第4話 イタリアンバー

 サラダは食べ終わり、クリームパスタとアクアパッツァ、マルゲリータが並んでいる。普段食が細い僕にとっては、ご馳走によだれを垂らすというよりは、その迫力に負けて唾を飲むほうが合っていた。


 香澄さんはささっと取り分けてくれて、僕はまごまごしていた。


「みのりさんは大学生なんだよね?」


「は、はい」


「私は大学に行かなかったからわかんないんだけど、今、バイトに来てる大学生が大学で勉強したことを教えてくれると、すごいなって思うんだ。そんな面白いことが勉強できるなら、私ももっと若い時に頑張って、大学を目指せば良かったと思う」


 香澄さんは実家の農業を仕事にしている。体つきがひき締まって見えるのは肉体労働のせいだろう。香澄さんは、自分で勉強しながら自分の土地にあった肥料や農薬を作っていて、その奮闘も作品として書いていた。大学に入っておきながら、ただエロに耽っている自分とは大違いだ。香澄さんに大学は要らない。



 料理を口にしていく。おいしいのだろうが、味がよくわからない。食べなくてはいけないという圧迫と、憧れの香澄さんを目の前にしている緊張と、自分の中身の無さへの恥ずかしさで脳みそが茹で上がっている。


 自分からはなかなか話すことができなかった。せっかくの香澄さんの話も、相槌が下手くそで広げられない。そもそも、香澄さんのことはSNSや作品を通してほぼ知っている。このままだと香澄さんにつまらない奴だと思われて、次から会ってもらえなくなりそうな気がした。そう思ったら悲しくなってきた。


 急いでトイレに立った。薄暗い店内を抜けて、個室に入る。トイレはシチリアレモンのフレグランスが香り、ローマの休日のポスターが貼ってあった。店内には今もカップルが二組いて、デートにおあつらえ向きなお店なのだ。


 ふと、鏡に映った自分と目が合った。こわばった表情をしていて、全然可愛げがない。じわりと涙があふれてきた。こんな僕と向かい合って、香澄さんはどう思っているんだろう。面白いことも、気の利いたことも言えない。また、読者の一人に戻ってしまうんだろうか。


 あまり泣いたら気づかれてしまう。僕は鼻をかんで、深呼吸をし、気持ちを切り替えて個室のドアを開けて出た。


「みのりさん?」


「わあ! びっくりした!」


 僕は大声をあげた。ドアの目の前に香澄さんがいたのだ。


「なかなか戻って来ないから、具合が悪くなったのかと思って……」


 本当に心配そうな表情をしている。


 優しい……。ますます好きになってしまう。


「あ、ありがとうございます……。なかなかお酒を飲む機会がないので……ちょっと休憩を……」


 他のお客さんがトイレに入ろうとしていたので、席に戻った。



「すみません、気づかなくて……」


「いえ! そんな、僕が気をつけなきゃいけないことなんで!」


 香澄さんはしょんぼりした顔をしている。もし香澄さんがわんこでケモ耳がついてたら、耳がぺたりと垂れているだろう。想像したらやっぱり可愛いくて、笑ってしまった。


「え? 何か私、おかしなことを言った?」


「違うんです。香澄さんがすごく優しいのが嬉しくて……」


「それなら、ちょっと安心した。私、話すのが下手なんで、つまんなかったかなって心配で」


 香澄さんは頭を掻きながら言った。


「そんなことないです! 僕の方こそ、全然話題がなくて……。話を盛り上げられなくてすみません……」


「え。私は単に、すごく真剣に話聞いてくれるなって思ってたよ」


 香澄さんはあっけらかんと言った。もしかして、元々しゃべりたがりだったのかもしれない。


「よかったら、これからアイス食べに行かない?」


「アイス?」


「夜だけ開いてる、”夜アイス”っていうお店があるの。なんか怪しいよね」


 香澄さんはイタズラっ子みたいにクスッと笑った。

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