無能な王の夜会 2
「陛下! いらしてくださったんですね!」
ゾフィさんがぼくを見つけて声を掛けてくれた。その声の明るさといい大きな手振りといい、短い尻尾を振りたくる子犬みたいだ。
これは感動ものだよ?
現代日本なら電車で隣に座ってくることすら絶対にないからね。まぁその方がありがたいけど。「朝隣に座ったおっさんが臭くてー」とか言われるの辛いから。
群青色のドレスをはためかせて、足早というよりほぼ小走りの速度で近寄ってくるゾフィさんの後ろから、残りの二人が落ち着いた足取りで近づいてくる。
絵になる。
あー、分かりやすく言うとね、なんとか映画祭みたいなのあるじゃん。売れてる10代アイドルとか20代の女優とかが出演作品ごとに纏まってレッドカーペットを歩いてたりするよね。あれ。
「ガイユール殿のお招きとあれば、なにをさておいても顔を出さねば。ゾフィ殿に会える機会を逃すわけにはいかん」
乾いた笑いをしっかり付け加えていくよ。
冗談だって分かってもらわないと大変なことになるからね。となりにゾフィさんのお父さんいるから。
いや、分かる。立場的にも国内事情的にもぼくと娘さんくっつけたいというのはよく分かる。でも、お父さん的にはちょっとイラッときてるのも感じる。
殺意の波動をね。
「サンテネリの誇る大陸一の名花がこれほどに密生しては、流石の私もその可憐華麗に目がくらむ。このような至高の地が我が領にあったとは」
こういう言い回し、覚えたの最近です。本で読んだんだ。
あ、あとお酒もちょっとね。葡萄を醸造して炭酸入れたお酒。ようするにシャンパンをね、ちょっとね。
当然でしょ。
「まぁ陛下、いつからそのようなお世辞を覚えられたのです。よろしくありません。花を増長させてしまいますわ」
とブラウネさん。
ブラウネさんは神が与えたもうた一つの試練です。
サンテネリの風習なんだろうけど、夜会系のドレスは露出がね。ちょっとね。
男はこのカルールとかいうスカーフで胸元しめてるんだから、女の人も着けるべきだと思うよ。どうしても目のやり場がね。
これは冗談ではなく結構怖いんだ。生物学上の問題であるにもかかわらず、相手が感じとるやいなやそれは社会的問題になる。労基の出番だ。
たとえ労基が来なくても、個人的にも不快な思いをさせるのは申し訳なく思う。
あと、確実に秘書課飲み会で話題にされるのが地味に嫌だ。
「いやいやブラウネ殿、世辞などではないよ。王は嘘をつかぬものだ」
ついてるけどね、嘘。おかげでいつも誰かに謝罪してる。
「ご歓談の折りに割って入ってしまったかな」
「そんなことありません! 私たち、ちょうど皆で陛下のお話をしていたところなんです」
ゾフィさん、それは一番聞きたくないタイプの話題だわ。
聞きたいですか?みたいな顔をされても困る。ブラウネさんも意外と乗り気だよね。
展開は読めるよ。
そんな悪いこと言われないはず。
「陛下の
それはそうだ。上司を面と向かって小馬鹿にする社会人はいない。でも、面と向かっていなければ話は別だ。
「それは光栄だな。いずれ劣らぬ貴婦人の口の端に我が名がのるとは! しかし、乙女の世界に男が踏み込むのも無粋…」
ねえガイユールさん。
同意を得ようとして隣を見ると、ちょっと離れたところで別の人と話してる。別の人というか、うちの家宰じゃん。
「陛下、我々がお相手ではお気に召しませんか?」
容姿にマッチした少し低めの声でメアリさんが言う。彼女の黒いドレスはブラウネさんより露出が空気読んでるのでありがたい。
ただ、口調がね。
「こちらの金額ではご不満でしょうか?(代わりはいくらでも居ますよ)」
みたいに聞こえるんだ。
結構エグく値切るよね、大手。丸の内の超綺麗なビル群は我々下請け中小の血と涙で出来てるんだ。
「いや、そんなことはない。ただ、皆を私が独り占めしてしまっては周りのものに悪い。だから…」
ゾフィさんがしょんぼり下を向き出す。
これね、泣かせたら最後だからね。末代まで叩かれる。
「ゾフィ様がおかわいそう! 陛下にとっておきの首飾りをお見せしようと楽しみにしてらしたのに」
ブラウネさんも詰めてくるよ。
「そうなのか。ゾフィ殿、それは前にわたしが望んだ?」
「はい! こちらです!」
途端に元気を取り戻したゾフィさん(14)が首の後ろに手をやり器用に首飾りの金具を外す。それ、自分でやるもんなの? お付きのメイドさんとかがやるのでは?
ぼくは毎日威厳たっぷりのおじさんが結んでくれるんですが、この
ゾフィさんが両手で鳥の首飾りを差し出す。
彼女の手に触れぬよう慎重に鎖の部分を摘まもうとしたら、不意にゾフィさんが両手でぼくの手を包み込んだ。
あー、これは逮捕だわ。条例とかじゃない。逮捕。
「あの…、落としてしまうかもしれませんから!」
「ゾフィ殿の宝物、確かに落としてしまっては大変だ」
内心の動揺を隠しながらチラリとメアリさんを見てみる。バリキャリの彼女はこういうの許せないタイプだからね。きっと。
それが意外にも、普段表情に乏しいわりにちょっと笑顔。
念のためブラウネさんも確認する。こちらも微笑ましく見守ってくれる。
そんなわけないよね。
目が笑ってないからね。
◆
酒色にふけるって記述、よくあるでしょ。歴史上のダメな王様たちを形容する定型句。
今のぼくに言わせれば、酒と色を同列にしてくれるな、だ。
今日お会いした皆さんはいずれも国内有数の有力者の娘さん。
和気藹々談笑してた。
ブラウネさんが冗談めかしてメアリさんの少女趣味をばらしたり、ゾフィさんがブラウネさんにドレスの皺を直されていたり。
年は違えど仲の良い友人同士、あるいは姉妹にさえに見える。
でも、恐らくそんな単純な話じゃない。
男であれ女であれ、人前で誰かに対して明確な敵意を向けることは稀なんだ。
もちろん立場や力に大きな差があれば別。上司から部下へ、先輩から後輩へ、いじめっ子からいじめられっ子へ。ぼくに言わせればああいうのは「敵意」じゃない。だって、弱い相手をいたぶることで快感を得ているだけだから。
敵意はね、もっと重い。
快感なんてない。戦っている最中はとても辛いはず。
だって、どう考えてももめ事はしんどい。にもかかわらず、それを敢えて人に強いる理由は色々あるね。
妬みや嫉妬から信念の対立、あるいは先祖から引き継いだ家同士の確執。
挙げていけばキリがない。
人と人の争いは大体において多数決になる。より多く仲間を引き込んだ方が勝つ。仕事で他者を圧するすごい実績を上げたとしても、結局多数決には叶わない。
人を味方に付けるための方法は、具体的なものはバリエーション豊かだけど、極言すれば一つしかない。
相手に利益を与えること。
金銭や地位のような具体性を伴うものを与えても良い。あるいは、相手が欲しいと思っている反応や言葉を提供してもいい。
前者は分かりやすいけど、後者はちょっと難しい。
「人に好かれる」「人を好きになる」って、その構造をばらしていくと結局、相手が欲しがるものを与えられたかどうかに尽きる。
つまり、人に好かれたければ、相手が欲しがっているものを探らなければならない。
このサンテネリにおいて、最も探られてるのは多分ぼくだ。
絶対的と表現するにはいささか弱いものの、今のところ制度上サンテネリで最も権力を持っている人間はぼくだ。つまり、味方にしておくと最も美味しい人間なんだ。
だからずっと探られている。
こんなこと誰にも言えないよ。言うとしたら、是非とも味方にしたい相手がぼくの弱音を欲している時だけ。
ぼくも味方を欲している。
人って辛いね。果てしない探り合いと果てしない仲間作りをしなければ存在することすら許されないんだから。
この
置物になること。
ぼくが取るに足らない、味方にしても敵にしてもどうでもいい、でも一応居た方が良い存在になること。
取るに足らない存在になることは案外簡単だ。「良きに計らえ」で全部済ませればいい。
難度マックスなのが最後の「一応居た方が良い」と思ってもらうこと。
「良きに計らえ」を繰り返していると、必ず誰かが「こいついらなくね?」と言い出す。そうすると取るに足らない存在の自分は簡単に追い出されてしまう。この世から物理的に。
それを回避するために、ぼくはサンドバッグになる必要がある。
良きに計らったその結果が芳しくなかったとき「コイツのせいだ」と責任を負わせられる存在。
だから「酒」と「色」は同列じゃないんだ。
「色」、つまり女に溺れるとは、女の人にぼくが欲するものを身体も含めてひたすら提供してもらう状態に等しい。じゃあ、なんで女の人はそうしてくれるかというと、ぼくを味方に付けておくと得だからだ。
なぜ得かといえば、ぼくが置物ではないからだ。ぼくが「あってもなくてもいい置物」として完成したとき、ぼくを味方にするうまみは消える。
ぼくが目指すのは、さっき言ったように「どうでもいい存在」。ただ、責任を負わせるために置いておいた方が便利な置物。そんな罰ゲームに付き合わされる女の人がいたら、それはとてもかわいそうなことだと思う。
一方で、酒はそういう配慮が必要ない。
飲んで気持ちよくなって、それでおしまい。後腐れも罪悪感も無い。
だからぼくは酒が大好きだ。
今のところ、前のぼくが積み重ねてきた諸々があるから、そのマイナス分を帳消しすべく頑張ってる。味方を増やすべく頑張ってる。
ただ、心の底でぼくは前のぼくが羨ましい。向こう見ずで現実を知らないけど、これから戦っていこうとする勇敢さがあった。
大体は失敗して終わるんだけど、ごく稀に大成功する。前のぼくが成功する可能性もゼロじゃなかったはずだ。
酒の水面に自分の顔が映る。
自分のものとは全く思えない顔。
この「彼」はひょっとしたら偉大な君主になれたかもしれないんだ。
◆
痛飲翌日もダメージが全然残らないこの身体に感謝の祈りを捧げたい。
肝臓が強いのか、あるいは若さか。
そんなことを思いながら定例会議に臨んだぼくに予想外の展開が降って湧いてきた。いや、実際は家宰を始め優秀な皆さんが結構前から予想検討していたんだけどね。
ぼくにとっては最悪のできごとだ。
野生の正妃候補が生えてきた。
長大な国境を接するルロワ家永年の敵、「帝国」の野原から。
肝臓はピンピンしてるけど、心なしか胃が痛い。
お嫁さんが来るなんて素晴らしい?
お伽噺じゃないんだぞ。
戦争とセットです。
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