第8話孤独な遊撃手編へ!

早朝に目を覚ますと俺は階下に降りて朝食を食べる。

時間を気にせずに一日を過ごすのは少しだけ久しぶりに感じていた。


食事が終わると食休みと柔軟ストレッチの日課を行う。

父親は家を空けておりテーブルの上にトレーニングメニューが記されたメモが置いてあった。


日課が終わると俺はジャージに着替えていた。

トレーニングの最初のメニューである10km走から開始される。


家に出て準備運動を行うと走り出した。

父親と走るスピードを意識して…

本日もトレーニングはスタートしたのであった。






「お待ちしておりました。業選手。お久しぶりですね。

軽く十年ぶりぐらいでしょうか。

あの頃の約束通り息子さんに声を掛けさせて頂きました」


アカデミーの上層部が集まる客室で俺は椅子に腰掛けていた。


「一つ聞きたい。俺の息子だから声を掛けたのか?」


俺の憂慮する正直な思いを口にしてみせると…

上層部の人間はにこやかな笑みを浮かべて首を左右に振った。


「いいえ。あの頃は確かに吹雪くんが生まれる前にした口約束でしたね。


ですが…あの頃とは状況が違います。

私共アカデミーの調査員は日頃から世界中を渡り歩いておりまして…

吹雪くんの活躍も存じ上げております。


全国常連萬田シニアから帝位高校野球部一軍と共にプレイをしてきた記録。

こちらに渡ってきてからはフェニックスですね。

これら全ての記録を持っております。


吹雪くんは明らかに殆どの選手と異質な才能を持ち合わせております。

アカデミーに勧誘するほどの実力者だと上層部も判断しました。


世界中に存在する特別な選手がアカデミーには集まっております。


きっと吹雪くんの渇きを癒してくれる存在もいることでしょう。

今までの物足りなさを全て埋めてくれる。

きっとそうなることを私共は確信しております。


一流の指導者が集まるアカデミーでならば…

吹雪くんは今以上に実力を向上させることが出来るでしょう。


良い話だと思って…

受けてくれると幸いなのですが…」


アカデミー上層部の人間は上手な笑みを浮かべていて…

胡散臭い笑顔だとは思わなかったが…

俺は少しの警戒心を抱いていた。


「本当に吹雪にとって最適な環境だと言えるか?」


「もちろんです。施設も指導も…何もかもの環境が一流です。

全てが揃っていると言っても過言無いでしょう。

約束しますよ。

吹雪くんが何も物足りなさを感じない野球生活を約束します」


「そうか…いつから練習に参加すれば良い?」


「と言うことは…アカデミーに入団してくださると?」


「まずは見学…そう言いたいが…

きっと吹雪のことだからすぐにでも食いつくだろう。

それなので入団ということだ」


「分かりました。では一応パンフレットをお渡してしまして…

入団の契約書にサインをお願いします」


「分かった」


俺は契約書をしっかりと読んで…

保護者としてサインをした。


「では三月初週の土曜日から練習参加でお願いいたします。

それまでの間はアカデミーもトレーニング期間ですので…

グラウンドを使用する初練習から参加ということで。

どうぞ宜しくお願い致します。


少しの期間空いてしまいますが…

冬のトレーニングメニューは業選手にお任せします。

よろしいですか?」


「あぁ。それで良い。では三月初週の土曜日に」


「はい。グラウンドでお待ちしております。

本日はご足労いただき誠にありがとうございました」


お互いに挨拶を交わすと俺はアカデミー上層部が集まる客室を後にするのであった。






一人で行うトレーニングは思いの外…

いつもより長く感じていた。

いつも通りのトレーニングだが…

父と共に行うトレーニングとは少々違い…

俺はあまり集中できていない様に感じていた。


これでは駄目だと自らに発破をかけた俺は…

そこから全力で集中してトレーニングメニューを全うするのであった。





帰宅すると吹雪は庭で素振りを行っている。

声をかけようかと思ったが…

あまりにも深い集中に入っていることが外から見ていても理解できてしまう。


トレーニングメニューが記載されているメモがテーブルの上に置いてあり。

全ての項目にチェックが付いている。

その横には終わった時間が記されていた。


息子に限ってサボったり誤魔化すような心配はしていなかったが…

ここまで歳不相応にしっかりとしていると少しだけ不安になってしまう。


キッチンで間食の用意をしている妻の下に向かい…


「吹雪はしっかりとトレーニングしていたか?」


問いかける俺に星奈は柔和な笑みを浮かべて頷いている。


「本当に凄い子だって思いますよ。

監督する父がいない状況で…

何一つとしてサボらない姿勢は見事の一言に尽きますね。


昼食を取って食休みして…

その後はすぐに庭に出て素振りを開始しました。


もうかれこれ二時間近く振っているんじゃないですか?

本当に野球が大好きなんですね。


純粋な気持ちから来る向上心が今日も吹雪を強くしているように思えます。

母親として傍で成長を目にすることが出来るのは本当に幸せなことですよ」


星奈の気持ちを耳にして俺も何度か頷いていた。


「二時間近く振っているのか…少し声を掛けてくる」


「はい」


星奈は柔和な笑みを崩すこともなく…

俺達家族は今まさに幸福感に包まれているようだと思った。


「調子はどうだ?」


庭に出ると吹雪は素振りを中断した。


「うん。最近右打ちが多かった気がしたから…

左中心に振っていたよ。

まだ少しだけ物足りないから…

もう少しだけ振ろうと思っていたところ」


「そうか。じゃあトスバッティングでもするか?

素振り以上に感覚が刺激されるんじゃないか?」


「良いの?父さんは用事が合ったんじゃないの?」


「あぁ。もう済んだよ。寒い中だが軽く打っておこう。

しっかりと真芯を捉えるようにミート重視のトスバッティングな」


「ありがとう。早速用意するよ」


「いいや。準備は俺がするから。少しでも多く素振りをしておきなさい」


「良いの?ありがとう」


そこから吹雪は俺が準備をしている間に数十回の素振りを行っているのであった。






帰宅してきた父の表情はいつも以上に柔らかなものだと思った。

直感的にそう思っただけで確信はない。

何やら良いことでもあったのだろうか。

そんなことを思いながら俺は素振りに集中していて…


「準備出来たぞ。ネットの前に来なさい」


父の言葉に返事をして…

俺はネット前に向かう。

父は古い硬球が沢山入っている箱を幾つか用意していて…


「好きなだけ打っていいぞ。感覚を刺激して…ミート力向上を意識しよう」


まず俺は左打ちの構えを取って…

そこからトスバッティングを開始した。


父は下から投げてくれていて…

俺はタイミングを合わせて軽くステップを踏む。

繰り出したバットが真芯を捉えて。

気持ちの良い快音を響かせながらネットに突き刺さっていく。


何球か繰り返して打ち続けると…


「トスのタイミングに意識を合わせすぎている。

しっかりと投球されているとイメージしないとな。

トスだけの練習になったら意味ないぞ。

実践に繋がる様に…

相手投手と対戦していると意識してバッティングを行いなさい」


返事をして俺はイメージを深くしていた。

今投げているのは現役時代最強の投手…

父を深くイメージしながら俺はバットを振る。


今まさに実践として左打席に入っている。

父の全力投球に俺はタイミングを合わせて打っている。


そうしっかりとイメージして…

何度もバットを振っていた。


「今度はミートが疎かになっていると思わないか?

実践を意識してイメージするのは大切だし当然するべき。

でもミート力向上の練習だって言ったよな?

そこを疎かにしていたら練習にならないぞ」


父の一見矛盾しているような指導に思考がこんがらがりそうだったが…

イメージの世界は十二分に広げて…

現実世界ではミートを意識しろと言うことなのだろう。

確信のような答えに気付くと俺は再びバットを持ち上げて構えを取る。


再び何球か打ち続けて…

父は何も言わずにただトスを繰り返してくれていた。


しばらく打ち続けると箱の中身が完全に空になって俺達はボール拾いをしていた。


「次はインとアウトのコースをイメージして投げるからな。

インに差し込まれたボールを引っ張る。

ただしファールになる打球は絶対に打たないことをイメージして。


アウトに投げ込まれたボールをきれいに流す。

こっちもフェアゾーンに落とすことを意識して打つこと。


スタンドに放り込むイメージを持つのは大切だ。

いつでも狙える時は狙うと良い。


練習でも考えることは多いな。


実践の打席でも思考は回転し続ける。

タスクの多さにバグを起こすのではなく。

いつでも完全に処理できるように思考能力も上げておくんだ。


もちろん思考の回転も速くして…

何事にも瞬時に判断できるようになれるといいな」


父はかなり難しく高レベルなことを要求しているように思える。


ただし俺は打席に入るといつも思考を高速回転させていて…

だからきっと練習の時から意識的に様々なことを考えるのは難しくないはずだ。


やってみないとわからないことだが…

マルチタスクに何でも出来ないと…


俺は選手としてもっともっと進化しないといけない。


そんなことを考えながらボール拾いを終えた。


「吹雪…この一年でかなり大きくなったんじゃないか?

身長的にも体つき的にも。

最近身長測ったか?

体重測定はしているか?」


ボール拾いを終えて今度は右打席に立つと父は不意に声を掛けてくる。


「いいや…測ってないけど…」


「周りのクラスメートの中で何番目に大きい?」


「一番だね。学年でも一番大きいよ」


「やっぱりそうだよな…明らかに周りの子供より大きく思える。

150cmを超えているように思うし…

体重も50kg近くあるんじゃないか?


以前よりもパワーが上がっているし…

筋肉量も多いからスイングスピードも上がっている。


あの飛距離も納得できる。


沢山運動してトレーニングもしているから…

きっと体脂肪率も少ない。

筋肉が殆どを占めているのだろう。


周りの子供よりパワーが異次元なのも頷けるな。


この先は食トレやトレーニングを見直して…

もっと効果的に…

そして量も増やしていこう。


まだまだ大きくなってもらわないとな。


これからも先を見越して成長していこうな」


父の思いを耳にして俺は頷いて応えていた。


早速右打ちのトスバッティングが始まって…

俺は打席に立っている時の様な気持ちで思考を全力回転させていた。

思考を止めずに様々なことに意識を向けて…

トスバッティングを引き続き行うのであった。





極寒の冬がそろそろ終わりを告げようとしている。


冬の間のトレーニングを全うした俺は…

明らかにもう一回り大きくなっていた。


身長も毎日のように伸びている気がして…

冬を明けた俺はまた一段と強くなったはずだ。


クリスマスに新年。


そう言ったイベントの日も…

俺は一日も完全オフを設けなかった。


毎日の苦行の様なトレーニングがやっと明けてくれて…

俺は明らかに能力を上げていた。


少しずつ暖かさを取り戻してきている季節に…


俺は真新しい気持ちと真新しいユニフォームに袖を通していた。


超特別選手育成プログラム専用野球アカデミー。

本日より俺が世話になる場所だ。


弾んだ心を抑え込むように…

深呼吸をすると俺は専用グラウンドに入っていくのだった。




小学生・元メジャーリーガーの父を持つ子供・海外編 終了








「また今日から独裁投手の下でプレイする毎日が始まるんだな…」


「そうだな…もしもあいつをコテンパンに打てる選手がいたら…

あいつの独裁も終了するのかな…」


「指導者陣も何も注意しないよな。あいつが実績ある投手だから…」


「結果を出している間は何も言われないんだろ」


「だがしかし…このままだと俺達の野球が出来ないだろ…」


「つまらなく感じると…途端に嫌になるよな…」


「冬のトレーニングで力をつけたやついるか?

KINGから打てるようなトレーニングをしたやつ…いないか…」


「KINGはチームのトレーニングメニューに加えて…

別メニューもやっていたみたいだぞ。

指導者陣にお願いして…追加メニューを考えてもらったんだと」


「KINGなんてあだ名を所望するぐらいだからな…

やることはやっているし…

意識も高いし結果も出している。


俺達は実力が劣っていて…

現状を打破したいけど何も出来ない…


本当に歯がゆい状況だぜ…」


「誰か救世主的な存在が入団してきてくれないだろうか…」


「無いだろ。一年に一人入団してくるかどうかなんだ。

世界中周っても…俺達の実力についていける同年代がまだいるとは思えない」


「そうかな…例えば…

メジャー注目投手である梅田や仙道から打ったって言う少年は?」


「あぁ。SNSに動画が上がっていたな…どうせ合成だろ?

現時点で梅田や仙道はAA《ダブルエー》ぐらいの実力はあるって噂だ。

そんな好投手から本塁打などの長打を少年が打てるわけがない」


「でも…KINGはそれ以上の実力だと思うが?

世界は俺達が思っているより広いんだよ」


「KINGが既にAAA《トリプルエー》程の実力があるって…?

まぁ…確かに…そう言われても可笑しくないか…」


「そんな好投手と毎日一緒に練習できているのは幸運だよな。


けれどあいつの独裁で…

俺達は軽い絶望を感じて…

やる気も失いつつある。


指導者陣にはどうにかしてほしいところだが…」


アカデミーの選手たちは三月初週土曜日の練習前…

ベンチで愚痴の様な嘆きを口にしていた。


「あい。お疲れ。何だお前ら?秋頃とまるで何も変わってないな。

こりゃ今年も俺の独裁状況は続くな。


お前たちもずっとこの状況で満足なのか?

向上心が足りないチームメイトばかりで…

俺も最近は張り合いのある相手がいなくて暇だぜ。


毎日自分との戦いばかり。

俺を腐らせてくれるなよ?

お前らチームメイトは俺と同じぐらいの選手になってほしいものだな」


KINGも同様に嘆きの言葉を口にするとベンチを抜けて外野に向かった。

チームメイトよりも先にアップを行っており…

残されたチームメイトは深い嘆息と共にベンチから立ち上がっていた。


「KINGの単独行動。いつものことだが…俺達のこと仲間と思ってないよな」


「本当だよ。実力はかけ離れているかもしれないが…

コミュニケーションは取ってほしいよな…」


「一人で野球やってんだろ…KINGに仲間なんて必要ないのさ」


「そんなわけあるかよ…

最低でも九人いないとまともなプレイできないのは当然な話で…

ルール上の話をすれば…」


「そういうことじゃないのさ。捕手はKINGの球を受けるだけの的。

野手なんて存在すら認知していない。


だってKINGは三振しか取らないし…

野手にボールが飛ぶこともない。


的に投げ続けているという感覚しか無いんだよ」


「じゃああいつは野球をしているわけではなく…

いつも投球練習をしているようなものじゃないか…」


「そう考えると…KINGも少しは可哀想だな…」


「哀れなやつではあるよな…俺達のせいであいつを孤独にしているんだ」


「そうだな…誰か俺達を…KINGを救ってくれるやつが現れないかな…」


アカデミーの選手は外野に向かい…

話を切り上げてアップを開始したのであった。





完全にアップが済むと…

監督の集合により俺達はベンチに集まっていた。


「まずは今日から練習に参加する者を紹介する。入ってこい」


声を掛けられて俺はグラウンドに入り…

そのままベンチに入った。


「神田吹雪です。どうぞよろしくお願いします」


帽子を取って深く頭を下げると監督に会話のバトンを返した。


「よし。フブキは外野でアップを済ませてきなさい。

それが終わったらチームメイトに力を示してもらう。

君が得意なバッティングを全員に見せつけて欲しい。

ではしっかりと体を作ってきなさい」


監督の指示に返事をして…

俺はすぐに外野に向かいアップを行おうとしていた。


「おいおい。まさかKINGである俺と対戦させるってことか?

幾らバッティングが自慢な選手だとしても…

俺からは打てるわけ無いんだぜ!?

分かっているよな?」


KINGは指導者である監督に食って掛かるような言葉遣いで迫っていた。


「お前の実力はここにいるチームメイト全員が認めている。

だからこそお前の呼び名はKINGで固定されている。

お前がこのチームのKINGだと全員が認めているからだ。


けどな…今日入団したフブキには関係ない話だろ?

フブキに完全に打たれたら…

KINGの呼び名は変更だぞ。


お前こそ覚悟は出来ているのか?

フブキはお前が思っている以上に好打者で強打者だぞ?

甘く見積もっていると簡単に打たれる。


お前も十二分に準備しておくことをおすすめする」


監督がKINGにあり得ない言葉を投げ掛けていて…

KINGは明らかに不機嫌そうなブチギレている様な表情を浮かべていた。


「おい。キャッチャーなら誰でもいい。俺の肩作りに付き合え!」


KINGに声を掛けられて…

正捕手は防具をつけて後を追いかけていた。


ありえないんだ。

僕らは知っている。

KINGが打たれるなんて…

天地がひっくり返っても絶対にありえないんだ。


僕らは少しも期待などせず…

絶望を更に深いものにされた気分でバッティング練習の用意をするのであった。






「KINGから打てないってだけで俺達も十分好打者だし強打者だよな?」


「そりゃそうだろ。アカデミーにスカウトされるような存在なんだし」


「あの新入りもこれから俺達と同じ思いをするのか…」


「哀れだな。俺達がもう少し実力があればな…」


「そうだな。今のような状況が出来上がっていなかったはずなんだ…」


「期待なんかしていないけど…あいつデカかったな」


「幼い顔していたけど…いくつなんだろうな」


「わからないが…とにかく万が一の奇跡でも起きてほしいって気分だよ」


「やめておけ。下手な期待や無茶な希望を抱くと絶望感が深くなるばかりだぞ」


「そうだな…新たに加わる哀れな仲間を慰める準備をしておこうぜ」


チームメイトはバッティング練習を行いながら…

深い絶望に包まれた表情で会話を重ねていた。


新人が準備を終えたらしく…

KINGは新人の姿を確認するとブルペンマウンドを降りてグラウンドに足を運んでいた。


バッティング練習が一時中断するとKINGはマウンドに上っていた。

正捕手がマスクを被って…

そこから本気の投球練習が行われる。


新人は左打ちの構えでタイミングを図っている。

一度のスイングを見て…

俺達の心には一筋の希望の光や淡い期待が見え隠れしてしまう。


「すげぇスイング…」


「なんか…マジであるんじゃね?」


「ま…とりあえず様子見といこうぜ」


KINGの投球練習が終わって…

俺達はベンチに向かい…


この後…

歴史に残るような名勝負が繰り広げられることをまだ知りもしないのであった。






「なんかチームメイトに煙たがられている投手だな。

今まであまり見てこなかったタイプと言うか…


投手ってエゴイストで身勝手なやつが多いとかいう話を聞くけど…

実際にそういう投手に出会ったこと無いからな…

今日は良い経験になりそうだ。


何と言うか捕手ともコミュニケーションを取っていないし…

もしかしたら投手主体でボールを放るのかもしれない。


サインなんて無くて…

投手が投げた球を捕手が絶対に捕る。

それで絶対に後逸しない。


そうだとしたら…

捕手のレベルは明らかに高すぎるよな…


投手がそれを理解しておらず…

もしかしたら独善的な投手なのかもしれない」



俺は一瞬にしてチーム事情を把握しつつあり…

バッテリーや投手の性格が手に取るように理解できてしまっていた。


投球練習は終了して…

俺は左打席に入る。


「新人!どれぐらいの実力かわからないが…

真新しいバッティンググローブを買ってきたところ悪いが…

お前が試合でバッティングする瞬間なんて来ないと覚えておけ!

ここはお前の居場所ではない!

俺に敗北してさっさと失せな!」


投手の宣戦布告の言葉に俺の感情はまるで動かない。

怒りは覚えないし焦りや不安もない。


この投手から打てると言う感覚やイメージだけが脳内で繰り広げられていて…

左打席に入ると…


いざ、真剣勝負は開始された。





相手投手は右投げ。

高身長に鍛え抜かれた下半身。


上半身は…

肩や腕や肘や手首は…

鞭の様にしなるほど長く柔らかい。


投球モーションは美しいほど洗練されていた。


ここのエースであるのは間違いなく…


それでも打てると…

自分を信じて疑わなかった。


一球目のフォーシームがど真ん中に投げ込まれていた。

球速が150km/hを明らかに超えている様に思えた。

俺は見送るように手を出さない。


「手が出ないだろ。それぐらいの打者だって見切りがついたぜ。

監督も見込み違いだったな」


勝手なことを言っている投手だったが…

俺は挑発された真ん中の甘いボールを打つ気にならなかっただけだった。


この投手とは全力で真剣勝負がしたかった。


二球目に放られたフォーシームと球速の落差がありすぎるチェンジアップ。

どれぐらい球速差があっただろうか。


先程の豪速球を目にした後だ。

遅すぎてタイミングが合うわけもなく…

俺はベース前でワンバウンドするほどのチェンジアップを見送った。


「手が出ないよな。タイミングも合っていない。一流の打者とは思えないぜ」


一人でヒートアップしている投手に俺は笑みすら浮かべていたことだろう。


何度も言うようだが負ける気がしないのだ。

俺が普段相手にしている投手は…

世界最強の投手。

現役時代の父親なのだから…


三球目に放られたインに差し込まれるスライダー…

いいやスイーパーだろうか。

俺はそれにも手を出すつもりがなかった。


カウント1-2と追い込まれているのは俺の方だった。


普通のバッテリーならここで勝負を焦らないことだろう。


しかしながら俺の見立てだと…

このバッテリーは投手主体で…

捕手は的のような扱いを受けていると感じていた。


この投手の思考としてはここでねじ伏せてくるだろう。


だから次に放られる球は…

全力ストレート。


一球目と同じコース。

ど真ん中に放らることは明白だった。


そこにタイミングと照準を合わせて…


投球モーションに入り…

流れるようにスムーズな投球が行われていて…


「だよな。期待通りの投手でありがとう。

ただ期待外れだったのは俺の方だよ。

本当にわかりやすい投手だ…」


真ん中に放られた全力ストレートを俺は完全にフルスイング。

当然のように真芯を捉えた打球はセンターのバックスクリーンに突き刺さっていた。


「バッティンググローブの感触も良い感じだな。

父さんが紹介してくれたメーカーを信じてよかった」


「………おい…もちろん一打席勝負じゃないよな…?

試合では四打席ほどあるんだ…

たまたま偶然打てただけで…調子に乗るなよ…!?

俺はこのチームのKINGだ!?

負け越すわけにはいかない!」


「もちろん。当然今の打席は遊びだろ?

俺を甘く見て本気じゃなかったんだよな?

本気の君と対戦させてくれよ」


「くそ…口だけ達者な野郎だ…!次行くぞ!」


俺は再び構えを取って…

周りのチームメイトの唖然としている表情は無視して…

二打席目の勝負を始めたのであった。





二打席目。


一球目からチェンジアップを放る投手の性格が手に取るように理解できる。


豪速球を打たれた後だ。

俺の脳内にこびり付いている速球の裏をかくように…

遅いチェンジアップを放ってきている。


冬の特訓でミート力を向上させていた俺は…

ホームより前にミートポイントを設定して…

全力のアッパースイングで真芯を捉えていた。


再びスタンドに放り込まれた打球を見て…

投手は言葉を失いつつあった。


「次…!」


三打席目。


自慢のスイーパーで調子を取り戻したいであろうエースの心境が手に取るように分かってしまう。

インに差し込んでくるその球を狙っていたようにフルスイングしていた。

ライトスタンドに放り込まれた打球に投手は完全に自信を失いつつあるようだった。


「最後だ…!これに勝った方が勝者だ…!」


「本当に勝手なやつだな…別に良いけど」


四打席目。


今まで見せてこなかったツーシームとカットボール。

スプリットにシンカー。


投手は持ち玉の全てを持って俺に挑んでいた。

何が決め球になっても可笑しくないほどの好球に思えてならなかった。


カウント2-2と平行カウントの状況。


本来ならもう一球の遊び球を選べる状況。

もしくはクサイところに放って凡打を誘う。


そういう投球をしてくるのがバッテリーというもの。


しかしこのバッテリーは投手主体なんだ。

捕手の配球やリードはまるで関与していない。


今マスクを被っている捕手の能力は明らかに高い。

サインを出さずに投手が何を投げるかわからない状況。


それでも彼は一度も球を逸らしていない。

これだけでも高レベルだと伺えてしまう。


投手が最後の球に選択したボールが投げ込まれている。


「やっぱりそうだよな。この勝負の瞬間で進化してほしかったな…

人間の本質は簡単に変化しないのだろうか…

あぁー…いい勝負が出来ると思ったんだがな…」


俺は投手に呆れるような思いを抱きながら…

クサイコースに差し込まれたフォーシームを全力でフルスイング。

しっかりと真芯を捉えた打球は…

右中間のスタンドに入っていった。


「まじかよ…KINGが完敗…!?」


「調子悪かったとか…?」


「何が起きている…もしかして…独裁終了の瞬間を目の当たりにしているのか?」


「おいおい…それより…四打席連続本塁打って…何者だあいつ!?」


「漫画の登場人物みたいな成績だな…あり得ない…」


「あのKINGがバッティングピッチャーのようだったぞ…」


チームメイトの嘆きのような称賛のような声が聞こえてきて。

俺は捕手に目を向ける。


「凄い捕手だね。サイン出さずにどんな球も受けられるなんて…

やっぱりアカデミーの選手は実力あるね。


でもそれだけに残念だったよ。


君とあの投手が協力して配球を組み立てたりリードをしていたら…

結果はもう少し変わったと思うな。


何本かの本塁打は打てたと思うけど…

今みたいに四打席連続はあり得なかった。


投手の思考しか読まないで済んだから楽勝だったよ」


微笑んで声を掛けると捕手は驚いた表情を浮かべたまま…

何度か頷いて感謝を告げていた。

それが不思議で俺は微笑みを深いものにして打席を後にする。


「今の結果から見て…今日からお前の呼び名は変更しないとな。

もうKINGじゃない。

明日までに自分の呼び名を考えておきなさい。


そしてフブキ。よくやった。

君も自分の呼び名を考えておくこと。


では練習を再開する!


各自ポジションにつきなさい!

実践を想定したノックを開始する!」


投手はマウンドを降りてベンチに戻ってくる。

彼は俺の方へと向けて歩いてきて…


「次は負けない…それと…アカデミーに入団してくれてありがとう。

俺を…俺達を救ってくれて…本当にありがとう」


彼の意味深な言葉に適当に返事をしながら…

俺達はバッティング練習を切り上げると守備練習を始めるのであった。






アカデミーの練習初日。

俺はチームメイトに一目置かれる救世主的な立ち位置になってしまう。


此処から先…

俺達は世界中から集められた世代最高の選手たちとともに上を目指していく。


俺の安寧の場所はここなのだろうか…?

まだわからないが…


俺は向上心を忘れずに…

これからも上だけを目指し続け…

前だけに進み続けることを改めて誓うのであった。





新章 第一章 孤独な遊撃手編 開始!

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