第2話 オフライン

 文フリの会場は、思いのほか賑わっていた。作者本人または売り子が座っていて、その目の前の長机に販売用の本が平積みになっている。僕は会場の案内資料を見ながら香澄さんを探した。


 香澄さんのブースには、背の高そうな男性が座っていた。パーマがかかった茶髪に、長めの前髪。黒いマスクをしているので、離れたところからだと顔はよくわからなかった。


 僕はドキドキしながらブースの前に行った。どんな作品を出すかはSNSでもう知っていて、買いたい本の目星はつけていた。今回絶対欲しかったのは、サイトには載せない同人誌だけの作品だ。性描写がキツいので、本当の自分のファンだけに販売したいという理由でそうしたのだという。


 本を手に取り、彼に差し出す。


「ありがとうございます」


 彼はそう言って、マスク越しに微笑んでくれた。可愛い……。普段、可愛いと言われる側の僕が言うのもなんだけど、優しそうな目元だ。


「あ、あの、香澄さん本人ですか……?」


 お釣りを受け取りながら言う。指先も綺麗だった。


「はい、そうです」


 香澄さんは、マスクを少し摘んで直した。SNSの内容から察すると三十代前半だが、雰囲気はもっと若く感じた。


「ファンです……。特にBLがすごい好きで……。でも他の作品も好きです……! 透明感があって……」


 この本を手にした時点で性的嗜好はバレている。むしろ他人に簡単に言えないこんな急所で繋がっているなんて、ある意味運命の人だ。


「あ、他のも読んでいただけてるんですか? 一般向けはPV伸びないんで、ホント自己満足の世界になってるんですよ。読んでもらえるだけ嬉しいです」


 香澄さんはまた笑った。


「一般向けも素敵ですよ……! たぶん、内容が繊細だから、他のエンタメ寄りの作品の陰になっちゃうのかなって……」


 僕は続けざまに好きな作品について語ってしまった。


 香澄さんは、言葉通り目を丸くした。


「あ……す、すみません、急にそんな話を……」


「いえ、すごくちゃんと読んでくださって嬉しいです! 一般の方は誰も読んでないだろうと思って、好き勝手書きがちなんです。今度から、もう少し気をつけて書きますね」


 香澄さんは、また目尻を下げて笑った。


 このまま「これからも応援してます」と言って、立ち去るのがマナーなんだろう。でも、香澄さんにこうして笑顔を向けられると、その笑顔をもっと独り占めしたくなった。


「……あ、あの、僕、この間コメント残したんです……。お返事ありがとうございました……」


 一般の方でコメントを残しているのは自分だけだ。絶対に僕だとわかってくれるはずだ。


「ああ! そうだったんですね! え、まさか同じ地元だなんて。じゃあ、あのローカルネタはバッチリでしたね」


「はい、あのお祭りやってる場所の近くに住んでます」


「実は私もです」


 香澄さんは笑顔のまま、簡単に個人情報を漏らした。


「あの……僕も小説書いてみたくて……。今度、書き方を教えてくれませんか……?」


 ウソだ。小説を書きたいなんて、一度も思ったことはない。香澄さんの関心を引きたいがために、何の苦労もなくウソが出てきたことに自分でも驚いた。


「私が教えられることなんてないんですが……。物書き友達としてなら喜んで」


 嫌がられなかった。体が熱くなって汗が出る。ハンカチで顔を拭った。


 その後、連絡先を交換し、会場を後にした。




 近くのチェーン店のカフェに入り、アイスコーヒーを頼んでがぶ飲みする。


 夢みたいだった。連絡先を交換してしまった。


――友達――


 読者から急にランクアップだ。


 早速、メッセージを送り、次にいつ会えるかを訊いた。

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