第7話新たなメンバー参戦…!
日曜日がやってきていた。
昨日感じていたあり得ないほどの疲労感は睡眠とともに解消されつつある。
しかしながら太ももとふくらはぎに感じる多少の違和感の正体は確実に筋肉痛だと思われた。
「吹雪。調子はどうだ?」
普段通り選手全員でアップを終えると監督は浮かない顔をしていた僕を呼び止めた。
「はい。昨日の筋肉痛が残っていまして…」
「だろうな。あれだけ走れば嫌でも筋肉痛になる。
いくら若いと言っても一日寝たぐらいで解消されるようなものでもないだろう。
今日の練習試合は不参加とする。
ベンチにも入らなくて良い。
だがその代わり試合中はコーチの下に向かってもらう。
とりあえず話は以上だ。
これから投手陣がブルペンに入る前に徹底的な柔軟とストレッチを行う。
それに参加しなさい。
終わり次第…事務所にいるコーチの下を尋ねなさい。
先に言っておくが失礼のないように」
「はい…」
監督の最後の言葉が少し引っかかり疑問を覚えていたのだが…
どうにか返事をした僕はそのまま室内練習場に向かう。
投手陣は僕を待っていたようで…
顔を出すとすぐに輪の中に入れてくれる。
「よし。全員集まったので柔軟開始」
僕らは二人一組になって柔軟を開始することになる。
ペアの相手はエース投手の山口悟だった。
「山口先輩。よろしくお願いします」
「あぁ。こちらこそ頼む」
僕らはそこから入念にストレッチを行うのだが…
僕の相手はエース投手だ。
もしも僕のせいで彼の身体に不調を起こしてしまったら…
力加減を誤ったり逆に力不足で彼の柔軟の役に立たなかったら…
そのせいで彼が試合中に怪我をしてしまったら…
かなりの不安を覚えていた俺だったが…
「何心配そうな顔してんだよ。山口先輩なら大丈夫。
柔軟は一人で出来る人だから。
補助がなくても柔らかすぎて…
ほら…見てみろよ。
軟体動物みたいだろ?」
二年生投手の拳道は僕を安心させるように冗談交じりに口を開く。
そのまま山口の方へと視線を向けるように誘導してくる…
僕の視線の先では山口が一人で完璧な柔軟を行っている。
「一年から投手やっているとな…嫌でも柔らかくなるんだよ。
身体が固いってだけで怪我や故障の原因になる。
一年の頃は基本的にロードワークと柔軟が中心。
ブルペンで投げる機会もあるけど…
大体コーチと監督にフォーム改善の指示を受ける。
後は捕手と思考のすり合わせとか。
連携やサインの話し合いとか。
コミュニケーションを通して野手との意思疎通を図ったり…
小林と内藤みたいに一年生大会でしっかりと結果を出せる選手ばかりじゃないからな。
普通一年は夏まで基礎トレが多いんだが…
幸いなことに今年の一年投手は豊富で助かっているよ」
「そうなんですね…今は六月に入ったばかりですけど…
一年生大会ってすぐに始まるものなんですか?」
僕の思っていた疑問をぶつけてみると山口は苦笑気味に微笑んで見せる。
「各年によって違うけど…
俺達の世代は選手権予選と国際予選が終わった後だったな。
だから九月とか十月だったはず。
今年はかなり早かったよな?
五月に入ってすぐだっただろ?
GW中にスケジュールが組まれていて選手も運営側もハードスケジュールだったはずだ。
そんな中でうちのチームは優勝したわけだ。
二人が高く評価されるのも頷けるだろ?」
「ですね。僕も早く…小林さんと内藤さんと勝負してみたいです…」
僕が思わず口から漏らしてしまった失言にも似た発言に投手陣は苦笑している。
「嫌だっての。吹雪とは戦いたくねぇ」
小林が苦笑気味に答えをくれて内藤も同意するように頷く。
「七月下旬から選手権予選と国際予選が同時並行で始まるからな。
そろそろ土曜日の練習に紅白戦が組まれるようになるだろ。
指導者陣はきっと沢山の組み合わせを考えてレギュラーを決めるはずだ。
結果や成績ももちろん見られているし…
目に見えて分かる部分で言えば選手の相性や雰囲気なんかも判断材料にされる。
監督とコーチは熱血指導者って感じではないけれど…
声が出る選手とか盛り上げ上手な選手をベンチメンバーに入れる可能性だってある。
指導者が背番号を渡す基準は毎年分からないことだらけだが…
俺達は一生懸命にプレイするだけだからな。
もしかしたら投手陣は紅白戦で吹雪と当たるかもしれないんだぞ?
今から弱気でどうするんだ。
チームメイトだとしてもどの様にして抑えるか。
今からちゃんとイメージして対策するのも無駄なことじゃないぞ。
昨日の昼食の時…
内藤が言ったんだよな?
敵チームに吹雪がいたとしてって話。
紅白戦で打たれてポッキリ心が折れるなんてやめてくれよ?
一年含めて投手陣は今のところ五枚しか無いんだ。
来年のことを考えるにはまだ気が早いが…
もしも後輩に良い投手が入ってこなかったら…
お前ら四人で確実に勝ち進まないといけないんだ。
そのまた来年も良い投手が入らなければ…
二人で回すことになるんだぞ?
そのうち一人が紅白戦で吹雪と当たって折れてしまったら…
一人で全試合を乗り切るなんて無理だろ?
だから今の内からメンタルを鍛えて厄介な打者の分析対策。
自分の精神衛生のためにもしっかりと事前準備を怠るな。
ってことで俺は柔軟終わりだから。
次は吹雪の番な」
山口悟は後輩投手たちに発破をかけたり助言をしたり。
後輩投手陣は自らの危うい現状を理解したのか顔色を変えて柔軟に取り組んでいた。
一気に尻に火がついた彼らはそこから無言の状態で…
何かを考えるような顔つきで柔軟に取り組んでいたのであった。
柔軟が終わって投手陣は室内練習場のブルペンにて調整を行っていた。
本日の先発はまだ発表されていない。
そのため全員が気を抜けない状況が続いていた。
俺は事務所に入ると指導者室のドアをノックする。
「どうぞ。開いています」
中から籠もった声が聞こえてきてドアを開ける。
「失礼します。監督に言われてきました」
室内にはコーチと凛々しい顔つきの女性が居て。
僕は意味がわからずも挨拶をする。
「初めまして。本日よりメンタルコーチを務めることとなりました。
君が噂の小学一年生くんで合ってるよね?」
大人の女性に思える桜井絵馬の年齢は子どもの俺にとって予測不可能と思えた。
二十代前半にも思えるし三十代中頃にも思える。
だが彼女の柔和な笑みが人を惹き寄せるものであることを子供ながらに感じていた。
「はい。神田吹雪です」
「うん。今日からよろしく。早速だけど話を聞いても良い?」
「えっと…」
言い淀んでいる僕を見てコーチの蒲田は軽く微笑んでから口を開く。
「大丈夫。聞かれたことに正直に答えればいいだけだから。
答えたくなかったら答えたくないって言って良いんだ。
じゃあ桜井さん…後はお願いしていいですか?
僕はスタンドで試合の様子を眺めているので」
「はい。わかりました。任せてください」
蒲田コーチは桜井メンタルコーチに挨拶をするとそのまま指導者室を抜けていった。
狭くも広くもない指導者室に僕と桜井メンタルコーチは二人きりの状況だった。
初対面の大人の女性と二人で一緒にいるのは何処か居心地が悪く感じていた。
しかしながら僕の思いを汲み取ったのか桜井メンタルコーチは窓の向こうのグラウンドでシートノックを開始している選手たちを見て口を開く。
「グラウンドを見て。彼らは吹雪くんとは違って全員が中学生。
この間小学生を卒業した一年生だって全員が170cmを超える身長。
二年生、三年生に関して言えば180cmに届きそうな子もいる。
皆んな吹雪くんより身体が大きくて既に大人のような体格の子もいるよね。
そんな選手たちに囲まれて吹雪くんは自信を喪失したりしていない?
言葉にし難い不安を覚えていない?
もっと早く大きくなって先輩たちと同じ様なプレイがしたいって焦りを感じていたりしない?
蒲田コーチも萬田監督も吹雪くんのメンタル面を特に不安に思っているそうよ。
でも指導者として当然の不安だし私を呼んだのも最善手だったと思うわ。
これから私は萬田シニアでプレイする子どもたちのメンタルコーチを長い事務めていくんだと思うわ。
普通の選手とは三年ほどの付き合いになるわね。
けれど…吹雪くんとはそれよりもずっと長く付き合うことになるの。
今はまだ私の事を信用できなくても可笑しくないわ。
吹雪くんが警戒心が高くて…私は安心したぐらいだし。
きっとこれから吹雪くんの下に色々な大人が集まってくると思う。
お金設けのために利用しようと群がる大人や単純にファンやアンチも。
色々な評価を受けて吹雪くんは耐えられないほどの心労を覚えるかもしれない。
けれど…そういう時こそ私を頼ってほしいの。
メンタルコーチとして選手のメンタルを鍛えることと…
カウンセリングのように話を聞いてあげることも出来る。
きっと同じ様に悩んで最善と思われる道を提示することも出来る。
なにせ私は皆んなよりも先を生きる大人だから。
それにこれでも沢山のことを勉強してきたの。
子どもの悩みの一つや二つ解決することが出来る大人でありたい。
吹雪くんが今…もしも悩みがあるのであれば…教えてほしいわ」
桜井メンタルコーチは俺に暖かな笑みを向けてきていて…
俺は何処か警戒心が薄れていくのを感じていた。
「悩み…野球のことでもいいですか?」
思わず口から漏れた言葉に桜井メンタルコーチは表情を明るくさせて僕と対面した。
「もちろんよ!どんな悩みでも歓迎だわ!」
彼女の表情筋は明らかに発達しているように思える。
喜怒哀楽を上手に表現できそうな彼女の表情のお陰で俺も安心して口を開いていく。
「父親と真剣勝負をしても…まだ一割も打ててないんですよ。
カットボールのキレはエグいし…
フォークを投げられたら手も足も出ない。
ストレートは一気に浮くような速さとノビで…
あれを真芯で捉えるイメージが持てない。
カーブも中学生が投げるものと軌道が違いすぎますし…
スライダーは目で追うのも困難で…
時々投げられるチェンジアップなんて予想できても打てる気がしないんです。
本格的なツーシームも本当に厄介で…
シュートなんて投げられたらバットにかすりもしないで空振りです。
時々ある失投をたまたま打てるぐらいで…
このままで俺は大丈夫か…不安ではありますね」
「………」
僕の悩みを聞いていた桜井メンタルコーチは苦笑の様な思わず吹き出してしまったかのような笑みを浮かべている。
「なにか可笑しかったですか?」
「いえいえ。ごめんなさい。吹雪くんは本当に野球が好きなのね。
一生懸命で全力。
大人が相手だろうが中学生が相手だろうが…
絶対に勝ちたいのね…
素晴らしい心意気だと思うけれど…
今の内にお父様という壁にぶち当たったことを幸運に思ったほうが良いわ。
その才能で後から壁にぶつかるのはね…
軽い挫折にも似た感情を幼い内に味わえたことは何よりも幸運ね。
でも大丈夫よ。
きっと吹雪くんならいつかちゃんと打てるようになるわ。
萬田監督も蒲田コーチも吹雪くんに寄せる期待は絶大だから。
あの二人が小学一年生の男子に期待するなんて…
普通ではないことが起きているの。
大丈夫。
もっと自分を信じて。
きっといつか絶対に打てるって思って戦わないと。
その気持ちが無いときっと打てないわ。
なんて素人意見だけどね」
「ですか。ありがとうございます」
僕は適当と思える返事をしていたが…
内心ホッとしていたのだ。
監督でもコーチでも父親でも無い第三者からきっと打てると言われて。
単純な子どもの思考だったかもしれない。
けれどこの日の櫻井メンタルコーチの一言が俺にとって良い結果を生むとは…
まだ誰も知りもしないのである。
練習試合の間。
僕と桜井メンタルコーチは沢山の会話をした。
眼の前で行われていた試合に関しての話も…
そうではない練習中の話も…
学校生活の話も…
沢山の話をして過ごした僕は…
なぜだかかなり心も身体も軽くなっていた。
練習試合が終わってミィーティングが行われた。
試合の反省点を選手たちが一つ一つあげていく。
それに監督が応える。
そんな時間がいつものように三十分程続く。
入念にグラウンド整備が行われると監督は腕時計を確認した。
「本日の練習はここで終了とする。
正直ここ最近は詰め込み過ぎた練習スケジュールだった。
三月の選抜の結果が芳しくなかったお前たちに厳しい指導をし過ぎたと反省している。
それに気付いたのは本日よりメンタルコーチとして就任していただいた桜井さんの助言によるものだ。
本日、この後の予定だが…
普段の練習終了時間まで桜井メンタルコーチと個人面談の時間とする。
桜井メンタルコーチとしっかりと話をするように。
呼ばれた者から事務所の指導者室に来るように。
では以上」
監督の言葉によって僕らはミィーティングを終えて解散となる。
全員が部室に戻っていく中で僕だけが監督に呼び止められる。
「吹雪。ちょっと良いか」
いつもの決まり文句で僕を呼び止める監督の元へと向かう。
「明日の秘密特訓なんだがな…
どうしても参加したいって言っているやつがいるんだ。
俺達も口外せずに秘密にしていたんだが…
たまたま見てしまったやつがいてな…
参加を許してもらえるか?
きっと吹雪にとってもいい練習になる」
「はい…僕は構いませんが…誰なんですか?」
「そうか。良かった。助かるよ。
まぁ…それは明日のお楽しみってことでな。
お前はもう桜井メンタルコーチと面談を終えたんだよね?」
監督の言葉に頷いて応えると…
「じゃあ今日は先にあがれ。
家に帰って沢山飯食って風呂でちゃんと体をほぐして…
風呂上がりにストレッチして…
明日には完全に疲労も筋肉痛も解消しておくこと。
じゃあまた明日な」
「はい。お先に失礼します。お疲れ様でした」
監督と挨拶を交わすと俺は部室に荷物を取りに行く。
先輩たちに挨拶をするとそのまま父親の元へと向かった。
父親の運転で帰路についた俺は監督の言い付け通り…
沢山の睡眠時間を確保して明日に備えるのであった。
意外にもあの男が吹雪に対して…
好打者を抑えたい気持ちを隠せずに…
投手心に炎を灯していたのであった。
次回…秘密特訓に新たなメンバー参戦…!
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