第5話帝位高校野球部での生活開始!
「集合!」
九条監督がグラウンドに顔を出すと現在の主将が声をかけていた。
現在の主将とは以前練習を外で見学していた時にセンターを守っていた先輩だった。
自らの想定通り現在は主将を務めていた。
「今年も新入部員が恙無く入部してきたわけだが…
二、三年には昨年から伝えていた通りだ。
今年の新入生である神田吹雪を遊撃手でスタメンとして起用する。
これはずっと昔から決めていたことだ。
お前らも何かの記事で読んだことがあるだろうが…
神田吹雪は小学一年生の少しの期間だが…
帝位高校野球部の練習に参加していた。
しかも当時から一軍グラウンドで活躍していた。
現在はメジャーで活躍している梅田や仙道からも何本も打ったことがある実力者だ。
お前らが努力していたことは理解している。
だが…今現在の吹雪の姿を見て勝てると…
一つでも勝っている部分があると思う者は挙手してみせろ」
九条監督の残酷に思える言葉を受けて…
選手は誰も手を上げたりしない。
現在はグラウンドに一軍と二軍しか存在していないようで…
以前の帝位高校よりも少数精鋭のように思えてならなかった。
「今年の新入部員の数もここ最近の例年通り20名。
スカウトが声を掛けた選手だけが入部を許されているわけだが…
例年通りにいくと…
ここから五名以上の選手が退部届を出すのだと予想される。
三年生の数は15名。
二年生の数は18名。
新一年生の数が20名。
以前の帝位高校のように100名を超えるような部員は在籍していない。
出来るだけ全選手の成長や活躍が見たいと言うことで…
数年前から方針を切り替えたわけだが…
少数精鋭になったことで実力が拮抗している選手が多い印象だ。
ここで頭一つ二つ飛び抜けた選手になれば…
レギュラーやスタメンも安泰だと思って欲しい。
吹雪を抜いた新一年生は第二グラウンドを使用して体力測定から始めてくれ。
木梨コーチの指示にしっかりと従いなさい。
帝位高校野球部は実力主義でプレイ中は上下関係が無いものと思って欲しい。
だがプレイ中以外はしっかりと先輩や目上の人を敬う態度で接すること。
普段の生活態度や学校生活での授業態度などもしっかりと報告を受けるからな。
実力が拮抗した選手がいた場合…
礼儀正しく他人を尊重できる選手を選ばざるを得ない。
チームのためになる選手。
チームの士気を向上させてくれる選手。
そういった部分もしっかりとレギュラーメンバーの選考基準になると思え。
普段の一つ一つの態度や行動が自らを一軍へとベンチメンバーへとレギュラーメンバーへと押し上げてくれると思いなさい。
少しカビの生えた思考のように思えるだろう。
だがいざって場面で…
自分を信じてチームの仲間を信じて…
チームに貢献できる選手は強いと私は信じている。
新入生も中学生までの意識を塗り替えて…
帝位高校野球部の先輩たちと同じ意識に切り替えること。
一人一人が自覚をしなさい。
お前たちは帝位高校野球部員。
そして何よりも夢の舞台を目指し続ける高校球児であると言うことを!
高い意識や向上心を深く胸に刻み込みなさい。
何処かで誰かがお前たちをいつでも見ているぞ!
気を抜かずに毎日精進しなさい。
以上。
では新入生は木梨コーチについていきなさい」
九条監督はそこで話しを一度区切る。
新入生は木梨コーチについていく形で第二グラウンドを目指していた。
「さて。二、三年生の当然の疑問を理解しているつもりだ。
年下の吹雪がいきなり高校野球についていけるのかと。
吹雪に懐疑的な感情を抱いていることだと思うが…」
九条監督の言葉を遮る形で主将の不知火が挙手をしていた。
「失礼します。発言よろしいでしょうか」
不知火の行動にチームメイトはニヤリと笑っているようだった。
きっと主将の行動は普段通りのことなのだと推察できる。
九条監督も苦笑気味な笑みを浮かべて発言を許す。
「ありがとうございます。
九条監督の本日の発言を予想していたわけではないのですが…
既に私が部員全員の意思を確認しておきました。
それを発表しますと…
誰も神田吹雪の実力を疑ってなどいません。
今の時代は沢山の動画などがネット上に溢れていまして…
彼のアカデミーでの活躍は動画で幾らでも観ることが出来ます。
僕らの世代で…
世界最高峰の舞台で破竹の快進撃を何年も続けていた神田吹雪の実力に懐疑的な部員は一人も存在しておりません。
このままスムーズに何のわだかまりもなく練習に参加してほしいと願っております。
これは私達部員の総意です。
九条監督もどうぞこの意見を参考にしてください。
話を遮って申し訳ありませんでした」
不知火は帽子を取ると深く頭を下げて…
九条監督は会話のバトンを受け取る形で続けて口を開く。
「そうか。それなら指導者として非常にやりやすい状況と言える。
吹雪は帝位高校に入学した日に部員登録を行っているため…
当然メンバー入りしている。
なので今日はこれから実践を想定した練習を行う。
春季大会を勝ち進んでいる状況で…
いきなり新一年生である吹雪が参入することに不安を覚える者もいるかも知れない…
いいや…先程の話を聞くにそれはないんだったな…
では全員で入念にアップを済ませてきなさい。
終わり次第シートバッティングの準備をしなさい」
九条監督の指示を聞いた選手たちは揃って外野に向かう。
部員は俺を既に歓迎しているようで…
後輩として特別待遇をするような甘い考えの選手は一人もいないように思えてならなかった。
俺は帝位高校野球部の全力のアップに余力を残しながらついていき…
完全に身体が温まり解れると…
俺達はシートバッティングの準備を行うのであった。
「不知火、吹雪!」
九条監督に不意に声を掛けられた俺と不知火は顔を見合わせると返事をしてベンチまで走って向かっていた。
「打順で悩んでいるんだ。特にお前ら二人の打順を…
一番打者に吹雪を置くべきか…
二番打者に置くべきか…
それとも不知火を一番打者に置くか…
二番打者に置くか…
お前ら二人の打順をどちらに置くか…
非常に悩ましい。
どちらでもありな気がするんだがな…」
九条監督の悩み続ける表情を目にしていた不知火は再び唐突に挙手をする。
「神田を四番に置く選択肢は無いのですか?」
不知火は当然のように質問を繰り出しており…
しかしながら九条監督は断定的に否定するような表情で首を左右に振る。
「吹雪が四番は考えていない。
確かにチーム一の打力を持っているし一番の強打者だ。
それ故に打順を多く回したいんだ。
一番に据えれば確かに一番多く打席に立てるだろう。
だが…先頭打者になる確率が多い。
それ故に一点しか奪えないのは勿体ない気がするんだ。
一番打者に不知火を置いて…
二番打者に吹雪を置けば二点奪える可能性が跳ね上がるだろ?
不知火は吹雪を抜けばチーム一の打者と言える」
「では後続の三番打者は誰になるのでしょうか?そこも重要かと思いますけど…」
「あぁ。三番は
正直な話をすると物延は四番に据えたいんだ。
一年生からセカンドでレギュラーを務めており…
当時は三番打者に座ってもらっていた。
十分強打者で好打者な物延を四番に起きたいんだがな…
そうなると三番打者の候補がな…」
九条監督は打順を悩みに悩んでいるようで…
俺は新入生ながら挙手をして見せる。
「なんだ?早速新入生と打ち解けたのか?三番を務めるに足る選手がいると?」
九条監督はニヤリと微笑んでいて…
俺の続く言葉を期待して待っているようだった。
「はい。U-15で共にプレイをした須山剣は走攻守揃った優良選手だと思います。
代表では俺の前の打順である三番打者を務めておりまして…
俺が勝負を避けられますから須山が走者を帰す場面が多かったです。
帝位高校打線でも十二分に通用する選手だと…
新入生ながら生意気にも進言いたします」
「なるほど。同級生の仲間と親睦を深めていて安心したぞ。
確かに須山は一年からレギュラー候補として特A推薦で帝位高校に来てもらったわけだが…
それはあくまで夏を想定していたんだが…
吹雪の厳しい目から見ても…
須山はそれほど優れた選手だったのか?」
「はい。同じ中学出身で代表でもチームメイトだったから…
等というバイアスを完全に抜きにしても…
須山は良い選手だと思います。
捕手としても配球能力やセンス…
投手をリードするのもかなりの手練れに思います。
バッテリーを組む投手も投げやすい捕手だと思いました。
バッティングも言うまでもないです。
大会での彼の活躍は本当にチームにとって絶大でしたから」
「そうか。では須山は体力測定の報告を受けて…
一軍に合流できる値を叩き出したら…
その時は吹雪の進言を聞くことにしよう。
とにかく今はお前たちの打順だが…」
九条監督は再び悩んだ表情を見せていて…
以前の九条監督よりも丸くなったと言うか…
柔らかい性格の監督になったような気がしてならなかった。
「俺が一番を打ちます。吹雪の前に確実に塁に出ます。
情けない話ではありますが…
吹雪を帰塁させることよりも…
自分が一番を務めて塁に出るほうが確実性があると思うからです」
「そうだろうか?吹雪は先頭打者でいきなり敬遠をされても…
三塁まで盗塁してくれるぞ?
同じ安打を打つんだ。
状況的には一緒に思うが?」
「いえ。実は俺はチャンスの場面で打つよりも…
チャンスを作る場面やチャンスを広げる場面で打つほうが打率が良いんですよ。
それはきっと心の持ちよう的な話だと思うんですが…
打者として打席に立つ時…
ランナーが居る時よりもランナーがいない時の方が打率が良いと…
ずっとマネージャーに言われておりまして…
去年は四番や五番を任せれることが多かったですが…
実はずっと一番打者を打つことを勧められておりまして…
データを取ってくれていたマネージャーも九条監督に進言しようとしていたんです。
ですが俺が止めていました。
チャンスの場面で打てない打者と思われたくなかったからです。
同時にレギュラーから外される心配もしていました。
ですが今年は頼りになりすぎる新入生が入ってきました。
ですから俺は率先して一番を務めたいと言うことが出来ます。
どうかチームを一番に思っている主将の一意見として参考にして頂けると幸いです」
不知火は微塵も恥ずかしさを感じさせない自信のある口調で九条監督と相対していた。
九条監督は軽く苦笑のような表情を浮かべたのだが…
不知火の進言に耳を傾けているようで…
何度か頷くと口を開いた。
「分かった。では今日のシートバッティングでは不知火を一番…
吹雪を二番。
三番を一時的に欠番として…
四番を物延…
分かった。
とりあえず打順は決まった。
バッテリー以外のスタメンはバッティングの準備をさせなさい。
ベンチメンバーと控え選手は守備に。
控え投手と控え捕手はブルペンで肩を作っておくように伝えなさい。
では準備が出来次第…早速シートバッティングを始めること」
九条監督は主将である不知火に全てを任せるように伝えると…
そのまま第二グラウンドの様子を見に行くようだった。
きっと俺が進言したことを頭の片隅に置いてくれているのだろう。
須山剣の体力測定の結果をいち早く目にしようとしているのかもしれない。
須山のことに思考を割きすぎず…
俺はシートバッティングに意識を向けて…
既にマウンドで投球練習に入っている投手のタイミングに合わせて全力の素振りを行うのであった。
一番打者の不知火から勝負は始まる。
彼の身長は須山剣と同じぐらいで…
目測で185cmほどに思える。
須山は去年の夏よりも身長が伸びていて…
彼は入学式の朝に身長を測定した所…
185cmに届いたとはしゃいで報告してくれていた。
俺も去年の夏から2cm程成長しており…
現在は194cm100kgになっていた。
当然のように体脂肪率は8%をキープしており…
日々のトレーニングに間違いは無いと理解していた。
須山は一年で食トレの量を増やしたようで…
体格は目に見えて変化していた。
去年よりも一回り大きくなった彼はパワーも運動能力も上がっているように思う。
不知火は帝位高校野球部主将三年生と言うだけあり…
かなり大きな体格をしているように思える。
俺と須山の間ぐらいの大きさだろうか。
野球をするのに何もかもが整い恵まれている俺はここでも一番の大きさを誇っていて…
しかしながら不知火を始めとした先輩や…
新入生でも須山は誰にも負けないように全ての努力を惜しまない姿勢に思える。
帝位高校野球部に本格的に入部して…
俺はやっと完全に意識を共通なものに出来る仲間と出会えたと感じていた。
この時は…直感的にそう思っていたのだった…。
不知火とバッテリーの勝負を眺めながらネクストで素振りを行っていた。
捕手は不知火相手に慎重なリードを心がけている。
それだけで不知火が好打者であることが伺えてしまう。
まるで勝負に焦る気配を見せていないバッテリーに思える。
同様に不知火にも焦りの表情は見て取れない。
確実に仕留めることが出来る球を厳選しているようだった。
クサイコースを上手にカットしており選球眼も抜群に思える。
先程の不知火の言い分も理解できてしまう。
確かに彼は好打者で強打者なのだろうが…
今の一打席を観るだけでも一番打者に向いていると感じていた。
走力の方はどうだろうか。
と一瞬だけ疑問のような思考が浮かんでいたが…
彼がセンターを守っていたことを思い出して…
自らの思考や疑問に頭を振った。
フルカウントに追い込まれた不知火だった。
それでもバッテリーは決して甘い球を投げる気配もなく…
完全にクサイ場所に要求する捕手のリードに頷いた投手だった。
投げ込まれた速球に不知火は手を出さずに見送った。
審判を務めていた控え選手がボールを宣告して…
不知火は先頭打者からフォアボールを選択して塁に出る。
「お手並み拝見といかしてもらう。俺達の期待に応えてくれるよな?」
不知火はバットを置くとネクストの俺に声を掛けて一塁に向かっていく。
俺はヘルメットのつばに軽く触れて打席に向かっていた。
右投手相手だったため左打席に入るとルーティンを行って…
勝負の時間は始まった。
一度タイムを掛けてマウンドに集まるバッテリーだった。
十分な話し合いを行った二人は声を掛け合って士気を高めているようだった。
マスクを被って座る捕手は早速サインを出していて…
頷いた投手はきっと自信のある球を要求されたようで…
自信ある表情を浮かべて投球モーションに入っていた。
「一番自信のある球を打つ…バッテリーにとってそれが一番嫌な行動…」
俺は過去に感じたことがある感情を思い出しながら…
初球に放られたバッテリーが一番自信を持っている球…
左打者のインコースに食い込んでくる様なスライダーを予想して…
予想通りの球が鋭い軌道を描いて俺の胸元を抉るように投げ込まれていた。
しかし…
どうしても俺は現役時代の世界最強投手。
父と他の投手を比べてしまう癖が抜けないでいた。
どんな球を投げ込まれてもイメージの世界で対戦し続ける父に敵う投手に出会ったことがない。
いつも実際に対戦する投手が俺の期待を超えることはなかった。
いつも通りに変化が終わると予想される場所にミートポイントを設定して…
中に内に引き付ける形で…
腰や下半身の力を全力で活用してフルスイング。
金属の快音が響いて…
投手はすぐに打球の行方を目で追っていた。
ライトスタンドに向けて飛んでいく打球をライトは既にお手上げ状態で眺めている。
帝位高校野球部一軍グラウンドを飛び越えていく当たりは…
場外ホームランとなり…
守っていた選手たちの唖然とした表情が目に飛び込んでくる。
俺はダイヤモンドを一周して…
「どんだけ飛ばすんだよ。もう少し控えて打て。吹雪のせいで球が無くなる」
先に帰塁していた不知火は苦笑の表情とともに冗談を口にしていた。
そのまま俺の頭をヘルメット越しに軽く叩いて祝福してくれる。
「さぁ。次の打者は欠番だ。四番の物延も続けよ!」
主将の不知火に声を掛けられて…
二年生の物延は全力で返事をして打席に向かっていた。
「吹雪。あれがお前と二遊間のコンビを組む先輩だぞ。
物延のことをしっかりと見ておけ。
あいつがどれほどの選手でお前の要求をどれだけ叶えてくれるか。
ちゃんと把握しておきなさい。
一年からセカンドでレギュラーを張っていた好選手で…
先輩の遊撃手にもズケズケ物を言うタイプの選手だった。
俺と似ている選手だぞ。
実はな…俺も物延もアカデミーから声がかかっていたんだ。
ただ海を渡って生活を続けることが出来るような金が家にはなかった。
結果的に帝位高校に特S推薦でスポーツ特待生の枠を頂けた。
その御蔭で学費なんかの諸々の費用は無料。
体を作る食事や自主トレの器具や野球道具のためだけにお金を使えるようになった。
俺と物延は本当はアカデミーに行きたかったんだ。
でも家庭の事情でそれも能わずな…
だから俺達はアカデミーに入ったと想定した未来よりも…
帝位高校野球部で成長した未来の姿をより良いものにしたくて必死なんだ。
家庭の事情でアカデミーに行けなかったことを将来恨んだりしないように…
ここに進学したからこそより良い選手に成長できたと…
心から思って納得したいんだよ。
そこにアカデミーを自主的に辞めた吹雪が入ってきた。
何があったか詳しくは尋ねないが…
俺達の進路は間違っていなかったと…
お前を見て少しだけ思えるんだ。
だって結果的にお前は帝位高校に進学してきたんだ。
この道が正しいって思ったからだろ?
だから俺達もこの道を進んでいることが正しいって…
少しだけ思えているんだ。
だから…何ていうか感謝する。
お前のお陰で俺達も少しだけ救われた気分だよ…
変な話だがな…」
俺は不知火の言葉にどの様な表情を浮かべていれば良いのかわからずに…
なんとも言えない表情を浮かべて何度も頷いた後に感謝を返すように返事をしていた。
四番を務める物延は不知火の長話の途中で二塁打を放っていた。
確かに四番を務める強打者であると認識することになる。
難しいコースでも打ってしまうような器用な打者にも思えていた。
続く五番以降の打者のことも頭に入れながら…
それ以降の打順を任されている選手のことも観察していたのであった。
八番打者まででスリーアウトを取られていた。
俺達は試合と同じ形式で守備に向かっていた。
バッテリーだけは交代せずに早速準備投球を行っている。
俺達は簡易的な守備練習の様な物を行って…
いざ、控え選手達が打席に向かっていく。
一番打者は左打ちだった。
ショートを守りながら…
打者は初球の速球に明らかに振り遅れていると感じていた。
「セカンド。もう少し二塁側に寄ってください」
俺の言葉に物延は少しだけ怪訝な表情を浮かべていた。
「左打者だぞ?右方向に飛ぶほうが確率が高いだろ?」
物延が言っていることは最もだ。
しかしながら俺は続けて口を開く。
「投手が緩い球を投げた時だけ定位置に戻って右方向をカバーしてください。
球種的にチェンジアップやスローカーブを投げた時はそちらを任せます。
ただ…打者は投手の速球にタイミングが合っていません。
速球が投げられたら僕は三塁側に寄るので…
万が一にもセンターに抜ける当たりを打たれたら抜けてしまうでしょう。
ですから二塁側に寄ってカバーしてほしいです」
俺の進言に物延は納得したようで帽子のつばを軽く触ると返事をくれる。
「OK。しっかりと考えがあっての発言なんだな。
気付いて進言してくれたのは嬉しいが…
先輩として俺が先に気付きたかったっていうのはあるな…
いいや…今はそんな感情は捨てて…
とにかく打者を完全に抑えるぞ!
二遊間に飛んできた当たりは絶対に抜かすな!」
それに返事をすると俺達は投手が投げる毎にポジションを変化させていた。
カウント2-2と平行カウントの状況でバッテリーはアウトコースギリギリに速球を選んでいた。
打者は明らかに振り遅れていたが…
フルスイングしたバットの先にボールが当たり…
ショートの深い場所に強い当たりが飛んできていた。
俺は定位置に寄る勢いのままスピードを落とさずにボールを追う。
どうにか届きそうな場所に強い当たりが通り過ぎそうだった。
しかしながら走る速度をそのままに逆シングルでグラブを出すとどうにか捕球。
俊足の一番打者はかなりのスピードで一塁を目指している。
このまま滑るような形で送球態勢に入ると動作が多いのと…
どうしても一度停止するために余計な力が必要になる。
現在身体に加わっている力を完全に利用しないと確実にセーフになってしまう。
俺は瞬時に意識を切り替えて…
捕球後…打球を追うために三塁側に走っていた走力に流される形でジャンプをして…
空中でスローを行う。
メジャーのショートが時々見せるスーパープレイを真似る形で…
俺の送球がファーストミットにノーバウンドでストライク返球されていた。
本当にギリギリなタイミングだったが…
審判はアウトをコールしていた。
俺は地面にどうにか着地して安堵の表情を浮かべる。
「ナイスショート!」
センターから不知火の割れんばかりの称賛の声が聞こえてくる。
それにグラブを上げて応えると守備位置に戻っていく。
「どんな肩してんだよ…強肩過ぎだろ…本当に一年かよ…
やっぱりアカデミーでの日々は…
神田を信じられない高みまで成長させたのか…
羨ましいな…
俺もアカデミーでプレイしたかった…」
セカンドを守る物延の嘆きの言葉が風に乗って軽く聞こえてきていた。
俺は少しだけ申し訳無さそうな表情を浮かべて…
続く守備の時間も誰にも遠慮すること無く全力プレイに努めるのであった。
シートバッティングの時間が二時間以上続き…
俺達は次の練習に向かう前に休憩を取っていた。
第二グラウンドから戻ってきた選手が数名居て…
その中には須山の姿もしっかりと存在していた。
「合流する一年だ。しっかりと手本になって上げなさい」
九条監督が先輩たちに新入生を紹介していて…
「残りの一年は?」
主将の不知火が質問をしていた。
「あぁ。今年は体力面に心配が残りそうでな…
十分な能力を持った選手をスカウトしたんだが…
ここ数年は異常気象と言うか…
夏の気温が高すぎるだろ?
大会では色々と対策を練ってもらってはいるが…
選手の体力を根本的に上昇させることを怠るわけにはいかない。
というわけで水準をクリアできなかった一年は…
しばらく走り込みと食トレだ。
これから参加する三名は水準をクリアしたってわけだ。
遠慮なく先輩が先導して鍛えてやってくれ」
「はい。次のメニューはどうしましょうか?
主将の立場で言わせてもらいますと…
定着している投手陣の枚数が二枚と心もとなく思いますが…」
「あぁ。そうだな。だがそこにも秘策はある。
基本的にはショートとして吹雪を起用するが…
どうしようもない場面では投手を努めてもらう。
そのつもりで吹雪も準備をしておきなさい」
それに返事をして応えると主将と九条監督は引き続きやり取りを行い…
俺は次の練習で現在の正捕手と共にブルペンで投球練習となった。
控え捕手の先輩と須山も投手陣と共にブルペンを目指していた。
投手陣は十球ずつ投げ込むと組んでいる捕手を順繰りで交代して投球練習に励み続ける。
サインやお互いの思考のすり合わせ。
捕手の望んでいるリードや配球を話し合いながら…
暫くの間…投球練習に努めるのであった。
一日の練習が終了して。
九条監督のミィーティングも終了する。
殆どの選手が寮に向かう中で俺は道具の整備をしてから敷地の外に向かう。
道具は自分のロッカーにしまい…
俺は30km以上の距離を走って帰宅する予定だった。
「吹雪は寮生活じゃないんだな。家は近所なのか?」
練習後の自主練をしていた不知火と物延に声を掛けられて…
俺は首を左右に振って応えていた。
「じゃあ寮生になればいいじゃないか。今からでも申請すれば…」
物延が不知火の話を引き継いで口を開いていた。
「いいえ。30km程の距離を走って帰るだけなので。
まだ一日に使える体力は余っていますし…
今日の運動量では俺が普段取っている食事からして完全に太ってしまうので…
しっかりと一日のカロリーを消費するために走って帰るのが最適なんです。
ではお疲れ様でした。お先に失礼します」
先輩方に挨拶をすると俺は自宅までハイスピードハイテンポで帰宅していくのであった。
「おい…練習後に30km走れるか?」
不知火は物延に伺うように尋ねていた。
二人は完全に苦笑の表情で首を左右に振っていた。
「無理ですよ。あいつ…バケモンすぎでしょ…」
物延は完全に意気消沈した表情で嘆きの言葉を口にしていた。
「俺も吹雪という存在を甘く見ていたな…
あいつに高校野球は思っている以上に過酷だって…
公式戦の野球は思っている以上に怖い場所だぞって…
先輩として毅然とした態度で振る舞うつもりだったんだが…
その必要はまるでないと言うか…
俺達も負けないように気を引き締め直すぞ!」
不知火の言葉に物延は完全に内なる闘志を燃やしていた。
「先輩として…二遊間のコンビとして…あいつに劣った存在にはなりたくないです。
足手まといだなんて絶対に思わせません!」
「あぁ。絶対に負けられない。今まで以上に精進するぞ!」
不知火から喝を受けて…
二人は絶対に吹雪に負けないことを改めて誓うのであった。
練習を終えた新入生は今まで経験したことのない食事量に目を剥いていた。
早々に食べきったのは須山剣だけだ。
彼は自室に戻り自身の練習用バットを手にして外に向かっていた。
そこで偶然…
不知火と物延とやり取りをしている吹雪の姿を目にしていた。
何もやましいことはないが…
須山剣は物陰に隠れていた。
先輩たちとやり取りを行う吹雪の言葉を耳にして…
須山剣も人知れず心の奥底で闘争心を燃やし続けていたのであった。
次回へ…!
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