第10話初続きの練習試合
日曜日の早朝から僕らは外野にてウォーミングアップを行っている。
ポール間を二往復してストレッチ、柔軟を念入りに行う。
各種ダッシュを二十分程行うとキャッチボールに入る。
その後、バットを持った打者と投手の二人一組になりバットコントロールの練習。
投手は打者が打ちやすい場所に投球し打者は振り抜くわけではなく真芯に当てるように努めて投手に打球を返す。
打者は本日の調子を確かめて自分が思った通りに身体が動かせているか確認していた。
シニアリーグでプレイしている中学生…
もっと言えば萬田シニアに所属している選手は難しく思えることをいとも簡単にやってのける。
僕も慣れてきていてしっかりと真芯に当てて投手へとライナーで返球していた。
本日の僕は疲労感も筋肉痛もなく。
かなり調子が良いと思われた。
昨日の紅白戦でBチームとして一緒にプレイしていた先輩たちも皆調子が良さそうだった。
何よりも昨日の登板で自信を付けて覚醒に至った投手陣。
山口悟を筆頭に早川、小林、内藤は確実に自信のある投球を行えていた。
ただし…
「拳道!真ん中入ってないぞ!ってかストライクゾーンにすら入ってねぇ!」
拳道投手とペアになった同級生の二年生の声が聞こえてきて僕らはそちらに視線を向けた。
「すまん…」
明らかに昨日のことを引きずっている拳道を見た指導者陣は外野の選手たちに向けて拡声器を使って声を掛ける。
「拳道、早川、吹雪。グラウンドの外に集合」
萬田監督の声が聞こえてきて僕らは慌てて道具を持つとベンチに向けて走る。
道具を丁寧にしまうと僕らは言われた通りグラウンドの外へと集まるのであった。
グラウンドの外に出ると僕らは監督の姿を探していた。
「ごめん…俺のせいで…」
拳道は明らかにナイーブな状態にあるようで僕と早川に向けて謝罪の言葉を口にしていた。
「謝るなよ。同期でチームメイトだろ?」
早川の励ましの言葉を受けて拳道は無理矢理に笑顔を貼り付けていた。
僕は拳道の様子が明らかにいい状態じゃないことを理解できていた。
しかしながら気の利いた言葉がまるで思いつかない。
相手はかなり先輩だし俺の言葉がどれだけの効力を持ちどれだけの救いになるのか…
そんなことすら今の僕には推し量れない。
何を伝えるべきなのか…
考えても答えが出ない現状を僕はかなり歯痒く思っていた。
何か言わないと…
何か励ましの言葉を…
散々思考を回転させて様々な言葉を探していたのだが…
どの言葉も今の拳道には無意味な気がしてならなかった。
それにその場しのぎの言葉で一時的に調子を取り戻したとしても…
再び打たれて…
打たれる度にこの様な状態になっているようではこの先大変だと思われた。
もっと根本的な解決策は無いのか…
そんなことを考えていると…。
「待たせたな。こっち来い」
監督が姿を現して僕らは後をついていく。
球場の外に連れられた僕らは監督の言葉を待っていた。
「先に言っておく。早川には申し訳なく思う。
だがこれは二年生投手の連帯責任だと思ってくれ。
拳道。
昨日一年に散々打たれたことがショックなのは理解できる。
だがな…そのメンタルだと投手を長く続けられないぞ?
投手を辞退するなら今この場で決めてくれ。
お前の判断が遅れると新たな投手を探す時間が少なくなる。
それにお前の次のポジションも考えないとならない。
加えて言うのであれば三番手投手としての役割を辞退したお前がレギュラーになれる程の打撃能力があるとは思えない。
現状でという話だが…
今まで懸命にポジション争いをしてきた選手たちを押し退ける程…
お前は野手として適性があるのか?
守備力、思考力共に投手以外で通用すると本気で思っているか?
散々打たれる日だってあるだろう。
何も掴めずにただただ敗退する。
そんな残酷にも思える一日は誰にだって訪れる。
打線に文句を言いたい日だって来るだろう。
昨日の一回戦目を観ていたか?
山口も早川も殆どパーフェクトピッチングだった。
お互いに打たれたヒットは一本だけ。
結果を分けたのは…
山口は吹雪に二塁打を打たれ…
早川は山口に本塁打を打たれた。
それだけの違いだ。
はっきりと言おう。
俺が早川だったら吹雪以外の打者に苛立ちを覚えるだろう。
俺が好投しているのに援護は無いのかよ!
そう思って当然だ。
だがな…試合が終わった後に早川は誰も責めなかったそうだ。
投手戦としては山口と引き分けぐらいに思っておくと器の大きなポジティブ発言をした。
Bチームのメンバーは昨日の紅白戦がきっかけで確実に何かを掴んでいる。
Aチームに負けたのにだ。
同じく負け投手となった拳道。
お前はどうだ?
一日経過したって言うのにクサクサと腐り散らかして…
ライバルにも後輩にも気を使わせて。
そんなんで来年のエースを任されると思うか?
しっかりと考えなさい。
今から拳道と早川はロードワークに向かってもらう。
悪いが本日の練習試合一試合目にお前たちの出番はない。
しっかりと走って邪念を消し飛ばしてきなさい。
早川は拳道のもやもやを全て聞いて上げなさい。
そういうわけで二人はロードワーク。
気が済むまでしっかりと走ってきなさい。
では…行って来い」
監督は拳道に厳しい言葉を投げかけていたが…
拳道の表情を見るに先程より何処かキリッとした表情を浮かべていたように思える。
二人はロードワークに向い僕は監督とその場に残された。
「吹雪。巻き込んで悪い。だが拳道を復活させるために…お前の力が必要なんだ」
監督に頼られるのは嬉しい限りなのだが…
僕に何が出来ると言うのだろうか。
「それと親父さんにも声を掛けておいた。先に室内練習場にいる。
俺達も行こう」
監督に促されるようにして俺達は室内練習場を目指していた。
何が出来るか…
改めて監督に尋ねようとも思ったのだが…
室内練習場に到着してしまえば指示を受けるだろうと思っていた。
父親はいつも通りジャージ姿でグラブと白球を手にしていた。
監督はすぐに防具をつけると父親の元へと向かう。
何やら二人で打ち合わせをしていて…
それを眺めながら俺は自然とバットに手を伸ばしていた。
フォームを確かめるように素振りを行う。
持ち手を逆にして右打ちの要領で同じ様に素振りを行った。
身体が完全に解れてきたのを全身で感じ取っていた。
何処にも不調が無いことを確認して再び左打ちに構えを切り替える。
「遅くなった。ちょっとボックスに入ってくれ」
監督に言われるように俺は左のボックスに入る。
「じゃあお願いします」
監督はマスクを被りそのままキャッチャーとして構えを取る。
父親はいつもの様な完璧な投球モーションではなく…
何処かで観たことのある…
誰かの投げ方を真似しているようだと思った。
投げ方に違和感があり…
何が投げられるかリリースの瞬間の手元もバッチリと確認できてしまう。
こんなに簡単にリリースの瞬間が分かりタイミングが合わせやすい投げ方を父親はしない。
既視感のある投球モーションに俺は首を傾げながら。
キャッチャーミットに投げられた球にバットを軽く出して真芯に当てる。
そのままバットコントロール練習の続きのようにしてライナーで父親へ返球した。
一球の投球が終わると父親は何かを確認するようにボールを持たずに投球するふりをしていた。
「どうだった?」
マスクを取った監督は俺に何かを尋ねてくる。
どういう意図の質問だったか…
俺にはあまり理解できなかったのだが…
正直に答えることを決める。
「えっと…リリースの瞬間がバレバレでタイミングが取りやすく…
再び目に頼ってしまいましたが…縫い目もバッチリと確認できましたし…
完全に打ち頃だったと思います。
僕でなくともリリースの瞬間だけに集中していれば…
打者は簡単に打てると思いますけど…
誰かの真似をしていたんでしょうか?」
僕の正直な気持ちを耳にした監督は軽く嘆息して見せる。
「吹雪は誰と対戦しているようだって感じた?」
「えっと…最近戦った誰かだと思うんですが…
しっかりと捉えた誰かだとは思うんですが…」
「散々打ち負かした相手に興味はないか?」
監督は薄く笑って悪い笑みを浮かべている。
僕は少しだけ恥ずかしい思いに駆られながら…
思わず頷いてしまった。
「そうか。吹雪の意見を聞いて…
先に親父さんに頼んで本当に良かったと安堵したところだ。
今の投球モーションは拳道を模倣したものだ。
親父さんに掛かればこれぐらい造作もないと言うこと。
ロードワークを終えた拳道にはフォーム改善の指導を行おうと思っている。
その時もお前に頼ることになる。
選手の誰よりも目が良いお前にしか頼めないことだ。
拳道がここから這い上がれるかどうかは吹雪に掛かっている。
フォーム改善の主な箇所を要点的に伝えておく。
非常に簡単な話だが…
リリースする瞬間を打者から見えないように改善するつもりだ。
加えて言うのであればお前は両打ちが出来るだろ。
だからどちらの打席にも立ってしっかりと観て欲しい。
リリースする瞬間が見えないことと…
打者としてどれぐらいタイミングが取りづらいか…
その度合もしっかりと拳道に伝えて欲しい。
打者として優れているお前に言われたら…
きっと拳道は自信を取り戻し復活する。
だから…先輩の尻拭いに付き合わせて悪いと思っている。
でもな…お前にしか頼れないことなんだ。
拳道よりも明らかに後輩で…
それでもチーム全員が認める好打者の吹雪にしか頼めないことなんだ。
完全にお前の練習の時間を割いてしまうことを申し訳なく思う…
でも親父さんは了承してくれた。
吹雪の練習にもなると…
だからお前もこの練習で何かを掴み取って欲しい。
簡単にアドバイスを求めてくれるなよ?
今回の練習は拳道のものだ。
お前は自分で勝手に成長して欲しい。
こんなことお前に言って良いのかわからないが…
お前は放って置かれても勝手に成長して勝手に一流の選手の階段を登っていくのだろう。
他の選手たちとは違って手取り足取り…
よしよしとご機嫌を取らなくとも…
昨日の紅白戦を全て観ていて思ったよ。
ショートでの守備…
二遊間や内野手とのコミュニケーション。
打者の狙いを一球で把握し内野手の守備位置の訂正。
本来なら先輩の捕手が全体を見渡して言葉をかける場面だった。
捕手も遅れて声を掛けていたが…
完全に吹雪の行動を見て感化された結果だ。
お前はBチームで完全に中心的重要選手だった。
バッテリーを陰で支え打撃では唯一の活躍。
明らかに全員に頼られていた。
お前は俺達が一度指導した言葉を完全に汲み取って試合に昇華させていた。
全員がそんな選手だったらどれだけ指導者は楽か…
勝手に自己成長して勝手に優勝してくれる。
決して断言するが…
世の中そんな選手ばかりではない。
俺達指導者はいつでも毅然とした態度でお前達選手に向き合う。
けれど本質的な話をすると…
お前たちのやる気を上手に引き出すことを第一に考えている。
指導者として選手の一人である吹雪にこんな話をするのは間違っているかもしれない。
だがな…お前はやっぱり特別な選手なんだ。
今までプレイしてきた野球人生の中で…
指導者として教えてきた指導者人生の中で…
明らかに一番特別な選手なんだ。
神田さんとお前を重ねるのは間違いかもしれない。
でもな…どうしても重ねてしまうんだ。
俺がもしもお前と同級生だったら…
俺がお前を孤独にさせない。
最高な選手としていつも隣りにいるだろう。
そんな夢想をしてしまうほどだ。
俺達指導者は全面的にお前の才能を能力を信じている。
今回も頼ってしまい申し訳ない。
だが…分かってくれ」
監督の長い説明に俺はどの様な感情を抱いていただろうか。
特別で一番の選手と言われて嬉しく思ったのか。
以前少年野球団の選手たちに感じた孤独感と同じ様なものを覚えたのだろうか。
一言では言えない複雑な感情が俺の心には渦巻いていただろう。
「時間まで親父さんに素振りでも観てもらっていなさい。
俺はロードワークの様子を確認してくる」
それに返事をすると俺はすぐに親父の下へと向かう。
「萬田が言ったことをあまり気にしすぎるな。
吹雪は吹雪で居れば良い。
大丈夫だ。
いつかお前のことを本当の意味で必要としてくれる仲間が現れる。
もっともっと先の未来の話かもしれないが…
シニアリーグでも高校野球でもなく…
その先のもっと先で…
お前を本当の意味で必要に思ってくれる人物が待っている。
だからあまり焦る必要ない。
吹雪はずっと吹雪のままでいなさい。
大丈夫。
きつく辛くなっても俺達がいる。
後は桜井メンタルコーチにもちゃんと頼りなさい。
専門家と話だけで本当に心と身体が軽くなるものだからな」
親父の言葉を受けて僕は先程抱いた得も言えぬ不安や複雑な感情が霧散していくようだった。
安心した僕はそこから二年生投手陣がやって来るまで父親に素振りを観て貰って過ごしていたのであった。
素振りの回数が三桁を簡単に超えて…
全身に心地の良い疲労感を覚えていた頃。
「「失礼します!」」
二年生投手の早川と拳道は室内練習場へとやって来る。
遅れて監督もやってきて僕らは早速練習と相成った。
早川は拳道とは違う練習を始める。
ブルペンマウンドに一人立つと捕手の座る場所にネットを置いていた。
ネットには九分割するようにきれいな四角のストライクゾーンが紐で表されていた。
昨日の紅白戦で山口が見せた異常な制球力の高さ。
それに感化されたであろう早川は自らの課題を見つけたようだった。
紅白戦一回戦目最終打席…山口に本塁打を打たれた球も…
もっと制球力が高ければ真芯を捉えられなかった可能性がある。
バットの先っぽに当たるかどん詰まりするか…
とにかく早川も昨日の紅白戦一回戦目の最終打席に納得がいかず…
今でも心の何処かで葛藤しているのだろう。
故に制球力を高めようと個人練習を開始したのだ。
「よし。では神田さん。お願いします。拳道のフォーム改善に付き合ってください」
父親は拳道の傍に向かうとフォームの指導を行っていた。
萬田監督はマスクを付け直そうとしていた。
「吹雪。
リリースする瞬間がモロバレで打ち頃だって思ったら遠慮なくバットを出してくれ。
真芯に捉えてさっきみたいにピッチャーライナーで返球して欲しい。
お前のバットコントロールの上達に繋がるだろう。
練習試合一試合目が終わるまでにどうにかコツぐらいは掴ませたい。
厳しくハードに相手してくれ。
お前でも打ちにくいと思えるまで…
散々投げさせて構わない。
これで立ち直れなければ…
どの道…拳道に投手としての道はない。
残酷なことを言っているように思うだろうが…
それにお前には悪役のような役割を任せて申し訳ないのだが…わかってほしい」
それに頷いて答えると萬田監督はマスクを被り捕手の構える位置に座った。
俺達は何度も拳道のフォーム改善に付き合うことを決めたのであった。
フォーム改善の特別指導からかなりの時間が経過している。
何度も何度も俺にピッチャーライナーを打ち返されていた拳道には疲労の色が見て取れる。
それでも俺達は容赦なく拳道の再起を望んでいた。
疲労を感じている拳道の目は腐っていた数時間前とは明らかに違うものだった。
闘志を秘めた眼差しは何が何でも新たな投球フォームを手に入れることに必死だった。
投球数が三桁に届く頃…
ようやく拳道はコツを掴んだようだった。
俺は初めてバットを出すのを躊躇った。
もしも今の投球に対してバットを出してしまえば…
ピッチャーライナーで返せないと感じたからだ。
打てないわけでは無いだろう。
しかしながら先程よりも完全に打ちにくくなっているのが見て取れる。
バットを出さない俺を見た拳道の表情は明らかに明るいものへと変わる。
「吹雪!どうだった!?」
一気にテンションが上がる先輩投手を見て僕は軽く苦笑していたことだろう。
「見え難かったです。打者として打ちづらいとも感じました」
僕の言葉を受けて拳道は喜びのあまりガッツポーズを取っている。
僕も早川もそんな拳道の様子を見て安堵した表情を浮かべていたことだろう。
「よし。拳道は昼食後も室内練習場にてフォームの確認を行うこと。
今日は全力では無かったにしても投げすぎているのでノースローで確認程度に抑えること。
そこのところは神田さん…
悪いんですがおまかせしてもいいですか?」
父親は問題ないとでも言わんばかりに手を上げて応えていた。
「早川と吹雪は昼食後…二試合目から合流すること」
「「はい!」」
僕と早川は返事をすると片付けに取り掛かっていた。
どうやらグラウンドでは丁度一試合目が終了したようで…
蒲田コーチを先頭に選手たちがぞろぞろと精悍な顔つきで室内練習場に現れる。
「試合はどうだった?」
監督の言葉を受けて…
皆が何かを伝えたくて仕方がない様な表情を浮かべている。
「なんだ?何があった?」
萬田監督は試合を任せていた蒲田コーチに視線を向ける。
蒲田コーチは苦笑気味な表情で怖ず怖ずと口を開く。
「試合の結果は…15‐0で我がチームが勝利しました。
相手チームの要望もあり七回までコールド無しの試合形式でした。
打線が爆発したのはもちろん喜ばしい功績です。
ただ…それ以上に本日の山口は…
パーフェクトを達成しました。
相手は全国常連チームの一軍です…
監督にも観てもらうように有識者に撮影も頼んでありましたので…
後で御覧ください」
蒲田コーチの言葉を受けて萬田監督は軽く首を捻った。
「ノーノーではなくパーフェクト?」
監督の当然の疑問に蒲田コーチは苦笑気味に頷く。
「そうか!これで七月から始まる二つの大会も楽しみになってきたな!
背番号がまだ決定ではない。
だが今日の山口の成績はエースナンバー足り得る結果と言えるだろう。
後の投手陣もありったけの力で二試合目もアピールして欲しい。
一年投手の小林、内藤も遠慮せずに沢山アピールすること。
野手陣も自分の存在価値を全面に押し出してアピールしてくれ!
山口はアイシングと柔軟を入念に行いなさい。
野手陣も入念な柔軟を行い昼食を取るように。
第二試合も完全に勝ちに行くぞ!」
「「「「「はい!」」」」」
エースの好投により選手たちにはやる気の炎が強制的に灯されていく。
明らかな闘志を完全に表に出す選手たちは次の試合が早く始まらないかと…
今か今かとメラメラと熱い炎を滾らせていたのであった。
僕らは昼食をたらふく頂くと室内練習場で食休みを兼ねて寝転がりながらストレッチを行っていた。
一試合目で信じられない好投をした山口はアイシングをしながら先程の試合を振り返っているようだった。
監督が室内練習場を訪れると山口悟の下へと向かう。
「山口。二試合目にお前の出番はない。
一試合目の好投の印象を忘れないために…
事務所で先程の試合の動画を観よう。
何故自分が好投できたのか…
それを客観的な視線で客観的な意見として分析するんだ」
山口は返事をするとそのまま監督とともに事務所へと向かっていく。
二試合目も蒲田コーチが試合を任されているようだった。
しばらくの時間が経過して…
食休み兼ストレッチを終了させた僕らはグラウンドへと向かう。
ベンチでは二試合目のスタメンが発表されていた。
「昨日の紅白戦。投手陣の好投が目につく試合が多かった。
特に今日も結果を出している山口。
昨日の紅白戦で山口の次点で好投だった早川を先発起用する。
早川は三回まで投げてもらう。
紅白戦での一年投手は…
打たれはしたが要所要所でしっかりと抑えていたのが印象的だったと感じている。
それなので四回、五回を小林が担当。
六回、七回を内藤が担当。
任された回を無失点で抑えるように努力すること。
捕手や野手陣としっかりと話し合って意見や意識をすり合わせておくように。
最後に…
代打気用として…たくさんの選手を考えている。
いつでも出られるように準備しておくように。
他にもアピールしたい選手は事前に準備を怠らないこと。
では、二試合目も完全勝利目指すぞ!」
「「「「「はい!」」」」」
選手たちは返事をするとシートノックへと向かい…
それが終了すると試合が始まる時間まで身体を冷やさずにしっかりと解しておくのであった。
試合が始める数分前。
スタメン選手は集まってミィーティングを行っている。
俺はベンチ裏で素振りを行っていた。
出番があるかわからないが…俺は準備を怠らなかった。
数分後の予定時刻に試合は開始されると選手は整列を行っていた。
「萬田シニアにこんなチビいたっけ?」
相手は全国常連チームと聞いていた。
萬田シニアとは何度も対戦を繰り返しているのだろう。
先程の試合の結果が上手に受け入れられない彼らは明らかに苛立っていた。
「出てくるわけ無いだろ。警戒する必要ないさ。今は二年の早川のことを考えろ」
整列中にコソコソと話をする不誠実な相手にうちのチームの選手は軽く苛立ったことだろう。
挨拶を終えるとスタメン選手は守備位置についていた。
早川が投球練習を行っている最中に野手も簡易的な守備練習を行う。
ベンチに戻った控えの僕らは自らがすべき事に集中する。
僕はバットを持ってベンチ裏へ。
同じ様に代打起用候補と思われる身体の大きな選手たちが中心になって僕と同じ様にベンチ裏へやってくる。
「吹雪。さっきの相手の言葉は気にするなよ。
俺達はお前がこのチームで一番厄介な打者だって知っているからな」
「そうだ。あいつら何も知りもしねぇで…あんな失礼を…!」
「本当に気にするなよ?
お前が打席に立って打たれて…泡吹いて白目むく姿が今から目に浮かぶぜ」
「俺達は分かっている。打って見返そうぜ」
慰めの言葉を送ってくれる先輩たちに僕は帽子を取ると深々と頭を下げた。
監督やコーチの意向で僕ら選手はいつでも起用されることを想定して準備をするように言われていた。
応援に全力を出すチームを否定する訳では無いが…
僕らは監督とコーチの意向で全員がいつでも試合に出ると想定して…
いざ、その時が来た時に…
完全に全力を出せる準備をしていたのだ。
そうして僕らは準備を怠らず…
いつでもスタメンを喰ってしまう様な脅かす様な存在として…
メラメラとやる気に満ち溢れた控え選手としてベンチを温めていたのであった。
早川は三回まで無失点で抑えると約束通りマウンドを降板する。
許した安打は二本だけだったようだ。
かなりの好投を援護するように打線も爆発寸前だった。
九番打者の早川に打順が回ってきて…
ワンナウトランナー満塁と最高な場面がやってきていた。
「吹雪。来るぞ!」
一緒に素振りをしていた先輩たちは確実に僕の出番だと思っていたようだ。
しかし僕はまるで反対の意見だった。
確かに僕が出てヒットを打つ可能性は高いだろう。
ただし…七月には公式戦が二つ同時並行で開始するのだ。
何が言いたいかと言うと…
公式戦に俺は出られないのだ。
出たくても俺に出番がやって来ることは無い。
中学一年生の春まで…
どれだけ実力をつけようが…
俺が公式戦に出られることは無いのだ。
決まりやルールとして…
練習に参加は出来ても…
練習試合で出番を貰おうとも…
公式戦では使えない僕を今のような大事な場面で使うことは無い。
数週間後に控えている公式戦を見据えているのだ。
今日俺に出番があるとしたら…
確実に勝利できる点差が開いた所でやっと出られる。
監督やコーチの思考を読み取るに…
きっとそうだと思われた。
早川がベンチ裏に現れて…
僕の思った通り…先輩の一人が代打として呼ばれたのであった。
試合は順調以上に進んでいる。
点差は二桁と明らかに勝利を確信していた。
最終投手である内藤が控えている。
小林の打順がやってきた時…
ツーアウトランナーなしの状況だった。
「吹雪。俺の代打」
小林に呼ばれた俺はバッターボックスへと向かっていた。
何処にもぶつけられない苛立ちや複雑な感情を静かな闘志へと変換して…。
バッターボックスに立つと捕手はマスクを外し野手に声を掛ける。
「内野、外野前進!遠くに飛ぶわけ無いぞ!
内野は特にセーフティ警戒!
しっかりと処理してこの後の攻撃に繋げるぞ!」
捕手の言葉を受けて内野も外野もかなりの前進守備へとシフトしていた。
投手も必ず抑えられると確信しているようで…
気の抜けた表情を浮かべている。
投球モーションに入った投手は油断しきっている。
捕手の思考も丸わかりだ。
投手の速球で俺を打ち負かす気でいる。
本日バカスカ打たれた鬱憤を…
うちのチームの投手からまるで打てなかった恨みの様な感情を…
こんなチビの俺を抑えることで憂さ晴らししたいのだろう。
それで積年の恨みのような思いや感情に溜飲が下がるとしたら…
このバッテリーは三下過ぎる。
俺の静かな怒りや闘志がメラメラとむき出しに現れて…
初球の甘く入った力任せの速球をフルスイングで打ち抜く。
真芯を捉え過ぎてまるで手応えの無いバットを思いっきり振り抜いてよろけてしまう。
飛んでいった打球を追うようにグラウンドを見渡しながらファーストへと全力で駆け抜けていた。
相手チームの静寂が…
味方チームの割れんばかりの歓声が…
一塁ベースを踏んだ辺りでやっと聞こえてくる。
打球の行方を探して二塁に進塁すべきか迷っている俺にファーストコーチャーが興奮気味に声を掛けてくる。
「吹雪!周れ!」
意味がわからずにキョロキョロとボールの行方を探しているのだが…
投手は膝に手をついているし内野手も帽子を取って頭の汗を拭っている。
近くにいたファーストは青ざめた表情を浮かべて俺を見ている。
何が起きているのか…
誰も説明してくれず…
思わず一塁審判を見ると…
「入ったんだよ。ホームラン」
一塁審判が右手を天高く掲げてぐるぐると回している。
俺はかなり遅れて現実に追いついて…
初めて誰にも遮られずにダイヤモンドを一周する。
打球は何処に行ってしまったのか…
しっかりと確認していない現状では現実味が薄かった。
ホームまで悠々と一周して次の打者とハイタッチをする。
「見ろよ。バッテリーが絶望しているぞ。
あれは吹雪…お前がやったんだ。
よく目に焼き付けておくんだ」
先輩の有り難い助言を受けて俺はベンチへと戻る。
チームメイトは俺を歓迎してヘルメットの上から頭をぽんぽんと叩いてくる。
くすぐったい表情を浮かべてヘルメットとバットをしまうと…
「萬田シニア専用球場でホームランを打つなんてな…
うちの球場は小さくないんだぞ…
これで小学一年生とは将来末恐ろしい選手になるな…」
蒲田コーチは苦笑交じりに僕に相対すると右手で握手を求めてくる。
それに応えるように右手で握手をする。
「初ホームランのボール。ゲットしてきなさい」
「えっと…何処に飛んだのかわからなくて…」
「あのなぁ…ライトスタンドに入ったよ。
山口の妹だと思うんだが…
打った瞬間に誰よりも早くライトスタンドにボールを探しに行ったみたいだから。
行ってきなさい」
「はい…!」
ベンチを抜けた俺はライトスタンドの方へと向けて歩いていた。
一塁スタンドに向かう道中の階段で…
俺は山口響子と出くわして…
「こんなに凄い選手なんだもんね…お兄ちゃんから打っても可笑しくないよ…
あの日、お兄ちゃんは手を抜いていなかったって言ってた…
でも私は現実を受け止められなくて信じなかった…
だってそうでしょ!?
今日のお兄ちゃんは完全試合をするような投手なんだよ!?
シニアリーグで五本の指に入るような好投手!
そんなお兄ちゃんが何個も年下の吹雪くんに打たれるなんて…
普通に考えて信じられないでしょ!?
でも今日の試合を見て…
昨日の紅白戦の話をお兄ちゃんから聞いて…
今の打席を見て私は完全に信じてしまった…
吹雪くんの初ホームランの記念ボールだけど…
私が貰っても良い…?
良かったら…その…サインもしてほしいの…
吹雪くんは絶対に世界的な選手になるって…
今この瞬間確信したから…」
響子は照れくさそうな表情を浮かべて僕にボールを手渡してくる。
そして遠慮がちな表情でサインペンを渡してくる。
「迷惑じゃなければ私をファン一号として認めてくれないかしら…」
僕はなんとも言えない感情に襲われていた。
初ホームランを打って浮かれているのもある。
自らの存在価値をチームメイトではない人間にも認められて…
気分的には最高潮だったのだろう。
サインなど考えていたわけでもないが…
サインペンを受け取ると俺は…
「神田吹雪」
と書いてサインボールとサインペンを響子に手渡した。
「ありがとう…宝物にするから…♡」
響子は照れくさい表情を浮かべながらスタンドへと戻っていき…
俺はどういう感情に包まれているのか…
自分でもわからなかったが…
ベンチに戻ると無心になるために素振りを開始したのであった。
試合が終わり。
二試合目の結果も18‐0とチームは完全に勝利を収めたのであった。
試合が終わるとミィーティングが行われて…
俺達は各自課題のようなものを見つけていたことだろう。
本日の練習は終了したのだが…
希望者は桜井メンタルコーチと面談が行われるそうだ。
俺は早く帰って眠りたかった。
明日に備えて疲労と筋肉痛を残さないように事前準備をしておきたかった。
全員に挨拶をした俺は父親とともに帰路に就く。
「初ホームラン。予想よりも早く打ったな。感想はどうだ?」
運転する父親は笑顔を浮かべており…
俺は打ったときのことを思い返すようにして口を開く。
「起きた時に名残惜しいけれどあまり覚えていない夢を思い返しているような気分」
「つまり?」
「もう一度経験してみたいってこと」
「ははっ!じゃあこれからも努力を続けような」
「うん」
返事をすると俺は全身に本日の幸福な出来事を感じ包まれながら…
心地の良い眠りにつくのであった。
俺と萬田と蒲田は三人で話していた。
「強打者にシフトさせるなら…時期尚早でしょうか?」
蒲田の言葉を受けて萬田は苦いような表情を浮かべている。
「どうだろうか…観ていたが…完全に狙っていたように思うが…」
「俺はまだホームランを打つような打ち方は教えていないが…」
「多分ですが…昨日の山口のホームランが印象的だったのでは…?」
「そこから参考を得て打てたと…?」
萬田の言葉を受けて蒲田は絶句するような表情で怖ず怖ずと口を開いた。
「そうとしか思えん。直近で観たのはあれだけだからな」
萬田は俺に視線を寄越して助言を請うような表情だった。
「少しずつフォームを改善していく。一気にではない。
今の安打を量産できるフォームが身体の小さい吹雪にはあっていると思うんだ…
だが…さっきのホームランがな…
明らかに強打者のそれだったんだよな…。
とにかく平日の秘密特訓で少しずつ試すさ」
「あ…!それなんですが…来週の月曜日から拳道と早川も加わります。
よろしいでしょうか?」
萬田は俺に伺うような言葉を口にしてくるので…
「お前のチームだろ。むしろ俺達が練習に付き合わせているんだ。
こっちとしても投手が増えるのは助かるさ」
「そうですか。ありがとうございます。ではまた明日」
そして現在。
俺は助手席で眠りこけている我が息子を眺めながら安全運転で帰路に就く。
同年代の選手よりも明らかに実力が超越している息子を内心では心配にも思いながら…
それでも息子にいつか肩を並べる仲間が出来ることを願いながら…
俺達親子は今日も明日に向けて全力なのであった。
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