サンテネリ語に対する疑問なのですが、人類皆平等という議論をした際に用いられた人間という語("オン")は英語でいう所の男性名詞"man"相当だったのでしょうかね?
"person"ないし"people"という中性的な名詞がそもそもサンテネリ語になかったりするのでしょうか?
第一部であれだけセクハラに気を使っていた王様が男女平等という観点を忘れることはありえないですね……
つまり王様はゾフィの独占欲に思い至り、最も身近な男女差別を妻に自覚させてしまったことを申し訳なく思っているのでしょう
ジュール・エン・レスパン君もドリー夫人のことや壁積みの死体のこともあって男女平等は前提にしてるのではないでしょうかね
すっぽり抜けている可能性はなくもないですが……
作者からの返信
オンは「人」「我々」「人間」「平民」を表す一般名詞兼固有名詞です。
作中では平民(オン)、貴族(シュルオン)と設定していますので、ここで「オン」を使うことは、シュルオンとの対比を意識したものです。
person、peopleに該当するものもありますが、作中出てきていません。
男女平等については、彼はそれが当たり前の世界(生活環境)で育ってきたにも関わらず、実際にそれが成されていない社会を変革する立場になると、概念と実態が乖離してしまっています。ゾフィへの申し訳なさと、頭でっかちなインテリ仕草への反省が混じり合っている感じでしょうか。
ジュール君は恐らく考えていないですね。理想論としてそうあるべきとは思っても、自身の思想の主題の一つにはなっていない感じです。当事者意識がまだ薄い。
基本的な人権が、何を裏付けに保持されるのか、という点ですね。
現在では法が裏付けとなっていますが、近世あるいは近現代となったサンテネリでは、未だに”力”あるいは暴力というものが裏付けとなって社会を動かしている、と。
実際は皮をかぶっていますが、法がもたら影響は暴力との綱引きである。
これは現代でも実はそうで、非常に難しい問いであると想います。
しかし、人は平等であってほしい、という素朴な願いは叶えられてほしいと思うのはロマンチックすぎますかね。
作者からの返信
サンテネリにおける法の裏付けは王権で、王権の思想的裏付けは「魔力」になります。ただ、「魔力」の概念としての賞味期限が切れてしまったので、何で置き換えるべきかが焦点になっている状況ですね。
作中1716年当時、王権の裏付けは実際には暴力そのものです。よって、王権の暴力を上回る暴力が出てきたら現状の社会秩序が崩壊するという意味で、かなりの転換期でしょう。
う〜ん、この問題は難しい話よね。人間の本能と知性って矛盾するから。一夫一妻ってまさにそのものだし。
男性は女体を求め、女性に関しては分からないけど庇護を求めるのかな?男は力を女は子を作る能力を持つ。そうして思いやりによってお互いに子孫を作る。レスパンならこれを契約と呼ぶのかな?
作者からの返信
私もそのあたりを学問として体系的に学んだわけではないので理論化はできませんが、レスパンの求める世界を追求した場合恐らく一夫一婦制に落ち着くかと。ただ、それを達成するための社会的要件でクリアできていないものがサンテネリにはたくさんあるので、徐々に、ですね。
若奥様は鋭いですね。
ジュール君も男性の枠からは逃れられなかった?
むしろ男女のギャップを拡大しかねない過激派思想に足をすくわれても面白そう。
作者からの返信
結局王もジュールも男権的なんです。
でも、それを非難するわけではなく、その枠こそが「時代」という感じです。それを超えられそうなジュールも王もなかなか超えられない。