第2話 歩と姫乃のなれ初め1

 五月の夜風は生温い。

 うちの学校はバイトを禁止してないので、俺は先月からもうバイトを始めた。


 ちょっと優越感。


 一年生の四月からバイトを始めたってやつはそういないだろうし、なんかリア充してる感ある。


 俺、ボッチだけど。


 そんなこんなでスーパーマーケットで永遠に品出しをし続けるという楽々作業を終え、帰路につき、ラノベの続きでも読もうかなと思った俺だったが……


 今日の昼休みに教室で女王様にブツを略奪されてしまっていたことを、今の今になって思い出した。


 俺のラノベはもう帰ってこない。


 表紙やら挿絵にケチをつけられるならスマホで購入して電子書籍で読めばいい、って意見もわかるが、俺はやはり紙媒体で読みたい派だ。


 教室でも電車でも、ちょっとした待ち時間でも。


 人の目とかそういうのはいちいち気にしたくない。


 いや、さすがにエロ本を公共の場で読むとか、そんな非常識なことはしたことないが、暇な時間を何かしらの趣味に費やすという行為は本来、そういうものじゃないか?


 誰にも邪魔されない一人の空間で、自分の世界に没頭したい。


 あるだろ。

 誰にだって。


 それをいちいち邪魔してくるのが、あのちぢれ金髪エロ乳ギャルクイーンだ。



 如月姫乃。



 あんなキレたジャックナイフのような女を、学校側はよくもまあ入学させたものだ。

 受験だああだこうだので審査する前に、まずは生徒ひとりひとりの身辺調査でもしてくれ。


 なにをやらかしたかは判然としないが、入学早々から俺はあの女王様に目をつけられ、以来、事あるごとに突っかかってこられている。


 まあ、俺が悪いんだろうけどさ。

 クラスの女子がひくレベルで、ニヤニヤしながら、ちょっとエッチな雑誌やら本を読んでたんだから。そういうのを不快に思うやつがいるって意見は、まあわからなくもない。なんかちょっと目立とうと思って、グラビア写真集を教室で読むのはちょっとイキりすぎたかもしれない。 


 でもラノベはマジの誤解だ。


 ノルウェーの森とかなら許されるんだろうか。

 いやノルウェーの森読んだことないけど。


「はァー……明日学校行きたくねえなあ」


 夜道を歩きながら、俺はため息混じりにそんな独り言を呟く。と、そこで足を止めた。


 工事現場の真横を抜けた先で、ふと、狭い路地の奥に目が吸い寄せられたのだ。


「ん、あれは」


 光の届かない物陰で、なにかが蠢いている。

 いや、なんかドキュンのカップルらしき人影がもめている。


「ふざけてんじゃねえぞ姫乃ひめの。このクソ女が。俺と別れてすぐ上の代の連中と付き合いやがって。そんなんでお前から手を引くと思ってるわけ? またボコられてねーの? ア?」


「もう、あんたとは終わったっつってんでしょ……! そうやってすぐ暴力ふるってくっから、付き合いきれねーっていってんのがわかんないわけ? しかも、あーしが亮君と別れるまで手を出してこなかったところとか、あんた男として総合的にダサすぎっから」


 暗闇から聞こえてくる、カップルの怒鳴り合い。ああいう手合いってどこにでもわくよな。ゴキブリと鼠みたいだ。

 

 ちょうどスマホ片手にネット小説でも読もうと思っていたところだが……好奇心を抑えられず、俺は路地を覗き込む。


 そこでは案の定、派手な金髪のギャルとジャージ姿のいかつい男が、取っ組み合いの喧嘩をしていた。


 ノースリーブのニットにストレートジーンズという装いのギャルは、壁を背にして、男に胸ぐらを掴まれている。


 っておい。あれ。


 如月じゃないのか。

 おいおいマジかよ、神さまってやつはいるんだな。


 俺のラノベを略奪した〝天罰〟が今まさに下されようとしている――


 って、カレシさん……。

 あんたそのガタイで女の子を殴ろうとするのはやめた方がいいんじゃ……


「けっ。年上なんざ怖くねえよ。手ぇ出したんも、お前がそうやって突っかかってくるからだろうが、ア?」


「マジ、ダッサ。殴りたきゃ殴ればいいじゃん? あーしのことバイト先までつけ回して、マジキモいんだけど。ストーカーとか、男として一番終わっ――」


 バゴ、と鈍い音が響く。


 それは不良とかそういう類いの人種とは一切関わりを持たない俺にとって、実に非現実な光景だった。


「え、え、え」


 平然と。

 当たり前のように。

 男は如月の顔面を殴った。


「う、うそーん……うそーん」


 如月は、ずるずると壁を伝い落ちていく。

 そのままぺたん、とその場に座り込む如月に、男はさらに追撃を加えるべく拳を振りかざす。


 おいおいおいおい。

 ちょ、マジかよ……それはやべえって。


「もぅ、やめてって、ごめん……あーしが悪かったから、あやまっから」


「なんだよ姫乃、お前。急にしおらしくなりやがって。最初からそうやって素直になっとけば殴られなかったのに。とりあえず、今からうちこい。ボコすのはそれからだ」


「わあったから、今日限りに……して」


「それはお前の態度次第だろ」


 男は如月の腕を強引に引っ張って立たそうとする。


 あの女王様が戦意喪失してしまっている。諦めモードというか、もうどうにでもなれ、みたいな投げやりな様子。


 バイト先までつけ回されてるとか、なんとか……やばい話も聞こえてきたし、相当まいってるんだろうな、てのはわかる。


 てか、やっぱ女王だけあってあいつも四月からバイトしてたクチか。


 なんにせよ、あの男はやばい。

 如月の元カレかセフレかなんかだろうが、とにかくやばい。


 ……お、俺なんかが関わる人種じゃない。


 不良とかマジ勘弁。

 あんな平然と、女を殴るやつ、絶対に関わりたくない。


 け、警察……いや、男女の恋愛のもつれは警察が介入するとこじれるってなんか聞いたことある。


 あの男はすでに如月を一発殴ってるから傷害罪は適応されるんだろうけど、ああいう粘着質そうなやつって、もろもろが終わってから、逆恨みでさらに凶暴性が増す気がするし……。


 如月もそれをわかっているような、もうなんかどうにでもなれって、投げやりな感じでついて行こうとしちゃってるし、これ、俺がなんとかしないとやばいやつじゃね?


 って、俺なんかに何ができんだよ……


 って感じだけど、ついでに如月のことも、でえッ嫌いだけど……


 同級生クラスメイトがピンチなんだ。


 よくわかんねえけど、見過ごせねえ。


 俺は意を決して路地に足を踏み入れる。


「お。おい、あんた。それ以上はやめた方が」


「ア?」


 男が俺を睨む。

 目が据わってる。これやばい。冗談抜きで。


 完全に頭おかしいやつの目だ。


 如月の顔面を殴った面が、いまは俺を睨んでる。


「……? む、むしゃのこうじ? ……なんで、あんた、ここに」


 如月は、俺の顔を見て、ぽこっと腫れた目をぱちくりとさせた。

 如月のそんな顔を見たのは初めてだったから、俺はちょっと驚いた。


 いつも女王様然としていて、気の強いこの女が。

 弱々しい、女の子みたいな顔をしていたから。


「そ、そのちぢれ女から離れろ、お、お前、どんだけ力込めて女殴ってんだ、こ、このクソ野郎」


 咄嗟にそんな言葉が自分の口から飛び出た。


 び、ビビりすぎてかみかみ。


 誰か助けて。


 いや助けを求めてるのは多分、如月の方だ。


「アぁぁ!?」


 ひぃ。こ、こえー。


「なに、誰お前? お前もボコされてーの?」


「さ、されたいわけねえだろ……」


「あ?」


「お、お前、女と自分より弱いものに手をあげるなって母ちゃんと父ちゃんから教わらなかったのかよ……い、いいから、そのちぢれ女から離れろってんだ、このイカレポンチ野郎!」


「てめえ、まじで殺されたいみてえだな?」


 よ、よし、もう後には退けない。

 こうなれば、相手が完全にぶちギレる前に先制攻撃だ。


 変身をさせたら手をつけられなくなるってのが、少年漫画のセオリー……


 一歩。


 いや――わっかんねえけど、走り出したら止まれないってやつが、そんな気持ちが俺にもあったらしい。


 気付いたら突っ込んでいた。

 ほんとそれは、捨て身のタックルって感じで。


「……んぬっ!」


「なんだッテメエごら!!」


 全体重をかけて男にタックルをかまし、そのまま勢いで押し倒すというラッキーパンチ的な展開が舞い込むも、やばい……! 押さえつけられる気がしない!


「お、おい……女王……じゃなくて、き、如月! は、走れ。とにかく、どこでもいい……こいつは俺がなんとかす――ぶッへォ」


「なんだテメエはって聞いてんだろ! ぶっころされてえのか!」


 ぐわんと、脳が揺れた。

 押し倒してるのは俺なのに――


 拳が右の頬を伝って身体へと衝撃が走り、ぐでんごろんと壁ぎわまで吹っ飛ばされる。


 ……や……っ…………べぇ。

 口ん……中……きれちまったよ


 鉄の味。

 頭もぐらぐらする。

 立たなきゃ……まだ如月が立ち止まってる。


「ぼ……ぼ、い、如月びばらび……ばやぶ……びべよ……」


 壁に体重をあずけながら、よろよろと立ち上がる。

 男も首をぽきぽき鳴らしながら、立ち上がる。


「逃げんじゃねえぞ姫乃。お前が逃げたらマジでこいつ殺す。誰だか知らねえけど、なにお前? 姫乃の知り合い?」


「ちょ、待って恭一……こいつあーしのクラスの、な、なんか変なヤツでさ。あんたんち、行くから。だから、もう、やめてやって……」


 は、ばっか、俺を庇う暇あったら逃げろってのに。根が優しいやつだとは思っていたが、ここまでお人好しだとは。


「も、もじがじで、おで……お邪魔?」

 

「なわけないでしょうが……! じゃ、じゃなくて、邪魔だっつってんの!」

 

 どっちだよ。

 いや言いたいことはわかるけど。


 いいからさっさと逃げなさいよ、という如月の圧を感じる。やっぱこいつお人好しだ。


「ね、ねーっ、恭一、あーしに免じてこいつのこと許してやって。こんなキモ男かまうだけ時間のムダだって……」

  

 如月が芝居がかった猫なで声でそう懇願する、と。

 恭一と呼ばれた男は一度俺を睨んでから、タトゥーまみれの手を如月の肩に回してぐにゃぐにゃと片乳を揉みしだきながら、


「じゃああいつの分も、姫乃に責任とってもらわねえとなあ」


 と、下卑た笑いを浮かべてそう言った――ど、どエロけしからんじゃなくて、させねえ!


 ……痛みとか、恐怖とか、そんな弱気なもんはどうでもいい。


 如月をこのままこいつに好きにさせてはいけないと、俺の本能がそう告げていた。


「ぼぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお……!」


 口ん中がぐちゃぐちゃになってる俺は汎用人型決戦兵器のような雄叫びをあげながら、再び男に向かって突進する。


 ――そこから先のことはあまり覚えちゃいない。


 気が付けば警察と救急車がきてて、男は取り押さえられ、俺は担架で病院へと搬送されていた。


 お医者さん曰く、どうやら俺は気絶していたらしい。

 もちろん、駆けつけた両親と妹にはこっぴどく叱られた。


 如月の姿はなかった。



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