暑い季節には氷のような幼馴染を。

雨屋二号

第1話 七月の第一土曜日

──男女の友情があり得ないと言うのなら、この関係は一体なんなんだろう。


「…………さあ、何でしょう」


 葉咲崎はさざきあおの目の前に座る幼馴染みの女の子──雛原ひなはら緋羽ひうは、その蜂蜜色の瞳を広げた本のページに落としながら淡白に答えた。

 蒼が心の中で考えるだけにしていた言葉は、無意識のうちに声に出てしまっていたらしく、恥ずかしさから頭を掻いた。


「急にどうしたんですか」


 ぱたん。と本を閉じた緋羽が顔を上げる。

 長い茅色の髪をした少女が背筋を伸ばして座り直すと、蒼はその可愛らしい容姿に見惚れる暇もないくらいの圧を感じた。

 

「別に本読んでていいんだぞ」

「休憩ですよ。蒼も一度休憩したほうがいいですよ」

「んー……、じゃあそうするかな」


 緋羽は蒼から目を外すと目の前のストローに口をつける。グラスに入ったコーヒーを少し飲み一息ついた。

 それを見て蒼も一つ背伸びをして肩を鳴らす。関節の鳴る音が思いのほか大きくて、それだけ集中していたことを実感する。

 二人がいるのはとあるカフェチェーン店だった。

 テーブルの上に参考書とノートを広げる蒼と、ホイップクリームの乗せられたアイスコーヒーを味わう緋羽。

 クールで少し怒っているようにも見える緋羽と気だるげで眠そうにする蒼は、二人向かい合って座り、各々マイペースな時間を過ごしていた。


「それで話を戻しますけど」

「ん?」

「男女の友情は成立しない。というのはどういうことですか?」

「ああ、それね……」


 無表情、無感情……まるで人形のような──いや、人形の方がまだ感情がはっきりしてると言えるほどの読み取りづらい表情。

 興味があるの興味がないのか、どちらかと言えば興味がなさそうな不愛想とも取れる顔で緋羽に聞かれ、蒼はどうしたものかと頬杖をついて苦笑した。


「まあ……そういう話があるよねって」

「知りませんけど」

「あるんですよ」


 所謂、男女の友情は友情に留まらずに恋情に変わり、友達としての関係は崩壊してしまうという話。

 ただ、それを真面目に緋羽に話すのはなんだか面倒に感じた。

 恋愛には無頓着……それどころか他人との関係もどうでもよさそうにしている緋羽には説明が面倒だと思った。

 そもそもこの二人の関係は──


(俺たちってそもそも友達なのか?)


 緋羽と蒼は小学校の頃からの付き合いだった。

 当時、夏休みの宿題を山積みにした蒼は頭を抱えた末に、家が近い緋羽に頼み込んで宿題を写させて貰おうと思っていた。

 しかし、緋羽は────


『自分でやらなきゃ意味がありませんよ』


 と、小学生とは思えない丁寧で落ち着いた口調で一言で断わった。それでも一人では頭を抱えるしかなかった蒼は、緋羽に頼み込んで教えてもらいながら宿題を終えた。

 それがきっかけだった。

 以来、家が近いので小学校と中学校は登下校を一緒にしていたが……、その程度の関係だった。

 学校で話すこともなければ休みの日に遊ぶこともない。ちょっと仲がいい知り合いのような関係。 


「私にはそもそも友情というものがわかりませんから」

「……もしかして、高校でもそうやって本を読んでるのか」

「そうですね」


 アイスコーヒーに乗ったホイップクリームを、くるくるとスプーンでかき混ぜて溶かしている。

 昔から緋羽がよく一人でいたのを蒼は知っている。

 中学校は三年間別のクラスだったが、たまに見かける緋羽はやはり誰ともつるまずに一人で居た。

 蒼は記憶を辿る限りでは、別に嫌われてるとかイジメられている訳ではなかった。

 ただ緋羽自身が近寄りがたい雰囲気をしている印象で、実際蒼も小学低学年の頃のような精神的に無敵の状態じゃなければ、緋羽に声を掛けるのを躊躇ってやめていただろう。

 何より家も蒼の家と比べても明らかに裕福で大きい。そんな相手に物怖じせず、なおかつ下心もなく声をかけた自分を今では尊敬したいほどだった。


「"氷"のようだ。なんて言われてますよ」

「氷?」

「私が、誰にも冷たいから」

「えぇ?」


 くるくると、スプーンをかき混ぜている。

 氷がぶつかり合う音をカラカラと鳴らしながら、緋羽はじっとグラスの中を覗いている。


(別に緋羽は冷たいわけじゃないと思うけどな)

 

 言葉数が少ない。

 勇気をもって話しかけた同じクラスの女子が、緋羽との会話がすぐ終わってしまい、愛想笑いで撤退していく様を蒼も見たことがある。


(そもそも冷たかったらここに来てないだろうし)


 二人でこのカフェにいるのは蒼が誘ったからだった。勉強を見て欲しいというだけの理由で誘ったらすぐに返事が来た。

 家だと集中できないのと、一人でいるとスマホを触りだすから、その監視のような役目で誘った。そんなことを引き受けてくれる緋羽が冷たいとは思えない。

  

(……俺も今の緋羽を知らないからなんとも言えないけど)


 蒼は毎日電車で通学するような距離にある離れた高校に進学していた。

 緋羽とは学校が離れ離れになり、蒼の方が朝も早く帰りは遅く、顔を合わせる機会はなくなってしまった。

 家は近いはずなのに緋羽に会うのは中学の卒業式以来、およそ四か月ぶりとなってしまった。

 

「……どうしたんですか?」

「え?」


 緋羽が顔をあげて蒼の目を見る。


「私の顔に何かついてますか?」

「いや、何も……」

「なら、あまりジロジロ見ないで欲しいですね」

「すみません……」

 

 じろりと睨んではっきりと言われてしまい、やっぱり冷たいかもしれない。と思ってしまう。

 昔のことを思い出しながら緋羽のことを注視しすぎていて、流石に緋羽も不思議に思った。


「氷、ね」


 誤魔化すように蒼は既に空になった自分のグラスを見た。


「ならこれからの季節にはぴったりだな。毎日でも一緒にいたいくらいだ」


 カラン。と、溶けた氷がグラスの中で崩れた。

 

「ほんと夏の暑さが洒落にならん」


 七月、季節は夏に入ったと言わんばかりに猛暑が続いていた。

 そんな愚痴をこぼしただけ……だった。


「気を遣ってるんですか?」

「別に」

「急によく喋るようになりましたけど」

「別に?」


 蒼はストローを加えて氷が溶けて溜まった水を吸う。僅かに残ったコーヒーと混ざっているが、殆ど苦みはない。

 時計を確認し、もう少しだけ勉強することに決めると、蒼は参考書に目を落とした。


「もう少し頑張るかな」

「そうですか」


 相変わらず心の籠っていないような言葉が返ってくる。

 それでも緋羽が本を開くのを見て、蒼と話す時は本を閉じていたことに気遣いを感じたった。

 やはり彼女が心の底から冷たいとは思えないが、そう思われるのも仕方がないのも事実だろう。

 もし、同じ高校に通っていたらどうなっただろうか。

 蒼はなんとなくそんなことを考えていた。

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