007 いいなり彼女を家に招待する①

 勝負の二日目。

 俺は新垣からの連絡を、徹底的に無視した。


《……昨日のこと許してないから》

《私は負けてない》

《無視するな》

《武者小路。既読だけでもつけて》


 つけません。


 つけたらつけたでお前、見たなら返信しろとか言い始めそうだし。


 俺は既読すらつけません。つけまつげもつけません。




 勝負の三日目。


《マジでムカつく》

《キレそう》

《噴火寸前》

《武者小路の首絞めたらどういう反応するんだろ》


 ……。


 こっわ。


 新垣からくるメッセージをことごとく未読スルーしながら、学校の外で姫乃と待ち合わせて、一緒に下校。

 LINEを起動したときにポンポン最新のメッセージが順繰りに表示されるあの現象を目で追ってるだけなので、全てに目を通せているわけではない。


 今溜まってる73件のメッセージの中には、もっとやばいお怒り文が山ほどありそう。昨日の深夜とかどんだけ連投するんってぐらい、通知音が鳴りっぱなしだったし。

 もうここまで来ると、ちょっとホラー。


 メンヘラの域を通り越して、やっぱり新垣は地雷女なのではないか、と。そう勘ぐってしまう俺がいる。


 怖いから、俺はもうこのパンドラの匣を開こうとは思わない。


「ね、ちょっと、あゆむ。あんたホントにダイジョーブなん? 歩がしゃきっとしれくれないと、あーしら別れることになるんですけど……?」


「なんだよ藪から棒に。お前が寂しそうにしてから一緒に帰ろうと思っただけなんだが。よしわかった。新垣のとこに行った方がいいってなら、そうす……っ、あいててててて……ひ、非びょうりょく、ふひゅくひゅう、ひゃんジー」


 姫乃がムスッとした表情で俺の頬をつねり上げてくる。

 ムスッというより、クワッ、ギロッ、って感じの目つき。


 恐竜とかトカゲとか瞳孔に縦線入ってる系のやつ。


 ……こ、こえーな、もう。


「……は、はにすんだよ。いひゃいだろ」


「あーし、歩と別れるとかマジ勘弁なんですけどー?」


「わひゃっひゃはら、ひゃなしてくれ……」


「もぉ……」


 すぐに手を離してくれる聞き分けのよさはありがたいが、相変わらず……手加減を知らない恋人サマだ。


 女王ムーブがなりを潜め、まるでかまってちゃんが拗ねてるみたいにも見える。


 昔はもっとこう、バチバチに睨み合っていたというか、俺にムカついて仕方ないって態度を全面的に出してたものだが。

 

 角が取れたというか、丸くなったっていうか。


 だがしかし侮るなかれ。


 いや、恋人を侮るとか意味わからんけど。


 こいつは怒らせたら一番怖い。その本質は微塵も変わってない。


 ふっ。


 女王の逆鱗に触れるとき逆鱗もまた女王に触れているのだ、という俺なりの哲学をここに唱えておこう。姫乃は体内の奥深くにリオ一族を飼っている。つまり、飛竜を手なずけている俺は文字通り正真正銘のドラゴンテイマー。ビゲストドリーマー的な、あれだ。


 とまあ、そんな下らないことを考えてたら、姫乃がジト目で俺を見ていた。


「ちょっと、あーしの話ちゃんと聞いてるん?」


「聞いてる聞いてる」


「そのテキトーな返しやめてくんない? あーしらの愛が試されてんだからさ」


「はいはい。愛してるぞー」


「ざっつ」


 姫乃はぷんすかとあざとく頬を膨らませると、俺の腕に自分の腕を絡ませ、わざとおっぱいを押し付けてくる。


 なんかもう腕に水風船を括りつけられた気分。


 ぽよんぽよんのぷるっぷるん。


 おっぱい星人がこれを味わってしまったらもう、姫乃を一生手放せなくなってしまうだろう。もう十分手放せないのだが。


「おいやめろ。わざと当ててくんな……なんかそれ、ぐらっときちまうから。俺、おっぱいに弱いから」


「あーしの話ちゃんと聞いてくんないなら、しばらくおっぱいお預けだから」


「それは……困るな。うん。ちゃんと聞くから、おっぱいは当てといてくれ。いやちょっと離れてくれ」


「はアん……? それどっちなわけ……? てかさ、話戻すけど。紗綾ってケッコー冷めてるところあっから、歩がマジにならないと、いいところの一つもみせらんないんじゃねってあーしは思うワケ。……まー、歩があーし優先してくれんのは嬉しいけど。紗綾のことほっといたら、あーしら……マジで別れることになるかもしんないし」


 むにゅん、ぐにゅん、とおっぱいを押し付けてきながらの姫乃の言葉には、なんとも重みがある。おっぱいの重さが乗っかると、こうも説得力が増すのか。


「大丈夫だ、心配すんな。冷めてるフリをしてるやつに限って、腹ん底は熱々なもんなんだよ。氷の火山みたいに、温度の低すぎる氷のマグマが溜まってんだ」


「コオリノマグマ?」


「表面温度の低い天体で観測されるやつな」


 宇宙にはガラスの雨が降る星だったり、人間の身体が一瞬にして引きちぎられるほどの磁力を持ってる、ヤバい星だってあんだぜ。


 氷の火山はその手の無数にある摩訶不思議の一つだ。


「まぁ、端的に言うとだな、ダウナー系が抱えてる闇だとか、ガチのメンヘラの視野がどんどん狭まって斜め上の発想にたどり着いてるとか、そういうアレだ。あいつもあいつで孤独なんだよ。俺らと本質は変わらないが、熱の性質がちと違う。ガチでやり合うならこっちから干渉せず、ほっといて思考が熱々に冷え切るのを待てばいい」


「はー……? 歩がなにいってんのか、マジで全然わっかんないんですけど……」


「俺も自分で言っててちょっと何言ってるのかわかんない。お前がおっぱいを当ててくんのが悪い。俺は何も悪くねえ……」


「歩ってあーしのおっぱい好きすぎじゃね?」


「そりゃもう。もちろん。そりゃもう。めちゃくちゃに。いやどうでもいいけど、お前今日うちこないか? 母ちゃんがお前に会いたい会いたいってうるさいんだよ」


「マ? 歩ママが? いく。いくし」


「おう。新垣のことばっか考えたって仕方がない。俺らは俺らで今のうちに外堀を固めておくのが吉だ」


「? そとぼり?」


「お互いに親族を巻き込んでおけば、お互いに逃げられない環境を作り出せるってことだ。つまり俺とお前の城の城壁をもっと分厚く強固にするわけだ」


「それ二人で逃げたいときに逃げられないカンジ?」


「いや、いざという時はお前と一緒にどこにでも逃げられるよう、そっちの手も色々と考えている。こんな時代だ。何も日本に留まる必要はない。移住先になる候補地もいくつか見繕ってるし、国内がいいってなら、時間があるときに二人で定住できる田舎を下見にでもいこうぜ」


「マ!? え、えー……あーし歩にそんなに愛されてんの……?」


「嫌か?」


「超嬉しいんですけど」


 姫乃はほっぺたを赤くして俺の腕に抱きついてきた。

 比例して、おっぱいを押し付ける力も強くなる。ほんとすげえなこれ。おっぱいすげー。(語彙力喪失)


「まあ海外移住ってのは半分冗談だが、俺はお前との未来を真剣に考えてはいる。お前もそうだと嬉しいんだが」


「はー……歩、マジカッケー。さすがあーしの彼氏じゃん……」


「お前がちょろすぎるだけだ」


「ひひっ、ムカつくけど愛されてっから許す」


 などと、イチャついてるうちに家の前。

 母ちゃ……おふくろは仕事が休みなので、家ん中でぐうたらしてるはず。つまりは暇してる。そういう日に姫乃をうちに招待すれば、俺の株が上がること間違いない。


 姫乃も姫乃で、おふくろと仲がいいから、好感度を稼ぎやすい。


 これぞ諸葛孔明にも負けず劣らずの、ウィンウィンの策。


 いやまあ、姫乃が勝手に母ちゃんと仲良くなって、なんか知らん間に外堀が埋まってただけなのだが。


 でもまさか俺の見栄っぱりが、ここまで功を奏すなんてなあ。

 姫乃を初めて母ちゃんと妹に紹介した日のことはよく覚えてる。

 友達の一人ぐらい作ってみなさいと家族に心配されていた俺は、女王様がお礼をしてくれるという権利を行使し、姫乃をうちに連れてきた。


 あれはそう。空き教室で金的をくらわせられた日の、後日のこと――


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