出会いは無色透明水彩で
冬は祈りの季節だ。
豪雪地帯に当てはまるこの街では冬になれば連日雪が降り、外出なんてとてもじゃないができなくなる。
主の家に赴きありがたい説教に耳を傾けたり、野外で感謝のための祭りを催したりといったそれまでの活発な営みはふっつと途絶えてしまう。
その代わり、白銀で閉ざされた家の中で人々は本を開き祈りを唱える。暖かな暖炉の前でチェアに腰掛ける父親が読み上げる言の葉を、文字を知らない子供が足元で復唱する。文盲の妻はその声を聞いて捧げるべき音を覚える。
それが、この街であるべき当たり前の光景だった。
一人、清瀬の家でだけは違った祈りが捧げられていた。
絵描きの彼女はずっとずっと筆を握り、この世で最も尊い方の姿を紙に興す方法で祈り、崇めていた。
薄く引いた線に沿って色を塗っては主をかたちづくり、絵の具が乾かぬうちから新しい紙を引っ張り出し別の構図や色調を試す。
清瀬は来年の夏を目途に建つ主の家に納品される切絵硝子の下描きを手掛けていた。その後には主の姿を写した護符の制作が控えている。
雪深くなる前に一度下描きの全てを主の家の長に確認してもらったが、反応は芳しくなかった。
「主の
たとえば豊かに波打つ御髪は「女性的すぎる」。
目立つように描画範囲におさめた救いの手は「こんな細腕では衆生は救えない」。
それならと一番力を入れた赦しのほほえみは「なまめかしい」。
一から十までそんな具合で、以降清瀬の仕事は難航していた。おかげで床には何枚もの反古紙が散らばっている。
「通俗すぎるって言ったってさあ~」
とうとう清瀬は筆を握ったまま机に突っ伏してしまった。一枚一枚主への敬いと愛を忘れず心血注いだとはいえ、長の主張は一理あっただけに悩みの解決は難しかった。見たことのない主の姿を具現化しようとすると、どうしても己の理想が投影されてしまうのだ。
「だって、いつか自分を助けてくれるなら、かっこいいほうがいいじゃんん~……」
誰にも聞かれることのない言い分は、言い訳の自覚があるだけに語尾が弱い。
「だめだめ、こんなんじゃ」
顧客の要望より自分の欲望を優先させているのだから弁えるべきは自分だと彼女自身分かっている。
納得のいかない進行具合に気の抜けた清瀬だったが、なんとか体を起こしやる気を出す。
「せっかく魔法の筆での初仕事なんだから」
切絵硝子の下描きの依頼を受けた際、報酬の一つとして長から一本の筆を渡された。聖木の枝を材としたそれは、能力の向上をはかるだけでなく持ち主の魂を流し込みやがて奇蹟をも招くという。今のところ清瀬に画力が上がったなどの実感は皆無だが、貴重なアイテムに相応しい作品を残したい気持ちに嘘はない。
「自分好みの絵を描くだけ描いたら欲望が抜けるかも」
誰にも会わず仕事にかかりっきりの冬は独り言が増えてどうにもいけない。音という音が雪に吸収される部屋はこうでもしないと一人で過ごすにはあまりにも空虚すぎるのだ。
清瀬は下描き用の紙束を脇に寄せ、机上に積まれたスケッチブックの山から最上段の一冊を取ってパレットに黒い絵の具を絞り出した。
買い物に行くのも憚られる日が続き物流も途絶えがちのこの季節、なるべく絵の具を消費しないよう清瀬は一色のみで思うがまま筆をふるうことにした。これなら黒のチューブが空っぽになっても他の絵の具を混色すれば何とかなる。
「どう描こう……」
そう言う清瀬の筆運びは滑らかで、真っ白な紙の上で黒い線が迷いのない輪郭となっていく。
人を描こう。
こんな、凍えるほど孤独な日々を、一緒に過ごしてくれる一人の人間を。
優しい人がいい。体型は誰かを助けようとするにはちょっと頼りないけど、だからその細い腕は私を殴らないし、細い足は私を蹴らないから問題ない。
私だけを見つめてくれる目は、穏やかで、まんまるだ。何も心配することはないとその目とくちびるはきっといつも和らいでいる。だったら髪は短いほうがいい、いつでもはっきりそれらのパーツが見たいから。
徒に私を全て肯定するような真似はしないけど、私が大事でたまらないってほほえみを魅せてくれる男の子がいいな。
想像を膨らませ、清瀬は一人の同年代の少年を描き上げた。華奢な体躯に遠慮がちに目を細め笑う表情。すっきりと切り揃えられた前髪の下の黒目は、敵意を宿すことを知らず年の割には大きいからあどけなさを醸し出す。モノクロの全身像はどこもかしこも清瀬の理想だった。
「ああでも、この目を綺麗な色で塗りたいな」
それだけが心残りだった。
「会いたいな」
スケッチブックを顔の真正面に据えれば、思わずどうにもならない願望が口から零れ落ちる。すると、その呟きに呼応したかのように黒い瞳孔が清瀬に照準を合わせた。
「え?」
見間違いだと否定する猶予を与えないように間髪いれず少年は清瀬の方に手を伸ばし、紙の中から駆け寄ってきた。思わずスケッチブックから手を離し席を立つ。勢いあまって椅子は倒れてしまったが清瀬に気にかける余裕はない。
床に落ちても空想の少年は動きを止めない。差し伸ばされた真っ白な腕は、とうとう紙を突き破って現れた。
「こんにちは」
薄い紙一枚から出てきたとは思えない、立体的な人間が少年らしい質量をもって登場する。
「はじめまして、ぼくの神様」
真っ新な彼の声は雪に吸音されてしまいそうなほどかそけき響きだった。
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