第8話未来の…とある遊撃手の独壇場…を夢見て

月曜日がやってきており僕は登校班の一員として学校へと向かうこととなる。

昨日の不完全燃焼が心の中で物足りなさを覚えていた。


土曜日の筋肉痛や疲労感は完全に解消されており本日の秘密特訓を楽しみに思っていた。


学校に到着すると登校班のメンバーは散り散りになり各々の教室を目指していた。

一年生の教室は一階に存在しており下駄箱からすぐの場所に僕らのクラスは存在していた。

下駄箱にて靴を脱いで上履きに履き替えるとそのまま教室に入室する。

自席に腰掛けた所で山口響子が僕の下を訪れた。


「おはよう!昨日は試合に出なかったんだね」


彼女は昨日も試合を見に来ていたのだろう。

訳知り顔を浮かべて少しだけ残念そうに口を開いた。


「うん。土曜日の練習がハードすぎて…筋肉痛と疲労が取れなかったんだ」


「そっかそっか。理由があって出られなかったんだ。それなら良かったよ」


何故かわからないが彼女は理由を聞くと嬉しそうな表情を浮かべて微笑んでくれる。

意味がわからずにどの様な表情を浮かべていれば良いものなのか…


「そんなのただの言い訳だろ?

筋肉痛だろうと疲労があろうと試合に欠かせない選手だったら出すものだ」


月曜日に見られるいつもの光景だった。

男子数名が束になって僕らの下を訪れて憎まれ口を叩く。

僕も普段通りなんとも思わずに薄く微笑むだけだった。


「何言ってるの!?

大事にされていて期待されている選手だから怪我させないために休ませているんでしょ!?

そんなこともわからないの!?

だからあんた達はいつまでもガキって言われるのよ!」


「なっ…!俺達は間違ってねぇしガキでもねぇ!」


「はいはい。レベルが違う人を簡単に批判しないことね。

自分のバカさ加減が浮き彫りになるから!」


「はっ…!ふざけんなっ…!お前たちっ…月曜日の朝からいちゃつくなよ…!

キモいんだよっ…!」


彼らはいつもの捨て台詞を口にすると廊下へと抜け出していく。


「神田くん。気にしないで?

地元の少年野球団の方針と萬田シニアの方針はまるで違うでしょ?

何処でプレイする野球少年も皆んな真剣にプロを目指しているんだろうけど…

流石に萬田監督や蒲田コーチほど真剣に考えている指導者は少ないはず。


全てのチーム事情を知っているわけではないけど…

私はお兄ちゃんを見てきたから少しは分かるよ。


萬田監督も蒲田コーチもお兄ちゃんのことも…

全ての選手一人一人のことをしっかりと考えている。


来年お兄ちゃんは高校生になるわけで…

実は二年生の頃から沢山のスカウトから声を掛けられているんだよ。


そういう事情を知っている萬田監督と蒲田コーチは…

お兄ちゃんのことを試合で起用しない様にしようかって提案してきたんだよ。

高校生に上がるまでに試合で起用しすぎて怪我したり故障したら困るでしょ?

お兄ちゃんの未来を思ってちゃんと考えてくれているの。


それを知っているから…

神田くんも同じ様に萬田監督や蒲田コーチに思われているんだって分かるよ。

既に期待されていて先の事を考えてもらっているんだって分かる。


だからあの人達の言葉を真に受けないで?


怪我や故障で練習や試合に出られなくなったら…

誰も何も得しないでしょ?」


山口響子は長く思われる説明を僕にしてきて…

男子生徒の言葉を別段気にしていたわけでもないのだが…

薄い笑みを浮かべると感謝の言葉を口にしていた。


それを受け取った山口響子も照れくさそうに微笑む。

そのまま僕に別れを告げるように右手を持ち上げていた。

しかし…

彼女は別れ際に意味深な言葉を残していくのであった。


「また後でね」


どういう意味だったか…

本当の意味ではわからなかったが…

僕はそれに頷くと本日の授業に向かうのであった。




全ての授業を終えた俺はこの後に控えている秘密特訓を楽しみにしていた。

昨日、監督から告げられた話を思い出している。

本日、秘密特訓を知った誰かが参加するとのことだったが…

その正体に俺はまだ気付きも勘付きもしていなかったのだ。

この先に待っている楽しみを胸に秘めながら…

俺は素早く帰宅した。


「間食食べたらユニフォームに着替えて行くぞ」


玄関を潜り抜けると父親は俺に告げて手製の飲み物の用意をしていた。


「何の飲み物?」


俺の問いかけに父親はバナナの皮を二本手にして見せてくる。


「これにチョコ味のプロテインと牛乳…

隠し味にバニラアイスと糖分と塩分が入ったスポーツドリンクの原液を少々。

そこに大量の氷を入れてジューサーミキサーを使って…

シャーベット状に近い冷たい飲み物の完成だ。

今日はきっと長丁場になるからな。

効率的に水分補給して栄養補充と体作りを効率的に行おうと思ってな。

味見したがしっかり美味しかったから大丈夫だ」


「ありがとう。今日の間食は?」


キッチンで洗い物をしている母親に尋ねてみると…


「棒々鶏よ。お父さんが昼食に作ってくれた炒飯も一緒に食べるといいわ」


母親の言葉を受けて父親はジュース作りを終えたのか間食が入ったお皿をリビングのテーブルの上に配膳した。


「よく噛んで食べなさい。消化が遅れると不調を招く場合がある」


「うん。なるべく早く食べるから。待っていて」


「構わない。今日来るメンバーには先に始めていいと伝えてある」


「そう。今日来るのって誰なの?」


「ん?聞いていないのか?」


それに頷いて応えると僕はお皿に掛かっていたラップを取り外していた。

そのまま箸とスプーンを起用に使い分けて食事を始める。


「山口悟だよ。吹雪と対戦したいらしい」


「山口先輩が?僕と?」


「そうだ。何やら今の内からお前に苦手意識を植え付けておきたいそうだ」


「なんで?僕…悪い事した?」


「そうじゃない。山口は来年確実に強い高校に入学する。

しかもスポーツ特待で。

既にどの強豪校も山口に目をつけているそうだ。

ここからやつは球速をもう少し上げて高校一年の夏から背番号を貰うような選手になるだろう。


そして高校二年からエースナンバーをもらい…

三年ではキャプテンの可能性もある。

それぐらい期待されている選手なんだ。

高校では夏の大会で全国に進むだろう。


そんなやつだからこそ吹雪の本質を見抜いていて…

今の内から警戒マークしているんだ。


きっとプロで対戦することになるって想像できたんだろう。

だから今の内から苦手意識を植え付けておきたいんだ。


良かったな。チームのエースからの高評価だ。

光栄だろ?」


口の中に物を詰めながら僕は適当に首を傾げていた。

あまり想像つかない話を唐突にされてしっかりと理解できていなかったのだろう。

父親は僕に柔和な笑みを向けて微笑むと軽く頭を撫でてくれる。

その行為が少しくすぐったくてぎこちない笑みを浮かべていたことだろう。


「山口は既に先の先の景色を想像しているんだ。

そこに吹雪が立ち塞がるって想像できたんだろう。

他人のイメージの中にしっかりと存在しているってことは…

お前は皆んなにとってそれほどの脅威がある打者ということだ。

押しつぶされないように頑張れ。

帰ってきたら答え合わせしよう。

俺は山口の打ち崩し方を既にわかっている。

先に答えは教えないが…ちゃんと考えて打席に立ちなさい。


それとだな…

そろそろ蒲田が投げる球ぐらいちゃんと打って欲しいところだが…

思考を止めないで試行錯誤して五割ぐらいは打てるようになってほしいものだ。

父さんの球が打てないのは仕方ないにしても…

萬田の配球能力は中学生や高校生ではまだたどり着けないが…

それでもそろそろやつの思考のクセぐらいには気付いてほしいな。


萬田も口癖のように言うと思うが…

一プレイ一プレイ思考を止めるんじゃないぞ?

考えてプレイした結果とたまたま上手くいった結果ではわけも意味もまるで違う。

俺や萬田や蒲田が言う言葉をどの様に受け止めるのも吹雪の自由だが…

とにかく俺達は何度もこの言葉を投げかけると思う。

受け取る吹雪に託すが…

良ければちゃんと言葉の意味を理解して欲しい。


と、まぁ長話になったが…

父さんは着替えてくるから。

しっかりと間食を食べきるんだぞ」


父親は使っていた食器類を洗い終えると飲み物などをカバンに詰め込んでいた。

そのまま二階の自室に向かい着替えを済ますようだった。


「お父さんの言う事って吹雪には難しいと思うわ。

お母さんだって全ての場面で考えながら動けるかって言われたら…

そんなこと無いもの。


でも考えることって本当に大事だし意味があると思うわよ。

こう動いたからこういう結果が生まれる。

そういう想像力がどれだけあるかで…

その先の結果を予想できるわけでしょ?


予想できるってことは他人よりも早く動けるってこと。

即ち誰よりも先に動けて…野球で言うのであれば一歩目が誰よりも早い。

または誰よりも反応が良い選手になるってことかな?


それは素人目に見ても必要な能力だと思うわ。

どんなことでも反応が早い人とかすぐに動ける人は重宝されるからね…

なんだか忙しなくて残酷に思えるかもしれないけど…」


母親は食事をしている僕の対面の席に着いて軽い雑談のような…

父親の話の感想のような物を口にしていた。


俺はそれにどの様な表情を浮かべていれば良いかわからずに…

なんとも言えない表情だったことだろう。


「まだ早いなんて言わないわ。吹雪は皆んなに期待されているんだもの。

周りだって想像以上の期待を寄せてくると思うわ。

期待の眼差しに押しつぶされそうになったら…

ちゃんとすぐに言うのよ?」


母親の言葉に頷いた所で僕は間食を食べ終える。


「ごちそうさまでした。今日も美味しかったよ」


シンクに食器を持っていくと母親は…


「片付けはしておくから。早く着替えちゃいなさい」


それに頷くと僕はすぐにユニフォームに着替えて父親がやって来るのを待っていたのであった。





車に乗って小一時間。

僕らはチームの球場を訪れていた。

既に山口悟がマウンドに立っておりマスクを被っているのは萬田監督だと思われる。

バッターボックスには蒲田コーチが立っていて…

今まさにライト線に大きな当たりを飛ばしたところだった。

山口悟は悔しそうに両膝に手を付くと帽子を一度脱ぐ。

汗をタオルで拭って今の打席の反省点をメモ帳に取っているようだった。


「監督の配球はミスじゃなかった。山口の放る球が甘かったな。

もっとお腹を掠めるぐらいギリギリのコースに投げ込まないと。

これではど真ん中と変わりないぞ。

それを打てない打者がこの先でいると思ったら大きな間違いだし甘い考えすぎる。

インコースに差し込むことを恐れているようでは高校で通用しない。


少し恐ろしい話をしておくが…

高校の投手は打者が身体に当たると思うぐらいのコースに変化球を投げてきたりするものだ。

当たると恐れて大きく仰け反った打者は審判がコールするストライクという言葉に驚くものだ。

そしてキャッチャーのミットを確認して再度驚く。

殆ど真ん中に球は収まっている。


シニアリーグでもそういう勇気ある投球が出来る投手もいる。

全員がそうなれるわけではない。

上手くいかなければ打者に当ててしまう恐れがあるし、打者がそれで怪我でもしたらトラウマモノで最悪イップスになる。


だから練習の時に何度も投げ込むんだ。

クサイところクサイところを何度も何度も投げ込む。

納得がいくまで投げ込んで…

どうにか習得する技術だが…

覚えることに損はない。


とにかく今は恐れるな。

俺に当てても怪我などしない。

いくら当てても構わん。

完全に差し込むように投げ込みなさい」


「はい!」


山口は蒲田コーチに言われた言葉をメモに書き込んでいた。


「こんにちは」


球場に入る時に挨拶を口にして一礼する。

父親も同じ様な行動を取って僕らはベンチへと向かう。

荷物を置いた僕らはそのまま外野へと向かい十二分にアップを済ませるのであった。





「よし。全員集合したな。今日もいつも通り20球交代で投げてもらう。

まずは神田さん。お願いします。


二番手は蒲田。頼むな。


三番手は山口。20球全力真剣勝負でいけ。

全部打ち取るぐらいの覚悟でな。

神田さん蒲田コーチのピッチングをよく観て吹雪の対策に励むんだ。


では、神田さん始めましょう」


萬田監督の言葉により僕らは平日の秘密特訓を開始させるのであった。




本日の父親との対戦で俺は二本のヒット性の当たりを打つことが出来たのだ。


正直な話をすると…

俺は今日、父親のカットボールにだけ的を絞っていた。


アウトコースに放られたカットボールがストライクゾーンへと入る。

その球威に逆らうこと無くレフト前へ。


父親の表情を見るに完全に悟られていた。

カットボールに的を絞ってやがると…その一球でバレてしまったのだ。

きっと萬田監督も理解したのだろう。


そこから20球目まで一度もカットボールはやってこず…

しかしながら最後の最後に…

真ん中に放られた球の軌道の不自然さや回転数の激しい球威あるボールを見て俺は悟る。


萬田監督も親父も意地悪だって思った。

少しだけ笑みが溢れるというか…

僕らは皆ニヒルに笑っていたことだろう。


インコースに差し込まれる球を俺は態勢を崩されながらも…

右足を外に投げて身体を開いて打っていた。

きれいな打ち方ではないかもしれない。

しかしながら打球はライト線に飛びヒットと判定される。


2/20 本日一回目の父親との対戦成績は打率一割で終りを迎えたのであった。




蒲田コーチの球には正直慣れてきていた。

難しい球を投げる人ではない。

特別な変化球を放るわけでもない。

最大球速だって130km/hぐらいなものだった。


シニアリーグでプレイする投手としてだったら…

速球派の部類に入るだろう。


しかしながら毎日の様に打席に立って観て体験してしまえば…

慣れてしまうというもの。


後は萬田監督の配球をちゃんと考えて読むこと。

捕手の思考を盗むように一球一球思考を止めずにプレイをした結果。


10/20 本日一回目の蒲田コーチとの対戦成績は打率五割で終わりを迎えたのであった。




そして訪れた山口悟との勝負の時間がやって来る。


彼はマウンドに立つと真剣そのものの表情で構えていた。

僕もそれに応えるように肩の力を抜いて構える。


山口悟という投手は中学生にしては変化球が多彩で最大球速も130km/hを超える。

はっきりと言って現在のシニアリーグでは五本の指に入ると噂されているほどの投手だった。


そんな好投手を相手に打席に立てることはかなり幸せなことだった。


自らの成長のために…

同じチームのエースだろうと…

俺はしっかりと糧にする覚悟を決めていた。




勝負の一球が今まさに放られる。

投げ方にクセがある投手ではない。

完全にストレートのモーションだったが…

俺はまた目に頼ってしまう。


縫い目がフォーシームの持ち方ではなく…

明らかにツーシームの持ち方だったのだ。

軽く変化すると予想される球の軌道をしっかりと目で捉えながら…

俺は一球目のツーシームをしっかりとセンター返しに収めてしまう。


「さっきも言っただろ。コースが甘い。それじゃあ打たれて当然だ」


蒲田コーチの檄を受けて山口は悔しさを全面に表していた。


「ツーシームってサインを読んだのか?」


萬田監督はマスクを取ると俺と対面する。

しかしながら俺は苦い表情を浮かべて首を左右に振る。


「目に頼ったと?」


恥ずかしい思いに駆られながら俺は頷くと…

監督は山口悟に言葉を送った。


「配球がバレているわけじゃない。蒲田が言うようにもっとクサイところを。

そうすれば打たれん」


監督の投げ捨てるような言葉で一気に火が着いた俺は肩に力が入っていたことだろう。

周りも見えなくなりつつある俺に…


「吹雪。落ち着きなさい。萬田に乗せられるな」


ベンチで様子を観ていた父親に言葉を掛けられて萬田監督を見つめる。


「ま。そういう捕手は幾らでもいるからな。参考にしてくれ」


「そうだったんですか…乗せられそうになりました」


「ははっ。すぐにカッとする性格は治そうな」


「はい…」


そこから二球目に放られた速球は配球を読んだと言っても過言ではないだろう。


ツーシームと同じ速球だが変化しない。

先程の打席の印象が残っている俺が再びツーシームだと勘違いしてバットを出せば…

詰まった当たりとなる。

そういう配球内容だったのだろう。


「今のは読んだのか?」


萬田監督は再びマスクを外して俺に問いかける。

それに頷いて見せると萬田監督は嬉しそうな表情を浮かべていた。

そして…そこから20球に渡る真剣勝負が行われて…


12/20 本日一回目の山口悟との対戦成績は打率六割で終りを迎えたのであった。




そこから日が暮れて球場のライトを灯しながら…

21時まで僕らの真剣勝負の時間は続いたのであった。


父親との対戦成績は終始…打率一割だった。


蒲田コーチとの対戦成績は打率五割に届くか届かないか。


そして…肝心の山口悟との対戦成績は打率六割を超えてしまったのだ…


しかしながら散々打たれたはずの山口悟は…

これと言ってショックを受けている様子ではなく。

ただ…監督に直談判に行っていた。


「監督。来週から行われると思われる紅白戦で…

吹雪と対戦させる投手は二年生以上にしてください。

今一番乗っている一年生の二人と対戦させないでください…」


山口悟はその先に続く言葉を口にしようとしていたが…


「わかっている。俺だって今日の対戦を見たらそう思ったよ…

吹雪を相手にするお前や早川や拳道には辛く苦行に思えてしまう試練かもしれない。

けれど…わかってくれとは言わん。

ただ…吹雪を打ち負かすぐらいの気概で挑んで欲しい。


打たれても事故にあっただけ…

そうやって自分を慰めても構わん。

指導者としてこんな事言うの間違っているだろう。


けれどな…吹雪の才能は本物だ。

野球に愛されて野球に特化した野球の申し子なんだ。

誰もがそうなれるわけではない。


お前も自分の才能を否定するなよ。

今年一年間の我慢だと割り切るのも良いだろう。

メンタルが強化されたお前が高校で無双する姿を楽しみにしている」


「はい…!ありがとうございました!」


山口悟は萬田監督と話を終えるとその足で蒲田コーチの下へと向かい…

しばらく話をしていた。

そして最後に山口悟は僕の父親の元へと向かう。


「神田選手にお願いがあるんですが…」


「選手はやめてくれ。もう引退している身だ。それで?」


「はい。カットボールを教えてください!」


真剣な山口悟の表情を観て父は何を思ったのか…


「俺のカットは覚えないほうが良い。変化量が異常で…

普通の捕手では取れないし高校でも使えないだろう。


新たな変化球を覚えたいと焦る気持ちも分かるが…

今は蒲田や萬田が言った指示をしっかりと遂行することの方が大切だ。

インコースの投げ込みやアウトコースいっぱいに投げる制球力の向上。

ボール一個から半個分の出し入れ。


とにかく制球力を上げて…もっと捕手と話をしなさい。

そうすれば今日みたいに簡単に打たれなくなる。


これぐらいのアドバイスで勘弁して欲しい…」


父親は最後の方になると何故か照れくさい表情を浮かべていた。


「はい!ありがとうございました!」


山口悟は全員に挨拶をするとグラウンドを抜けていく。

スタンドには山口悟の家族と思われる数名の影があり…

そこには確かに…兄が珍しく散々打たれて落ち込んでいる響子の姿があったのだが…

彼女は僕と話をすることもなく…

兄とともに帰宅していったのであった。




残った僕らは全員でグラウンド整備をすると帰路に就く。

本日は珍しく眠気もやって来ずに助手席にて父親と話をしていた。


「山口悟の欠点が分かったか?」


特訓前に家で父親と話していた内容を思い出して…

俺は頷いていた。


「ほぉー。じゃあ何だと思う?」


「父さんや監督やコーチが言っていた…制球力の甘さ。

父さんやコーチの様にもっとギリギリのコースに投げられていたら…

今日はもっと打てなかった。

でも少しばかり甘いところに入るから打ちやすかった。


後は…いいや…やっぱやめておく…」


言い淀む俺に父親は先を促すように伝えてくる。


「うん…きっと山口先輩は…長打以外は怖くないんだと思った。

単打をいくら打たれてもへこたれない。


以前の練習試合でも三連続安打を打たれても平気な顔をしていた。


だから…ランナー満塁をイメージして打席に立った。

僕の気迫やイメージが伝わるはず無いと思うけど…

気持ちの持ちよう的にそうすることで…

なんとなく簡単に思考が読めて打てたんだ。


もしかして萬田監督も満塁をイメージしていたのかな…?」


「………。良いぞ。その調子だ。帰るまで寝ていなさい」


父親の言葉を受けて俺はリクライニングを倒して完全に眠ってしまうのであった。



我が息子の成長に自分でも驚いている。

何故分かったのか。

思わず聞き返してしまうところだった。


本日の山口と吹雪の勝負。

萬田は捕手としてランナー満塁を想定した配球を行っていたのだ。

我が息子ながら末恐ろしい…

吹雪の未来はきっと明るい。


だがそこにたどり着くまでの道程は酷く険しく…

辛いことの連続なのだろう。


同級生の選手たちとプレイすることになった時…

吹雪に味方や仲間やチームメイトと心から呼べる存在は…

一人もいないだろう。

孤独な遊撃手として吹雪は独りで先に向かうのだ。


いつしか…

とある遊撃手の独壇場をテレビ画面のその先で拝めることを祈って…


俺は助手席で静かに眠る息子の頭を愛おしく撫でるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る