第6話今よりもずっと先の景色を夢想して…
平日の秘密特訓は夕方から始まる。
父親とコーチは20球ごとに交代して投手を務めていた。
俺は様々なタイプの投手を相手にしているようで毎日の様に意味のある実践形式の真剣勝負を繰り返していたのだ。
父親との真剣勝負は未だに一割も打てていない。
コーチとの真剣勝負ではどうにか三割ほど打てている状況だった。
監督のリードは柔軟そのもので…
俺の一挙手一投足を毎球確認して思考を盗まれているようだと感じていた。
こんなにも真剣勝負向きで打者としてやりにくい捕手がいるのか…
と俺は捕手の重要性を再確認させられていた。
平日には真剣勝負を繰り返して…
土曜日がやって来ると俺は新たな練習メニューを追加させられていた。
早朝から選手全員で入念にウォーミングアップを行う。
投手を除いた野手陣は十分の休憩後バッティング練習の支度をしていた。
以前と同じ様に俺と投手陣はロードワークへと向かう。
前よりも先輩たちにちぎられない様に努めて…
俺の体力は少しずつ上昇していたことだろう。
自重トレをみっちりと行うと投手陣はマシントレを行うためにトレーニングルームへ。
俺は監督の元へと行き報告を…。
それが済むと本日はバッティング練習に参加ではなかった。
「今日から本格的に守備練習も並行して行う」
監督の一言により俺はグラウンドの端っこで監督とマンツーマンでノック練習に励むことになる。
強い当たりを左右に振られて…
俺はどうにか食らいつくが…
「吹雪。守備の時も思考を止めるな。打席に立っているときと同じだぞ?
今やっているノックをただの練習だと思って行うのと本番を想像して行うのではまるで意味が違うだろ?
よく想像するんだ。
今、吹雪はショートを守っている。
ランナーはいない…一回表先頭打者だ。
左打者で足が速い。
ボテボテのサードとショートの中間辺りに飛んできたバウンドの高い打球。
素早く捕球して流れるようにファーストへとストライク返球をしないといけない。
進行方向的にサードが処理する場面。
でもサードが一歩目を出遅れてしまう。
ショートの吹雪の守備が間に合ったは良いが…
移動方向と送球方向が逆なのは分かるな?
送球のために溜めを作ったらバッターランナーはセーフになってしまう。
ではどうする!?
一回一回そういう場面を想像しながらノックを受けなさい。
練習も本番もただの作業にするんじゃないぞ。
いつでもどんな場面でも考えること。
思考を止めた選手は大事な場面で脆いものだぞ?
そうなりたいか?」
「いいえ!」
「よし。それならば自分なりでいいから沢山の場面を想像してプレイしなさい。
そのイマジネーションを豊富にさせるためにも沢山の試合を観なさい」
「はい!」
「よし。じゃあ続きをやるぞ」
「お願いします!」
そうしてそこから俺と監督の意味のあるノック練習は水分補給を何度も挟んで昼過ぎまで続くのであった。
昼食の時間がやってきて。
僕ら選手は食堂へと向かう。
保護者が当番制で僕らの昼食の世話をしてくれていた。
何よりも驚いたことがある。
保護者の中には子どもたちのために…
チームのために真剣に栄養学を学び資格まで取っている母親がいたことが衝撃的だった。
しかもそれが一人や二人ではないのだ。
幾人もの母親が子どもたちの身体を思い資格を取っていたのだ。
何も強制で取らなければいけないわけではない。
我がチームにその様な強制的な決まりは一つもない。
それだけ保護者も全力で真剣に子どもたちの将来を考えてくれているようだった。
僕たち選手は数々の保護者のお陰で毎日の様に食トレを行い身体を大きくさせていたのである。
「吹雪。よく食うんだな。妹が言っていた通りだ」
エース投手の山口悟が僕の隣にやってきて席に腰掛けた。
先ほど一緒にロードワークを行った投手陣も僕を囲むようにして席に座り。
「山口先輩。響子さんはなんと言っていたんでしょうか…」
「ははっ。怯えること無いさ。給食の時いつも人の倍以上食べるって褒めていたぞ。
家でも食トレしているんだろ?」
「はい。母親もチームの保護者と同じ様に栄養士の資格を持っていまして…」
「そうだろうな。神田選手の奥さんだもんな」
「えっと…父をご存知なんですか?」
「は…?お前…親父が誰か知らないのか…!?」
「はい…まるで知りません…」
「スマホで調べたりは!?」
「まだスマホ持っていないので…」
「マジか…まぁ…知っていようが知らないでいようが吹雪には関係ないな」
「はぁ…」
なんとも言えない息が漏れて俺は食事の続きに手を付けていた。
「吹雪。ちゃんと挨拶するのは初めてだな。
チームの二番手投手二年の早川だ。よろしくな」
「あ…はい。よろしくお願いします」
二番手投手二年生の早川と挨拶を交わすと三番手投手と思われる選手も挨拶をしてくれる。
「三番手…って自分で言うのは癪に触るが…
二年の
「はい。よろしくお願いします」
拳道と挨拶を交わすと残り二人の投手も続けて挨拶をしてくれる。
「一年小林。よろしく」
「よろしくお願いします」
「一年生投手内藤。よろしくね」
「はい。お願いします」
一年生投手と挨拶を交わすと二、三年生の先輩投手たちが誂うように口を挟む。
「今の一年達は…この間の一年生大会で優勝したんだぞ。二人は未来の二枚看板」
「ちょ…!山口先輩…!」
「なに恥ずかしがっているんだよ。後輩の前なんだからどっしりしていろ」
「拳道さんも…!」
「その後に続く情けない事情を知られたくないんだろ」
「早川さん!吹雪の前でやめてくださいよ!」
小林と内藤は表情をコロコロと変えて必死で先輩たちを静止しようとしていた。
「良いじゃないか。味方なんだし。
誰かを正当に評価するのは何も恥ずかしいことではない。
何なら吹雪に直接言ってやれよ。きっと喜ぶぞ」
山口悟は先輩としてエースとして投手陣をまとめるように後輩たちに笑顔を向けていた。
それを受け取って一年生投手の二人は恥ずかしそうに照れた笑顔を浮かべながら俺の方を向く。
「あぁ…かなり後輩の吹雪に直接こんな事を言うのは恥ずいんだが…
恥ずかしげもなく言わせてもらうと…
一年生大会で優勝した俺達一年から見ても…
お前はかなりの好打者だ。
俺も小林も優勝立役者の二枚看板なんて言われて雑誌に載ったり周りにチヤホヤされているが…
正直お前とは勝負したくない。
同じチームに入ってきてくれて内心ホッとしている。
もしもお前が別のチームに入団して…
この間の練習試合みたいにうちと対戦したとして…
お前が代打で出てきて打たれて…
後から小学一年生なんて知らされたら…
心がポッキリ折れていたはずだ…
一年生大会でも身体が大きい強打者は沢山いたよ。
でもな…お前みたいに不気味なやつは一人もいなかった。
何処投げても打たれるって感じる打者は一人もいなかったんだ。
同級生や後輩相手だったら捕手と意思疎通を図って野手と連携すればどんな打者だって打ち取れるって信じてる。
でも…ベストメンバーでベストコンディションだったとしても打ち取れないって感じる選手がいる。
うちのスタメンと…吹雪…お前だよ。
だけど俺達もここで終わりじゃない。
吹雪に負けないように投手能力も野球IQも磨いていくからな。
お前に置いていかれないように俺達も努力する。
それだけだ…」
内藤は恥ずかしそうに…
けれど俺をしっかりと評価して称賛の言葉を贈ってくれている。
俺はどの様な表情を浮かべていれば良いのかわからずに…
ただぎこちなく感謝の言葉を口にするのであった。
昼食を終えた俺達は涼しい室内練習場にて食休みをしていた。
全員が輪になって寝転がり全身をほぐすストレッチを行っている。
「そのままの態勢で聞け」
監督が室内練習場を訪れて俺達選手は言われた通りストレッチを行いながら話を聞いていた。
「午後の練習はノック練習から。その後、走塁、盗塁練習。
それが終わり次第投手捕手陣はブルペンにて軽い調整。
明日の練習試合の先発投手の参考にするからしっかりとアピールしてくれ。
一年だからとか二年だからとか…
そういう遠慮は絶対に無しだ。
山口も三年で唯一の投手だと思って気を抜くんじゃないぞ?
三月の大会が終わった時に言ったと思うが…
夏の大会まで背番号は白紙の状態だからな。
全選手に言っておくが…
誰がスタメンになるかなんて俺達指導者はまだ決めてすらいない。
ここではっきりと言っておくが…
外部の有識者に頼んで練習の様子や試合の様子を観てもらっている。
有識者の話を全面的に聞く訳では無いが…
完全に参考にはするだろう。
俺達指導者が見ていないからと言って気を抜くのはおすすめしない。
いつ何処で何人の有識者がお前たちを見ているかわからないぞ。
それと三年生にはちゃんと伝えておくが…
毎年の事のように毎週スカウトが見に来ているからな。
既に声を掛けられた選手もいるだろう。
俺達指導者陣にも話が通っている選手もいる。
現時点で控えの選手も超有名校や名門校や強豪校に声を掛けられるチャンスはまだまだ残っている。
毎日が試験や試練の日々に感じるだろう。
しかし野球というスポーツを選んだ時点でそのレールはいつまでも続いていく。
自分の可能性を狭める選手はこのチームにはいないだろう。
上を目指し続けることこそが我がチームの理念であり方針だ。
辛い時間がいつまでも続くように思えるだろう。
高校生になっても大学生になっても…
プロになれたとしてもメジャーに行けたとしても…
その先も…その先も…その先も…
人生は遥かに長く野球人生も同じ様に長い。
途中で辞める選手も出てくることだろう。
だが忘れないで欲しい。
今この瞬間努力した経験は絶対に未来で役立つ。
お前たちが野球ではない全く別の道に進んだとしても…
努力した経験が必ず何処かの場面で役に立ってくれる。
今はこの言葉もきれいごとに聞こえるだろう。
野球で生きていくことが全てだと思うはずだ。
だが全ての選手が職業として野球に携われるほど…
席は豊富に用意されていない。
お前たちに残酷な真実を伝えるには早い気もしたが…
何も包み隠さずに言おう。
吹雪が入団してからというものの…
言いようのない不安に駆られている選手がいることに気付いている。
だが焦る必要はない。
毎日毎日一歩ずつ進み一つ一つ強くなっていけ。
お前たちの努力を自らで否定するな。
ここは全国常連チーム萬田シニアだ。
スタメンから控え選手…ベンチに入れない選手を含めて…
全員が超一流。
何処に出しても恥ずかしくないスターの集まりだと俺は信じている。
だから…今この瞬間に一生懸命全力で挑むことに恐れを感じるな。
いつか必ずその努力は報われる。
お前たちよりは先人の俺が言うんだ。
信じられないかもしれないが確かなことだと断言しておく。
よし。
食休みも済んだだろ?
ノックの用意をしておけ」
「「「「「はい!」」」」」
選手たちの目の色は監督の激励の言葉により一気に変化したことだろう。
全選手の心に完全なる熱い炎が灯された。
俺達はやる気に満ち溢れており早くノック練習に挑みたくてウズウズしていたことだろう。
「吹雪。ちょっと良いか」
監督に呼び止められた俺はすぐに立ち上がって監督の元へと向かう。
「ノック練習の間なんだが…走者を努めてもらう。
コーチが打った瞬間に各場面を想定したランナーとしてに全速走塁。
一回一回ノックのプレイが止まってしまうが…
選手たちにとってもかなり実践的な練習になるだろう。
吹雪は打撃に守備に走塁。
何もかも超一流を目指してもらう。
今の内から沢山走らせることになると思うが…
吐き気を覚えたら言ってくれ。
その時点で走塁練習は終わりとする。
あと水分補給の時間は都度都度伝える。
無理はするな…
だが無理できる範囲の限界の先の景色をまだ見たこと無いだろ?
強制は一切しないが…
そこにたどり着いた選手とそうではない選手ではキツイ場面での精神状態に雲泥の差ができる。
一応心に留めておいてくれ」
「はい!」
そして選手たちはグラウンドに集合してノック練習の支度を整えた。
監督が言うように全選手が守備位置についており…
俺だけが走者を務めることとなった。
ノックが始まって…
まずはファーストまで全速力で走塁。
ファースト選手の公平なアウトの宣言を受けたら再びホームに戻る。
何度も何度もファーストに向けて走塁。
何度も何度も…
選手の数だけ俺は走ることになる。
もちろんランナー一塁の場面を想定していれば俺は一塁ランナーを務める。
ランナー二塁の場面だった場合は考えながら走塁をしなければならなかった。
体力も全身も限界の状況で…
俺は思考を止めない走塁を心がける。
二塁走者の俺は三塁方向に打たれた打球の強弱を確認しながら進塁するかを考える。
一塁方向に打球が飛んでいけばライナーか確認後、打球の強弱を頭に入れながら進塁又は二塁ベースに戻る選択肢を考える。
あまりにも打球が強い場合やライナー性の当たりが飛んでいった場合は野手の反応を伺いながらすぐに戻れる場所で次の行動を考える。
走塁も守備も打撃と同じ様に一場面一場面考えながらプレイすることに意味がある。
状況によって動きは確実に目まぐるしく変化していくのだ。
全く同じ場面は二度とやって来ないと思ったほうが良い。
相手の守備や打者の打球速度…
加えて言うのであれば投手が投げた球種。
左右どちらの投手でどちらの打者だったか。
無限にあるような幾つもの要素が加わって走塁判断や守備判断は決まってくるわけだ。
もっと言うのであればグラウンドの状況も考慮する必要がある。
何処のグラウンドも一律に同じ様なコンディションではない。
小石の有無も異なればグラウンド整備の優劣だって存在する。
兎にも角にも毎試合、一つ一つの場面で状況は幾つも異なっていくのだ。
それを事前に知っているか。
それをしっかりと把握しているか。
僕たち選手は毎場面でそれを深く思考し続ける必要があるのだろう。
そういう全ての要素を怠らずに思考できた人間が次の場面に進み有利に動くことが出来るのだ…
と…
俺は限界のその先の景色にたどり着いているようで…
頭の中の思考はやけにクリアで…
何もかもを理解したような真っ白な世界に…
独り立ち尽くしている気がしていた…
「おい吹雪。お前もう休め。
これじゃあランナー想定したノック練習にならない。
お前は限界じゃないって言うかもしれないが…
他の選手の上達のためにならない。
監督には俺が言うから。
とにかく今は俺の背中によじ登れ」
現在の萬田シニアで遊撃手を務める中学三年生の先輩に言われて…
俺は仕方なく彼の言う通りに背中によじ登った。
正直そこで限界が訪れて気を失ってしまったのだった…。
目を覚ますと…
俺は涼しい医務室のベッドで横になっていた。
近くの椅子には父親が座っていた。
「どうだった?限界のその先は」
「うん…何ていうか真っ白な世界に僕一人って感じだったよ…」
「………。そうか。流石は俺の息子だ。ガッツがある」
「ありがとう…」
「とにかく今日は休め。監督とコーチの指示だ」
「でも…」
「分かってる。練習は最後まで観ておきたいんだろ?」
「うん…」
「じゃあ涼しいこの部屋で観ていなさい。
明日は練習試合だが…この間のように出番があるかわからないぞ?」
「なんで…?」
「今の疲労の度合いを考えると…怪我する可能性がある。
それでは本末転倒だ。
一生のように長い時間最前線でプレイするつもりでいるんだろ?
それなら怪我しない術をちゃんと心得ないとな。
疲労は次の日に持ち込まない。
それを覚えないとベストコンディションで試合に出られない。
この意味分かるか?」
「全力出せないってこと?」
「そう。それに何処かを庇いながらとか不調を感じながらプレイをすると…
注意力が散漫になり深く集中するのに雑念が入る。
即ちベストパフォーマンスを発揮できない。
疲労や不調や怪我はいつまでも吹雪の敵として付き纏ってくる。
それはスポーツ選手全員に言えるかもな。
だからなるべく上手に付き合って向き合うべきだ。
どの様にして自らをベストコンディションに持っていくか。
今から散々考えなさい。
これだけは俺や監督やコーチがアドバイスしても…
本質的な部分では役に立ちにくいだろう。
それぞれにあった方法を見つける必要があるんだ。
吹雪には吹雪の疲労解消方があるだろう。
それはメンタルや調子の向上方法も含まれているんだが…
とにかく自分で色々と探ってみなさい。
どういうことをしていると調子が上向くとか…
安らげるとか安定するとか。
こればっかりは長く掛かるかもしれない。
でも大丈夫だ。いつか見つかる」
「うん…父さんは…どうやっていたの?」
「ん?父さんは母さんと一緒に居たら…疲れなんて忘れていたよ」
「そうなんだ…」
息子の前で恥ずかしげもなく事実を言う父親に俺はなんとも言えない返事をして…
そこからはチームの練習風景を眺めて過ごすのであった。
本日の練習が終わり入念にグラウンド整備が行われていた。
ミィーティングの後瞑想をすると俺達は各々帰路に就く。
監督とコーチと父親は何やら話をしていたが…
俺は助手席のリクライニングを倒してぐっすりと眠ってしまうのであった。
入団から二週間が経過した。
現在は六月の第三週土曜日。
いざ、次回へ!
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