渡米


 飛行機の窓越しに見える透き通った空気の中には、目線の高さに沈んでいる雲と、その雲が町々の上に作っている広大な影とを、一瞥の中に確認することができる。今朝の多感な目をして、烏丸君は自身が自分の状況に酔おうとしている事を確信したが、この多感さは、素直に彼を勇気づけた。

 彼が成田に降りるのは人生で二度目だった。新宿で落語の初席を見る為、ちょうどこの年の初めに彼は成田に降りていた。次の飛行機までにはかなりの時間がある。彼は成田空港の展望台へ行き、そこを端から端までゆっくりと歩いてみた。何という訳もなく、ただ手持無沙汰だった。三月の初め、日差しは春の暖かさを含んでいるが、風にはまだ冬の香りが微かに残っている。軽く鼻尖を押さえたくなるような、そんな香りである。展望台の両端は変に空いていて、真ん中あたりでは腰をかがめた人々が、地鳴りを轟かせて行き来している大きな飛行機を、レンズ越しに眺めている。

 荷物を預け烏丸君が乗り込んだ飛行機は、座席が横九列の大型だった。国際線を使うのが初めての彼は、乗務員に声を掛けようにも、英語で語りかけるべきか、日本語でも良いのか分からず、少しどもって日本語で話しかけていた。長いフライトの中、スペイン語の単語帳に目を投げていた彼は、静かに睡眠と覚醒をくり返した。目を覚ます度に腰をゆっくりと左右に揺らし、背中で何かを探すようにした後、何を満足したのかまたじっとして眠った。機内食がおいしいことに唯一の驚きを感じた彼は、それ以上の発見が出来ないまま、ロサンゼルスに降りた。

 入国審査に手間取り、烏丸君は心労で目を細めながら空港を出た。足下の歩道は目の前ですぐに途切れ、視界を占めているのは無遠慮に大きなバスである。事によっては入国出来なかった心労から、彼は立ち止まって車の流れに目を投げ、背負っている鞄のひもを強く握っていた。

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