第9話 雛原緋羽とテスト明け

雛原ひなはらさん、ちょっといいかな?」


 緋羽ひうがいつものように本を読んでいると、一人の女子が珍しく声を掛けてきた。

 見るからに愛想笑いを作った眼鏡を掛けた黒髪の女の子。緋羽とは中学から一緒なので見覚えがあったし、中学の時にもこうして話しかけてきた女子だった。


「何か用ですか戸蒔とまきさん」

「えっ! あたしの名前知ってるの!?」

「同じクラスでしょう。中学の時から」


 当たり前だ。と、言わんばかりに緋羽が眉をピクリと動かした。


「私はクラスメイトの名前を覚えてないような薄情な女だと思われてるんですか?」

「いやいやいや! そんなことは思ってないよ!」

「恐らくそう思っている人が大半なので」

「いやいやいや!」


 淡々と自虐を言うと戸蒔とまにりんは全力で首と手を振った。

 その様子を見て緋羽は"少し面白いな"と、顎に指をあててじっと見つめている。


「ところで私に何の用ですか」

「え、えぇと……」


 中学の時にも凛から話しかけられたことがあるが、その時は──


『今日はいい天気だね!』

『そうですね』


 ──だけで会話が終わってしまった。

 凛も悪いかもしれないが、ただでさえ近寄りがたい緋羽に気合を入れて話しかけたら、下等生物を見るような虚無の目で言われてしまえば出鼻を挫かれるどころではない。

 まるで喉元に、それ以上近づくな……と刃物でも向けられたような感覚に凛の足が止まってしまった。無論、緋羽は別に何も考えずに、否定する余地もない程にいい天気だったから淡々と肯定しただけに過ぎなかった。

 今、まさしくそのリベンジと言わんばかりに凛は気合を入れて、目に力を込めて緋羽を見つめる。


「あ、あの……!」

「はい」


 緋羽からしてみれば謎の気迫に満ちていて、少々気圧されてしまい、その氷の仮面からは少し冷や汗が流れていた。


「……べ、勉強教えてください」

「はい?」


 突然の申し出に緋羽はぱちくりと瞬きをしたあと、僅かに首を傾げた。

 その僅かな動作に教室の中の人々は、心の中で驚きの声を上げていた。

 あの冷徹な女である雛原緋羽が首を傾げる姿など見たことがないのだ。冷たい一言で断られるのが目に見えていたというのに。


「……テストならもう終わりましたよね」

「その……自己採点に手伝って欲しくて」

「そういう話ですか」


 既に緋羽の高校では夏休み前最後のテストが終わったところだ。今から勉強をしても全てが遅い。

 だが、自己採点をしたいというのはわからなくもなかった。


「いいですよ」

「えっ! いいの!?」

「断られると思ってたんですか?」

「あはは……、だって雛原さん人と関わるの好きそうじゃないし」


 緋羽が目を細めると凛は苦笑いした。


「別に嫌いではないですよ」

「そうなの?」

「面倒だと思うことはありますけど」

「それ嫌いじゃん!」

「違いますよ」


 あくまで人と人とが価値観を押し付け合うような関係が面倒だと思うだけで、別に軽く会話をしたり遊んだりするのは緋羽は嫌いじゃなかった。

 会話をする能力が低いということは差し置いて……。


「それで今からやりますか?」

「えぇと……放課後図書室とかは?」

「構いませんよ」


 怯えながら提案する凛と、淡々といつもの無表情で喋る緋羽。二人のやり取りを教室の中の全員が、友達と会話をするフリをしながら横目で伺っていた。

 ついこの間も冷たい言葉で男子を追い払っていたのだ、今回も断られると思って見守っていた人が殆どである。

 ────そして、緋羽は更にその予想の先を行く。


「戸蒔さん」

「なに?」

「友達になりますか?」

「えっ?」


 緋羽が何を思ってそんなことを言ったのか。

 それはこの場の誰にもわからないし、きっと蒼にもわからなかっただろう。

 ただ先日、短冊に友達が欲しいと自分自身で書いたことを緋羽は思い出し、思い出したついでで過去に面識も人物だから聞いただけだった。

 もし断られても緋羽は気にしない。…………が、凛側からしたら頼み事をした直後に言われているので断りづらい状況である。


「う、うん! なる!」


 凛はすぐに頷いて見せる。

 中学の時に話しかけたのも友達になりたかったからなのだから、緋羽の方から誘われたのなら断る理由もない。


「はい。よろしくお願いします凛」

「え、下の名前まで覚えてたんだ」

「だから私をなんだと思っているんですか?」


 ジト目で凛を睨む。教室全体が横目で見守っていた光景は予想外の展開を見せて皆息を飲み込んだ。


(別に見世物ではないんですけど)


 その周りの視線も当然気付いている為、緋羽はあまりいい気分ではなかった。


「…………」

「雛原さん?」

「緋羽でいいですよ」

「あ、うん…………。どうかしたのひ、緋羽?」

「いえ、なんでもありません」


 自分はここまで周りの視線を気にしていただろうか。緋羽はそんなことを思っていた。

 自分がコソコソと見られていることには慣れてしまったが、自分と一緒に居る人が噂されてしまうことに対しての不快感を覚えることに緋羽は自分ではまだ気づいていない。


あおが居たから)


 ふむ、と顎に指を当てて緋羽は思案する。

 きっと蒼が居たから見られても安心感があった……と解釈しそうになったが、何故か認めたくなくて緋羽はある結論を出した。


(……もしかして蒼のせいで周りの視線に耐性が下がっている可能性が?)


 よくわからないことは蒼のせいにしてしまおう。

 そう思うこと緋羽は気が楽になった。

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暑い季節には氷のような幼馴染を。 雨屋二号 @4MY25

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