第11話昨日の本塁打が波紋を呼ぶ

初ホームランを打った翌日の月曜日のことだった。

朝目覚めてすぐに昨日の打席が脳裏に過っているようだった。

思わず何も持たずに素振りをする構えを取ると昨日の感触や実感が遅れてやってきていたようだった。

自分がホームランを打ったことを自分自身が一番信じられないと思い…

自室にて思わず苦笑してしまう。

着替えを済ませて階下に向かうと…

リビングのテーブルの上には朝食とは思えないカロリーの高い料理が並んでいる。


「おはよう」


両親に挨拶をしてテーブル前の椅子に腰掛ける。

母親は同じ様に挨拶を返してくれて父親は珍しくスマホを操作していた。


「父さん?どうしたの?」


返事をくれない父親に少しだけ違和感を覚えた俺は再度声を掛けていた。


「ん?いや…萬田と蒲田から連絡があってな…何ていうか…うん…」


父親はかなり歯切れの悪い言葉を口にして再び黙りこくるとスマホとにらめっこを続けていた。


「早く食べちゃいなさい」


母親に促される形で俺は早速朝食に手を付ける。


食トレの効果が表れてきたのか…

それとも父親の遺伝子が色濃く表に出ているのか…

俺は小学一年生とは思えない体つきをしていたし…

もちろん同級生の中で一番の高身長だった。


「もっと大きくなるのよ。お父さんを超えるぐらいにね」


母親の冗談のような言葉に俺も釣られる形で微笑みながら頷く。



数十分後…朝食をしっかりと頂いた俺は身支度を整えて家を出る。

登校班に合流すると学校へと向かうのであった。






息子が学校へ向かうと俺と星奈は二人家に残される。


「さっきから何を見ているんです?」


俺のいつもとは違う様子が気になっていたのは息子だけでは無かったようで…


「うん…これ見てくれるか」


俺は星奈に向けてスマホを手渡す。

星奈は少しだけ怪訝な表情を浮かべながらスマホの画面を覗き込んでいる。


「えっと…これは吹雪に関しての記事なんですか?」


「そうなるな。何処かの高校のスカウトだと仄めかす言葉が随所に散見される」


「そうですか…って高校のスカウトですか?吹雪はまだ小学一年生ですよ?」


「あぁ…もしかしたら吹雪の事情を知らないと言うことは…

俺や萬田シニアと付き合いがない高校と言えるだろう」


ごうさんや萬田くんと付き合いがないって…無名校でしょうか?」


「いいや…それは考えられない。

記事としての能力が高く…

しっかりと全国常連チーム同士の練習試合の予定を何処かで仕入れているんだ。

強豪校同士の付き合いやパイプがしっかりとあると言うことだろう。

ただし萬田シニアと付き合いのある強豪校スカウトに吹雪の情報を与えてもらえていないと考えられる。

そうなると…思い浮かぶ高校は一つしか無いんだ…」


「それって…」


「そうだ。

毎年全国大会で好成績を収め続ける…

あの高校としか思えないんだ…」


「でも…そこって…」


「あぁ。俺が蹴った高校でもある。

吹雪が俺の息子だと知っているのか…

はたまたまるで知らないのか…

とにかくこの記事を吹雪の目には入れたくない。

吹雪にはまだ自由に楽しく野球をプレイしてほしんだ」


「そうですね。でも吹雪なら何処ででも楽しく自由にプレイしますよ」


「………。だと良いんだがな…」


俺は星奈からスマホを受け取ると自室に向かう。

吹雪が学校から帰宅してくるまで俺は仕事に励むのであった。






学校に到着した俺に山口響子はチラチラと視線を送ってきていた。

つい先日までの喧嘩気味な雰囲気は僕らの間に存在していない。

出会った当初の馴れ馴れしさも消え失せていて…

僕らの今の距離感は不思議なものに落ち着いていた。

ファンと選手。

その様な関係性に落ち着いていた僕らをいつもの男子達は見逃さない。


「いつもみたいにいちゃつかないのかよ」


束になっている男子達の一人が誂うような言葉を口にして…

取り巻きの仲間はゲラゲラと笑っていた。

俺は別に気に留めずに薄く微笑んでいるだけだった。

しかし…


「ちょっとやめてよ!イチャイチャなんかしていないから!

そんな不純な気持ちで吹雪くんと話していたんじゃない!」


山口響子は怒気溢れる言葉遣いで男子達に圧を掛けていた。

男子達もその圧に気圧されるような形で笑うのをやめていた。


「俺は…そんなつもりで…」


男子達の親玉と思われる人物は何処か悲しそうな悔しそうな表情を浮かべて何やら言葉を漏らしていた。


「もう私達のこと誂ったりしないで!」


「………分かったよ…」


男子達は軽く項垂れながら廊下へとトボトボと歩いていく。

その様子を見て俺は何かに気付いてしまう。

彼らは皆…山口響子に気があるのだと…

それに気付いた俺はなんとも言えない複雑な気分に苛まれながら…

朝の会を待つのであった。






普段通りに学校生活を終えて帰路に就いている俺だった。

何事もない帰り道。

自宅が目と鼻の先に見えてきた頃。

見慣れない黒塗りの車が自宅の前に停まっていることに気付く。

それを横目に玄関の扉を開けて…

見慣れない革靴が目に入るが俺は自室にランドセルを置きに向かう。

本日の間食メニューは何かと想像を膨らませながら階下へと降りていく。

リビングに続くドアを開けると…


「こんにちは」


見知らぬ男性が挨拶をしてきて俺も返事をするように挨拶を交わした。


「帝位高校の監督さんよ。昨日の練習試合の活躍をご覧になったそうよ」


母親が追加で説明をするように口を開いて俺に笑顔を向けていた。


「吹雪くんは小学一年生って本当かい?」


その質問に俺は頷くように返事をする。


「お父様が仰ったことは真実だったのですね。

うちに入学させたくないがために吐いた嘘かと思っていましたよ」


「まさか。そんな無意味な嘘は吐きませんよ。

それに俺と帝位高校の確執はもう解消されたと思っていましたが?」


「神田さんがそう仰ってくれるのであれば…

うちとしても有難い話ですよ」


父親と帝位高校の監督は大人なやり取りを繰り返していた。

俺はリビングの椅子に腰掛けて早いところ間食をいただこうと思っていた。

母親が用意した食事の皿に掛けられているラップを外すと早速手を付けていく。


「小学一年生がシニアチームに混じっているのは異様な光景でしょう。

加えて言うのであれば…かの有名な萬田シニアでプレイしているんです。

萬田監督は神田さんの息子さんだから入団を許したのでしょうか?

どうして小学一年生の内からシニアチームでプレイさせようと思ったんです?」


当然の疑問を投げかけてくる相手に父親は少年野球団での出来事を話していた。

それを黙って聞いていた相手はウンウンと頷く。


「プロのジュニアチームやリトルリーグでは駄目だったんです?」


「きっとそういう所に行っても駄目だって思ったんですよ。

吹雪の性格的な問題もありますし…

萬田や蒲田なら事情を分かってくれると甘えた部分もあります。

俺と一緒にプレイした経験がある二人なら…

息子の吹雪の性格も理解してくれるって思ったんです。

どれも後輩に対しての甘えですが…

それでも入団して一ヶ月が経過しようとしている今…

萬田シニアに頼んで正解だって思っています。

九条監督は何が言いたいのでしょうか?」


父親は最後の方はキリッとした真剣な表情で相手と向き合っていた。


「いえいえ。ただ知りたかっただけですよ。

全国常連チームの萬田シニアに異例の若さで入団した選手について。

吹雪くんの才能は明らかに異質です。

うちのスカウトが興奮気味に鼻息を荒くして報告に来た時は驚いたものです。

しかもそれが神田業選手の息子で小学一年生と知った私も…

あの時の彼以上に興奮していますよ。

普段はどの様な指導をなされているのです?

参考にさせて頂きたいです」


「どの様な指導ですか…良ければこの後ご一緒しますか?」


「ほぉ。練習を見学させてくださると?」


「もちろんです。幾ら吹雪が良い選手で才能があろうとも…

流石に今から帝位高校の練習に参加させることは出来ないでしょう。

それなので幾らでも練習を見学していってください」


「左様ですか。ではご一緒させて頂きます」


父親は俺に視線を向けてきて食事の状況を確かめているようだった。

もうすぐ食べ終えるところだった俺は父親と無言の意思疎通が出来たと言うように頷いて応える。


「食べ終わったらいつも通りユニフォームに着替えて来なさい」


それに返事をすると俺はすぐに食事を終えて食器をシンクに持っていく。

母親は片付けをしてくれるようで俺はすぐにユニフォームに着替えると道具を持って父親が待っている車へと向かうのであった。





父親の車に乗ると帝位高校監督は自らの黒塗りの車に乗り込んでいた。

目的地は事前に伝えてあるのか僕らは別々の車で球場に向かっている。


「着くまで食休みしておきなさい」


父親の言葉を受けた俺は急激な眠気に襲われて助手席で目を閉じるのであった。






いつも通り球場に到着すると父親に起こされて目を覚ます。

グラウンドに入る時に一礼すると挨拶をする。

本日から秘密特訓には新たな参加メンバーが加入したようで…

二年生投手の早川と拳道の姿がある。

彼らは既にマウンドに立っており…

萬田監督はマスクを被って捕手の守備位置で構えている。

今現在投げているのは早川だった。

拳道は早川の投球を目にしながらベンチ前でフォームの確認をしていた。

打者は蒲田コーチだった。

左右交互の打席に立ち早川の投球を確認しているようだった。


「萬田。ちょっと良いか」


早川に返球をした萬田監督に父親は声を掛けている。

マスクを取ってこちらに向き直る萬田監督は挨拶を口にして…

父親の隣にいる人物に目を向ける。


「えっと…間違いでなければ…帝位高校監督の九条さんですよね?」


「どうも。本日は練習の見学に参りました」


「左様ですか。失礼ですが…誰をお目当てに見学をなされるのでしょうか?」


「吹雪くんですよ」


「………」


萬田監督は思わず言葉を失ってしまい俺と父親を交互に眺めていた。


「ということだから。九条さん。悪いんですが俺達はアップをしてきますので」


「神田選手も一緒にアップをするんですか?」


「そうですね。打撃練習の投手を務めるので」


「普段も投げていられるのですか?」


「いえいえ。平日の秘密特訓のときだけですよ」


「左様ですか…」


九条は何かを言いたげな表情を浮かべていたが…

父親は萬田監督に後のことを任せていた。

僕と父親は外野に向かうと入念にウォーミングアップを済ませるのであった。






アップを済ませた僕はバットに重りを付けて素振りを行っていた。

九条監督は拳道の投球を目にして何やら思案顔だった。


「まだ見えるな。タイミングが掴みにくいって程ではない。

昨日掴んだ感覚をしっかりと思い出すんだ」


萬田監督と蒲田コーチに同じ様な指導を受けて拳道は帽子を取って返事をする。


拳道の様子を不安そうな表情を浮かべて眺めている早川の下に九条監督は向かっていた。

僕は近くで素振りをしていて…

聞き耳を立てていたわけでもないのだが…

話し声が聞こえてきてしまう。


「彼…投手にコンバートしたばかりの選手なの?

それとも肩が強いからサブポジションとして投手をやらせるつもりなのかな?」


九条監督の純粋な疑問に早川は少しだけ気まずい表情を浮かべて否定の言葉を口にする。


「いいえ。うちの大事な三番手投手です」


結局思い直したのか…

自信のある表情を浮かべて九条監督に意見する早川だった。

が…九条監督は早川の発言により何もかもに興味が失せたような表情を浮かべてその場を後にする。

返事もくれない九条監督の後ろ姿を睨みつける早川に気付きもせずに…

九条監督は俺の下へとやって来る。


「吹雪くんから見て彼はどう?」


今も投球を続ける拳道に視線を向けた九条監督は早川に質問したように僕にも同様と思える質問をしてくる。

だが答え難そうにしている僕を見て九条監督は柔和な笑みを浮かべていた。


「先輩だもんな。答え難くて当然だが…吹雪くんの本心を知りたい。

昨日の一打席だけでは打者としての本質がわからないからね」


促されるような形で俺は声を抑えて口を開いていく。


「拳道さんは紅白戦で一年生にコテンパンに打たれまして…

そこから自信喪失しました。

それが一昨日の土曜日のことで…

昨日の日曜日にやっと少しだけ立ち直ってフォーム改善の練習に励んでいます。


実を言うと僕も土曜日の紅白戦で拳道さんから四打数四安打の成績でした。

内二本を二塁打にしましたし…正直に話すと打ち頃の投手だと言わざる終えません。


リリースする瞬間がモロバレなのでタイミングが取りやすく…

打者のタイミングをずらす様な変化球も持ち合わせていません。


変化球を覚えるよりもフォーム改善の方が中学生の拳道さんには適切な処置だと思ったんでしょうが…

中々フォーム改善のコツも掴めていないようです。


このまま対戦しても…正直全部打ててしまうと思います…

先輩に対して生意気な意見ですが…これが本音です…」


僕の正直な思いを耳にしていた九条は目を見開いて嬉しそうな表情を浮かべている。

正直な話をすると子供の僕からしたら今の九条監督の表情は不気味以外の何物でもなかった。


「うん…流石だ。感情を抜きにして投手を分析できている。

味方投手だとしても贔屓した意見を口にしない。

そういう所から切磋琢磨って言葉が生まれる。


帝位高校の選手たちは皆がそれを出来ている。

だから毎年全国に進むわけだ。


味方が駄目だって力不足だって思う選手に敵選手はもちろん何の遠慮もしないで打ってくるだろ?

その選手の努力とか今までの真剣な取り組みや過去の出来事や事情なんて汲んでくれるわけ無いだろ?

だから帝位高校には初めから味方が率先して酷評する雰囲気が充満しているんだ。


だが逆に良い選手はこれでもかってほどに褒めて伸ばす。

そうやって選手同士で高め合うのが本当のチームワークだと思っているし…

良くない選手を慰める言葉を口にして何か意味があると思うか?


当事者の選手のためにもならなければチームのためにもならない。

言われすぎてへこたれるような選手は三年間の濃密な時間を無駄に浪費するようなものだと思わないか?

そんな暇があれば自らの改善に努めて自己成長する以外に道はないだろ?


へこたれる時は諦めて別の道に行くときだけでいいはずだ。


俺はそうやって色んな選手を育ててきたし今まで沢山の選手を見てきた。

プロに送り出した選手だって幾らでもいる。


中にはへこたれて戻ってこない選手もいたさ。

けれど人間としても選手としても一流のやつはメンタルや考え方…

選手としての能力や全てのことに対する取り組み方も…

全て帝位高校の環境に順応していく。


今の吹雪くんの考え方はまさに帝位高校向きだと言っておこう」


九条監督は嬉しそうな表情を浮かべたまま再びマウンドへと視線を向けていた。


「吹雪。そろそろ打席に入りなさい」


父親に声を掛けられて俺は打席へと向かう。

拳道はマウンドを降りて早川の下へと向かいアドバイスのような言葉をもらっていた。

九条監督はまるで興味がないような表情で僕と父親の対戦を間近で観ようと一緒について来ていた。


「お互いに慰めあっているようでは成長は見られないと言うのにな…

萬田シニアの二年生投手はこんなものか…」


九条監督の独り言が耳に届いており俺はどの様な表情を浮かべれば良いのかわからないでいた。


しかしながら俺の本質的な思考は九条監督と近しいものだとも思っていたのだ。


少年野球団の体験練習の時のことを思い出す。


馴れ合いが先行しており高みを目指すことが第一目標ではないように思える指導者や選手たち。

少し本音を口にしただけで泣いてしまうキャプテン。


試合では味方の全選手が実力の全てを出し切っても勝てない場面だってあるというのに…


相手のミスやエラーを誘い辛勝する日だってあるだろう。

文字通りどんな手を使ってでも勝利を望まないとならなくて…

簡単に拾える勝利など殆ど皆無なのだ。


馴れ合って本音を口にせずぶつかり合うことを恐れているようでは…

眼の前の勝利を相手からもぎ取ることは出来ないのだ。


萬田シニアの選手は本質的にそういう部分を理解していると思ったのだが…

どうやら全員がそうでは無かったようだ。


外部の人間に少し貶されただけで味方を庇う発言も理解できる。

だが…今の拳道を庇うのは誰のためにもならないというのに…


先輩としてチームの一員として彼らを尊敬しているのは本当だ。

それは彼らが善良な人間で優しいからだろう。


ただこの先の道に進む彼らに…

その優しさや人間として善良な性格が牙を向くような気がしてならなかったのだった。






父親との真剣勝負が始まった。

捕手の萬田監督の思考が今日はくっきりと感じ取れていた。

打席でインコースを意識した素振りを一つしたことで萬田監督は初球から外すようにアウトコースギリギリにストレートを要求していた。

少し踏み込んで父親の球速や球威に逆らうこと無くレフト線へ鋭い当たりを放つ。

萬田監督はマスクを取らなかったが明らかに驚いているようだった。


二球目は同じコースにツーシームだと思われた。

先程よりも深めに踏み込んで同じ要領でレフト線へと強い当たりを打つ。


三球目は同じコースから中に切り込んでくる変化量の大きいカットボール。

萬田監督の配球が手に取るように分かる。

本日、僕の中では何が起きているのだろうか。

アウトコースギリギリに投げられた球が真ん中辺りまで切り込んでくる。

腰を捻り少しだけ溜めを長く保つとセンターへと打ち返す。


今まで投げられた三球全てをヒット性の当たりにすると流石に萬田監督はマスクを取る。


「何だ?今日はどうした?」


少しだけ慌てているような萬田監督に俺は苦笑気味な表情を浮かべていた。


「そうか…俺の配球が読まれているんだな…」


萬田監督はマスクを被ると再び構えて四球目のサインを出していた。

きっと配球を変えてきたであろう萬田監督だったが…

俺はどうしてか萬田監督の配球が分かってしまう。


四球目。


今までの投球は全てストレートと変わりない速い球だった。

投げられた二球の変化球も一級品のそれで…

簡単に打つことは出来ないものだった。

けれど俺と父親は今日まで幾度も対戦を繰り返してきたのだ。

もうそろそろ父親の投球を理解しても可笑しくなかった。


話は戻るが…

きっと放られる球はチェンジアップだ。

萬田監督が要求した球はそれに決まっている。

今まで球速が速いものを三球連続で放ってきたのだ。

タイミングをずらして凡打で抑えることを狙っているに違いない。

投球モーションはストレートと変わりない。

リリースする瞬間も手元は隠れており球の縫い目も見えたりしない。

それでも俺はチャンジアップが来ると信じて疑わなかった。


普通の投手が投げるチェンジアップではなく…

ある程度の速度があるのに打者の手元で一気にストンと落ちるその球は…

まさに魔球の様だと思った。

ワンバウンドする前にミートポイントを前にして…

少しだけ態勢を崩されながらも俺はセンター返しにする。




続く五球目。

負けず嫌いな萬田監督が要求する球はフォークだと思われた。

先程のチェンジアップよりも球速が速くもっと勢いよく落ちる。

そんな魔球を投げ込んでくると予想できた。

投球モーションに入った父親を目にした俺は打席の少し前に移動。

ミートポイントを物理的に前に設定してバットを振り抜く。

再びきれいにセンター方向へとヒット性の当たりが飛んでいく。




考える暇も与えられずに六球目の勝負が始まる。

わざとらしくアウトコースへと移動して構える萬田監督の行動も相まって投げられる球種を理解する。

変化量が多く球速があり父親が投げる魔球の内の一つであるスライダーが投げられることを容易に予想できてしまう。

アウトコースからあり得ない変化量でインコースへと曲がってくるその魔球を俺は…

腰を十分に捻って待ち構える。

そのまま分かっていたと言わんばかりにやってきたスライダーを引っ張るような形でライト方向へと飛ばしていた。



六球連続でヒット性の当たりを打たれた事により萬田監督はマスクを取り何かを伝えようと口を開きかけて…


「神田選手。どうして利き手ではない右投げをしているのですか?」


萬田監督が口を開く前に打撃練習を見学していた九条監督が悪びれもせず会話に割って入る。


「………本気の左投げは吹雪にはまだ早い…」


「そうです!吹雪にはしっかりと段階を踏ませて…!」


父親は少しだけ気まずそうに口を開き萬田監督は部外者の九条監督に余計な言葉を掛けられて苛立っているようだった。


「ですが…右投げでは吹雪くんの相手として力不足でしょう」


九条は引くこともなく再び意見をして食い下がっている。


「だが…」


父親は他にも理由があるようで萬田監督へと視線を向けている。


「俺が捕れないんですよ…神田さんの本気の投球を…」


萬田監督はかなり悔しそうな表情を浮かべて軽く項垂れているようだった。


「何だ。それが本当の理由ですか。それなら少し待っていてください。

私がマスクを被りますから」


「失礼ですが…神田さんの球が捕れるって本気で言っています?」


萬田監督も食って掛かるような態度で九条監督と向き合っている。


「当然です。私がどれだけのバッテリーを鍛えてきたと思っているんです?

当然のようにレベルの高い投手が多い帝位高校です。

捕手だってレベルが高い選手をスカウトしますが…

どうしたって入学してすぐは投手の方がレベルが高いのが現状です。

そんな時に捕手のレベルを上げてきたのは私ですよ。


ですが投げる球はストレートだけにしてください。

こんな啖呵を切っておいてお恥ずかしい限りですが…

神田選手の変化球を難なく捕れるなんて虚言は吐けません。


それは流石に神田選手を見くびっているという事になりますから」


九条は話を続けるとその場で屈伸などの準備運動を開始していた。


「ストレートだって捕れやしないですよ…怪我するのがオチです…

それに吹雪に当たったりしたらどうするんです!?」


萬田監督はどうにかしてこの対戦をやめさせようと必死に口を開き説得していた。


「吹雪くんはどうです?お父様の本気の投球を見たくないですか?

本当の真剣勝負をしてみたくないですか?」


九条監督は二度と抜け出すことの出来ない勝負の世界へと誘うような…

悪魔が口にする甘い誘惑のような言葉を僕に投げかけていた。

それを受けて思わず頷く僕を見て…

萬田監督は目を見開いて必死に止めようとしている。

だが…


「吹雪。本当に良いんだな?

もう二度と甘い世界やぬるま湯の世界に戻れなくなるぞ?

俺は父親として…まだ早いと思うんだが…」


しかしながら俺の真剣な表情を確認した父親は軽く頷くと九条監督の元へと向かう。


「左はまだ温まっていないんだ。付き合ってくれ」


「お任せください」


萬田監督から防具を受け取った九条監督は素早くそれを装備する。

そこから二人は長年組んできたバッテリーかのように慣れたやり取りを繰り広げていた。

父親の軽く投げる球を俺は目で追いながらタイミングを合わせるように素振りを行っていた。

そんな俺の下へ萬田監督と蒲田コーチがやって来る。


「吹雪…無理はするな…」


「そうですよ。万が一バットに掠ったとしても…球威に負けて手首を故障します。

バットは出さないでください」


二人の言葉を受けて俺は頷いてはいたが…

しかしながら本音を言えば…

本気の父親と真剣勝負が出来る現状に心が踊っていたのだ。


殆ど聞く耳を持っていないと思ったのか…

萬田監督と蒲田コーチは早川と拳道の下へと向かう。


彼らはネットで完全に守られている場所まで移動してこちらの様子を眺めていた。


「よし。こんなもんで良いだろう」


父親は左肩から始まり腕と手首をぐるぐると回すと準備が整ったようだった。


「流石に一打席勝負にしましょう。私も真ん中にしか構えません。

吹雪くんはあれやこれやと考えずに…

ただ真ん中に放られるストレートを打つことに意識を向けてほしいです。

神田選手もそれでよろしいでしょうか?」


父親は頷くと早速二人は構えを取る。

僕も心を踊らせながら左打席へと立つ。


投球モーションに入った父親は…

右投げの時も完璧だと思っていたのだが…

それよりも左投げの時は気迫や闘志など目に見えない本気の姿が感じ取れてしまう。


打者を何が何でも抑えるというむき出しの敵意や◯意にも似た覇気を受けて…

俺は初めて本気の真剣勝負の場に立っていることを実感していた。


それでは今まで経験してきた数々の打席は…

今のこの瞬間を味わってしまえば…

あれらが遊戯のように思えてならなかった。


勝つか負けるか…

生か◯か…

かなり大げさに思えるかもしれないが…

今まさにバッテリーの二人と打席に立つ俺だけは同じ思いを抱いていた。


リリースするまでの時間が非常に長く感じられる。

タイミングはまるで取れず…

ボールが指先から放たれたと感じてステップを踏みかけた…

だが…

父親が投げた豪速球は一瞬にして九条監督が構えるキャッチャーミットに轟音を鳴らして収まっている。


意味がわからずに俺は意識を一気に塗り替える決断をする。

このままでは文字通り手も足も出ない。


バッターボックスの一番後ろに構えて続く二球目を待つ。

同じ様にリリースするまでが異常に長く感じられる。


父親が指につけたロジンバッグの白い粉が投げられた瞬間に弾ける様に飛び散っていく。


目で球の行方を追うのは不可能だった。

気付いたらもうキャッチャーミットに収まっており…

遅れてキャッチャーミットに収まった豪速球の轟音が耳に届いてくる。


「あと一球で終了ですよ?どうしますか?」


九条監督は真剣勝負に慣れているようで美しい笑みを浮かべていた。

マウンドの父親も明らかに勝負を楽しんでいるように見える。

ゴクリとつばを飲み込んだ俺は思考を回転させる。


今の構えのままではタイミングが絶対に合わない。

ステップを踏む余裕など無く初めから軸足である左足に溜めを作り腰を捻っておく。

バットを短く持って放られた瞬間に腰を一気に回転させてコンパクトスイング。


真芯に当てればきっと外野まで届く。

そんなイメージが出来た俺は早速実行へと移す。



投げられた最後の球。

宣言通り…真ん中に真っ直ぐだった。


三球でタイミングまで合わせることが出来たのは…

現在の状況がそれを可能にさせていたと思われる。


ゾーンや覚醒に手をかけており極限状態の集中力で本当の真剣勝負を繰り広げている。


そういう全ての状況が俺の能力を何段階も上に押し上げていると思われた。


バットをコンパクトに振り…。

確かにボールの下をバットが掠った音がした…


だが…


九条監督はそれでも取りこぼさずにキャッチャーミットにボールをしっかりと収めていたのであった。


「ナイスボール。そして…吹雪くん…

やはり君はもうここでも物足りなさを感じているんじゃないか?」


真剣勝負を終えた俺はかなりの衝撃を受けていた。

更に上の世界ではこの様な心躍る投手が待っているのか…

そんなことばかりを想像していて…

九条監督が言うように今のままでは俺は物足りなさを感じるのだろう。

それを見透かしているような九条監督に俺は…


「ちょっと!うちの選手に勝手なこと言わないでくださいよ…!」


萬田監督と蒲田コーチは急いでこちらに向かってきて声を張り上げていた。

遅れて早川と拳道が追いかけてきている状況だった。


「萬田さん。貴方には言っていません。

私は神田選手と吹雪くんと話をしているんです。

黙っていてください」


「ですが…!吹雪はうちの選手で…!」


「はっきりと言っておきます。

吹雪くんはここでこれ以上の成長は見込めないでしょう。

成長しないというのは語弊がありますが…

ですが成長曲線はなだらかで緩やかなものへとなっていくことが予想されます。


何故ならば…

吹雪くんが初めから持ち合わせている才能やここに来てからの急成長。

考え方や選手としてのあり方。

上や先を貪欲に目指し渇望している姿勢。


全てにおいて萬田シニアでプレイする選手とは齟齬が生まれてきているように思えます。

萬田シニアの環境ではいずれ完全に物足りなくなる。


早い内から吹雪くんには上の環境を提供しておきたい。

未来の大スターには今の内から一流の環境でプレイさせるべきなんです。


甘えも遠慮も周りの目を気にする様なプレイも…

吹雪くんには覚えてほしくないのです。


ここにいたら…

失礼な言い方で申し訳ありませんが…

それを覚える可能性がある。


高校野球に進めば…

シニアリーグ以上に厳しい環境が用意されています。

今まで経験したことが無いほど険しく…

選手が座れる席は本当に限られているんです。


帝位高校で言えば…

部員の数は三桁を超えます。


そこから五軍、四軍、三軍、二軍、一軍と殆ど五部構成でチームが出来上がります。


一つ一つの場面でどうにかアピールして指導者の印象に残ることを強いられる世界です。


必死で駆け上がっていきほんの一握りの選手だけが一軍に所属し…

そこからもレギュラーの席を奪い合うのです。


これがどれだけ苦しく残酷な世界か分かっているのですか?

甘い考えを持った選手がやっていけるようなぬるま湯の世界では無いのですよ。


ですから吹雪くんには今の内からそういう環境に馴染んでもらいたいのです。

甘い考えなど一瞬も感じず思考せず抱かない。

そういう厳しく険しい環境…

本当の勝負の世界に身を投じ浸ってほしいのです。


振り出しに話を戻しますが…

今は神田選手と吹雪くんと話しているのです。

黙っていてください」


九条監督の圧に気圧される形で萬田監督は黙ってしまう。

自分でも思うところがあるのだろう。

俺と父親は顔を見合わせていた。

父親は俺の感じている全ての感情を汲み取るようにして一つ頷く。


「九条さん。後日連絡します」


「はい。私としましては…

吹雪くんを今の内から帝位高校野球部の練習に参加させたいと願っております。

もちろん一軍レギュラーメンバーと同じグラウンドで。

指導者陣が付きっきりとなる特別待遇です。

これははっきりと選手たちにも伝えます。


吹雪くん…君は誰よりも特別な選手です。

それを今の内から覚えておいてくださいね。


私はお邪魔でしょうから。

ではお先に失礼します」


九条監督は言いたいことを全て言うと晴れやかな表情でグラウンドを後にした。


残された僕らは…


「萬田、蒲田…」


父親は二人の下へと向かうが…


「僕らに気を使ったりしないでください。

いずれこんな日が来ることを…

信じられないかもしれませんが…

心の何処かで予想していたんですよ…」


萬田監督はかなり意気消沈しているようで…

蒲田コーチも同じ様な気持ちだったことだろう。

しかし彼らは無理して笑顔を浮かべていた。

指導者陣は早川と拳道の下へと向かっていく。


残された僕らは全員に挨拶をすると気まずさを携えながら車に乗り込んだ。


運転席に座る父親の表情は今まで見てきた優しい父の顔ではなく…

真剣勝負という残酷な世界に取り憑かれた魔物のような顔つきに思えてならなかった。


自分は今どの様な表情をしているのかと助手席のサンバイザーミラーで確認して…



俺の表情も父親や九条監督と同じもので…

何故か俺は彼らと同じ顔つきであれたことを光栄に思うのと同時に…

得も知れない幸福感を覚えてしまっていたのであった。



次回。

神田親子の決断とは…!?

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