君を彩めたもの
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君を彩めたもの
長い長い冬が終わった。世界が鮮やかに色を取り戻していく。
雪ばかりを降らせどんよりとし続けた空は青く澄んでいる。木々は空を押し上げんばかりに緑の梢を伸ばし、枝葉の隙間をカラフルな翼を広げ鳥が行き交い春を歌う。無彩色の殻を脱いだのは森だけではない。雪で覆われた地面は本来の砂色と煉瓦の道を取り戻し、黄色の花が真っ先に春を祝福するよう道々の片隅に咲いていた。
「ね~、もー、まだぁー?」
「まだまだ、もうちょい、ファイトー」
早々に音をあげた
「もうさ、海じゃダメなの?」
「海の水を掬ってみなさいな。何色になる?」
「……透明」
「そういうこと」
二人は青い物を探し歩いていた。それも、絵筆とスケッチブックを携えた、絵描きの清瀬のおめがねに適う、とびっきりきれいな。
初夏には早いが、気温はそれぐらいで風も吹かない今日。汗をかくには十分で、詩暮の白い前髪が額に張りつく。
詩暮という少年は全体的に色素が薄く、髪も肌も紙のように白かった。おかげでぽつんと並ぶ黒々とした目と、ちょんと存在する赤い唇が生き生きとしすぎて、対照的によく目立つ。
「あ!」
嬉々とした声が上がったと思ったら、清瀬はもう駆け出していた。前を見ながら歩く元気がなく、俯いていた詩暮にもお目当ての青が見つかったと声色から知れた。上り坂なので既にバテている詩暮はスピードを変えずゆっくり追いつこうかと思案したが、やっぱり魔法の一瞬を見逃したくないと、なんとか走って後に続いた。
道端でしゃがんだ清瀬の後ろから中腰で手元を覗きこむと、まさにその瞬間をむかえる直前だった。
清瀬の足元には、ホタルカズラ。夕暮れと夜の間はざまを想起させる深い青の花びらが五枚連なり、小さな星と見紛うほどに点々と群生している。その可憐な花びらのひとつに、なんの絵の具も付着していない新品のような筆を近づける。真っ白な先端が花を撫でればたちまち、毛先がホタルカズラの色そのままに染まった。詩暮は三度目の驚異の瞬間に、改めて感嘆し目を奪われた。
清瀬の筆は、絵の具もパレットも必要ない魔法の筆だった。筆先が接した対象の色を吸収し、そのまま絵が描けるのだ。
たっぷり色を吸い上げてからスケッチブックで試し塗りをする。発色具合に納得した清瀬は一度無言で頷いてから喜色満面に筆を構え、背後の詩暮に向き直った。
「いい? いくわよ?」
「うぅ……こわいなァ……」
切っ先を慎重に、詩暮の目元に運ぶ。接近するにつれ防衛本能のまばたきが増え、思わず強めに「目をあけて」ととがめてしまう。無事穂先が虹彩に触れれば花冠から筆へ移ったのと同様に青が移り、詩暮の瞳はたちどころに清瀬と同じ凡庸な黒から涼やかな青へと彩られた。
「やっぱり王子様は、金髪碧眼じゃなきゃ」
頬に両手を添え、顔を寄せて今完成したばかりの目を真っ直ぐ見つめる。口元には満足げな笑みが浮かんでいた。
詩暮は、冬の孤独と、清瀬の才能と、魔法の筆が生んだ少年だった。冬生まれの彼は、色も姿形も黒の絵の具でスケッチブックに描かれたとおり清瀬の前に現れた。真っ白な詩暮の塗りつぶされた目の黒だけが、唯一色と呼べそうだった。
あまりにもさびしい色彩に、清瀬は雪の降る中家を飛び出し色を探した。黒と白と灰色ばかりの季節、凍えそうになりながら見つけた南天の実の色を唇に添えると、それだけでだいぶ人間らしくなったが、まだこのままの色味では人を驚かせかねないとその冬は家に閉じこもることにした。やがて冬が明けると、すぐさま桜で詩暮の爪と頬を彩色した。
冬のうちに、清瀬は決心した。正に理想そのものが存在するのだ。ならば、一切妥協せず、望むがままに詩暮を染め上げよう――――なぜなら自分は、絵描きなのだから。そうして雪解けを迎えると、詩暮と共に色探しの旅に出ることにしたのだ。
「王子ってガラじゃないってば……」
消え入りそうな詩暮の声とは反対に、清瀬は堂々と答える。
「何言ってるの。詩暮は私の理想の王子様よ。だから全部塗り終わったら、結婚しようね」
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