第6話高校生初の公式戦
入部から一週間が経過しようとしている土曜日のこと。
本日は朝10時から春季大会の公式戦が控えていた。
早朝からアップや軽い練習を行って試合までに身体を温め終えた帝位高校野球部員だった。
九条監督が事務所からベンチにやってきてことを確認した不知火が集合をかける。
部員全員がベンチ前に集まると輪になって九条監督の言葉を待っていた。
「新入生は入部から一週間が経過しようとしているな。
残念なことに毎年恒例の出来事だが…
ここで一人二人とリタイアしていく時期だ。
今年の新入生も退部届を提出した部員が既に二人いる。
中学とはまるで違う高校野球の練習や生活についていけなくなったのだそうだ。
聴取をしていじめや可愛がりのような横暴が横行していなかったか尋ねた。
その様な事実は無いと言うことで一安心したが…
しかしスカウトが厳選して声を掛けた選手をみすみす退部させてしまう現状に指導者陣も頭を悩ませている。
新入生にどの様な指導を行えば入部して一週間で投げ出さないか…
そんなことを話し合ったが…
きっとどの様な指導に切り替えても辞めていく選手はいるという結論に落ち着いた。
高校生になって周りの生徒が毎日楽しそうに過ごしていれば…
それに目移りしても可笑しくない。
そういう年頃だと理解も出来る。
ただ…ここに残った部員がまた一人また一人と辞めていくのは考えたくない。
全員が高い意識で練習に取り組んでいる毎日だ。
それを全て投げ捨ててしまうのは本当に勿体ない。
自分の努力を何でも無い無価値なものだと思わないで欲しい。
お前たちの努力は崇高で誇り高いものだと指導者陣は思っている。
自分の努力に酔えとは言わない。
周りの生徒を見下して奢り高ぶれとも言わない。
ここにいる殆どの部員が小学生など幼い頃からずっと努力を続けてきた選手だと思う。
今までの自分の努力を否定して無駄なものにしないで欲しい。
いつか報われるなどと耳障りのいい言葉は言わない。
しかし今の努力は必ず未来の役に立つ。
それだけは皆んなよりも大人の私が断言する。
さて、長話はここら辺で終わりとして。
本日は春季大会…
公式戦が行われるわけだ。
観客や応援の入る環境でプレイをする。
これが高校生になって初の公式戦の部員もいるだろう。
球場の空気に飲まれること無く…
いつも通りの実力を発揮すること。
緊張を解すように試合までに各々で気持ちを整えておくこと。
では本日のスタメン発表する…」
そこから九条監督は本日のスタメンを発表していき…
俺は二番ショートだった。
俺の前を打つのは不知火で…
俺の後ろを打つのが須山だった。
須山はこの短い練習期間で自らの存在価値を存分に発揮し証明していた。
監督は須山を捕手として起用する考えのようで…
今まで正捕手としてマスクを被っていた先輩は悔しそうな表情を浮かべていた。
四番は物延と…
この間のシートバッティングの打順はしっかりと適用されていた。
「それじゃあ今日も快勝で試合を終えよう。
帝位高校野球部の実力をしっかりと示して…
笑顔でまたここに戻ってくるぞ!」
九条監督の締めの言葉に選手全員が声を上げていた。
「新入生とベンチ外メンバーはこのままグラウンドに残ること。
残って練習となります。
レギュラーメンバーやベンチメンバーが試合でいない今が最大のチャンスですよ。
沢山意味のある練習を行って…
夏にはレギュラーの席を奪いましょう!」
木梨コーチが声を掛けてレギュラーメンバーとベンチメンバー以外は声を上げて残って練習の準備に取り掛かるようだった。
俺達は道具を鞄にしまうと…
それを持ってグラウンドを抜けて行く。
帝位高校野球部専用のバスに乗り込むと俺達は試合会場である球場に向かっていた。
俺の隣の席に座ったのは須山だった。
一年生でスタメン入りを果たしているのは俺達二人だけで…
もう二人は控え選手としてベンチ入りを果たしていた。
「一年でスタメンが二人…
ベンチにも二人。
今年の一年は実力者が多いイメージだわ。
吹雪は気になる選手いたか?」
須山はバス移動の最中…
声を潜めながら俺に尋ねてきていた。
「どうだろうか…正直な話をすれば…頼りになると思っているのは須山だけだな。
後の二人は…うーん…うん。
夏の大会までにもう少し頑張って欲しいかもな…」
「お前…本当に厳しいと言うか…
俺じゃなかったら上から目線だって思っているぞ。
チームメイトなんだからな…
もう少し言葉を選べよ…」
「優しい言葉を掛けて成長するなら幾らでもそうするよ。
でもそうじゃないだろ?
言うべきことはしっかりと言ってこそ。
そういう世界だと思っているんだが…」
「お前はそうかもな。
でもそれで心が折れたり心を病む人がいるってことをそろそろ認識しろよ。
皆んなが皆んなお前になれるわけじゃないんだから」
「そうか?現段階では同じ環境でプレイしているんだ。
全く同じ思考や意思を持ってプレイすることは可能だと思うが…」
「馬鹿だな。人間としてそれぞれが別の存在だって理解しろよ。
俺はお前が孤立する未来を必死で避けようと思って…
あえて口うるさい言葉を掛けているんだぞ?
チームが俺達の代になった時…
九条監督のことだからお前を中心としたチームにするはずだ。
主将がお前になった時…
仲間が窮屈な環境でプレイすることを望むか?
選手全員がお前についていけなくなって孤独な選手になることを望んでいるのか?
きっとそうじゃないと思うから…
今から他人を自分とは別の存在だって理解して認める努力をしろ。
俺もあまり口うるさく言ってお前との関係に溝を作りたくないんだよ。
お互いに特待生だからな…
三年までクラスはずっと一緒だろうし…
嫌な関係にはなりたくないんだ。
分かってくれるか?」
須山は様々な複雑な表情を浮かべながら俺の説得に努めていた。
俺も言わんとしていることを理解していて…
「アカデミーにいた頃…
俺は陰で孤独な遊撃手ってあだ名を付けられていたんだ。
それぐらい俺は周りに合わせる努力が出来ていなかったし…
仲間のことを簡単に見限っていた。
けれど…U-15の代表戦で元チームメイトを見た時…
あいつらは俺という共通の敵がいなくなったことで…
しっかりとたゆまぬ努力を始めたんだ。
だから代表にも再び招集された。
俺という存在がチームにとって悪だったのだと…
遅れて気付いたよ。
だから今度こそは余計な衝突や溝を作らないようにしているんだが…
そういう態度が味方に冷たく映っているとしたら…
どの様な態度に変えれば良いんだ?」
俺は思わず自分の恥ずかしい過去を須山に話していて…
それ以上の答えやアドバイスを求めるように質問をしていた。
「ん?基本的には今の態度で良いと思うけどな。
ただあまりはっきりと冷たい言葉を投げかけるのはやめような。
仲間になにか言いたいことがあったら…
俺を頼れ。
吹雪の言いたいことを柔らかい言葉に変換して仲間に伝えてみせるさ」
「ふっ。なんだか既に須山は一年をまとめる存在みたいだな」
「そうか?今までずっと主将だったからな。こういうのは慣れているんだろう。
もしも俺達の代でお前が主将を努めるのが重荷だと感じたら…
九条監督に俺を勧めろ。
お前はプレイだけに集中していて良い。
俺が仲間をまとめる存在になるから。
面倒事は全て俺に任せて良い」
「ありがとうな…色々と…」
「どうってこと無いさ。今日は高校初の公式戦だ。今から気持ち作っておこうぜ」
「あぁ。そうするよ。何から何までありがとうな」
「どういたしまして。試合前の移動中に余計な話しして悪かった。
じゃあ気持ちを作るのに集中しよう」
須山の言葉に返事をすると俺は目を閉じる。
そのままイメージの世界に潜り込んで…
球場に着くまで世界最強投手である父と対戦を繰り返していたのであった。
球場に着くと本日の第一試合目だったためスムーズに中に入っていく。
ベンチに入ると選手は再び軽く体を動かしていた。
少しだけ冷えてしまった身体を温め直していたのだ。
素振りをする選手や短い距離を全力ダッシュする選手。
投手陣はブルペンに向かい捕手とともに投球練習を行っている。
対面ベンチでは本日の対戦相手が同じ様に軽く運動を繰り返していて。
ベンチに備え付けられている時計で時刻を確認すると…
現在時刻は9時丁度当たりを指していた。
主将である不知火がダグアウト裏で相手チームの主将と主審と集まっていた。
先攻後攻を決めるじゃんけんとスターティングメンバー表の用紙を交換していたのだ。
しばらくして戻ってきた不知火は監督に用紙を手渡していて…
「じゃんけんに勝って後攻を選択しました」
「そうか。では先に試合前シートノックだな。野手は早速守備につきなさい」
九条監督は木製のノックバットを手にすると内野のノックを担当するようだった。
外野ノックは同行しているもう一人のコーチだった。
試合前シートノックが始まって…
七分間の意味のある時間が経過していく。
シートノックを終えた帝位高校はそのままベンチに戻っていく。
続いて先攻の相手チームが試合前シートノックに向かい…
俺達はベンチ前で素振りをしながらその光景を眺めていた。
「今日のチームは…」
そこでそれに続く言葉を一度飲み込む。
隣で話掛けられた須山は苦笑気味な表情で話の内容を察してくれていた。
「よく言葉を飲み込んだな…
吹雪の言いたいことに答えるとしたら…
中々に強豪と言えるだろう。
帝位高校は十年以上に渡って春夏の代表として甲子園に出場しているが…
今日対戦する高校は毎年ベスト8以上には食い込んでくる強豪だ。
夏の大会では東京は東西に別れて代表を二校選出するわけだが…
帝位高校は東東京代表として…
ここ最近はずっと甲子園に出場している。
相手チームは毎年大会終盤で当たるイメージだが…
今回は思いの外…早めに当たったな。
強豪だからきっと…
高校デビュー戦初打席から敬遠なんてことは無いと思うぞ。
安心して打席に入れよ」
「ありがとう。海外にいたからな…あまり詳しくないんだ。
何処の高校が強豪とか…
殆ど情報がなくてな…須山がいて助かるわ…」
「良いってことよ。しかし相手が強豪だろうが…
遠慮なく打ちまくろうぜ。
世界に活躍を見せつけて…今日も代表戦の時のように快勝するぞ!」
須山のエールに返事をすると…
そこから相手チームの試合前シートノックが終わるまで俺達は素振りをして過ごしていたのであった。
「白雪高校先発投手の最大球速は140km/hを三月に記録しているそうだ。
そこから一ヶ月程度でどれほど球速が上がったか定かではない。
今までのデータ通りだと…
球速がそこそこありキレのあるパワーカーブと…
球速は遅いが変化量の多いスローカーブを使い分ける投手だったな。
データ収集班の部員の言によると…
ここ最近で落ちる球であるチェンジアップと変化量の少ないカットボールらしき球を投げていたそうだ。
一打席目から変化球を捨てろなど消極的なことは言わない。
打てると思ったら積極的に振っていって構わない。
特に一打席目は好きに考えて打席に立ちなさい。
その結果を見て二打席目の戦術を考える。
特に上位打線が爆発してくれれば…
先発投手を降ろすのに苦労しないだろう。
同じく東東京として夏の予選も戦う相手だ。
春季大会の内に帝位高校打線に苦手意識を植え付けるように。
では試合まで体を冷やさずにな」
九条監督のミィーティングが終わると選手たちは試合前に行うそれぞれの過ごし方をしていた。
「神田くん」
記録係としてベンチに入っている女子マネージャーに声を掛けられて俺は振り返る。
「何でしょうか?」
返事をして女子マネージャーと向き合うと彼女は驚いた表情を浮かべていた。
「やっぱり大きいね…今までは遠くからプレイする姿を見ていただけだったから…
あまり実感なかったな…」
「確かに面と向かって話すのは初めてですね」
「うん。それで何だけど…響子ちゃんにこれを渡すように言われていたんだ。
ちゃんと渡したからね」
女子マネージャーはそういうと山口響子からの預かりものを手渡してきていた。
余談だが山口響子は俺や須山の進路を聞いて…
帝位高校に進学していた。
彼女も一年生マネージャーとして野球部に入部していて…
しかしながら一年生マネージャーなので大会には同行することが能わず…
今は残って練習を行っている選手のマネージャーをしているようだった。
一年生マネージャーと二年生マネージャーが残ったそうで…
三年生の代表マネージャーが記録員としてベンチに入っていた。
残りの三年生マネージャーはスタンドにて応援をしていて…
応援に来ている生徒や吹奏楽部や応援団やチア部をまとめるように先導しているそうだ。
春季大会から本格的な応援に来ている理由としては…
夏の甲子園で他校に応援で負けないためだそうだ。
今から大会の空気や雰囲気に慣れるために…
スタンドにて全力応援をしてくれるそうだった。
本日俺は初めての経験を沢山する。
それに寄って緊張するかといえば…
まだ試合が始まっていないのでわからなかった。
山口響子から受け取った手作りのお守りをユニフォームのポケットにしまうと…
俺達はベンチ前に集合していた。
審判が集合の声を掛けて…
俺達は整列をして…
試合前の挨拶をするのであった。
一回表。
先発投手の準備投球が七球行われている間に俺達も軽い守備練習を行った。
準備投球が終わると先頭打者が左打席に入る。
初球から強気な投球をするバッテリーだった。
先頭打者がセーフティの構えを一瞬しても…
まるで動揺の表情を見せない。
帝位高校野球部の現在のエースは三年生。
稲葉は完全にポーカーフェイスの投手と言えるだろう。
球速も150km/hに届きそうな程で…
多種多様の変化球を有している。
捕手である須山のリードは明らかに強気に思えてならなかった。
二球目も一球目と同じ様に速球を要求していて…
どちらもクサイコースに正確に制球することを求めていた。
初回の先頭打者から正確なコントロールを要求することで本日の稲葉の調子を確かめているように思える。
ブルペンとマウンドではまるでわけが違うというのはよく聞く話で…
ブルペンでは調子が良かったのに…
マウンドに立つと調子が悪そう。
そういった出来事はよくあるのだ。
須山は先頭打者に三球連続で速球を求めており…
全ての球がコースギリギリに収まり…
先頭打者を見逃し三振に抑えていた。
「球走っているよ!バッター手が出ないで困っている!このまま行こう!」
バッテリーを組んでいる捕手の須山が稲葉に声を掛けて調子を上げているようだった。
投手の稲葉も須山の言葉を鵜呑みにしたようで…
続く二番打者、三番打者も三振に抑えると俺達はベンチに戻っていく。
因みにだが帝位高校はプレイ中に限った話だが…
上下関係を取っ払い敬語禁止だった。
何故ならばワンプレイで状況が一気に移り変わる高校野球のグラウンドで…
先輩後輩を考えて敬語に切り替える。
等という思考は余計に脳のリソースを割くから不要とのことだった。
しかしながらいつか記した通り…
プレイ外ではしっかりと上下関係が存在しており…
先輩や目上の人を敬う態度を忘れてはならない。
選手たちはしっかりと意識を切り替えてグラウンドに立っていて…
野球のプレイには関係ないと思われる思考は一時的に排除しているのだ。
閑話休題。
一回裏。
帝位高校の攻撃は不知火から始まった。
左打席に入った不知火は明らかに相手投手に嫌がられているように思える。
投手は何度も捕手のサインに首を振っていて…
帝位高校のバッテリーとは打って変わって明らかに意思疎通が図れていない状況だった。
何度目かのサインでやっと頷いた投手はモーションに入る。
ネクストからでも明らかにカーブを投げると見え見えの投げ方だった。
二種類のカーブに自信がある投手だが…
カーブをストレートと同じ投げ方で放る投手がどれぐらいいるだろうか。
投げる瞬間に抜くような…
縫い目に掛かっている指先に意識をして…
最後に引っ掻くような引っ掛けるような…
そういった繊細な動きを要求されるカーブというボールをストレートと全く同じ投げ方で行える投手はあまり多くないように思える。
全国に行けばそういった投手ばかりだろうが…
今回に限ってはそうではないらしい。
だがしかし二種類のカーブを使いこなす投手だ。
今回の投げ方がどちらのカーブなのか…
ネクストからしっかりと観察していた。
ゆったりとしたモーションから投げられたのは変化量の多いスローカーブ。
投球練習で見たストレートのモーションよりもほんの少しだけゆったりとしたモーションに思える。
たっぷりと時間を掛けて放るような…
僕だけが感じ取れたことかもしれないが…
一先ず参考にする材料として脳内に残しておいた。
コースを外れて低めに収まったスローカーブを不知火は当然のように見逃す。
1-0の状況で…
二球目のサインに頷いた投手がモーションに入る。
一球目よりも明らかに早い投球モーションで投げられた球は…
140km/hほどの速球だった。
アウトコースギリギリに収まったストレートを不知火は再び見逃した。
少しだけ勢いづいたバッテリーはテンポの良い投球を試みる。
三球目のサインに頷く投手はすぐにモーションに入り…
速球とスローカーブの中間あたりのモーションスピードで投球して…
球速もそこそこでキレのあるパワーカーブが放られていた。
不知火はしっかりと球筋を確認するようにパワーカーブも見逃していた。
審判によってはストライクをコールする良いコースに収まったボールを…
ボールと宣告されていた。
2-1の打者有利のバッティングカウントの状況だった。
四球目のサインが決まった投手はモーションに入る。
「ストレートのモーションスピードだな…」
俺は殆ど完全に相手投手のクセを捉えていて…
「後はカットボールとチェンジアップを投げてくれたら完璧にわかるんだが…」
ネクストにて俺は全ての球種のクセを盗もうと努力をしていた。
速球がインコースに差し込まれて…
不知火は柄でもなく再び見逃していた。
2-2の平行カウントで…
サインが決まった投手はかなりゆっくりなモーションスピードで投球を行う。
スローカーブと同じぐらいのモーションスピードだった。
だが投げ方がカーブのそれではない。
ゆっくりとしたスピードで放られたそれは…
打者のタイミングをずらすチェンジアップだった。
「おぉー。結構良い球だな。好打者でも思わず手が出てしまいそうだ。
変化量も速球との球速の落差も良い感じだ…」
そんな感想が口から漏れていて…
ホームベースに届く頃にワンバウンドしたその球を不知火は当然のように見逃す。
3-2とフルカウントの状況。
続く球は自信のあるどちらかのカーブだろうか?
そんな疑問や予想を立てながら勝負の行方を眺めていた。
サインに首を振る投手。
しかしながら捕手は何度も同じサインを要求しているようで…
投手は一度マウンドから足を外して嘆息していた。
捕手が一度タイムを掛けてマウンドに向かう。
タイムの時間ギリギリまで話し合いをするようで…
不知火は打席から外れるとネクストの俺の下までやってきていた。
「俺の一打席目で全球種投げさせてみせるからな。しっかりと見ておけよ?
情報によると後はカットボールだけだから…」
「相手投手のクセが分かった…」
「お!早いな。今の内に出来るだけ教えてくれ。
ベンチに戻ったら全員に共有する。
(仮)の情報としてだが…
ベンチに居る選手全員で吹雪の情報を精査する」
「まずは…」
そうして俺はバッテリーが守備のタイムを取っている時間を利用して…
不知火に投手のクセを全て伝えていた。
「なるほどな。直接対決している俺よりも早く気付くのか…
流石だ。チームメイトとして誇りに思うぜ。
ありがとうな。カットボールのクセも盗んでくれよ」
それに返事をした所でタイムの時間は終わり…
捕手は定位置に戻ってマスクを被った。
不知火は一度打席の外で素振りをしていた。
そのまま打席に入るとプレイ再開のコールが主審によって告げられる。
サインが決まっている投手はモーションに入り…
すぐに投げる球がパワーカーブであると理解する。
不知火もクセを理解したのか…
コースに入ってきたボールをカットしていた。
自信のある球をコースギリギリにびっちりと収めたというのに…
余裕でカットをしてくる不知火に投手の表情は陰っていく。
そこから三球に渡ってカットボール以外の球を投げ込んでいた。
しかし上手にカットをしてくる不知火にバッテリーは嫌気が差しているようだった。
再びサインに首を振り続ける投手。
捕手は何か覚悟を決めるような姿勢でサインを出して…
やっとサインが決まった相手バッテリーだった。
投球モーションに入った投手は…
今までで一番スムーズに投球動作をしているように思えてならなかった。
あえていうのであればストレートと似通った一連の流れに思える。
しかしながらストレートよりも力が抜けていると言うか…
余計な力が抜けた脱力気味に思えてならなかった。
本当にほんの少しの変化。
深く集中していなければ気付けない。
それぐらいの変化だった。
予想通りカットーボールが放られていて…
速球と殆ど変わらない球速だが…
打者の手元でほんの少しだけ鋭角に変化していた。
ただ不知火が好打者であることを失念してはならない。
不知火の内角に抉るように投げられたカットボールを…
彼は上手に肘を畳んで強打していた。
心地の良い金属バットの快音が響いて…
打球はライト線上を駆けていく長打の当たりとなる。
不知火は余裕で二塁まで進み…
先頭打者から二塁打を放っていた。
続く二番打者の俺が打席に向かうと…
投手は先程よりも力が抜けているようだった。
先頭打者にいきなり粘られて長打を打たれたことで余計な力が抜けた可能性が高い。
帝位高校の全力の応援の音に飲まれていた可能性もある。
何もかもが吹っ切れた投手はセットポジションに入った。
盗塁を許さない速度で投球に入る投手だったが…
セットポジションでもクセは健在と言える。
流石にランナーがいない状況で行うワインドアップとは投球スピードに差異があって当然。
でも本質的にクセが抜けることは早々ないようだった。
かなり早い投球スピードで放たれる瞬間…
既にステップを踏んだ状態で構えていた。
軸足に体重を乗せて殆ど腰を捻る形で…
放られてくると予想している速球を待っていた。
一応今回ばかりは目にも頼っていた。
投手の指先から放たれたボールが…
明らかにストレートの形で…
アウトコースギリギリに投げられたボールを初球から逆らわずにフルスイング。
甲高い金属音が快音奏でて球場全体に鳴り響いて…
レフトスタンドへと低弾道で突っ込んでいく打球を眺めてしまう。
打球速度が早すぎて…
弾道が足りないかと軽く心配に思ってしまっていた。
全力で走り出した所で…
ギリギリレフトスタンドに放り込まれた打球を確認して俺は安堵した。
審判が手を天に上げてくるくると回している。
俺は安堵感から来るため息を吐くとダイヤモンドを一周した。
先に帰塁していた不知火が俺を待っていてくれていて…
ハイタッチを交わすと感謝を告げてくる。
「吹雪みたいに完璧にクセがわかるわけではないが…
明らかな違和感としては参考になる。
ベンチに戻って監督に報告しようぜ」
それに返事をした所で三番打者の須山がハイタッチを求めてくる。
「ナイスバッティング!高校初打席でいきなりホームランかよ!
高校通算で何本打つつもりだ!?」
「ありがとう。須山も続けよ。投手のクセだが…」
「戻ってきた不知火さんに聞いたよ。よく盗んだな。
それとだな…
お前に言われるまでもない。絶対に続くからよく観ておけ!」
須山は強気な態度で打席へと向かっており…
ベンチに戻った俺達は九条監督に報告に向かっていた。
「なるほどな。今の時間でよく見抜いた。よくやったな。
ではこれから続く攻撃の時間で情報が正しいか…
全員で精査するぞ!」
九条監督の言葉に返事をした選手たちはそこから相手投手を凝視して過ごしていた。
三番打者の須山は投手が自信を持っている球であるスローカーブを上手に捉えていた。
明らかに難しいコースで見送っても良い状況だったが…
彼は右中間に大きな当たりを打っていた。
ワンバウンドでフェンスに当たるような長打を打った須山は二塁まで向かう。
続く四番打者の物延もクセを掴んでおり…
須山と同様にパワーカーブを強烈に引っ張って長打にしていた。
その間に須山はホームに帰塁して物延は二塁へと悠々到着。
そこからも打線は爆発してしまい…
一回表で打者一巡して一挙五点をもぎ取っていた。
投手はアウトを二つ取った所で降板して…
再び不知火の打席が回ってきていた。
最悪な状況から引き継いだ投手は投球練習を五球行って。
試合は再開されるのだが…
その後…
一回表に二打席目が周ってきた不知火から物延までで追加で三得点を奪っていた。
先発投手とまるで同じ様な状況に陥っている後続の投手は嫌気が指しているようだった。
五番打者が凡退すると守備の時間がやってきて…
帝位高校は五回までに10点以上の得点を奪っており…
一番打者から四番打者は全打席塁に出ており…
得点にもかなり貢献したと言える。
俺は本日四打席周ってきて…
二打席連続で本塁打を打ったため…
続く二打席は連続で申告敬遠をされていた。
味方投手は失点を許さずに…
数本の安打は許したが俺達は快勝で試合を終えていた。
バッテリーが軽くダウンをしている間に俺達は早々に荷物をまとめていた。
グラウンドと相手チームに挨拶をすると俺達は荷物を持って球場の外に向かう。
全員がバスに乗り込んで帰路に就くのだが…
「吹雪は早々に警戒されるようになるな…一年のまだまだ最初の時期なのに…」
隣に座ってきた須山は軽く苦笑気味に嘆息して口を開いた。
「後続に須山がいるから安心できるよ。必ず得点を奪ってくれるって」
「まぁしばらくはそういう状況が続くだろうが…
夏の本番でも避けられ続けるとチームは少しだけ苦戦しそうじゃないか?」
「うーん。一番から四番までは安泰というか…俺が敬遠されても安心できるよ」
「だから…言いづらいけど五番以降の話だろ…」
「だな…強打者であるのは練習を見ていて分かっているんだが…
少しだけ冷静じゃない選手が多い気がするな」
「同意見だ。先発についてはあれだけ明確にクセを伝えたんだ。
凡退するほうが難しい状況で…
一巡するまでにツーアウトはちょっとな…」
「あぁ。狙い球をしっかりと定めてクセと照らし合わせたら確実に打てるはずだ。
後続の投手のクセを盗む間に凡退するのは仕方ないにしても…
有益な情報があり確実に有利な状況だったからな…」
「何と言うか…少しだけ期待していた打線とイメージがかけ離れているか…」
「それこそ打席に入って冷静じゃなかったんだろ。
シートバッティングの時のように冷静に考えて打ってくれたらな…」
「ベンチに居た同級生二人も悔しそうだった…」
「そうなの?」
「味方を見ていないのはいつも通りにしても…
同級生だぞ。
代打起用で選ばれた一年の中でも強打者二人だ。
中学まで外野を守っていた根本。
同じく中学まで外野を守っていた峰。
二人共一年ながらベンチ入りしていて…
かなりの強打者だと思うぞ」
「そうなんだ。じゃあ明日以降の練習で沢山アピールしてほしいな。
今のレギュラーの椅子を奪うぐらいに」
「そうだな。そうしたら打線に今以上の厚みが出る」
「あぁ。俺達の代も中々楽しそうだ。今から期待できる」
「ふっ。そうだな。次の試合も一年代表として活躍しようぜ」
「もちろん」
俺と須山は帝位高校までの帰り道のバスの中で極力声を抑えて話し合いを行っていた。
グラウンドに戻ってきた俺達は昼食後…
十分な休憩を取って練習に戻る。
残っていたメンバーも加えて全体練習を行い。
俺は追加メニューである投球練習も行うのであった。
明日も早朝から練習があるが…
俺は自宅で母の食事が食べたいため…
本日も30km以上の距離を走って帰るのであった。
夜の自主練習を不知火、物延、須山が行っている。
明かりがついている場所で素振りを行っており…
その誰もが無言で黙々と全力で集中していた。
全員が…
「吹雪に負けない…!」
その一心で暗くなり体力の限界を迎えるまでバットを振り続けていたのであった。
次回へ…!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。