第二章 小学生・帝位高校編

第1話打者能力がインフレし過ぎている…!

帝位高校は父親と母親が生まれ育った地元の有名校だ。

夏休みを利用して俺達親子三人は自宅から然程遠くない父親の実家に帰省していた。

歓迎してくれる祖父母に母親は自慢するように柔和な笑みを浮かべて口を開く。


「お義父さんお義母さん聞いて下さいよ!

吹雪は今、帝位高校野球部の練習に混ぜてもらっているんですよ!

業さんも指導者として参加していて…!」


母親の弾む声を耳にした祖父母は嬉しそうな表情を浮かべている。


「業と星奈の子供なら当然だ…

なんていうと世間の人間に笑われてしまうだろうか…

だが孫の活躍が見られるのであれば…

今度練習を観に行こうかの」


祖父は嬉しそうな表情を浮かべて息子自慢や孫自慢をしているようだった。


「あら。それは大変ね。小学生の小さい体で高校生と同じ練習をするだなんて。

星奈ちゃんも毎日食事を作るの大変でしょ?

私も覚えがあるわ…

業の為に一日何食も作った記憶を思い出すわね。

夏休みの間は私に甘えなさい」


祖母は母親に優しい笑みを向けて労うような言葉を投げかけていた。


「そんなそんな!私も料理するの大好きなので!一緒に作りましょ?」


母親と祖父母はかなり仲が良いようで…

両親が同じ地元と言うことは昔から付き合いがあったのかもしれない。

長い付き合いだからこその近い距離感だと思われた。


「それで?次はいつ練習なんだ?」


祖父が父親に尋ねて…

父親は腕時計を確認する仕草を取る。


「後一時間後に集合」


「今日も練習参加なのか。じゃあ早く準備せんとな」


祖父に声を掛けられた俺はすぐにユニフォームに着替える。

その間におにぎりを握ってくれていた母親と祖母がお弁当代わりに持たせてくれる。


「車の中でちゃちゃっと食べなさい。水筒も忘れずに」


母親と祖母に感謝の言葉を口にすると俺と父親は車に乗り込んだ。

祖父は後からゆっくりと来るようだった。


車に乗り込んで十分ほどで僕らは帝位高校野球部一軍専用グラウンドに到着したのであった。






本日は事情があり遅れてアップを済ませた僕ら親子は、やっと練習に参加することになる。

九条監督の下へ訪れるとすぐに集合が掛かった。


「一軍投手陣は烏田の加入により現在は五人いることになる。

激しい背番号争いが予想される。


先日、神田コーチから報告を受けて私もそれを参考にしている。

私等指導者が今まで気付けなかったことが良い所も悪い所も記されていた。


夏の全国大会本番はもうすぐだ。

それまでに背番号を決めたいと思っている。


例年ならばここで最終追い込みとして全国大会に進めなかった強豪校と練習試合を幾つも組むのだが…

今年はその例に漏れる。


何故ならば神田コーチの加入により投手陣のレベルアップが見込めることと。

打者陣も神田コーチに教えてもらえることが多いからだ。


私は自分で言うのも変だが…

指導者としては一流かもしれない。

だが選手として一流などと豪語することは出来ない。


しかしながらこの夏からは神田コーチが加入したのだ。

選手として超一流だった神田コーチには選手の気持ちや伸び悩んでいる箇所を徹底的に理解してもらえるだろう。

そこを指摘してもらい改善に励む。


一軍選手全員の能力を根底から一気に向上させることが夏の全国大会本番までの課題だ。


まずは実践形式で練習を行う。

投手陣は準備を完全に行っておくように。


予選でスタメンだったメンバーは守備につきなさい。

代打起用選手はバットを持って打席の方へ。

代走起用選手は打者が打ったら代わりに走者になりなさい。

守備起用選手は投手以外全てのポジションを交代で守っていくように。

交代の指示はこちらで出す。


最後に吹雪。

君も打者として全投手と対戦してもらう。


これは全員に言っておく!

投手は打者を本気で打ち取りに来なさい!

守備も全力で守ること!

打者は投手の調子が下がるからと遠慮した打ち方をしたら承知しない!

走者も狙えるなら次の塁を積極的に目指しなさい!


大会本番以上に熱い戦いを繰り広げなさい。

さすれば本番で緊張することなんて無い。


大会本番の空気を感じろ!


うちの打線以上に…

うちの投手陣以上に…

うちの守備陣以上に…

うちの走塁以上に…


強く怖く優れたチームなど無い!


実践形式の練習に恐れや緊張を感じないほど普段通りにプレイできるようになれば…

本番だって怖くない!


では各自言われた通りの行動を取りなさい!」


九条監督の指示に選手たちは返事をすると各々の場所へと向かっていく。

僕は代打起用選手たちと固まって素振りを行っている。


代打起用選手は二名だった。

大柄な体つきで僕よりも三倍はあるのではないかと思われる体重。

その全てが筋肉とは言わないが…

明らかにパワーがありそうな打者だと思われた。


「神田吹雪。よろしく頼む。

二年の倉井だ。春の大会から代打起用で選ばれている。

一応の実績もある。


先日の烏田との対戦…

あれは凄まじかった。

あれをまぐれ当たりと一蹴するには…

お前の打者としてのセンスや嗅覚を完全に否定することになる。


確かに全力で振り抜いたバットの真芯を捉えてくれたのは…

まぐれや奇跡のようなものだったかもしれない。


しかしお前があの場面で真鍋の配球を読んでいたのは明らかだった。

そうでなければ最後の釣り球の豪速球にタイミングがバッチリとあっていたことの説明がつかない。


あの性格の悪いクセ者正捕手である真鍋の配球を読んだだけでも称賛以上の功績だと言える。


俺もお前から学びたいことが多い。

今日は近くで色々と見させてもらう。

よろしく頼む」


二年倉井に握手を求められて俺は頭を下げながらその握手を受け取った。


「結局希望者の全投手から打ったわけだろ?

本当に小学一年生か?

野球し過ぎで幼稚園ダブっているだろ?

なんて冗談はさておき…


俺もお前の打者としてのセンスは超一級品だと思っている。

九条監督が小学生を一軍の練習に参加させると言った時…

正直な話をすれば可笑しくなってしまったかと思ったよ。

それかかなり贔屓されているコネ持ちの子供が来るんだと高を括っていた。


だが…蓋を開けてみれば…

お前が同学年にいなくて心底安心している。

それでも俺はお前より実力が劣っているなんて感じていない。

俺達の打席もよく観ておけ。


二年の報瀬しらせだ。

よろしく頼む」


二年報瀬に握手を求められた俺は先程と同じ様に頭を下げて握手に応じる。


彼らの両手は幾つもの豆が潰れては再生を繰り返したようで…

信じられないほどの硬さでゴツゴツとした掌だった。

あり得ない数の素振りをしてきたことが手を見ただけで理解できてしまう。

それに驚きを覚えていると…


「お前も小一にしては凄い手をしているよ。

俺達が野球を始めた頃はそんな手をしていなかった。


本腰を入れて練習するようになって…

やっとこんな手が出来上がっただけだ。


お前もいずれこんなになるだろう。

焦る必要ない。


お前が親父さんの様な打者になることは…

先日の対戦で嫌ってほど思い知らされたさ」


倉井は苦笑の様な表情を浮かべて自らの掌をさすっていた。


彼らはユニフォームの後ろポケットからバッティンググローブを取り出すと両手に装着していく。

僕は素手の状態で…


「お前…グローブは?」


報瀬の驚いた表情に僕はなんとも言えない表情を浮かべて…


「しっかりとフィットするサイズがなくて…」


俺の返事を耳にして彼らは呆れる様な表情を浮かべていた。


「それで今までプレイしてきたのか?萬田シニアでも?」


「はい…」


「手が痺れて仕方なかっただろ?」


「………?全部真芯に当ててきたので…痺れは無かったです」


俺の返事を聞いた二人は再度呆れる様に苦笑して素振りを開始した。


「小一で帝位高校の練習に参加するような化け物だからな。

これぐらいで驚いていたら身が持たないか」


結局報瀬の投げやりに思える答えによって僕らは苦笑気味な表情を浮かべていたことだろう。


そして次第に始まろうとしている実践練習に向けて全ての一軍選手が完全に準備を整えるのであった。






「予選大会の活躍を鑑みて…

今日の一番手は梅田。

まずはスリーアウト取るまで投げなさい。


打者は倉井、報瀬、吹雪の順番で回しなさい。


それでは全国大会初戦の初回を想定して!

全員が全力で挑むように!


開始!」


九条監督の掛け声によって初回が始まろうとしていた。


エース(仮)の梅田は左投げ投手だ。

かなりの高身長と長い手足が特徴的な投手。

しかしながら下半身の鍛え方が異常で速球派の投手だと瞬時に感じてしまう。


打席に入った倉井は右打席で構えを取っている。

審判を務める九条監督のコールにより実践形式の練習は始まるのであった。






烏田の豪速球も相当な速さだった。

しかしながら梅田の豪速球は何かが違う。


ベンチ前に大きく頑丈なネットを置いて対戦を眺めながら素振りを行っている僕と報瀬だった。


「今までの投手とわけが違うからな。ここからでもタイミングを合わせておけ」


「はい。何が違うんでしょうか?」


「言葉で言っても信じられないかもしれないが…

確実に低めに放られたと思った球が…

浮くようにホップして高めに収まっていることがある。


目の錯覚だと言う人もいるが…

あれは確実に浮いている…


タイミングが合っても振っている場所が違うんだ。

簡単には打てない。


今の内に少しでも慣れておけ」


「わかりました。打席に立つのが楽しみです」


「ふっ。恐れ知らずなやつだ。とにかく全力で挑もう」


「はい!」


僕と報瀬は言葉を交わしながら…

それでもタイミングを図るようにして素振りを行っていた。





梅田が投げた三球目。

アウトハイから右打者のベルト付近まで沈むように曲がる変化球に倉井は思わず手を出した。

芯を捉えることは無かったが…

強く振り抜いたバットに当たったボールはサードを強襲する。


しかし…

かなり強い当たりに加えて難しい打球をサードはしっかりと処理すると慌てること無くファーストへと矢のような送球をする。


代走起用の見るからに足が早そうな選手が全速力でファーストへと走っていく。


しかしながらアウトがコールされて…

倉井の一打席目が終了する。


「倉井。スライダーを狙ったのか?」


九条監督はマスクを取って倉井に尋ねていた。

倉井はそれに大きな声で返事をする。


「何故スライダーを狙った?」


九条監督は腑に落ちないことが起きていると言わんばかりに思案顔だった。


「はい!梅田さんのウィニングショットはスライダーだと勝手に想定しました!

その球を初回の先頭打者から打たれたら精神的に崩しやすいと思ったからです!」


倉井の返事に九条監督はウンウンと頷いて応える。


「そうか。ならばしっかりとヒットにしなさい。

でなければ逆に梅田の調子を上げることになる。


今日のスライダーはしっかりと決め球として機能している。

と自信を与えてしまうことになる。


狙いがあるならばしっかりと実行すること。

そうすることで初めて相手のメンタルにダメージを与えられるんだ。


精神への攻撃に加えて確実に塁に出ると言う同時並行の行動は非常に難しいだろう。

だが俺や他の指導者も倉井にはそれを期待する。


代打で出るまでにしっかりと相手バッテリーを分析して打席に立つイメージを明確にしておきなさい。


もちろん自分がイメージしたことを確実に実行できるように。

今後も精進すること」


「はい!ありがとうございました!」


返事をした倉井は僕らの下へやってくるとアドバイスをするように口を開いていく。


「いつも以上に球が走っている。

150km/hは確実に超えていると思ったほうが良い。


いつものように低めに放られたと感じたら高めいっぱいに入っている。

スライダーのキレもいつも以上だった。


もしかしたら先日神田コーチに何かを伝授してもらった可能性がある。

今まで対戦してきた梅田さんと思うな。


打てるように思考を止めずに試行錯誤していこう」


「分かった。次は俺だから。出来る限りのことをしてくる。

吹雪も俺の次だからな?

ちゃんと備えておけよ?」


「はい!しっかりと分析します!」


返事を聞いた報瀬はバッターボックスへと向かっていた。

本日の調子を確認するように軽く素振りをすると左打席に入った。


九条監督のコールにより勝負は再び開始される。


梅田投手と真鍋正捕手のバッテリーはかなり強気に攻めてきていると感じられる。

明らかにストライク先行だしストレート勝負が多いように思われた。

今までに投げた変化球はウィニングショットのスライダーだけの様に思える。

ストレート中心で配球が組まれており…

打者も分かっていても振ってしまう場面が多かった。

それに加えてストレートは一度も触らせていない。

バットに掠ることもない豪速球の威力は絶大だと思われた。




カウント2-2の場面がやってきており…

梅田選手は本日始めて見せる落ちる球を投げた。


球速があり小さく落ちる球…

スプリットが投げられて報瀬は空振り三振に倒れた。


打者のミートポイントから逃げていくように落ちるボールは…

低めのストライクゾーンギリギリからワンバウンドして真鍋のキャッチャーミットに収まった。


走者は振り逃げの要領でファーストまで全速力で向かうが…

真鍋の矢のような送球が無慈悲にも一塁手のファーストミットに収まる。


アウトがコールされて報瀬は悔しそうな表情を浮かべていた。


「報瀬。落ちる球が苦手なのは予選のころから進歩がないようだな」


九条監督の氷のように冷たい視線と言葉が報瀬の焦りを加速させていた。


「すぐに修正します!」


返事をする報瀬だったが…

九条監督はなんとも言えない表情で首を左右に振る。


「すぐにはなんともならんよ。

予選優勝から時間があったというのに何をしていた?」


「はい!全国大会まで時間が限られているので…

苦手を克服する前に得意なストレートを打つ練習をしていました!」


「うん…では何故梅田のストレートを打たない?

あまつさえ何故最後のスプリットに手を出した?


さっきの打席で倉井にも言ったが…

梅田に自信をつけさせようとしているのか?

大会優勝のことを思ってか?

自己成長を怠って投手のことを思っていると?

お前たちにそんな余裕があるのか?


狙いがあってスプリットに手を出したのであれば確実に仕留めなさい。


それが無理だと今の打席で悟ったのであれば得意なストレート狙いへと思考をシフトしなさい」


「はい!直ちに修正します!」


大きな返事をした報瀬は悔しそうな表情を浮かべてベンチに戻ってくる。


「俺のせいで梅田さんの今日の決め球を増やしてしまった。

次の打席でも俺達にはスライダーとスプリットを多用してくるぞ…

どうする!?」


報瀬は倉井に声を掛けているが二人は悩むような表情を崩さなかった。


「吹雪。悪い。俺達のせいでお前の打席はもっと難しいものとなった。

梅田さんと真鍋からしたらやりやすくなってしまった。

簡単に抑えられても落ち込むな」


「はい!行ってきます!」


打席へと向かいながら今までの梅田、真鍋バッテリーの思考を復習していた。

ただ今回は俺だけが打者と言うわけではない。

実践形式で打者は三人で一打席ごとに交代していく。

バッテリーが本格的に一打席ごとに配球を変えてくることは明らかだった。

思考を回転させながら左打席の外で素振りを一つする。


「レフト!もっとライン側に寄れ!左中間はセンターに任せて良い!

ライト、センターは定位置より後ろに守れ!


サードは少し深めの守備位置!

ショートはもう少しセンター側に!

セカンドはライトに抜かせるな!

ファーストも少し深めの守備位置!


ピッチャーは気を抜くな!

相手は全国でも指折りの強打者と仮定すること!


それじゃあ…しまっていこう!」


正捕手の真鍋の指示により野手は守備位置を変更していく。

そこから俺の一打席目が始まるのであった。





梅田投手の一球目は…

左打者の胸元に抉り込むように切り込んでくるシュートだった。

前の打者二人には投げていない本日初の変化球だった。

それに手を出すこと無く見送ると…

審判の九条監督はストライクをコールした。


「良いぞ!ナイスボール!コース、球速、変化量、全てが満点だ!

これならば全国の打者も簡単に手が出ないぞ!

次も気を抜かずに行こう!」


正捕手の真鍋は対戦中でもよく喋る選手だとこの間の対戦のことも鑑みて感じていた。

投手の梅田は調子が上向いているようでかなりリラックスできていた。





続く二球目。

梅田投手の放った球は左打者の足元へと沈むように変化するスクリューだった。

これまた本日初の変化球を目にして俺は見送ることになる。


超高校級投手が放る初見の変化球をいきなり完璧に捉えることが出来るなどと自惚れていない。

見送った俺に審判の九条監督は無慈悲にもストライクをコールした。

早速二球で追い込まれた俺はかなりの焦りを感じていた。


「良いぞ!ナイスボール!二球で追い込んだよ!

次も気を抜かずにいこう!

でももっと肩の力抜いて!

今のスクリューはいつもだったらもう少し曲がるよ!

リラックスリラックス!」


真鍋は梅田に返球しながら幾つもの言葉をかけて気持ちを和らげていた。

梅田は笑顔を浮かべてそれに応えると軽く左肩を回していた。





続く三球目。

ストライク先行型のバッテリーだったが…

ここに来て打者のタイミングを外すようなチェンジアップを放る。

それを見逃すように目で追う。

キャッチャーミットにワンバウンドで収まって…

審判の九条監督はボールをコールした。




カウント1-2と打者不利の状況は以前変わらぬままだった。

先日の打席の印象が僕にも正捕手の真鍋にも色濃く残っていることだろう。


僕は打者として真鍋が高めの釣り球を放ってくる可能性を捨て去っていた。


今対戦している打者が僕で無ければ…

今座っている捕手が真鍋で無ければ…


バッテリーがカウント有利のこの場面では高めの釣り球を一球混ぜてくるはずだったのだ。




続く四球目。

俺は真鍋の思考を盗むように思考を高速で回転させる。


一球前のチェンジアップを思い出していた。

何故あの場面でスプリットでなかったのか?


梅田のチェンジアップよりも変化量が少なく球速もある程度あり…

今の梅田が放れば低めのストライクゾーンにきれいに収まっていたはずだ。

俺は三球三振。

しかも見逃しという最悪なパターンで打ち取られるはずだったのだ。


ここで真鍋の性格の悪さから来る慎重さの様なものを肌で感じていた。

彼は打ち取ることに焦ったり急いでいないのだ。

確実に俺を打ち取るために投球数を増やしてでも回り道をしてでも…

100%に近い確率で打ち取りに来ているのだ。


それを理解した俺は…

四球目がスプリットだと理解する。


半歩分だけ打席の前で構えるとミートポイントを前に設定する。

左投げで高身長。

加えて手足が長く下半身が出来上がっている梅田は投手としてかなり完成されていることだろう。


自在に操る変化球はどれも一級品だ。

初見では打てない。


だが幸いなことに俺は梅田のスプリットを前の打席でベンチから観ているのだ。

どうにか打つことをイメージして…





梅田が放った球はスプリットで間違いなかった。

しっかりと俺は真鍋の配球を読んでいると言っても過言ではない。

梅田という全国でも指折りの好投手をナメて掛かってもいない。

それでも打てる自信があったのだ。


ミートポイントを前に設定したことが功を奏してバットの芯に当たった打球はピッチャーを強襲するような強いライナーとして飛んでいく。


このまま抜けてセンター前ヒットが予想されていた。

この打席も俺の勝利だ…


高を括ったわけではない。

今まで観てこなかっただけなんだ。


こんな強烈なピッチャーライナーに反応して…

そのまま捕ってしまうようなとんでもない運動神経や反射神経を持った投手を…


九条監督がアウトを宣言して走者は走るのをやめた。

悔しそうにため息を吐く俺に九条監督と真鍋はマスクを外す。


「完全に真鍋の配球を盗んでいたな…真鍋はどう思う?」


九条監督は明らかに怪訝な表情を浮かべていた。

同じ様に正捕手の真鍋も険しい顔つきだった。


「はい。最後の球だけだったと思いますが…読まれていたと思います」


「吹雪…。どうして最後の決め球がスプリットだって思った?」


九条監督に問われた俺は言葉で説明することに全力を費やしていた。

打席に立っていた時の思考を俺は丁寧に二人に伝えて見せる。


「なるほどな。この間の対戦経験があるからか…

それで?真鍋は今の思考をどう思う?」


九条監督は納得が言ったようでウンウンと頷くと不気味な笑みを浮かべている。


「はい…吹雪なら読めても可笑しくないと思います…

ですが帝位高校の正捕手を任せてもらっている身としては最悪な気分です…」


「だろうな。思考の順番としてはどうだ?

吹雪が口にした通りか?


三球目にスプリットを要求しなかった理由も…

三球目でチェンジアップの変化量や球速の印象を植え付けて…

四球目に同じ落ちる変化球だがまるで別物のスプリットで確実に仕留めようと思った。


お前の捕手としての思考は吹雪が口にした思考順路で正しいか?」


「はい…吹雪に完全に読まれたのであれば…恥ずかしくないです。

一流のバッターと配球思考能力が同じであれば…光栄です…が…

やっぱり悔しいです…


今のは梅田さんが良い反応をしたからたまたま捕れただけです。

本来だったら完全に打たれていた当たりです。


次の打席までに修正します」


真鍋は悔しそうな表情を浮かべながら次の打席のことを既に考えているようだった。


「吹雪。今回はお前がまぐれで負けたな。前回とは逆の結果だが…

こういうことは幾らでもある。

次の打席も期待する」


「はい!」


返事をしてベンチに戻ると倉井と報瀬は驚いた表情を浮かべていた。


「よく打てたな…」


倉井は少しだけ言葉を失っているようだった。


「俺のせいで今日の梅田さんはスプリットに自信を持たせてしまったというのに…

だけど今の打席の印象が強く残るだろうな。

自信満々には放れなくなっただろう。

ナイスバッティングだった」


報瀬に激励の言葉を貰って俺はヘルメットを取って挨拶をした。


「よし。梅田はマウンドを降りろ。

二番手候補の仙道!

マウンドに向かえ!」


九条監督に声を掛けられた投手陣は打者がいるベンチとは対面のベンチに腰掛けていた。

投手陣は僕の父親と作戦会議に勤しんでいるようだった。

名前を呼ばれた仙道は返事をしてマウンドに向かうのであった。






二番手候補の仙道もかなりの球速を誇っていた。

エース(仮)の梅田に負けず劣らずの球速。

それに加えて右投げの本格派投手として多種多様な変化球を投げる。

左右二人の二枚看板と言っても過言がないほど二人の実力は拮抗しているようだった。




仙道との対戦では倉井が三振で倒れた。

続く報瀬は単打で塁に出て俺の打順が回ってくる。




正捕手の真鍋は明らかに配球を変えてきていて…

俺も彼の思考を盗むために自らの思考をフル回転させていた。




梅田との組み合わせではストライクが先行していたが…

仙道に要求する球はボール半個から一個分ゾーンの外に外れる変化球を要求しているように思えた。


ボールが先行して…

3-0のカウントが出来上がっていた。


次の球は確実にストライクを取りに来る。

当然だ。

投手も捕手も野手も四球が出ると萎えるものだ。


これが本来の試合であったならば…

打者の俺には待てのサインが出たことだろう。


完全に打者がカウント有利な状況。

3-1になってもバッティングカウントと打者が有利な状況が続く。


だが…

これは実践形式の対戦で監督のサインはない。


俺は次の確実に入れてくる甘い球を打つことを決意したのであった。






俺の思考通りのことが起きている。

仙道はカウント不利な状況で確実にストライクを取りたがっている。


きっと真鍋は俺の思考に周波数を合わせていたことだろう。

俺が甘く入ったストライクを打ってくると理解していたはずだ。

だからクサイところに難しい球を要求していたはずだった。


だが…

仙道はサインに首を振り続ける。

呆れた真鍋はマスクを取ってタイムを掛ける。


そのまま投手の仙道の下へと向かうと内野手は集まった。

何やら激しい話し合いが行われていたが…


最終的に後輩である正捕手の真鍋が折れる形になり…

文句を垂れながら真鍋は再びマスクを被って座った。


「大丈夫だ!打たれない!四球を与えたほうがその後の状況に響く!」


後から聞いた話だと…

どうやら仙道が言っていたことはこの様な内容だったらしい。


それに真鍋が何度も食い下がってクサイ所に変化球を要求していたそうだ。

二年生で帝位高校の正捕手を務めている真鍋なだけある。

彼の危険察知能力は全選手の中でずば抜けている。


プレイ中は遠慮なく先輩に食って掛かる姿も扇の要として最高な存在と言えるだろう。

真鍋は選手としての思考能力も打者への客観的視点も誰よりも長けていると言って過言無いだろう。


「仙道がそこまで言うんだ。例え打てれても野手で全力カバーに努めよう」


ショートを守る雪城と言う三年生が帝位高校のキャプテンだそうだ。

彼の選手をまとめる言葉により真鍋は言葉を引っ込めつつあった。

選手全員が憧れや尊敬の念を抱いている雪城の言葉を聞いて…

内野手達は意識を切り替えるような決意の表情を浮かべていた。


「もしも痛い目を見るなら実践形式の練習での方が何十倍もましだ。

全国大会本番でも同じ様な場面が来るかもしれない。

その時までに仙道の主張が正しかったか真鍋の憂慮が正しかったか。

今の内に判断しておける。

真鍋。吹雪は絶対に次の球を振り抜いてくるんだな?」


「はい!絶対です!100%確実だと断言します!

俺が今まで数回対戦した経験上の話ですが!

あいつは俺の思考を読むようになっております…

そして同時に俺もあいつの打者としての思考を読めるようになっています。

先程のバッテリー間のサインが上手にハマらなかっただけで…

あいつは完全に勘付いています!

仙道さんの弱気も見透かされているんです!」


「おま…!」


仙道は軽くムキになったようだったが…

キャプテンの雪城に宥められてどうにか怒りの感情を引っ込めていた。






そして運命の四球目。

甘く入ったストレートを俺は待っていたと言わんばかりにきれいに振り抜いた。

打球は速い速度で右中間を割いていく。

一塁ランナーの好スタートと走力のお陰でホームへと帰塁する。

打者走者は二塁にスライディングすることもなく悠々と到着。


「だから言ったんだよ…!」


愚痴をこぼす様に怒気に塗れた態度で仙道を責めようとしている真鍋だった。

だがそれを止めたのはキャプテンではなく九条監督だった。


「正捕手としてお前が全面的に信頼されていないと言うことだろう。

先輩投手とバッテリーを組むんだ。

お前が投手やチームに完璧に信頼されていないとお前の思考を披露しても信じてもらえない。


完全に信じさせるためにはどうする?

三年が引退するのを待つか?

そして来年はお前が後輩の言う事を聞かない正捕手になるのか?


もっと考えてプレイしなさい。

お前は帝位高校の正捕手…扇の要だ。

誰よりも思考能力に長けていて全員を納得させるほどの実力や実績がないといけない。


二年のお前に要求するにはレベルが高いことを言っているかもしれない。

だがお前なら出来る。


今の状況が出来上がると信じて疑わなかったのは…

お前と吹雪だけだ。


少なくともお前の思考に完全同意してくれる人物が一人だけ出来たな。

吹雪と沢山話しをすると良い。


お前たちは歳が離れているが…

かなり思考が似通っていて選手としての本質も似た者同士だと思うぞ。


吹雪はよくやった。

文句なしだ。


後は神田コーチとも相談するが…

パワー面だな。


今のは球種もコースも分かりきっていたんだ。

欲を言えば本塁打にしてほしかった場面だ。


本当に欲を言えばの話だがな…

自重トレと素振りの回数の見直しを神田コーチに相談しておく。


だがそういうことを抜きにしても…

本当によくやった。

称賛以外何も無い。


続く投手との対戦にも全力で励むように」


「はい!ありがとうございました!」


返事をしてベンチに戻ると倉井と報瀬にハイタッチを要求されてそれに応えた。

続く倉井と報瀬が凡退したことによって仙道との対戦は終了したのであった。





仙道は俺に打たれて得点を許した後でも投球に乱れはなかった。

事故にあったぐらいの感覚なのだろうか。

あっけらかんとした表情を浮かべて後続をピシャリと抑えてマウンドを降りた。


「よし。三番手候補の烏田!マウンドに立て!」


先日対戦した烏田は既に三番手候補として認められているようで…

やる気に満ち溢れた表情を浮かべてマウンドに立ったのであった。





代打起用として帝位高校のベンチ入りを果たしている倉井と報瀬を烏田は簡単に打ち取っていた。

少ない投球数でツーアウトをもぎ取ると明らかに全体のリズムが良いような気がしてならなかった。


再戦に燃えている烏田は俺が打席に立つと先程の打者二人との対戦以上に闘志を燃やしている。




一球目からインコースすれすれに差し込むような豪速球を投げてくる。

数多くの変化球も多用してバッテリーは俺との再戦を確実に勝利で収めようとしていた。


けれど真鍋という正捕手のお陰で逸る気持ちをどうにか抑えられていた烏田だった。

急いでアウトを取り打ち取りたい気持ちが先行している烏田を何度も諌める真鍋は本当に良い捕手だと思った。


彼がいるからクセの強い投手陣も気持ちよく投げられているのだろう。


今日に限っての話だが…

真鍋と上手く連携が取れていない投手は仙道だけだった。





フルカウントに追い込まれてもバッテリーは焦ったりしない。

むしろ俺の方が焦っていたように思える。


ワンバウンドするフォークに手を出してしまい…

どうにか掠りファールをコールされる。


この状況でも彼らは四球を恐れていない。

先程の局面と真逆の状況に思えてならなかった。





烏田と真鍋は理解しているのだ。

四球で崩されるよりも俺に打たれることのほうがバッテリーとしてダメージを受けると…


もうこうなると真っ向勝負は無いと思われた。

俺が思わず手を出してしまい三振を取るか…

まるで手を出さずに見送って四球で塁に出るか…

その二択になってしまっているようだった。


だが先程とまるで違うのは…

仙道とは違い烏田はずっとクサイところを攻めてくるだろう。


後は本日の審判である九条監督の判断に託されているようだとも思った。

故に俺はボールだと思ってもクサイところはカットしなければならないのだ。


そんな決意が固まると…

俺とバッテリーの我慢比べが始まってしまうのであった。





俺との勝負で烏田は12球を放っている。

フルカウントになってから俺はクサイところを粘り続けていた。

お互いにムキになっていたことだろう。

俺は一度勝った相手である烏田からもう一本打つつもりでいた。

烏田は一度負けた相手に二度と負けたくないと必死だった。

それは相方である真鍋も同じ気持ちだっただろう。


続く13球目。


きっと一打席にしては投げすぎたのか…

はたまたここに来て変化球のキレが増してしまったのか…

または超集中状態か…

それとも逆に集中が切れてしまったのか…


今までよりも球速が速く変化量もより大きなツーシームがアウトコースいっぱいから外れていく。


審判の九条監督がボールをコールして…

俺と烏田、真鍋バッテリーの真剣勝負はフォアボールで幕を閉じた。



烏田と真鍋はかなり悔しそうにしていたが…


「今の勝負は理想的だった。バッテリーは打者を警戒して一向に手を抜かない。

打者もクサイところは全てカット。

甘く入れば打つ姿勢を崩さずに虎視眈々と失投を待っていた。


最後の球を失投と数えるのは少しだけ残酷だが…

外に変化して外れる球で結果的に幸いだったと言っておこう。

中に入る球で失投していたら確実に打たれていた。


大変実りある対戦だった。

三人ともよくやった」


九条監督は僕とバッテリーに称賛の言葉を送っていた。

全員が帽子を取って返事をして…

俺はベンチに戻る。


「烏田の気迫…やばかったな…」


「ホントな…春の大会以上に強くなってね?」


「あぁ。マジで仙道さんから背番号10を奪うんじゃねぇか?」


「今日の結果だけ観たらな…あり得る」


ベンチに戻ると同級生投手である烏田の話題で持ちきりだった倉井と報瀬だった。


倉井が凡退に終わると次の投手へと代わるのであった。





現状ではリリーフ投手の二年生駒井がマウンドに立つと…

倉井と報瀬は肩を落としていた。


「駒井は無理…」


「俺もだ…」


二人は項垂れるような態度で苦手意識を顕にしていた。


「そんなに凄い投手なんですか?」


俺の疑問に今まさに投球練習に入ろうとしている駒井を指差す二人だった。


「右のアンダースローなんだがな…

梅田さんとは違った意味で球が浮くんだよ。

浮くっていうか…浮いてから落ちるんだ…


言っている意味がわからないだろ?

打席に立てばその意味も打ちづらさも理解できると思うが…

とにかく大抵の打者はあいつの術中にハマって凡退していく。


それだけでも厄介なのに…

うざったいのが変化量が多いスローカーブ…

それに左打者はお手上げになる逃げていくシンカー。


あいつがタイミングよく合わされた所…

今まで見たこと無いんだ。


実を言うと一年の秋からあいつは背番号貰っていてな…

そこからずっと頼り甲斐のあるリリーフ投手だ。


この後に出てくるクローザーに繋げるまで確実に無失点で抑える…

勝利の方程式が完成している今の帝位高校投手陣は盤石すぎるんだ。


何処の高校も打てっこないって味方贔屓でもなく…

客観的視点でそう思うよ…」


僕と同じく左打者の報瀬は絶望の表情を浮かべて悔しい表情を浮かべていた。


早速倉井が打席に立ち…

本当に敢え無く凡退でベンチに戻ってくる。




気持ちとして完全に負けている報瀬も打席に立つと気合いを入れ直していた。

だが気合いではどうにもならないような苦手意識に邪魔をされて…

報瀬も凡退してしまう。




僕は打席に向かい…

マウンドに立つ駒井の表情がにこやかなものだと理解する。


相手をナメているわけではない。

彼は本当に投げることが好きなんだ。

加えて言うのであれば強打者を抑えることに飢えている。

アウトの山を築くことを凡退した打者の姿を見ることを渇望している。


彼も真鍋とは別のベクトルの性格の悪い選手だと思われた。


この二人がバッテリーを組んでいるのだ…

打者としては一言で言って…最悪。

この二文字に尽きるだろう。




打席に立った俺にバッテリーは初めから変化球を多用してくる。

初見故に手が出るわけもなく…

見送る俺を簡単に追い込んでしまう。

真鍋は明らかに今までよりもピリピリしておらず…

余裕のある配球で完全にバッテリー有利の状況が続いていた。




リズムよくテンポよく放られた次の球が…

噂のストレートだと思われた。


確かにふわっと浮いたような錯覚を覚える。

この後に沈むと言っていた二人の強打者の言葉を思い出す。


俺はどれだけ沈むかもわからないが…

ここでバットを出さなければ見逃し三振で抑えられる。


恐怖にも似た感情が胸を襲っていた。

確かに焦っていたが…

それでも冷静に努めて…


最後の最後までボールを見ると沈みゆく最終地点で本当にギリギリにバットを出し…きれいに全力でコンパクトスイングで振り抜く。


芯を捉えてくれたボールだったが…

サードの正面に強烈なライナーが飛んでいき凡退に終わる。

悔しそうに天を仰ぐ俺に…


「生意気…なんで芯喰ってんだよ…」


マウンドを降りる駒井は抑えたというのに悔しそうな表情を浮かべて向こうのベンチへと戻っていった。


「よく当てたな…苦手意識は無いか?」


ベンチに戻ると報瀬が口を開いて俺は頷いて応える。


「珍しいな。駒井の術中にハマらない打者は…」


二人は確実に疲れた表情を浮かべて飲み物を飲んでいた。

俺も同じ様に給水すると最後の投手との対戦に控えていた。





「では最後の投手。うちの守護神。クローザーのじょう

しっかりと三人で抑えてみせろ!

ずっとベンチで打者を観てきただろ!?」


城と呼ばれる梅田と同じぐらいの高身長の選手がマウンドに上った。


「城だ。あいつ一年だぞ。帝位高校で一年夏に一軍レギュラー。

しかも既に今年はクローザーとして起用が決定している。

あいつは絶対に背番号貰うよ。


予選であいつが出たら皆んな安心していたから。

守っていても飛んでこない。


予選の成績は全打者三振のバケモン。


まだ一年だから体力付けるためにロードワーク中心で練習しているんだがな…

入学してきた頃からずば抜けた投球していたよ。


来年…再来年には確実にエースだ。


今からよく観察しておくと良いぞ。

実践形式で戦うことは今後も何度もあるはずだからな」


倉井に言われて俺は城の投球練習を眺めていた。

梅田と同じ様に左投げで…

誰かと似通った投球モーションだと思った。

何気なしに向こうのベンチで座る父親が目に入り…

俺の既視感の正体は…

一度戦った父親の投球モーションと重なってしまう。

明らかに城は父親を参考にした投球モーションだと理解する。

それならば…俺は…





簡単に抑えられる倉井と報瀬を見て…

俺はこの投手を超えなければいけないと直感的に感じていた。


打席に入ると城の姿が父親の本気の姿と重なった。

まるで幻覚を見ているようだと思った。


俺は再び父親の本気と真剣勝負が出来る喜びでハイになっていたことだろう。


現在の自らの表情を確認できないが…

きっと真剣勝負に取り憑かれた魔物と同じ表情をしていることだろう。




極限状態の集中とあの日のリベンジに燃える俺は…

普段よりも格段に打者としての能力が上がっていたことだろう。


初球に放られる球が脳裏に過ってくる。

確実に全力ストレートだ。


幻覚の父を相手にしていると錯覚している俺は…

様々な思考が高速回転して脳裏を過っていく。


それが投手としての父の思考なのか…

捕手の真鍋の思考なのか…

もう見えてもいない城の思考なのか…

俺にはわからなかった。


だけど…確実にインコースへと差し込む全力ストレートが予想された。


いいや…これは断言して絶対に来る。

バッテリーの思考を盗みトレースするような今の自分の脳内は無限の宇宙のようだった。




投球モーションに入った城が放る球は…

予言通りインコースに差し込むように向かってくる。


あの日のリベンジを果たすために俺は分かっていたと言わんばかりに振り抜いたのであった。






実践形式の練習が終わり俺はベンチでぼぉーっとしていた。


他の選手は本格的な場面を想定した守備練習に勤しんでいる。


俺は九条監督に守備と走塁練習は個別に行うと告げられていた。

当然と言えば当然で…

俺が幾ら運動神経に長けていても…

流石に高校生の打球速度についていけるとは思えなかった。


打撃が特化しているだけに麻痺しているが…

俺は小学一年生で相手は高校生だ。

同じ様に練習に混ぜてもらえるだけであり得ないことが起きているんだ。


今後も足を引っ張ると予想される場面では俺はベンチで取り残されることになるだろう。


しかしこれも俺と父親が選んだ道なのだ。

確実に打撃練習には混ぜてもらえる。

打撃をもっと特化させていき…

緩やかかもしれないが次第に守備と走塁。

または運動神経の向上を図っていくのだろう。


筋力は今の内から無理せず付けていくことが予想されるし…

とにかく今は打つことに集中させてもらえていた。


そんなことを考えている俺のもとに九条監督が唐突に現れた。


「さっきの勝負だが…

どうして初球からインコースに全力ストレートだって分かった?

城は初対戦の選手だろ?

真鍋だって投手に付き配球を変えてきていた。

もちろん打者によっても配球を変えていた。

エスパーでも無い限り分かりっこないだろ?」


九条監督の言葉を受けて俺は打席に立った時のイメージを細かく伝えていた。

幻覚の話も込でしっかりと説明をすると九条監督は渋い顔をする。


「うーん。信じがたい話だが…

そういう打者に今まで出会ったことがなくてな…

結果的な話をすれば大金星だったのは間違いない。

これで城の長い鼻もやっと折れてくれた。

あいつはこれから誰にも負けないために全てのことに全力になるだろう。

よくやってくれたと称賛する」


「ありがとうございます」


「あまり嬉しそうじゃないな?」


「そんなことは…もっと打ちたいだけです」


「ははっ!一年生の中で全国一の投手と言われている城から打っておいて…

貪欲なやつだ。

しばらく休んだらロードワークと体作りを始めようか」


「はい!」


そうして本日の長い練習は夜遅くまで続くのであった。





俺は本日…

また一つ強くなり…

確実に何かを掴んでいたのであった。


翌日に続く練習に備えて…

しっかりと食事を摂ると沢山の睡眠時間を確保するのであった。






「まさかうちの一軍投手全員から打つなんて思いませんでしたよ…

吹雪くんは凄まじい才能だ」


「ピッチャーライナーとサードライナーがあっただろ?」


「あれらは偶然捕れたと言っていいでしょう。完全に抜けた当たりだった」


「そうか…九条監督は意外にも吹雪に甘いんだな」


「まぁ。才能ある者は褒めて伸ばしますから」


「そうは見えないがな…」


「いえいえ。吹雪くんほどの才能があればそうしますよ」


「帝位高校の選手はそうではいと?」


「はい。まだまだ目指す場所は高い所にあります」


「吹雪ももっと上を目指してもらわないと困る」


「それはもちろんです。ですが吹雪くんなら勝手に自分を律して伸びてくれます。

そういう指導者が楽な選手です」


「そうか…厳しくするのは逆効果だと思うか?」


「どうでしょう。でも今は褒めて伸ばすことに重きを置きたいです」


「わかった。ではそれに合わせよう」


「しかしながら城から本塁打を打った時は…

後ろで見ていて鳥肌が止まりませんでしたよ」


「あれはまぐれだ。以前の俺との対戦が重なったのだろう」


「………流石親子ですね。吹雪くんもそう仰っていましたよ」


「そうか…明日以降もよろしく頼む。全国が控えているのに申し訳ない」


「いえいえ。吹雪くんのお陰で全員が刺激を受けていますよ。

こちらこそお礼を言わせていただきたい」


「………そうか…」


「ではまた明日もよろしくお願いしますね」


それに返事をすると俺は電話を切った。

九条監督の吹雪に対する評価と執着にも似た感情を心の何処かで感じ取りながら…




次回へ!

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