れて席を立ち、早速父に連絡をして迎えを断った。
少なからず、今、僕は嫌われたり、嫌がられてはいない。それは嬉しい。胸がキュンとする。そうと決まれば、早く移動したい。もう待ちきれない。
「もうお店出ようか。コンビニ寄る?」
「僕はもう、大丈夫です……」
コンビニに寄る時間も惜しい。
「じゃあ、真っ直ぐホテルに行くね」
さっと店を出て、ホテルまでの道を歩く。道が狭い割に車がよく通る。路側帯を一列になり、香澄さんの後ろをちょこちょことついていく。本当は、手を繋ぎたい。
そんなことをしたら、香澄さんはどんな反応をするだろう。きっと最初は驚くけど、手は繋いでくれると思う。優しいから……。でもそれってどんな意味になるんだろうか。恋人? は、急すぎるか。友達? じゃあ手は繋がないよね。香澄さんと手を繋ぎたい気持ちは、香澄さんを好きな気持ちでしかないのに、その意味を考え始めると胸がチクリと痛んだ。
ホテルに着くと、香澄さんはホテルのサービスでもらった水を冷蔵庫で冷やし始めた。僕はとりあえず、イスに腰掛けた。急に緊張してくる。
「お風呂、使いたかったらお先にどうぞ」
「え! いや! それは、ダメですよ! 香澄さんが先に……」
「遠慮しなくていいのに」
「僕が転がり込んできたんで! 香澄さんが先に入るべきです!」
「んじゃあ、一緒に入る?」
え? と一瞬固まっていると、香澄さんは冗談だよ、と笑い、お言葉に甘えて先に入るね、と言ってバスルームに消えた。
からかわれたのか、その気を探られたのか……。狭いバスタブで二人で入ったら……そんなのもう……。
僕は入り口側のベッドにダイブした。硬めのベッド。ビジネスホテルの部屋に色気は無い。シャワーの音が聞こえてきた。生々しくて、思わずテレビをつけた。いつもの番組でもホテルで見ると旅行先で見ているみたいだった。
好きな人と、今ホテルにいる。急に非日常だ。枕をつかんで抱きしめた。
香澄さんの本なら、もう玄関入った時点でヤッてる。やっぱり、自分じゃ強引な攻めなんて無理だ……。
はぁ……とため息をついた。香澄さん……僕にムラムラしてくれないかな……。無理だよね……。香澄さんは未経験だし、優しいから……。
目を閉じて息を吐くと、酔っているせいで力が抜けて体がふわふわしてくる。
香澄さんと……手を繋いで歩きたかったな……。本を持つ手、料理を取り分ける手、アイスのスプーンを持つ手……。僕とはちがう、大きくて、しっかりした手で……お兄ちゃんができたみたいに……。
僕はいつの間にか眠ってしまった。
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