外遊

二橋 吉葉

門出

 烏丸君は、朝日に照らされた、影と凹凸感のない雪原を車窓から眺めていた。座席から体をひねり、首も捻って、顔を横の乗客に晒しながらじっとして流れていく雪原に目を落としていた。北の大地に住んでいる人間らしく物珍しさは感じていないが、殊この日の雪原には表情の下で恍惚として見とれていた。

 烏丸君は大学生である。京都から出てきた、青年と呼ぶには少し老けた面長の男だったが、彼自身は年相応の顔つきをしていると信じてやまなかった。学生の身分を持っている彼だが、その癖学業にはまったく対峙しようとしない。学生ではあるので大学には出るが、それっきり下宿先に戻っては、映画を見るなりして濫りに日常を送っていた。彼としても、絶えず自分の指の間からこぼれている若さに気づいていないではなかったが、こぼれてできた水溜まりに目を遣るばかりで、自分が掬っている無邪気に脈打つものを、真摯に見つめようとはしなかった。

 鬱屈した現状を改善しようと彼が頭をひねる事は幾度となくあったが、それらは全て若者らしいとりとめのない空想に終わった。彼は或時から、皮膚の下に横たわる自分の肉が腐り、朽ちたその臭いを自らに感じ始めた。成長を放棄する息苦しさに溺れて初めて、塞ぎ込んだ日常から抜け出すことを切望した。彼は大学を辞めて働きに出ようと思った。

 大学生の彼は父親からの完全な金銭的庇護下にあった。大学を辞めるとなると、道理として父親への連絡が要ると思った彼が電話を掛けると、連絡を受けた父親は、突如寄越された現状告知を静かに聞いていた。一通りまくし立てた彼が満足して口を噤むと、父親は「国外に興味を持っていないのか」とおもむろに尋ねた。あるにはあると言うのが彼の回答である。事実、彼は数年来異文化というものに興味を抱いていた。日常目にする異文化を、その手に直接触れてみたいと考えてはいたものの、現実味のない妄想として彼自身取り合わなかった。この答えを受けて父親は、真面目な声色で彼に旅を勧めた。現実味の無い提案を唐突に受けてたじろがないではなかったが、その日を境に、彼は海外に対する憧憬をこれまでになく深めていった。

 烏丸君は或時から中南米に行こうと決心する。憧憬に対する妄想を積もらせて、汚職に犯され、罪科が風を切って歩いている様な場所を見てみたいと強く願った。半年ほど準備に時間を掛けた彼は今、千歳空港へと向かう電車に揺られている。

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