第2話 七月の第一日曜日①

 日に日に勢力を増す夏の日差し、絶え間なく響き渡るセミの合唱。

 年々人を苦しませることに磨きをかけるこの夏という季節を、それでもあおは嫌いにはなれなかった。

 

「えぇと?」


 玄関の扉を開けると日傘を差した緋羽ひうが立っていた。

 直射日光をなるべく避け、二の腕を大胆に露出した涼しそうな薄手のワンピースを着た長い茅色の髪をした少女ば、それでも避けきれない暑さのせいか蒼には昨日よりも彼女が不機嫌に見えた。

 何故、緋羽が家にやってきたのかがわからなくて蒼は困惑していた。


「……どうしたん?」

「蒼、昨日言ってたじゃないですか」

「何を?」

「毎日でも一緒にいたいって」

「………………」


 一瞬なんのことだと思考が停止するが、直後急速に該当の出来事がフラッシュバックしてきた。


『ならこれからの季節にはぴったりだな。毎日でも一緒にいたいくらいだ』

 

 すぐに「あ」と声を漏らして目を丸くした。確かにそう言ったが、それを真に受けるとは思っていなかったので肩の力が抜けてしまう。


「蒼?」


 名前を呼ばれてはっとすると、緋羽が怪訝そうに眉を曲げて見上げている。

 あれは冗談だ。と言ってしまえば間違いなく怒らせてしまう気がしたが、それ以上に別に蒼も暇を持て余していたので緋羽が来てくれたことは別に嫌ではなかった。

 ……という、昨日は勉強したから今日は遊んでいいだろうという言い訳を心の中で並べていた。


「わ、わかった。着替えてくるからちょっと待っ──いや、暑いから中に上がっててくれ」


 返事を聞く前に蒼は二階の自分の部屋に急いで戻る。





 この暑さで外を歩くのは気が進まないので、二人は近くのショッピングモールにやって来た。

 家でもよかったかもしれないが、蒼にとって緋羽と一緒にいる=勉強をする。というイメージが強かったので逃げてきた。


「……緋羽」

「はい」

「何か食べたいものとかあるか?」

「いえ」

「じゃあ……何か欲しいものとか」

「間に合ってます」

「じゃあ──」

「気持ち悪いですよ蒼」

「…………」


 足を止めてはっきりと辛辣な言葉を頂く。なんとか機嫌を取ろうと色々聞いてしまったのは逆効果で、緋羽は訝しげに隣を歩く蒼を横目で見た。

 ──その緋羽の足が急に止まり、蒼も思わず立ち止まった。


「緋羽?」

「私は、友達がいません」

「……でしょうね」

「なので会話は……というよりも、冗談や世辞を判別するのが苦手です。そういうことを言い合う経験が少ないですから」

「あー……」


 緋羽の言っていることを理解して、蒼は乾いた笑いを浮かべてしまう。

 コミュニケーション能力を成長させるのは、結局のところ実際に色んな人と話すことが一番大きいと言える。緋羽にはその経験が極端に少なく、他人に合わせたコミュニケーションの取り方を知らない。

 更には緋羽は他人にはっきりと意見を言える性格をしているのも蒼は理解している。

 小学生の頃に緋羽に宿題を写させてもらおうとし時もそうだ。緋羽は『無理』とか『嫌』とかではなく、蒼自身のことを考えて意見を言ってくれる。

 嘘偽りのない性格の緋羽には冗談と本当の区別が付かない。


「ですから、蒼が昨日の言葉を冗談で言っていたのならそう言って下さい。私が余計なことをしたのなら教えて下さい」


 表情は見えない。だが、普段から無表情の緋羽を知っているからこそ、顔を見せずに打ち明けるという行為事態が蒼には刺さった。


 緋羽にとっては相手が蒼だからこそ、冗談ではないと思ってしまうところがあった。

 それは蒼が知らない部分である。

 緋羽にとっての蒼は、子供の頃の蒼のイメージが強い。誰とも関わらないよう緋羽の家にやってきて、殆ど会話したこともない相手に頼み込んで、冷たく接しても納得して聞き入れてしまう。

 素直で真っ直ぐな男の子なイメージが強かった。


「まあ……冗談ではあったけど、さ。」


 素直なのは今も間違いないだろう。

 ただ蒼自身は子供の頃のような無謀さはなくなったと、恥も恐れも知らないあの頃には戻れないと……そう思っている。

 だから正直に言葉を伝えようとするだけで、こんなにも顔が熱くなっているんだろう。


「けど、まあ……なんだ……。今までずっと学校行って帰ってとかしてたから、少し……寂しいなとは思ってたし?

「いや、寂しいっていうのはさ? 今まであったのが急になくなったから故の喪失感というか……、とにかく緋羽が居たのが当たり前だったから?

「別に緋羽が好きとかそう言うんじゃないけどさ、けど……、やっぱり会えると……嬉しいとは思うし、嬉しいっていうのは何か別に……他に表す言葉が思い浮かばないだけで……俺、馬鹿だから。

「だから冗談ではあったけど、半分だけ……半分冗談というか、緋羽と一緒にいるのは楽しいから? 楽しいなら楽しいだけ得だし? つまり緋羽と一緒に居たいっていうのはなるべく得をして過ごしたいという俺の──」

「すみません蒼。三行程度にまとめてもらえますか?」

「こ、こいつ……!」


 落ち着きなく動きながら長々と正直な気持ちを伝えていた蒼だが、プレゼンが下手だったのか容赦なく切り捨てられてしまう。

 緋羽は振り返ると、蒼の言葉など全く聞いていなかったかのようなジト目を向ける。


「冗談だけど冗談ではない。ということですけど……結局のところ私は余計なことをしてるんですか?」

「……してねーよ」

「そうですか」


 緋羽の顔がいつもの無表情に戻ったのを見て、蒼は両肩が重くなり堪らず猫背になる。

 あまり緋羽には使わない強い口調をしてしまう程に恥ずかしい、生まれて初めて穴があったら入りたいという言葉を実感した。


「顔が赤いですよ」

「あのなぁ……誰のせいで──」


 顔を上げて面と向かってキレようとしたが、珍しいものを見て蒼は止まる。


「蒼?」

「……いや、なんでもない」


 すぐに戻ってしまったが、蒼は確かに緋羽が笑っているのを見た。

 いつも無表情で、無感情で、無関心な雛原緋羽が笑みを浮かべているのを見た。その顔に不覚にも見惚れてしまって言葉を失った。

 が─────


(こいつ、人が苦しむ所を見て無意識のうちに笑ったのか?)


 もしかしたら緋羽の性格は結構悪いのかもしれない。

 そう思うとこの"氷"は溶かさずに、そのまま中の悪魔を封じ込めるのがいいのかもしれない。

 そんなことを蒼は思ってしまった。

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