内戦 5

「穀物及びその他生産物に対する領主関税徴収権期限付き凍結に関する枢密院令」、通称”関税枢密院令”の草案が枢密院会議の議題に上ったのは4月下旬のことであった。


 財務卿ザヴィエ・エネ・エン・ガイユールの名で提出されたそれは、発足したばかりの枢密院を大きく動揺せしめた。


 草案は以下の通り示された。


・小麦・大麦・黒麦の三種を中心とした穀類の国内関税徴収権を、サンテネリ全土において6月から10月まで停止する。対象となる徴税権所有者は、直轄行政区においては国家により代理人として定められた徴税請負人、地方行政区においては俗界諸侯、正教領管区指導者の両者であり、例外は認められない。

・上記措置は穀物価格の安定が見られない場合、さらなる延長を可能とする。

・上記法令の実行を監視、確認するため、枢密院は地方行政区において新たに徴税監察官の役職を設ける。直轄行政区においては旧来通り代官が監督を行う。

・本法令施行後、その履行が正当に行われなかったことをもって損害を被った事業者は各地域の付帯法院に訴え出る権利を持つ。さらに、その訴えは最優先での調査、判決がなされるよう取り計らうことが、各付帯法院に義務づけられる。


 素案に対する閣僚達の反応は穏やかなものであった。ここまでの内容は概ね水面下での合意が成立している。

 北部における穀物不足を解消するために、比較的損害が軽微な地方から流し込むのが目的だ。その際の障壁となる国内関税徴収を一旦停止することで民間事業者の”自発的な”行動がなされ、結果穀類の在庫量は時間をかけて均一化していく。一時的な高騰は免れない各種小麦価格も、春撒きの大麦が豊作に転べば秋から冬にかけて落ち着きを取り戻すだろう。


 今回の不作が小規模なものであれば、特にシュトロワの飢えを回避するために西部や南部から政府が穀類を買い上げ、北部で卸すことができた。強権的に公定価格での買い上げを行うことにより出費は比較的抑えられただろう。

 しかし今回の規模ではいかに公定価格とはいえ出費が馬鹿にならない。また、実際の売価とそれが乖離しすぎる可能性が高く、結果として闇市場を生み出すのは火を見るよりも明らかだった。


 問題は補填である。

 直轄行政区では徴税請負人に、地方行政区では領主と教会にしわ寄せが行く。

 比較的大規模な資本家である徴税請負人たちはこらえることができるだろうが、地方行政区においては財政危機に陥るところが出てくるのは明白である。

 短期的なであれば、政府からの援助で凌ぐこともできるだろう。だが、それを常態化するのであれば、地方はおろか政府も耐えられない。


 よって素案の以下の部分が問題となる。


・本法令の円滑な施行が確認された場合、期限の更なる延長と対象物品の拡大を検討する。

・期限延長、対象品目拡大の際には、地方行政区に設置する徴税監察官の権限を拡大する。

・徴税監察官の任免権は枢密院に属する。


 これらの内容は第一段階の成功をみた上でのものであるため、初回の”関税枢密院令”には記載されない。

 ただし、この方向に進むべきかどうか、予め意見の統一がなされておく必要があった。

 政策の実行主体たる枢密院において。






 ◆






「諸卿ご理解の通り、これは究極的には地方行政区自体の解体を目指すものだ。むろん、我がガイユールもこれに従う」


 財務卿ガイユール大公の一言に気負った様子はなかった。

 首相、宮廷大臣とは大筋で合意に至っている。当初最大の障壁となり得ると考えた宮廷大臣との会合が意外にも円滑に進んだため、国論としてはほぼ統一が為されたといってもよい。だからこの枢密院会議は”確認の場”に過ぎない。

 そう考えていた。


「大仕事だがやる価値はある。旧来の縄張り意識を捨て、皆が”サンテネリ王国の民”として団結する。そして知恵を絞り、我らの国を繁栄に導く。なんとも素晴らしいことですな。まさに陛下が貴族会でおっしゃった百年後。その礎を築くのだから」


 首相アキアヌ大公もまた、ガイユール大公と思いは同じであった。この方針において抵抗が予想される勢力、つまりアキアヌ大公領、ガイユール大公領が賛成どころかに回っている。ルロワ譜代の中小諸侯も概ね賛成。

 敵は存在しない。


 上座を占めた王は黙したまま動かない。

 中空をぼんやりと見つめている。国王顧問会のときから変わらぬ姿勢ゆえ、誰もその様を不審がりはしなかった。


 王は組んだ腕をほどき右手で顎を撫でる。二度、三度。


「陛下、諸氏の意見は纏まりを得ましたぞ」

「ああ、そのようだ。首相殿」

「陛下のご意見を頂戴したい」


 首相は机の上に両の腕を大きく広げ、上半身をのけぞらせて王を眺めていた。


「まず首相殿と財務卿殿のお骨折りに感謝したい。財務卿がいみじくも仰ったとおり、地方行政区はなくなるな。そしてゆくゆくは”地方”がなくなる。つまり、シュトロワが全てを操縦することとなるわけか。このサンテネリを」


 王はぽつりぽつり話し始めた。

 人々を惹きつける意志はない。ただ思ったことを言語化しているだけ。そんな風情だ。


「私は先日面白い夢を見たよ。夢の中で私はシュトロワにある商会の代表を務めていた。あやふやな記憶だが、何やら人足を取りまとめて大工仕事を請け負う仕事だったと思う」


 王の口から何が飛び出すか、身構えて待っていた人々は一様に思惑を外される。

 突如夢の話が始まった。


「私の親族は、そうだ、リーユだな。リーユで同じような商売を営んでいた。あるとき何かの機会でその者と顔を合わせた。浮かない表情をしている。私がわけを聞くと商売が上手くいっていないという。そして、私に言うのだ。『うちの商会を買ってくれないか』と」


 眼を閉じ、何かを——見た夢を——思い出しながら、王は物語る。


「私は請け負った。商会の規模が大きくなるのだ。あの偉大なる都リーユに支店ができる。これで私は大店の主だ。私はその親族の者を引き続き仕事の責任者に置き、信頼する部下を派遣して補佐させた。そして、その商会の儲けの一部を吸い上げた」


 話が進むにつれ、たとえ話であろうことはすぐに伝わった。


 王の”夢”がどのような結末を迎えるのか、閣僚達は静かに待った。

 サンテネリ人は修辞を好む。


「ある日、信頼する部下がリーユからシュトロワにやってきて言った。親族の者を追い払って”我々”が直接経営すればもっと利益があがります、と。愚かな私は飛びついた。親族を追い出し、その部下を責任者に据えた。そこからが地獄だった。——核になる従業員が辞めていくのだ。人手が足りなくなる。人足を集めて働かせる経験知も人脈も失われた。焦った私はシュトロワからさらに人を送り込もうとする。だが、人がいない!」


 ぐるりと閣僚達を見回していく。


「結局一からやり直しだ。人を雇い育てて。シュトロワの店が稼いだ金を大量につぎ込まざるをえなかった。皆が不満を抱える。シュトロワの従業員達は腹を立てる。もうけが自分たちに還元されず遠くリーユに注ぎ込まれていることに。ここを乗り切れば商会は押しも押されぬ巨大なものになる。そう言い聞かせながら、一方で、こんなことになるのならば元のままにしておけばよかったと、そう思った。——私は時宜と規模を見誤った。立て直すのに何年もかかったよ。いや、まだ立て直し中


 王の長い”夢の話”を聞き終えて、まず反応したのは首相だった。


「ありがちな話ですな。買収は難しい。される側は気楽なもの。する側は命がけ。たっぷりと金と人をため込んでおかなければ共倒れになる可能性もある」

「さすがに首相殿はよくお分かりだ。商才も豊富であられる」


 王はもはや皮肉の色を隠さなかった。あるいはそれは、より暗い、劣等感の発露だったのかもしれない。


「一つお聞きしたいのですよ、陛下。陛下の商会の百年後を。耐えられず消え去ったのか、耐えて大店となったのか」

「分からない。百年後、のだから」

「でしょうな。では、さぞかしご不安でしょう。店の行く末を」


 アキアヌ大公は嘲りと紙一重の笑みを浮かべて言い放つ。その様は傲岸ですらある。


「恐れていては何事も成せぬでしょう。恐れに打ち勝ち、時宜を捉え、負荷に耐え抜くことによってのみ、成功は訪れる」

「臆病であることは認めよう。前々から認めてきた。だが、この際私が問題視しているのは貴公のにあるところの”時宜”だよ」

「今をおいて他にありますか? 民も貴族も、受ける痛みに出来るのは今しかない。”雪の王”のせいにできるのは今しかありませんぞ」


 勢いよく立ち上がる王の姿は、まさに即位以来群臣が目にしたことがないものだった。


「痛みにも程度というものがある! あなたは簡単に言うな? おそらく正しい。だが、新たな国家は一晩で出来上がるものではない。全土を管理するに足る人も技術も我々は持たない。それを強行したとき地方の行政は麻痺するぞ。次にやってくるのは腐敗だ。我々はそれを取り除くために新たに監察官を派遣する。そして彼らもまた抱き込まれる。そうなってはもはや手の出しようがない。新たな癒着の人脈に加われぬものは皆死ぬ」

「死ねばよいでしょう。腐敗があるのならば、それも一掃すればよい。——陛下、陛下、あなたがなさったことでしょう。分からずになさったわけではございますまい? 英明なるグロワス13世陛下。近衛軍を国軍に吸収せしめたとき、近衛と商売をしていた者達はどうなりました? ご存じなくとも想像されように。。”勇者の宮殿”に負傷兵を吸収したとき、寄進を打ち切られた正教会はどうなったか。”寄付”を強いられた小貴族がどうしたか。ご存じであられよう。ご存じでなくとも想像されよう、


 勢いを増していくアキアヌ大公の言葉を遮ったのは宮廷大臣の強い制止である。


「首相殿! 控えられよ。陛下に対し無礼が過ぎる!」

「なにが無礼でありましょう。事ここに至り犠牲を厭うなど。そんな話は分かりきっていたはずだ!」


 こちらも一触即発の空気を孕むアキアヌ公とフロイスブル侯爵の対峙を尻目に、王は静かに席に着いた。


「ああ、申し訳ない。少し興奮してしまったようだ。首相殿、すまない。そして宮廷大臣殿も」


 グロワス王は興奮と怒りを振り落とすかのように、数度頭を振る。


「なるほど。首相殿のお覚悟はよく分かった。理解したよ。ちなみに首相殿、そして財務卿殿。一つ聞きたいが、この”徴税監察官”はお二人の家領にも置かれるのかな?」

「いえ、両公領は規模が大きすぎますので。徴税監察官は現領主を任命することで、その俸給により凍結された関税収入を補うためのものです。それを我がガイユールやアキアヌ領に適用すれば、政府の支出が跳ね上がってしまうでしょう。我らは減収に耐えうる体力もございます」


 王と首相の口論を静観していた財務卿が自らの役割とばかりに応答する。


「それはおかしい。政府が犠牲を厭わずやるのならば、両家領にも置かれて補填を受けられればよろしかろう」

「必要の無いものにそれを為しては”無駄”が生まれます」

「財務卿殿はこうおっしゃるが、首相殿も同意見かな?」

「無論そうです」


 腕を組み、ぶっきらぼうな答え。


「地方行政区を解体し、地方をシュトロワが掌握する。それが目的とお二方はおっしゃった。つまりそれはガイユールとアキアヌも解体するということだ。ならば、いずれ領主に取って代わる徴税監察官も置くべきだ。まさか自領だけは別とは言われまいな?」

「ええ、申しませんよ! しかし物事には順序というものがある。まずは…」


 王の断言は強烈な鋭さをもって、アキアヌ公の言を断ち切った。


「今をおいて他にないのだろう? ならば今やるべきだ。——”雪の王”のせいにしてされよ」






 ◆






 平行線に陥った会議はそれ以上の進展を見せなかった。


 首相ピエルはこの場での素案総体に対する強行採決を厭った。

 前段階の交渉で根回しは済んでいる。決を採れば反対は王の一票のみになるはず。その場合、規定により首相の案が採択される。

 しかし不安定要素は大きい。

 王との関係悪化を恐れた各卿が根回し通りに動く保証はない。結局のところ、枢密院を成り立たせるものは王権の委任である。

 王の存在は想像以上に大きい。


 結果として、当初の予定通り最小限の内容が”関税枢密院令第1号”として採決された。


 18期中盤までのグロワス13世治下を特徴づける対立構造が、”雪の王”への対処を境にその輪郭をはっきりと歴史の中に現した。

 改革の速度と範囲に関して意見を異にする二つの派閥はことある毎に衝突し、サンテネリ王国の政治を大きく揺り動かすこととなる。


 後世の史家達は一連の政治闘争を指してこう名付けた。

「18期の内戦」と。

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